文は、完結した一種の思想・感情などを表した言語単位である。日本語の典型的な文はいくつかの単語によって構成され、一定の構造を持つ。その構造を探求するのが「統語論syntax」である。主語と述語がそろっていることを文の定義とする立場もあるが、日本語研究では、山田孝雄の「喚体句」の提唱以来、主語と述語がそろっていなくても文とする立場が優勢である。喚体句とは、1単語だけで構成される「独立語文」のことである。グリーンランド語(エスキモー語)に代表される「抱合語 incorporating language」では、独立して発音されない形態素の組み合わせによって文を作ることが可能であり、文全体を1単語と見なすことができるので、主語・述語などを文の定義とすることは出来ない。ただし、主語・述語を顕在的な単語や形態素に求めるのではなく、潜在的な意味構造に求める見方があり、そうした立場からは、主語・述語の議論も一定の意味を持つ。