モーツァルトを旅する(2)  ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K595 ー死への諦念ー

 近年、27番の執筆年代に新説が提出された。これまではモーツァルトが没した1791年の1月というのが、通説であった。新説では、何と3年も遡る1788年に第3楽章の前半まで既に出来上がっていて、1791年に第3楽章の後半を仕上げて完成させたのだという。しかし、問題は年代だけにとどまらない。この曲には、若くして晩年を迎えたモーツァルトの「死への諦念」が表現されていると、しばしば批評され、解釈され、演奏されてきた。しかし、もし、新説が正しければ、我々は、執筆年代に対する誤解からくる先入観にとらわれて、表現されてもいない諦念を聴き取っていたことになる。
 森泰彦氏は『音楽現代』90年11月号で、成立年代の新説と、さらに、死は突然訪れるとの見解とをあわせ論じ、27番への通常の解釈は先入観による誤りだと断じている。
 確かに、普通人間は、自らの死期を自覚するということは難しいことである。モーツァルトにとって、死が予期せず突然訪れたものだったとすれば、死を見つめることなく終ったことだろう。だが、私は一つの仮説をもってこれに反論したい。それは、一流の人物は自らの死期を知る、ということである。なぜかなら、一流の人物は、人生の中で自分が成し遂げなければいけない仕事を知っており、それを終えたときに、ごく自然に宇宙の生命の法則の前に、自らの肉体を投げ出すとは言えないだろうか。逆に言えば、仕事を終えるまでは、絶対に死ねない、それが一流の人物の魂ではないだろうか。
 モーツァルトが、しばしば伝記で伝えられるように、音楽的には天才だったけれども、人間的には下品で野卑な人物であったなどと、どうして信じることができようか。あれほど、崇高なるものを表現できるだけの鋭い感性を持った人物が、単なる俗人であるはずがないではないか。モーツァルトはその人間性とは無関係な、一種の精巧な音楽製造機械だったとでも言うのか。あのおそるべき調和と美が、人間ならざるものから生まれ出るとでも言うのか。絶対に違うと私は言いたい。
 思うに、彼にとっての最大の苦悩は彼自身が自らの音楽の偉大さを熟知していたことではなかったか。18世紀の当時、おびただしく存在したであろう古典様式の作曲家群の中で、彼に唯一匹敵できた、ヨーゼフ・ハイドンでさえ、音楽の凝縮された密度の濃さと、表現されているものの深さにおいては、彼を凌ぐことはできなかった。そして、モーツァルトを正当に評価できたのもまた、ハイドンただ一人だった。
 彼の晩年は、一時期の人気も失墜し、孤独の日々であったことが伝えられている。生きていくために、人気を回復すべく、大衆に迎合して、あの「戴冠式」は作曲されたのかも知れない。芸術家としての誇りを持つ彼にとってそれはどれほどか不本意だったろう。しかし、1788年のこの試みもまた思うようには成功しなかった。そして、その後の作品にこそ、彼の芸術家としての真骨頂があると、私は思う。そこでは、もはや、人に理解されること、賞賛されることを完全に捨てて、芸術家の魂として、自らの中にあるものを外に出さなければいけない、と自覚していたのである。いや、それが彼にとっての最も自然な生き方だったのかも知れない。この生き方は、世俗の世界との別離を意味する。貧しくなる一方の家計を後目に、ひたすら、生活とは無関係に自らが書くべき音楽を書ききった、モーツァルトは、まことに強靭な意志を持っていたのであり、私達は、その彼の崇高な魂に感謝の言葉を送るべきなのである。つまり、27番の大半が書かれたとされる1788年には彼は既に「死への諦念」を持っていたのである。そして、1791年まで生き抜いて、この曲を完成させ、さらにクラリネット協奏曲などの晩年の最高傑作を書き終え、すべての仕事が終ったと自覚した時に、自らへのレクイエムを書いて亡くなったのである。
 彼がもう少し長生きしていたとすれば、さらに傑作が生み出されていたのだろうか。私は、そうではないと思う。彼は自らが書くべきものをすべて書いたから死んだのであり、もしその後彼が生きていたとしても、それはもぬけのからだったろう。それほどに、彼の人生は凝縮されているのである。ともあれ彼は死と闘いながら自らの仕事を終えきった。レクイエムのラクリモサの8小節で絶筆となっているが、この8小節の上昇音階で彼は満足して昇天したと信じたい。彼にとってのレクイエムは完成したのだ。
  もし、彼が「戴冠式」を書き終えたときに、突如死を迎えたとしても、誰がその中に「死への諦念」など見いだすことがあろうか。27番から我々が感じ取るものは決して先入観によるものではない。私にとっても、何度も繰り返し接していく中で、切ない思いがごく自然に一種の共感となって、私の胸に響いてきた。それは、本当に澄みきった真冬の青空を突き刺す太陽の光のように、ふりしぼった力が無力であることへの諦念の心なのである。

(『Oracion』Vol.14 <1991.2> モス・クラブ刊より)
 


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