モーツァルトを旅する(17)  ピアノ協奏曲第6番変ロ長調K238

                  ー楽器という可能性の宝庫を開くときー



 楽器というのは不思議な存在だ。どんなに名器と称えられても、そこにそれが存在するというだけでは何の価値も持たない。ただの物体である。演奏する主体の人間がいて、演奏するという行為があってはじめて、そこに音楽という価値が生まれる。しかもその音楽の価値には様々な程度があって、その人とその楽器との関わりの深さによっても、その人の演奏するという行為に対する誠実さ、真剣さによっても、その楽器から生じる音楽の価値は高くも低くもなる。
 私がクラリネットをはじめて手にしたのは中学1年だったが、中学2年からは当時東京フィルハーモニー交響楽団に所属していたクラリネット奏者のK氏のもとでレッスンを受けるようになった。当時の私に最も関心があったのは、クラリネットの夢のような美しい音色の秘密についてだった。プロの奏者の音色はどうしてあんなに豊かな響きを持っているのか、どうしてあれほど輝かしくて濃密な音なのか。私は、その秘密は楽器の違いだと考えた。きっとものすごい高級な楽器を使っているのだろうと思った。いや、それだけではなく手入れの仕方も上手なのだ、また、リード(マウスピースにつけて発音源とする小さな芦の板)の付け方や削り方も全然違うのだろう……いろいろ思慮を巡らしてみたものだ。
 初めてK先生のもとにレッスンに行ったとき、私はついにその答えを得た。間近で聴くK先生の楽器の音色は惚れぼれするほど深くよく響いていたのに、私が手にしていたヤマハはどうも鳴りが悪く音はくすんでいた。K先生は私の手からひょいとそれを取るとそのまま吹き始めた。するとどうだろう。同じその楽器から、私の時とは全く異なる輝かしい音色が響き始めたのだ。この楽器のどこにそんな美しい音が潜んでいたのだろう……私は世の中に不思議なことがあるものだとしみじみ思った。そしてやはり、そのヤマハも私の手に返された途端に、再びくすぶった鳴りの悪い楽器に堕してしまうのだった。
 K先生は、淡々と簡単にその音色を生み出す人だったので、何だか憎たらしいような羨ましいような思いもしたが、それだけの味わい深い音色はとても一朝一夕に生み出されるはずのものではなかった。K先生の音色は、K先生とクラリネットとの長い付き合いや、K先生のクラリネットに対する真剣さ、愛情と言ってもよいほどの誠実さや、いろいろなものがもたらしたものに違いなかった。きっとK先生も学生の頃、毎日一生懸命に練習したのだろう。より高い音楽を目指して繰り返し繰り返し腕を磨いていったのだろう。
 美しい音色を生み出すために必要な技術の第1は、何といっても呼吸法で、先生は盛んに「息のスピード」を強調した。私はなかなか言われた通りにできない悪い生徒だったが、練習が進むにつれてわずかずつながらも音がよく響くようになっていることを感じることができた。当時の私にとってそれが何よりの喜びだった。
 最高の音楽を生み出すには、最高の素材を用いた、最高のメーカーによる、しかも十分手入れをした楽器を用いるべきであることは確かだ。しかし、最高の演奏とは、その9割以上は奏者の腕が生み出すものだと言ってよい。
 楽器という物体に最高の価値を付与するのは、奏者とそして音楽である。
 クラリネットはモーツァルトがパリ交響曲(K297)で用いて以来、多くの名曲に用いられ、彼の人生が凝縮されたクラリネット協奏曲(K622)で頂点を極め、ベートーベン以降のすべての作曲家が愛好する楽器となった。モーツァルトを啓発したのは、名クラリネット奏者のシュタードラーの存在であった。名演奏家と大作曲家が出会ったとき、すばらしい音楽が生み出され、それと同時にその楽器の価値も高められていく。
 さて、モーツァルト自身が演奏家でありかつ作曲家として、最大のこだわりを見せ、最も多くの名曲を残し、自らも最もしばしば演奏した楽器といえば、言うまでもなくピアノである。特に彼のピアノ協奏曲は今に至るまで越えられたことのない名曲の宝庫である。ベートーベンによる、交響曲をはじめとする音楽も、モーツァルトのピアノ協奏曲(特に第20番、第24番)に啓発されたものであろう。
 彼にとってのピアノはたまたま親から受け継いだものではなかった。このことは彼が自ら演奏したもう一つの楽器、バイオリンと比較してみればわかる。ピアノもバイオリンも彼自らの意志で得たものではなく親によって与えられたものだった。しかし、彼がバイオリンに対してはほとんど執着を見せないのに、ピアノにはあれほどの執着を見せたことを考えると、モーツァルトにとって、ピアノは何か特別な意味を持った楽器だったと思えてならない。
 モーツァルトは5曲のバイオリン協奏曲を18歳当時の1775年に作曲して以降、二度とバイオリン協奏曲を作曲しない。確かに第5番「トルコ風」(K219)は名曲だ。古今の名バイオリニストがモーツァルトの代表的協奏曲として「トルコ」風を演奏する。またバイオリン・ソナタという小品において珠玉の名作があるのも確かだ。しかし、あの想像を絶するピアノ協奏曲群を見るとき、それらはすべてかすんでしまう。
 ──ピアノ協奏曲第6番。私の大好きな曲の一つだ。有名な第9番「ジュノム」(K271)よりもさらにちょうど1年もさかのぼる1776年、つまり彼が19才の時の作品である。ジュノムが第8番以前から大きく飛躍した名曲であることは、以前にも述べた。しかしそれは第8番以前が駄作であったことを意味するものではない。特にこの6番は、第18番、第27番と同じ調性だけあってどこか女性的で、世界に逆らわない従順さのようなものを感じる美しい曲である。
 1775年に彼は「トルコ風」に至る5曲のバイオリン協奏曲を書いている。彼は18歳にしてバイオリン協奏曲にピリオドを打つ。そして、その翌年の年頭に書いたピアノ協奏曲第6番こそ、そこから始まる、長いピアノ協奏曲の旅路の第1歩だった。
 6番の後には、さらに21曲ものピアノ協奏曲がこれでもかこれでもかというほど名曲を続ける。6番の旋律は、まるでその長い旅への旅立ちをさわやかに祝い、見送る人のように、やさしく温かい。
 モーツァルトは自らピアノを演奏した。彼こそ、それまでピアノの中に眠っていた可能性を完全に引き出した人だった。彼のピアノ協奏曲を見るだけで、彼が一流のピアニストだったことが察せられる。いや、彼は天才ピアニストとして、ピアノを愛し、ピアノの可能性を信じ、来る日も来る日もピアノに向かい、その過程で作曲家としての才能を開花していったのだと思えてならない。敢えて言えば、モーツァルトにとってピアノは完全に体の一部になっていたのではないだろうか。
 私にとって最大の愛すべき楽器、クラリネットを私は生涯演奏し続けたい。そして、弾きたかったと思うもう一つの楽器、ピアノを、私は夢の中でだけ、演奏し続けていたい。第6番のあのやさしい音色を心を込めて、夢の世界の中にいるすべての人に聴かせてあげたい。

(『Oracion』Vol.3 No.7 <1992.7> モス・クラブ刊より)


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