モーツァルトを旅する(23)  クラリネット五重奏曲イ長調K581 ー生涯の宝物ー  midi


 最愛の曲──モーツァルトのクラリネット協奏曲(K622)には、姉妹とも言うべき珠玉の名曲がある。その曲、クラリネット五重奏曲は、クラリネット協奏曲に先立つこと、1年余に当たる1789年9月に作曲された、ちょっぴりお姉さんの曲である。これまた、私にとって、モーツァルトの室内楽作品の中で は、紛れもない最愛の曲である。
 このような美しい曲が、自分がこの世に生を受ける数百年も前に既に存在していたということがどれほど深い意味を持つか。聴衆の一人としてもそうだが、ましてクラリネットを演奏する者として、これは大変なことである。この曲こそクラリネットという楽器の価値を高貴なものにした最高の贈物であり、クラリネッ ト奏者に一つの使命──この曲の美しさを実際に音にして世界に送り出すこと──を与えてくれた、そういう曲なのだから。
 クラリネット五重奏曲との出会いは、偶然的なものだった。

 どの季節かは忘れたが、確かに中学1年当時のことだった。その頃の私は、私とモーツァルトとの関わりを決定的なものにした、クラリネット協奏曲を毎日のように聴いていた。クラリネットも吹き始めた頃で、自分でも演奏してみたいと思ったものだが、残念ながら楽譜が手元になかった。
 ところで私にとって楽譜は、演奏のためというより鑑賞のために書かせないものであった。当時の私は、スコア(オーケストラの楽譜)を目で追いながら様々な交響曲や協奏曲を聴くのを最高の楽しみとしていた。どちらにしても、クラリネット協奏曲の楽譜がとにかく欲しかった。しかし、近所の書店には見あたら ず、大きな楽譜店のある都心まで出かけるチャンスもなく、私は都心から学校に通って来る級友のK君にクラリネット協奏曲の楽譜を買ってきてくれるように依頼した。
 後日、K君が真新しいスコアを届けてくれた。大喜びしながらページを繰ると、どう見てもそれはオーケストラの楽譜ではなかった。表紙を見直してみると 「クラリネット五重奏曲」と書いてある──。その時、失望感があったことを、今や正直に白状する。なにしろ五重奏曲は一度も聴いたことがなかったのだか ら。新品のスコアは無用の長物に思えたのも仕方がなかった。
 間違えて買ったK君を責めることもできず、もう一度依頼し直すのもどうも気が引け、協奏曲のスコアは後日自分で買いに行った。そして、五重奏曲のスコア は、しばらく本棚で眠ることになった。

 2ヶ月後くらいだろうか。やはり川崎の自宅から学校に通う、級友のF君が食事に招待してくれた。彼の父親はクラシック音楽の愛好者だそうで、家に はクラシック音楽のレコードが千枚以上もあるとのことだった。何でもリクエストしてほしいとF君に言われたとき、私はふと、本棚に眠ったままのクラリネッ ト五重奏曲のことを思い出した。心のどこかでひっかかっていたのだろうか。きっと名曲に違いないという期待もあったかもしれない。ともあれ、既に聴き慣れて好みの曲となっていたものではなく、クラリネット五重奏曲をリクエストすることに決めた。
 私は例のスコアを本棚から取り出し、それを持ってF君宅を訪ねた。クラリネット五重奏曲のレコードはもちろんあった。しかも、歴史に残るクラリネット奏 者レオポルド・ウラッハによる名盤であった。食事を頂戴した後、早速大きなステレオの前に腰掛けて、スコアを繰りながら、初めて私はこの曲を耳にした。
 なんて優しい音楽なのだろう。クラリネットの暖かい音色はもちろん、第1バイオリン、第2バイオリン、ビオラ、チェロと、それぞれの弦楽器1本ずつの繊 細な音色が、心の奥の方までじわじわ染み込んでいく。何の気負いも衒いもない、平安な旋律が大きな二つのスピーカーから流れ出し、部屋中に充満する。そし て、私の心の中に潜んでいた様々な青春の葛藤が、幾分沈静して、何か物事がクリアに見えるような余裕が与えられたような幸せな気分に私は浸っていた。F君 のお母さんに、途中、二言三言、何か話しかけられたが、私はほとんど生返事をしたまま、この音楽に没頭していた。
 名手ウラッハの名盤を最初に聴いたというのも、この曲との幸運な出会いだったと言ってよい。ウラッハの録音はモノラルだったが、私は当時、オンボロのカ セットテレコしか持っていなかったので、ステレオ録音のレコードでも普段はモノラルでしか聴けなかった。だから、F君宅の大きな二つのスピーカーから流れ 出す音は、その頃の私の耳にとっては十分すぎるくらいぜいたくな音であった。そして、ウラッハが奏でるクラリネットの音色は光沢を持った渋いくすんだ響き で、とにかく聞きほれさせられた。

 ついでにもう一つおまけがついてきた。そのレコードのB面に録音されていたブラームスのクラリネット五重奏曲であった。F君のお父さんはブラーム スの曲の方が自分は好きだから、一度聴いてみなさいとのことだった。しかし、何か気むずかしいこの曲にはすぐになじむことはできず、せっかくのおやじさん の勧めだからとしぶしぶ最後まで聴いただけだった。
 このブラームスのクラリネット五重奏曲が、モーツァルトのものに劣らない大変な名曲であることは後日、時間をかけて少しずつわかっていったことである。 今でも私はブラームスの他の名曲をよく知らないが、この1曲を作曲したことだけにおいても、彼を偉大な作曲家と認め得る、それほどの名曲と思っている。 モーツァルトの曲と比べると、冒頭がクラリネットの上昇アルペジョで開始するという類似点を除いて、全体の曲想は正反対である。多くのCDがこの2曲を カップリングしている。
 だが、ブラームスの五重奏曲をどれほど名曲と評価しようとも、モーツァルトの五重奏曲ほどの、自然で優しく心の奥の奥まで染み込む美しい音楽を越えると までは言い難い。ちょうど純粋な乙女を前にした哲学者のように、越えんがために全魂を傾倒し、既に多くの部分に於て越えているようにも思えて、しかしながら結局のところ、乙女が無心にたたえる純粋な天賦の美の前に、決定的に越え難いものが残されていることを認めざるを得ない、といったところではないだろう か。
 ブラームスがモーツァルトの名曲に刺激されて、同じ編成の曲を作曲したこともまず間違いない。やはり原点はモーツァルトである。

 ともあれ、その日以降、クラリネット五重奏曲のスコアは私にとって宝物となった。自分でレコードを買って、それを寮の集会室に置いてあるステレオ で聴くまで、1週間ほどあったろうか。その間、私はスコアを目で追いながら、あの日、心の中に染み込んだ、クラリネットや弦楽器の音色をもう一度あぶり出 すように、心の中に響かせて楽しんだ。友人達は楽譜なんか読んで何がおもろいのんとからかった。だが、私は気にならなかった。レコードを手に入れてからも 私はそのスコアを手垢で真っ黒になるまで何度も手にした。あの日を迎えるまで本棚で眠っていたスコアは、机の上のいつでも手の届くところに置かれるように なった。寮生活で友人達と相部屋で暮らしていた私は、宝物をなくさないように、できる限りのきれいな字で「中学8期 田中修」と書いた。

 18年もの月日を経た今も、そのスコアを私は大事に持っている。ただ、机の上にではなく、本棚の奥にである。でも、それは私にとってモーツァルト のクラリネット五重奏曲の価値が低くなったことを意味しない。この音楽への愛情が、一生涯変わることなく、いつも聴くごとに新鮮な喜びを与えてくれるよう に、大切にしているのである。そして、何ケ月かに一度、宝物が確かに宝箱の中にあることを確かめるかのように、そっとCDラックの奥からCDを引き出し、 そして本棚の奥からスコアを引き出して、その美しさの不変を確かめるのである。
 スコアの裏表紙には、とても自分の字とは思えないたどたどしい字で「中学8期 田中修」と、今でも書いてある。

(『OracionVol.4 No.5 <1993.5> モス・クラブ刊より)


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