無類のモーツァルティアンである私もここ一年、異国の世界を旅してみたくなって、チャイコフスキーやストラビンスキーやドビュッシーなどを気の向くまま
に放浪していたのだが、昨年の8月、そんな私を強烈にモーツァルトへと引き戻した1枚のCDが店頭に並べられていた。
「サイトウ・キネン・オーケストラ 指揮:小澤征爾」と記されたそのCD──。90年にその存在を知って以来、何としてもCDで聴きたかった楽団であっ
た。小躍りしてCDを買うと、サイトウ・キネン・オーケストラのポスターが付いてきた。小澤征爾の顔写真も入っていた。帰宅するやすぐに私はポスターを壁 に貼り、CDをプレーヤーにかけた。そのCDには3曲が収められていたが、私の目当てはただ一つ。「ディヴェルティメントK.136」であった。これさえ
聴ければよかった。部屋中に充満する甘美にして流麗の音色。清新の躍動感。モーツァルトが16歳の少年時代に作曲したこの曲の本当の瑞々しさがそこには溢 れていた。
──ああ、これだったんだ。
世界最高のアンサンブルによるモーツァルトの何と響きの美しいこと。完全に魅了された私は異国の旅から一遍に懐かしい故郷の旅へと連れ戻されたのだ。
サイトウ・キネン・オーケストラ。日本人の名を冠し、日本人によって構成されるそのオーケストラを私は世界最高のアンサンブルを誇るオーケストラである
と敢えて断じたい。その名を留められた齋藤秀雄は桐朋学園を日本を代表する音楽大学に育て上げた教育者だった。演奏家や作曲家が生活の糧のために音楽大学 の教壇に立つことが多い中で、斎藤秀雄は、教育者としての天命を全うした人であった。特にオーケストラの指導に独特のメソッドを持ち、一流の指揮者や弦楽
演奏家を育てて日本から世界へ送り出した。1903年に生まれ、1974年に70才で亡くなっている。弟子達は今、ソリストとして、また、オーケストラの コンサート・マスターや首席奏者として世界の桧舞台で活躍している。小澤征爾も齋藤門下の一人であった。小澤は対談の中で齋藤について、こう語っている。
「先生のレクチュアの方法は、ピラミッドがあるとするでしょう。普通の先生は、ピラミッドの一番上が目立つからそこを教えたがる。普通大体そうなの。あ
の先生は、底辺の生徒を教えたがった。(中略)教育者として一番おもしろいのは、できないやつが、少しでもできるようになることだって。」
この言葉から、斎藤秀雄の教育者としてのポリシーや、また、人間としての懐の深さを知ることができる。
齋藤門下の人々が師匠から教わったその共通のアンサンブル技法を、1年に一度持ち寄ってサイトウ・キネン・オーケストラとして結実させ、公演を始 めたのが1989年であった。以来、毎年夏になると、世界の一流奏者が集い、数週間公演を行ってはまた散っていく。その様子は、さながら、七夕オーケスト
ラと呼んでいいかもしれない。これまで、ザルツブルグ音楽祭、エジンバラ音楽祭などに出演、91年にはニューヨークのカーネギー・ホールの101回目の オープニング・ガラ・コンサートを飾るなど、世界中の絶賛を浴びてきた。そして、一昨年の92年からは恩師とメンバーの故国である日本国内で公演を行うよ
うになった。CDもこの年の岡谷のカノラ・ホールで録音されたものだった。
彼らはどんなに多忙なスケジュールを割いても必ずこのサイトウ・キネンに集ってくる。そして、普段はコンサートマスターを務める奏者が、一流ぞろいのこ
のオーケストラでは、第2バイオリンの後方に席を取り、しかも楽団の一構成員として何の不満もなく、アンサンブルの調和に専念するのである。
一流奏者、特にソリストとして活躍する人は多くの場合、個性的な音色、技法、表現力を持ち、ソリストとしては人気を博していても、アンサンブルには不向
きなことがよくある。しかし、斎藤秀雄に伝授されたのはまさにアンサンブルであった。それによって彼らは一流奏者となったのだ。アンサンブルは彼らの演奏 技法の原点なのだ。
また、一流奏者としてのプライドから、楽団の一構成員となることに抵抗のある人がいても不思議ではない。しかし、彼らは恩師齋藤秀雄への報恩を思う時、
そんなプライドはいつでも捨てることができ、むしろ、恩師の名を冠するオーケストラで同じ師の教えを受けた盟友達と共に演奏できる歓びに感謝の念が湧いて くるという。
91年にサイトウ・キネン・オーケストラがカーネギー・ホールで演奏した際の模様がテレビの民放番組で放映された。私はそれをビデオに録画し、今 でも時々観ることがある。タイトルは「小澤征爾1991 ──我が師・齋藤秀雄 それはモーツァルトから始まった」。折りしもこの年はモーツァルト没後
200年であった。番組は冒頭からディヴェルティメントK.136の流麗な演奏で始まっていた。そして、小澤自身がその原点である恩師斎藤秀雄を語る言葉 には心からの尊敬と感謝が込められていた。
「喜遊曲(ディヴェルティメント)は、本当に皆の合言葉です。特に卒業生のサイトウ・キネンの人にとって第2楽章の緩徐楽章は、斎藤先生に仕込まれてい
て思い出とつながっているんです。みんなそうです。だから、演奏会で第2楽章を演奏するたびに、全然悲しい曲じゃなく、自然な曲なんだけども、もう泣くの はいやだと思っても必ず誰かが泣くんです。だけどもやりたいやりたいって皆言うから結局毎年弾いてるんですけどね。ホントやんなっちゃうよ。」
最後の「ホントやんなっちゃうよ」という一言が妙に印象的だった。この言葉のどこかに「誰かが泣くと俺も泣きたくなっちゃうんだよ」との心情を読み取る
のは私だけではないだろう。むしろ、「本当は一番泣きたいのは俺なんだよ」と言いたいのを、照れ隠ししているのかもしれない。そして万言を尽くす以上に、 ディヴェルティメントの完璧な演奏の中にこそ、感謝と尊敬の思いが最も表現されていた。
この曲に恩師の思い出が染み付いているのもわけがあった。斎藤秀雄は亡くなる数週間前に、志賀高原で行われた桐朋の学生オーケストラの合宿に、医 者の制止を振り切って参加している。その時に取り上げた作品がこのディヴェルティメントだった。その時の模様を小澤征爾は対談の中で次のように回想してい
る。
「先生は死ぬ3週間か4週間前に桐朋のオーケストラの連中を引き連れて合宿に行っているの。そこで、車椅子に乗って最後の指揮したの。モーツァルトの 『喜遊曲(ディヴェルティメント)』。先生は本当は縦の指揮者なのね。それがその最後の演奏では完全に横の指揮者になっているのね。生徒には縦のけじめを
要求し続けてきた先生が、はじめてけじめをとっぱずして、横の指揮者になっているの。生徒は先生が病気で死ぬことをみんな知っているから、みんな、泣きな がら弾いているの、心の中で。全員が先生の手を見つめているから信じられないくらい音がぴったり合っているの。僕はいまでもそのテープを持ち歩いて、先生
のことを思い出すたびにそれをかけるんだけれどね。そのテープは学生みんなが持っている。死ぬことを知っていたから録音しておいたの、学生が。宿屋の人の 話し声が背景から聞こえてくるようなテープなんだけれど、聴いているうちに涙が出てくるんだ」
ここでははっきりと「涙が出てくる」ことを告白している。重い病をおして、命の限り指揮してくれた恩師の姿を思う時、弟子は涙が止まらないのだ。
番組の中ではカーネギー・ホールでの演奏会当日の午前中の練習の模様が収められていたが、当日とは思えない、実に徹底した猛特訓とも言うべきもの であった。一人一人は既に一流の技術を備えている。しかもK.136は各パートの音符だけ見れば、技術的には実に平易な曲にしか見えない。おまけにこの曲 は毎年毎年演奏しているのだ。なのに、小澤とメンバー達は徹底した練習を行っていた。アンサンブルの練習は耳を使って合わせなければならない──それこそ が齋藤秀雄が彼らに残した遺産であった。彼らはその教えを忠実に守り、おごることなく、徹底したアンサンブルを求めて、お互いの音を確認し合っていたので ある。元NHK交響楽団コンサート・マスターの堀伝は番組の中で「あの曲に関しては相当緻密なアンサンブルやってますよ。あの人数で限界ギリギリまで合わ せています」と語っている。また、渡辺實和子は「この曲は先生の指導で何度も何度も練習してきた、言わばサイトウ・キネンのテーマ曲です。先生が言われ た、いかに他の人の音を聴くかということは室内楽と全く同じなんです。だから各パート全部知ってなきゃだめなんです」と語っている。そして、それだけでは ない。猛特訓することによって、恩師が命懸けで指揮をしてくれたあの日の魂の融合を、音楽への命懸けの情熱を、今日のこの演奏会に蘇らせようとしているの だと思えてならなかった。
齋藤秀雄にとって、なぜK.136だったのか。小品でありながら、人の心の奥にまで染み込むこの曲は、モーツァルトらしさのエッセンスを凝縮して 作られたような曲であった。斎藤秀雄自身にとっても深く愛好していた曲だったに違いない。そして、弟子たちにアンサンブルの技術と音楽の魂を伝えるのに最
もふさわしい題材としてこの曲を取り上げたのだろう。
このようなすべての思いが込められた演奏が、そのCDにも収められていた。躍動感溢れる第1楽章アレグロ、優しさと美しさに満ちた第2楽章アンダンテ、
清々しい第3楽章プレスト、そして三つの楽章が見事なバランスを築いている。
とりわけ第2楽章の、あまりの絶妙の調和と天にも響くハーモニーに、齋藤秀雄を知らない私までが落涙してしまったことを告白しよう。私にも恩師がいる。
私の恩師はまだ健在だが、やはり後に続く弟子のために命懸けで道を作ってくれている。私のこの熱い思いとK.136に込められた恩師斎藤秀雄への思いとが だぶって見えたのである。
──師匠の偉大さは弟子が証明する。
今や、サイトウ・キネン・オーケストラの名を通じて、斎藤秀雄という偉大な音楽指導者の存在を知った世界の人々は数知れない。無名のまま亡くなっ た斎藤秀雄の真価を世に証明したのはまさに弟子達の活躍であった。明治維新を開いた志士を育てた吉田松陰もそうだった。私の師匠もまた、その偉大さに比し
てあまりにも認められていない。そのことが私自身を奮い立たせてくれている。師匠への報恩の人生が自分自身に託された最高の人生なのだ。
私はこのCDを、ディヴェルティメントK.136を、私自身の師弟の道の象徴として一生大切にしていきたいと思っている。
《参考文献》
小澤征爾・武満徹著『音楽』 新潮文庫 1984年
(『Oracion』 Vol.4 <1993> モス・クラブ刊より)