山岡政紀 書評集


読後記『美徳のよろめき』/三島由紀夫著/講談社刊/1957620日 発行

 

再読にあたって

三島由紀夫が45歳で亡くなった1970年から45年目を迎えた2015年以降、代表作「豊饒の海」を中心に、「金閣寺」「仮面の告白」「音楽」など、わが書棚に並ぶ三島作品を少しずつ読み直している。「美徳のよろめき」もその一つだ。最初に読んだのはもう20年以上前になるだろうか。

それにしても最初の読みが浅すぎたのか、はたまた歳月のなせるわざか、まるで初めて読んだ作品であるかのような新鮮な感動があった。折しも近年、“ゲス不倫”が流行語になるほど、著名人の不倫が話題となってもいたが、現実に聞くどの不倫も、この作品が描く不倫ほど切なく苦しく痛々しいものはなかったように思う。

かつて「不倫は文化だ」との名言を吐いた俳優もいた。たしかに不倫は多くの文学作品のテーマとなっている。フローベールの「ボヴァリー夫人」、トルストイの「アンナ・カレーニナ」。日本の渡辺淳一も「野分け」「まひる野」「失楽園」と、さまざまな不倫を描き分けている。しかし、どの作品を取っても不倫は不幸である。不倫が幸福を産み出すと教える作品は未だかつて読んだことがない。大切な家族を不幸に陥れる背徳行為を、社会の倫理観も許さない。ただ三島の場合は、「美徳のよろめき」の主人公に不倫という背徳行為をさせながらも強い倫理観を持たせ続けることによって、家族や周囲の人ではなく、当人の心身に起きる悲劇性を強烈に描き出している。

道徳と恋の葛藤から不倫に至るまで(第一節〜第十節)

主人公・倉越節子は躾の厳しい家庭で育ち、親の決めた男と結婚して一児を設け、慎ましくも優雅な生活を送っていた。そんな節子にも20歳のときに避暑地で知り合った土屋という同い年の青年と一度だけ接吻した思い出があった。節子は結婚後も土屋とたびたび偶然に顔を合わせる。そして、いつしか彼に恋する自分に気づく。

堅固な道徳観念を持つ節子は、強く自制しながらも土屋への思いを次第に募らせていく。三島はこの背反する二つの心の葛藤を実に秀逸に描き出している。道徳的、心理的な恋愛なら許されると自らに許可を与えながら、節子は土屋とたびたび会う。そのうち土屋が自分を求めてこないことに不満を覚えるようになる。その謂われのない寂しさを打ち払うように節子はある夜、夫と床を共にする。そのあいだじゅうも節子は土屋に抱かれている妄想に支配されていた。その後、自身の懐妊が判明したとき、お腹の子は夫の子でありながら、心の中では土屋の子であった。この子を産むことは、土屋との訣別を意味し、しかも彼の思い出を見せ続ける存在であった。だから、節子にはどうしても産むことができなかった。激しい葛藤、かすかに聞こえる嬰児の泣き声に苦悶しながらの堕胎。そして、その大きな犠牲の反動ゆえか、節子は土屋を旅行に誘い、土屋はそれに応じる。

夫に怪しまれないため、親友与志子との旅行に見せかけて、二人は旅行を決行する。旅行先のホテルの一室で二人はとうとう結ばれる。翌朝の真裸の朝食のシーンはエロティシズムを超越した美の世界である。明るい光に照らされた純白の世界に二人は包まれているかのようである。旅行から帰った節子はその幸福さゆえに、以前よりも夫には優しく接し、子には深い愛情を注いだ。

心身の極限の苦痛、そして別れ(第十一節〜第二十節)

しかし、土屋との逢瀬を重ねていくうちに、節子の土屋に対する思いは純化し激化していく。そしてそれと比例するかのように節子の身には次々と不幸がのしかかっていく。とうとう土屋の子を受胎したのだ。そして節子は一人で堕胎を決断する。節子が手術に臨んでいるちょうどその同じ時に土屋がナイトクラブで別の女性に会っていた事実を友人から告げられ、節子は嫉妬の炎で狂いそうになる。やがてそれは誤解とわかり、土屋の優しさに癒されていくのだが、そうするうちにまたしても土屋の子を身籠る。再び節子は堕胎を決意するが、心身の衰弱のせいで麻酔がかけられないことを医師に告げられる。

道を踏み外した者は必ず報いを受けなければならない。節子の身に降りかかる身体と心の苦痛。節子は手術室の寝台に両手両足を縛られ、無麻酔による極限の苦痛に晒され、死を想起する。しかし、心の苦痛はそれ以上だった。夫にも土屋にも誰にも相談せず、偽名を使って臨む中絶手術の汚辱。自分の死体を引き取りに来た人が受けるであろう衝撃が彼女の脳裏を去来する。

死にも直面するほどの不幸、そしてそれをもたらす自らの背徳行為。節子に依然として理性があればこそ、土屋との別れを決意する以外に選択肢はなかった。手術後、とうとう節子は別れを切り出す。心の底では土屋が別れを拒否するのを待っていた。しかし、土屋は拒否しなかった。あまりにもあっさりと別れを受け入れてしまったのだ。

「私の苦しみは、もしかすると、私一人きりのものだったのではないかしら。すべては私一人の上に起こった出来事ではないかしら……」。別れの直前の心の声を節子はそのまま土屋に伝えることはできなかった。

そして最終節。土屋と別れた孤独の中で、節子の思いはむしろいよいよ高まり頂点に達していく。あたかも夢の中の恋から覚めて現実に立ち戻りながら、夢の中の深い愛だけがそこに残り、土屋は実在せぬ人物であったかのように節子の前から消え去っている。節子は行き場を失った土屋への愛を手紙に綴っていく。そこには全く混じり気のない、抑えきれない純愛が、道徳的な理性によって無理矢理抑え込もうとする苦悶の反作用によってますます純化され、激しく狂おしいほどの愛となって綴られていた。

いっぽう土屋が作品中で姓しか記されず名が無いのは彼の存在のはかなさであろうか。土屋は死んだも同然か、いやむしろ、そもそもいなかったと言うべきか。だから、「節子はこの手紙を出さずに、破って捨てた」のである。物語はこの一文で終わる。物語をこれ以上続けることはできない。続けようとしてもそこには節子の死しか見えないのだ。

苦悩によって純化された愛

私はこのたびの再読に当たり、物語の結末をすべて知っていたにもかかわらず、この最後の節子の手紙を読みながら涙が止まらなかった。この涙は何の涙かと私は自問した。仏法では人の苦しみを四苦八苦と言うが、その中に「愛別離苦」というものがある。それが病苦、死苦に匹敵するほどの本源的な苦悩であることをこの作品は表現している。

それと同時にそこまでに純化された愛というものの譬えようのない美しさに触発された涙であったかもしれない。この作品は決して不倫を美化も肯定もしていない。ただ、一人の女性の一途な純愛というものは、それ自体が如何ともしがたく美しいという事実を敢えて覆い隠さなかっただけなのだろう。鉄が鍛えれば鍛えるほど純化していくのと同じように、人の愛を不倫という悲劇性によって鍛えて、痛めつけて、極限まで純化させたのがこの作品ではないだろうか。新潮文庫の巻末に添えられた北原武夫による解説にはこう記されている。「不羈奔放なこの作者は、彼一流の錬金術によって、背徳という銅貨を、魂の優雅さ(エレガンス)という金貨に見事に換金したのである」と。

そして、苦痛ということのなかに聖なるものを見出すのは三島自身の生き方そのものでもあった。真実に生きる。真実を叫ぶ。真実の声に身を任せる。その時、人は強烈な苦痛という代償を背負う覚悟があればあるほど、その真実の価値がいよいよ増す・・・・・・そう、彼は信じていたのにちがいない。無麻酔の手術の苦痛を小説に描いた作家・三島由紀夫は、1970年のあの日、最も苦痛を伴う武士の死に方で45歳の若い人生を閉じた、その人なのである。

2017.3.30


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