これまでに多数の皆さんが、理解を深めるのに有効な質問をたくさんぶつけてくれています。それらに対する回答が、上の各ページに掲載してあります。
質問したいことがあるときはまずここや回答のページを見て、先輩や同僚が同じ質問をしていないか確かめて下さい。
授業関係者以外からの質問は、下記宛電子メールで受け付けます。
masato.m.ito
nifty.com
○質問として「〜がわからない」と書いている場合があるが、これは質問ではないので答えようがない。しかし、「〜がわからないがどうすればいいか。」であれば質問である。「〜」が何であるかにかかわらず、これに対する回答は共通である(知りたい人は前の「回答」をクリックする)。
「ひとこと」ストック
- 「わからなくてもおどろくな。誰でも他人が書いたまじめな話など、読みにくくてわかりにくいものなのだ。」(野崎昭弘「数学的センス」日本評論社)そんな時どうすればいいか?
- 「基礎」は「入門」とは異なる。「入門」は一般に易しいものだが、学問では「基礎」を追求するほど難しくなる場合が少なくない。
- 「学問とは、学生の主体的な努力で身につけるものをいう。先生が教卓でしゃべるものではない。」
先生が確実に伝えられることは、学生が何を学ぶべきか、そしてどう学ぶのがいいかでしかない。
- 「あなたがまだ解らないことを解っている人がいる。あなたの解っていることをまだ解らない人がいる。だから、人は互いに話し合う。」
- 間違うことを恐れ、正解を教わってばかりいては理解が進まない。(説明)
- 「学生」は「学ぶ生命」と書く。学ぼうとしない人、考えようとしない人は学生ではない。「入学試験に合格したか」や、「学生証を持っているか」は、単に学生に「なれる」ことを保証しているにすぎない。
- レポートで「わかりません」は禁句です(NG)。(説明)
- 「本当の実力とは、どこに行っても通用する実力である。」
実習、演習、卒業研究に取り組み、あるいは社会に出れば、問題の答えを覚えるだけの、あるいは単位を取るためだけの努力で身につけた力がいかに空しいものかを、思い知らされるだろう。
- 「身につけたいと思ったら自分で努力(調べ、考える)せよ。」
教わっただけの答えは忘れるのも早い。知りたいと思って、自分から一生懸命時間をかけて調べ、考え、議論して、そして引き出した答えは一生忘れない。答えを教わるよりも時間がかかるが、その時間は決して無駄にはならない。
- 「法則がなぜ成り立つのか?」という質問には誰もが回答に窮する。
質量やエネルギーの保存則が概ね成り立つことを疑う人はいないだろうが、これに対して同じ問いかけをしても答えられないはずである。法則は、自然現象をうまく説明できる経験的なルールを明文化したものである。「そう考えると自然現象がうまく理解できる」としか答えようがなく、もちろん証明はできない。法則が「なぜ成り立つのか理解できない」のは、それを必要とする自然現象になじみがなく、そのために法則の存在意義が理解できないためである。「なぜ?」と悩むより、「?」を片隅に置きながらとりあえずその法則を受け入れ、それがあるおかげで自然現象がいかによく理解できるようになるかを学べばいい。
「質量欠損」という質量保存則の小さなほころびとそれに関わる現象について悩んだ物理学者は数多くいたが、その中で一人の天才がE
= mc2という新しい法則にたどりついた。法則とは幸運または天才により現れ、それまで多数を悩ませていた矛盾を解きほぐし、受け入れられてきたものである。
- 授業は定期試験のための予備校ではない。
問題演習の答え合わせは大学の授業では行わない(「演習」科目では例外もある)。小学校から大学入試までの勉強の経験を通して身につけた(はずの)ものの一つが、問題演習への取り組み方、特に「自分で答え合わせをする方法」であるはずだ。本当の勉強は「誤答」から始まる。
- 学問は蓄積である。
叡智は経験により磨かれる。卒業とともに、試験終了とともに、学んだ経験を置いて来たのでは、真の学問は身につかない。
- 「本当に大切のものは目に見えないんだね」(サン・テクジュペリ「星の王子様」)
本当に大切なものは、目で見ることも、言葉や図式で表すことも、行動で示すこともできない。まして、他人に教えることなどできない。見たり、聞いたり、感じたものの中にある「見えないもの」を主体的に追求して、はじめて自分のものにすることができる。