モーツァルトを旅する(7)  ピアノ協奏曲第9番変ホ長調「ジュノム」K271

                  ー内面を深化させる天才−


 モーツァルトのピアノ協奏曲は全部で27曲あるが、第1番から第4番まで(KV37、39、40、41)は他人の作品を編曲した習作であり、彼のオリジナルは第5番(KV175)以降の23曲である。従って初期の4曲は演奏されることも少なく、CDでも全集にすら収められていないことが多い。しかしながら、これら4曲も決して駄作ではない。11歳から14歳のモーツァルトが既に天才であったことが知られる楽しい曲たちである。4番の第2楽章などはト短調で書かれているが、なかなかに味わいがある。
 第6〜8番(KV238、242「ロドロン」、246「リュッツォウ」)もよほどのモーツァルティアンでないと知らない初期作品のイメージがあるが、意外にもこれらはバイオリニストがしばしば演奏する有名なバイオリン協奏曲第3?5番(KV216、218「軍隊」、219「トルコ風」)よりも後に作曲されたものである。バイオリン協奏曲は、ベートーベン、メンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキーがそれぞれ生涯に1曲、全作品の中でも代表作となるものを作曲しているのに対し、モーツァルトのこれら3曲は確かに規模において見劣りがする。しかし、それらがいずれも18歳の時に作曲されていることを考えると、十分驚嘆に値する名曲である。
 一方、ピアノ協奏曲に関してはモーツァルトは、後世の作曲家たちにも全く遜色のない名曲を数多く生んでいる。それがために、これら初期の曲は、バイオリン協奏曲群よりも後に作曲され、十分劣らぬ品格を持つにも関わらず、全く光が当たらない。考えようによっては残念なことである。
  これら初期の作品からも既に窺える彼の天才は、彼自身をして最高の音楽を書ききるべき使命を帯びた苦しい人生へと向かわせた。ある日本の作曲家が雑誌のインタビューでこう語っていた。「モーツァルトは決して天才ではなかったんじゃないかな。彼の作品は後期になればなるほど、晩年に近付けば近付くほど優れているからね」と。その作曲家は確かに著名な人物だが、敢えて私は、彼が全くモーツァルトを理解できていないことを断じたい。この人はモーツァルトの一体どこを見ているのだろう。
 そもそも天才とはどのような人を言うのだろうか。確かに、本連載でしばしば述べた魂の高揚は、喜怒哀楽の経験を繰り返す中で人生の深化とともになされていくものであり、そんなものに天才などあるはずがないと考えるのが自然である。真の名作と言われる音楽がかかる魂の高揚において書かれたものであるならば、それは天才の仕事であってはならないことになる。
 私には仮説が一つある。「音楽における理性と感性は一体のものである」ということである。音の組合せという一見きわめて無機的な構造物の中から、美への感性、そして何らかの感情を喚起する能力というのは、単に理性的でも単に感性的でもない能力である。最高の美を備え、最高の感情を喚起する音の組合せを作る能力もまた、それと表裏一体であるに違いない。この能力は、数学の計算式を構築する能力とも異なれば、感情を表情に表す俳優の演技力とも異なる。思うに、モーツァルトは音に対する著しく発達した感性を生まれながらにして持った天才であり、幼児期に既に音楽の美というものを理解できたのだ。そして、それがクラヴィーアやバイオリンの演奏において親から譲り受けた指先の器用さと相まって、自らの心に去来する混沌とした音の塊を自らの感性において最も美しいものへと組立てあげる能力となっていたに違いない。きわめて理性的であり、感性的でもあるこの能力は、人生そのものへの理性や感性を含んでいるはずである。音の組合せに美を感じられる者が、親子や男女の愛情に美を感じられないわけがない。音の組合せの果てに宇宙の神秘を見いだせる者が、生死という厳粛な生命の法則の神秘を唱うことができないはずがない。
 このような仮説の上にモーツァルトの作品の変遷に注目してみると、彼の作曲技法の完成がかなり早い時期にあったのに加えて、彼が人生の上で様々な経験をするたびに、より深いところへと奥行きを拡げていったことが想像できる。
 例えば、先に述べたバイオリン協奏曲において、第2番(KV211)と3番との間に断然飛躍がある。外面的にはこれら2曲に著しい構造的な違いはない。しかし、3番の曲全体を貫く躍動感は一つ一つの部分を実に緊密に結び付けている。この飛躍は単に作曲技法の飛躍というより、モーツァルト自身の感情の振幅が拡がったことと理解すべきであろう。そして、ピアノ協奏曲の作曲においても、8番と9番の間に大きな飛躍が認められる。その後、14番、17番、20番、24番にも飛躍が認められ、頂点である25番に向かって、階段を一段ずつ登るように、深化していくのである。
 9番「ジュノム」は謎の女流ピアニスト・ジュノムに贈られたためにその名を持つ名曲で、モーツァルトが21歳のときにザルツブルグで書かれた作品である。この曲と8番との間に、楽譜を見ただけではっきりとわかるような明瞭な飛躍はない。しかし、実際に音楽に耳を傾けると、この曲には、確かにあるはっきりとした意図をもって色づけされた濃い感情を意識することができる。
 第1楽章は、冒頭からピアノ独奏が現れることは、確かに8番以前とは違う構造上の特徴だが、それ自体はこの曲の色濃さとは直接の関係はないだろう。それより、曲の進展と共にこの曲の色濃さが露になる。密度の濃い音楽ほど覚えやすいものだが、この楽章はすぐに全体を覚えてしまった曲の一つである。まず、フレーズが長い。しかも、フレーズ間の関係が密である。つまり、ごく自然のうちにどんどん流れていき、十分に及ぶ楽章があっという間に終わる。特に第2主題は長調の軽快なメロディーでありながら、どうしたことだろう、喉もとの辺りをくすぐる切なさをはらんでいる。まさに青春の真っただ中の精神の高揚が、不安定に搖れながらも一つの方向を指向して、息をじっとこらえながら求めるものへと進んでいく、そんな感じがする。
 第2楽章は変ホ長調の両端楽章の平行調に当たるハ短調で書かれている。その後のピアノ協奏曲で短調の第2楽章を持つのは、18番、22番、23番の3曲しかない。これら4曲の中でも最も演奏時間の長いのが、この曲である。悲嘆に満ちたメロディーが詠いあげられるが、この暗さは、第1楽章の、華やかな中にも不安定を含む旋律が、苦悩の自覚へと行き着いた到着点のようにも思える。これまた、実に色濃い。
 第3楽章は、一転してプレストの急速なパッセージとなり、すべての迷いを振り切るかのように、終始早足で走り去る。第2楽章から第3楽章への驚くべき展開は、青春期特有のそう欝状態を思わせる。ただ、この楽章の中間部に突如として現れる優美なメヌエットには、すべての苦悶から解放されて、天の声を聞きながら無心の状態になったような晴れ晴れとしたさわやかさがある。この曲全体がこの部分を目的として進んで来たかのようにも思える。
 この優れた曲への飛躍をもたらしたものは何だろう。14番や17番について推測したように、恋愛に関わる何かがあったのかも知れない。さもなければ、次のように考えたい。21歳のモーツァルトは自らの生命に宿ったおそるべき感性を自覚するに至った。そして、それは美しい音楽を生み出す理性との相互作用により、人生の様々な経験の蓄積と共に自己増殖し、より強い感性へと自分を導いていくことに彼は大いなる恐れを抱いた。あまりにも広大な内面の世界が海のように際限なく拡がり、やがて自らがその大海に溺れるのではないか、そんな迷いもあったろう。しかし、その苦闘の人生に彼は敢えて勇気をもって踏み出したのである。その証がジュノムであったと私は信じたい。
 彼は天才であったが故に自らの内面を深化させ続けることができたのだ。ジュノムはその天才の人生への最初の勇気であり、この曲を書いた時点で既に彼は大作曲家の名に値する崇高な人生にもはや突入していたと言うべきである。

(『Oracion』Vol. 19 <1991.7> モス・クラブ刊より)


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