桐山ゼミでは福島原発事故後約2年半の経過を待って、2013年8月21~23日の間、福島市内を訪問していくつかの聞き取り調査を行った。この研修は、
地元公明の県議、市議の皆様のお世話により実現している。聞き取り調査の訪問先は福島県立医大、福島市役所、除染現場(公会堂)、市立小学校などである。
掲載記事から-----
この夏、創価大学教職大学院(東京・八王子市)の桐山信一教授のゼミに学ぶ教育学部生および教職大学院生が、福島県福島市でゼミ合宿を行った。東京にいると、
あの震災があったという実感が薄れていく。将来、教師となる自分たちは、子どもたちに震災をどう伝えていくのか――福島第1原発事故後の福島の現状を肌で感じ
たいと市内を回った。市内にある松川第1仮設住宅。ここには、全村避難が続く飯舘村の人々が暮らす。集会所に住民が集まり、菅野典雄村長の話(別掲)を聞いた
後、学生と住民との懇談会が開かれた。
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「みんなで頑張って『日本一美しい村』をつくってきたんだよ。いよいよ、これからという時に原発事故。何も悪いことしていないのに」
「(農家だから)自給自足の生活から、一から十まで買って食べる生活。米も買わなきゃいけない」
「ここにきて一番困るのが仕事がないこと。やることがないんだ。村にいれば畑仕事があった」
「私たちは、立ち上がりたくても立ち上がれない。除染も進まないし。農家だから、将来、村に戻れたとしても、どうやって暮らしていけばいいのか。ぐっすり寝た
ことはないね。事故は収束していないし、影響は広がるばかりだから」「村に戻れるようになっても、年寄りは帰っても、若い人は帰れないと思う。若い人が戻って
こない限り村は成り立たない」
胸の内を吐き出す住民。真剣に聴き入る学生。
「皆さんが、後世に伝えたいことはありますか」
一人の学生が質問すると、すぐに声が上がった。
「受け継いで欲しいことよりも、自分がこの後、どうなんのか、それが一番の悩みなの。希望も何もないんだもん」
学生たちは息をのんだ。込み上げてくるものをグッとこらえた。教育学部3年の梅津累さんは、福島市出身。
「自分のことだけで精いっぱい。これが当事者の思いなんだと分かりました。自分にできることは何かなと考えさせられました」
今、聞いたばかりの話を整理するように一点を見つめながら感想を語った。
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合宿ではほかに、放射線と甲状腺がんの関係、除染作業の実態、放射線教育、事故後の小学校の対応等について話を聞いた。最終日は、同市土湯温泉町にあるバイナ
リー発電施設を訪問した。原発事故後、風評被害で観光客の大幅な減少に悩む同町は、温泉の熱や河川の流れで発電する自然エネルギーによる街づくりを目指してい
る。計画を進める「土湯温泉町復興再生協議会」の会長である加藤勝一さんから概要の説明を受けた。原発に依存しない自然エネルギー・・・・・復興への思いが
“形”になりつつある。地元の人が、逆境の中で再生への展望を明るく、生き生きと語る姿に触れて、学生の梅津さんは強く思った。「私の故郷、福島の役に立ちた
い」卒業後は、福島に戻ろう・・・・・もともと考えていたことだったが、より固い決意に変わった気がする。原発や放射線とは、今後も向き合い続けなければいけ
ないだろう。これは、福島だけではなく、誰もが自分の問題として捉え、人類的な視野に立って考えていくべきことだと思う。「現実を前に、自分はどう生きていく
べきか――日々、問い掛けながら行動していきたいです」梅津さんのまなざしは、力強く前を向いていた。
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同年9月現在、研修内容を冊子として残そうと全員で取り組んでいる。関連資料は下記より。
研修から1年が経過しましたので、報告書のダウンロードは下記よりできます。
参加者の記念撮影
飯舘村から避難された皆様とともに