モーツァルトの音楽が語りかけるものは、長調とか短調とかの調性を超えるものではないか。前回のこの見解に加えて、モーツァルトの長調と短調を語る上でさらに興味深い現象を指摘することができる。彼は短調の名曲を作曲する時は、必ずそのほぼ同時期にハ長調の名曲を作曲しているのである。
前々回取り上げた、ニ短調のピアノ協奏曲第20番(K466)は、1785年2月20日に完成されたが、そのわずか20日後の同年3月9日に、全く正反対の楽想を持った、第21番が作曲されている。この二曲は、しばしばモーツァルトのピアノ協奏曲の最高峰に位置する二曲だと評される。
交響曲の最高峰は文句なく、第40番ト短調(K550)と第41番ハ長調「ジュピター」(K551)の二曲であろう。両者とも1788年の作曲で、第40番は7月25日、第41番は8月10日と、半月の隔たりしかない。そして、やはり両者は正反対の楽想を持っている。
ピアノ協奏曲第21番を初めて聴いたのはさほど古いことではない。4、5年前のことだったと記憶する。第1楽章は、晴朗快活な行進曲風の楽想で始まり、終始、澄み切った青空のように一点の曇りもない。どこかユーモラスでさえある……ふと思った。ジュピターと似ている!と。考えてみると、編成もトランペット2本とティンパニを加えた大編成で、木管にはクラリネットを用いない。調性はハ長調だし、いずれも直前に同じ曲種で短調の名曲を作曲している。確かにジュピターとの共通点は多かった。これが、このテーマについて思索するに至る契機となった。
交響曲第40番とピアノ協奏曲第20番との間には、楽想の上での親近性はあまり見られないが、両者とも数少ないモーツァルトの短調の名曲であることは確かである。
このアナロジーは、モーツアルトの室内楽の最高峰に位置する弦楽五重奏曲第3番ハ長調(K515)、同第4番ト短調(K516)の二曲の名曲にも当てはまる。これらは1787年の、それぞれ4月19日、5月16日に作曲されている。この二曲では、ハ長調の方が短調の曲よりも先に作曲されている。ハ長調の第3番は、室内楽にしては異色なほど堂々としたもので、その構築美において、ジュピターに比肩すると言われている。ト短調の第4番は、きわめて心情描写的であり、「宿命のト短調」と後生の評論家に言わしめたのは、交響曲第40番以上にこの曲かも知れない。
これら3組の名曲群に、ピアノ協奏曲第24番ハ短調(K491)と同第25番ハ長調(K503)を付け加えたい。この二曲は完成に8ヶ月の隔たりがあり、ケッヘル番号を見ても他の曲種が11曲はさまっているところから、他の3組とやや趣を異にするが、本質的には同じ視点を当てることができると思う。この最後の一組は、モーツァルトのピアノ協奏曲の真の最高峰に位置する二曲であり、本連載でも近く取り上げることになるだろう。
さて、第21番について、もう少し追ってみよう。第1楽章の第2主題に、交響曲第40番の冒頭の主題を彷彿とさせる、ト短調のメロディーが登場する。ここでは、悲壮感はほとんど感じられず、晴朗な第1主題から違和感なく流れるような経過の中で登場する。また対位法も頻繁に用いられ、素材の旋律が積木のように積み上げられ、全体がまた一つの音楽となる。この壮大なスケールの中でモーツァルトが描くべき最も凝縮された世界が描かれている。
第2楽章はかなり以前からよく耳にした有名な曲だが、かつてスウェーデン映画の「みじかくも美しく燃え」で用いられたらしい。私は映画をほとんど見ないので知らなかったが、それでいて聴き覚えのある、懐かしい曲だった。この楽章では、モーツァルトが後期の緩徐楽章で多用する32分音符を用いず、伸びやかな音をゆったりと響かせ、そよそよとなびく風のように、気負いなく流れてゆく。
第3楽章は早い動きを弱音から始めるしゃれた主題で開始し、快活な響きを徐々に高潮させ、華々しく曲を締めくくる。
全楽章を通じて、聴いていて心の曇りがスキッと晴れていくような爽快さを覚える。この曲とあの第20番とはいったいどんな関係にあるのだろうか。
4組の二曲は、最後の一組を除いて、それぞれがほぼ同時に作曲されている。しかも二曲めに要した時間があまりに短く、双子の曲とも言えるほどだ。思うに、一曲めを作曲した時点で既に二曲めも頭の中にあったのではないか。となれば、生活や精神状態が苦しい時に作曲したら悲壮感漂う曲になり、調子のいい時の作曲は明るい快活な曲となる、との短絡的な見方には疑問符がつく。これまで、モーツァルトの人物像や生活への高い関心が、しばしば表現された音楽そのものに向けられたことや、音楽の解釈自体においても、ベートーベン以降のロマン派音楽への解釈の仕方が、先入観を構成していることなどによって、そのような見方がしばしば引き起こされたが、モーツァルトの音楽はそれを拒否するのである。
思うに、彼自身において大切なことは、魂を高みに高揚させる何かがあれば、それが何であるかに関わらず、モーツァルトは自らが描くべき最高のものを描くことができたのである。その「何か」は、時には貧困や肉親の死などの不幸を契機とする場合もあったろうし、時には成功や結婚などを契機とする場合もあったろう。いずれにせよ、彼の音楽はひとたび、喜びと悲しみを止揚した次元に上って、そこから具体的な形を取る時に初めて、長調あるいは短調の調性を得て表れるのだ。また、だからこそこの4組はいずれも調性を超えて名曲なのである。
モーツァルトの全作品のうち、ほぼ9割は長調作品であるのはなぜか。単に、当時の聴衆が長調を好んだことだけによるのだろうか。私はここで一つの仮設を立てたい。長調では、深いものは深く、浅いものは浅く、どのような場合でもそれなりに音楽としての体をなすのに対し、短調は魂が本当に高みにある時でないと名曲とならない。少なくともモーツァルトにあってはそうだったのではないか。そして、4組の双子の曲では、それが喜びや悲しみを止揚するほどの高みに上ったからこそ、一度に両方の調性をとって、二つの曲として形になったのである。また、それは彼なりのバランス感覚でもあったろう。どちらか一方の調性を取ること自体が大いなる負荷を彼に与え、彼の中に一種の不均衡状態を生じたのではないか。表現せずにはおれない、もう一つの音楽が去来したのではないだろうか。ハ長調は、あらゆる長調の中で、最も短調の対極にある、明朗快活の最たる調性である。まさに、短調で描く深い世界と均衡を保つには、ハ長調をもってしかできなかったのではないだろうか。
その意味で、4組の双子の曲は、8曲それぞれが名曲であるとともに、二曲づつのペアとして見ると、4曲の大名曲としての姿が見えてくる。ピアノ協奏曲第21番は、第20番に劣らぬ名曲であるだけでなく、互いに補完するものとの視点を与えれば、さらに大きなものが、そこから見えてくるのである。
これら各ペアは、それぞれ一枚のCDにカップリングされることが多い。また、それがこの曲たちに最もふさわしい姿なのだと思う。第20、21番のCDでは、グルダ・アバドと、内田・テイトの演奏が気に入っている。二曲とも名演奏であってこそ、これらは名盤なのである。
(『Oracion』Vol.17 <1991.5> モス・クラブ刊より)
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