モーツァルトを旅する(20)  フルート四重奏曲第1番ニ長調K285 ー遠い真夏の白い光ー


 朝の心地よい目覚めとともに、鳥のさえずりが響きわたる。透明で柔らかい日光が、低い角度から窓に満ちあふれ、部屋じゅうを白く光らせる・・・・・
 フルート四重奏曲第1番はそんな爽やかな音楽である。

 私とこの曲との出会いは、中学2年の夏だった。
 東京の男子校の私立中学で寮生活をしていた私は、約40日間の夏休みで、実家の京都へ帰省していた。
 かんかんに晴れた8月のある日、私は、何という当てもなく、散歩に出かけた。こんな日に家にいる道理はないと思った。本当に心地よい快晴だったことを今 でもまざまざと思い出す。
 何だか、光の明るい方向へ向かって歩いているような気がした。そして、今いる場所よりも広い世界がある場所に向かって歩いているような、そんな気がし た。
 いつしか私は、小学校時代に仲のよかった美佳の家の方向に歩いていた。私の学校は男子校だったので、私にとって女の子の友だちというのは、それだけで胸 踊る特別な意味を持っていた。
 小さな子どもたちが路地で遊んでいた。何をしているのだろう。ビー玉を転がしているのかな。地面に絵でも描いているのかな。
 そのかわいい子どもたちに交じって一人、大きなお姉さんがいた。遠くからでよくわからなかったが、それが美佳らしかった。美佳は小柄だったが、そこでは 大人だった。
 私は胸が高鳴るのを覚えた。髪型も服装も小学生の頃とは違っていた。何より、胸が膨らみ、腰がくびれたあのシルエットは私の知っている美佳とは明らかに 違っていた。
 私は、彼女に声をかけるには勇気が必要であることに気づいた。もう、気安い友だちではなくなっていたのだ。違う世界の人になってしまっていたのだ。
 後向きに、その場から立ち去ろうと、子どもたちの一群に背を向けたその時、しばらく聞いたことのなかった透き通った高音の声が私の名前を呼び止めた。
 「田中君?田中君やろ?」
 私は背を向けて立ち去ろうとしたことが恥ずかしかった。
 それから、どのくらい話したろう。せいぜいほんの二、三十分の立ち話だったろうと思う。でも、その時間の美しかったこと。
 何を話したかは覚えていない。ただ、私はこのきれいになった美佳と向かい合って親しげに話をしているということそれ自体が何か天にも昇る思いであった。 信じられなかった。毎日毎日会っていたあの頃は、美佳がこんなにも美しい人だったなんて知らなかった。
 その場を後にし、実家に帰宅してからも、私は彼女のことを忘れることができなかった。

 その夜、FMラジオで、モーツァルトのフルート曲の特集をやっていた。初めの何曲かは録音しそびれた。録音に成功した第1番目の曲がフルート四重奏曲第1番だった。
 確かに聴き覚えのある曲だったが、その日の私にはすべてが格別の美しさを有していた。フルートの風の響きは、白い光を運んで私の頬を優しく撫でるあの昼間 の風と同じだった。弦の細かいリズムは、心臓の鼓動の高鳴りだった。短調と長調を搖れる展開部は、喜びと切なさとが交錯したあの心情そのものだった。
 あの信じられない美しさをたたえた第2楽章は、生命の血潮が充満した私の五体にとけ込み、もはや区別すらなくなっていた。ピッチカートの響きとともに、 己れの血潮が清められつつ五体を循環していくのが、私には手に取るように感じられた。
 そしてロンドは私の血潮を更に揺さぶった。この興奮を一体自分はどうしたらいいのだろう。中間部での豊かなフルートの響きは、幻想と事実との境目を私か ら全く奪ってしまった。時間は前にも後ろにも進まず、そこに完全に止まった。いつしか曲は終っていたが、私はしばらくそのままそこにぼう然とする他はなかった。
 夜の暗い部屋で聴いたあの音楽は紛れもなく、真っ白な光をたたえていた。あのギラギラした日差しの下で日焼けした小柄の美佳が歯を白く光らせながら透き 通った声を響かせて笑った、その時のまぶしさを、紛れもなく私はその瞬間に手にしていたのだ。

 あくる朝も、またそのあくる朝も、私はこの美しい音楽とともに目覚め、1日を透き通った風と白い光とともに過ごした。
 夏休みが終って東京に戻ってからも、オンボロのテープレコーダーで、好きな時にその宝物を取り出すことができた。それはシンボルではなかった。それ自体 が美しかった。
 あの日のたった一日の出会いが、私にとって、中学・高校の6年間の寮生活の中で、後にも先にも唯一の恋だった。大学に入学するまでの4年半、美佳の面影 は私を支配し続けた。私自身は何度帰省しても、彼女に会おうとはしなかったのにである。
 あの日に録音した私の宝物のカセットテープは、寮の部屋の引越しの際だろうか、いつしか紛失してしまった。即座にレコード店に行き、この四重奏曲が収められているLPを求めた。しかし、私はそこから、あの透き通った風と白い光を見いだすことはできなかった。

 私が美佳と再会したのはあの日から5年以上も過ぎた大学1年の冬だった。美佳はもっときれいになっていた。だが、それはあの日のはちきれんばかりの輝きを私に示したあの美佳ではなかった。小柄で童顔のあの健康的な少女の笑顔ではない、一人前の女の表情だった。あの日の美佳はもう既に世界中のどこに もいないことを私は悟った。
 それから更に今日まで12年もの歳月が経過した。しかし、私はついに一度も恋に出会うことなく今日までを生きてきた。あの胸の高鳴りは、もうこの一生の間には経験できないのだろうか。

 私の夢の奥深くに潜伏してしまった、あの素晴らしい血潮の循環をもう一度思い出したくて、様々な演奏者の手になるフルート四重奏曲第1番をあれも これも聴いたが、どれも違った。
 もう、遠い記憶の彼方に消えようとしているあの美しい音楽を、失いたくない、失いたくないと心の中のテープレコーダーを何度も何度も鳴らすのだけれど、 無力にも遠ざかっていくその響きを、私は耳を澄ましてやっとの思いで今微かに聴いているのである。

(『Oracion Vol.3 No.10 <1992.10> モス・クラブ刊より)


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