モーツァルトを旅する(18)  ピアノと木管楽器のための五重奏曲変ホ長調K452 ー色彩感の極致ー


 ──1784年。モーツァルトの創作の歴史の中でこれほど充実した年はなかったのではないだろうか。ピアノ協奏曲の第14番から第19番までがこの年に 作曲されている。凡人が一生かけても創作し得ない名曲を1年に6曲も創ったのだから驚嘆に値する。
 それだけではない。モーツァルトが自ら残した自作目録はこの年の2月に書かれたピアノ協奏曲第14番から始まっているのである。後世のために目録を残し ておきたいと自ら思うほどの強い自負を抱くに足る作品がこの年には、事実凝縮しているのだ。

 そして、もう一点、注目すべきことがある。彼が人生の中でただ一度「これまでに書いた最高のもの」と明言した(手紙に書いている)作品もまたこの年に作 曲されている。その作品、ピアノと木管楽器のための五重奏曲は4月に作曲され、ウィーンの宮廷劇場で初演され、自ら「異例なほど」と手紙に書くほどの好評 を博したという。

 この五重奏曲は、ピアノ、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンという編成で、いわゆる木管五重奏曲からフルートを除いてピアノを加えた形になっ ている。古典派の音楽においては、いわゆる木管五重奏曲の方が確立された形態であり、ダンツィやライヒャの佳作が今なおしばしば演奏されるが、モーツァル トは木管五重奏曲を一度も作曲しなかった。しかも、それまで誰も書かなかった演奏形態のこの作品を何故に書いたのか。その答えははっきりしている。彼は演 奏者としての並外れた感性を作曲に活かそうとしていたのだ。彼にとってのピアノは、無限の表現力を持った楽器であり、そのピアノを用いてこそ、彼の中に涌 いてくる創造の嵐を形有るものとして残すことができたのだろう。彼の名作が交響曲によりもピアノ協奏曲に多く見られることも、事情は同じである。そして、 彼の名作はまた、名演奏家モーツァルトによって演奏され得るものでなくてはならなかったのである。
 彼のその思いは楽譜上にも表れている。まず、木管楽器4本はグループを成し、ピアノと相対することが多い。これはまさに協奏曲特有の対比の世界を創る。 楽章の構成も、緩徐楽章をはさむ3楽章形式という、協奏曲特有の形式を有している。

 確かに彼は後にも先にも自分の作品に対して「最上の」との形容は他にはしていない。しかし、率直に言ってしまえば後期の作品群には更に奥深く充実した名 曲が多くあり、この五重奏曲を全作品中の最上のものとはいくら何でも言えそうにない。それでは、この作品以前には、これ以上の作品はなかっただろうか。こ れも人によって意見の分かれるところだろう。交響曲「パリ」(K297)、「ハフナー」(K385)、「リンツ」(K425)、ピアノ協奏曲「ジュノム」 (K271)、セレナーデ「ポストホルン」(K320)「グランパルティータ」(K361)、弦楽四重奏曲第14番(K387)、第15番(K421) と、初中期の名曲を数え上げればキリがない。
 しかしながら、確かにこの五重奏曲においてそれまでモーツァルトが1度も描かなかった新しい世界があることを、私は率直に認めたいと思う。それは誠に男 性的なモーツァルトであり、堅実で確固として安定感のあるこの五重奏曲において初めて描かれた世界である。

 第1楽章の前半は長大なラルゴの序奏がついている。もちろん既にリンツ交響曲などに冒頭楽章の序奏は見られるが、これほど長くて壮大な序奏は初めてと 言ってよい。序奏と言えばプラハ交響曲(K504)や交響曲第39番(K543)をすぐに想起するが、ベートーベンの第7交響曲なども忘れることはできな い。この序奏は、アレグロの第1楽章で始まる曲全体に安定感をもたせる役割を果たしている。この序奏に泰然自若とした男性の姿を見るのは私だけだろうか。

 序奏に限らず、この五重奏曲にはベートーベンに影響を与えたであろう精神性を見逃すことはできない。第1楽章の随所に後にベートーベンが転用してさらに 壮大なメロディに昇華させた断片が散見される。第2楽章の、ゆったりした中にも落ち着きのある緩徐楽章も、どちらかというと男性的である。

 また何より、各木管楽器の特性をこれほど鮮やかに使いこなしたのもこの曲が初めてだろう。もちろん、この直前に書いたピアノ協奏曲第15番(K450) でも、冒頭を木管楽器に飾らせるなど新しい色彩感を見せているが、残念ながらクラリネットが使われていない。モーツァルトにおける色彩感の極致はクラリ ネットを用いないことにはありえない。このことはベートーベンにも受け継がれている。
 そして、事実ベートーベンは、この五重奏曲に啓発を受けて、全く同じ編成、同じ調性、同じ楽章構成のピアノと木管楽器のための五重奏曲変ホ長調作品16 を残している。いかにモーツァルトの五重奏曲から影響を与えられたかが、この作品16の形式面だけからもわかる。

 ついでながら、モーツァルトは2年後の1786年に、ピアノ、クラリネット、ヴィオラという珍しい編成のピアノ三重奏曲「ケーゲルシュタット」 (K498)を書いている(通常のピアノ三重奏曲はピアノ、ヴァイオリン、チェロ)が、これについてもベートーベンは、ヴィオラをチェロに換えたものの、 クラリネットを含む特殊形式のピアノ三重奏曲作品11を残している。これが「ケーゲルシュタット」の影響を受けていないなどということはありえない。

 さらに、ついでながらブラームスもまた、クラリネット、チェロを用いた三重奏曲を書いている。これは一般的には「クラリネット三重奏曲」と呼ばれている が、その楽器編成は、モーツァルト、ベートーベンの後を継ぐものである。ブラームスは、クラリネット五重奏曲においても、モーツァルトの名曲(K581) と同編成、同楽章構成の、しかも負けず劣らずの名曲を作曲している。

 こんなところに大作曲家の系譜が窺えるのもおもしろいが、そこには必ずクラリネットという楽器が関わっているところも見逃せない。
 少々話がそれたが、モーツァルトが多彩な木管楽器を駆使して、それまでにない、確固とした豊かな精神性を含んだ音楽を描き得たことをもって、自ら「最上 の曲」と述べたこともうなずける。従って、彼にとっての大転機であった1784年にあっても、この五重奏曲は特に際だった転機を象徴する存在と言ってよ い。そして、この曲の直後には、私が最も好むピアノ協奏曲である第17番(K453)が書かれているし、その後も飛躍、成長、前進をし続けるモーツァルト において、五重奏曲は加速度を開始した出発点と言えるのである。

(『OracionVol.3 No.8 <1992.8> モス・クラブ刊より)


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