米・キューバ首脳会談を悦ぶ


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11日、米国のオバマ大統領とキューバのラウル・カストロ議長が歴史的な首脳会談を行いました。

 

19959月、19966月、20058月と、3度のキューバ訪問歴があり、キューバに友人もいる私としては、この日をどれほど心待ちにしたかわかりません。

 

と言っても、突然降って湧いたというよりは、2009年のオバマ大政権の発足以来、この政権下での国交正常化の可能性に大いに期待を寄せていました。前ブッシュ大統領時代にはキューバを「悪の枢軸」(axis of evil)の一国に加え、テロ支援国家と認定していましたが、オバマ大統領は就任以来、一度もキューバに対してこの言葉を使わず、建設的な関係構築に対する積極姿勢を表していました。これは単に共和党と民主党の立場の違いだけでなく、自身がアフリカ系のルーツを持ち、民族問題にも意識の高いオバマ大統領の個人的資質によるところも大きいのではないかと思います。

 

もちろんオバマが融和の方向へと舵を切ったのにはキューバ側が用意した布石もありました。それは何と言っても、オバマ大統領就任の前年2008年のフィデル・カストロ議長退任でした。

 

スペイン帝国からの独立と、アメリカの経済支配からの断絶という二度の革命を行っているキューバですが、後者の対米キューバ革命は1961年、あのフィデル・カストロをリーダーとして遂行されました。あのチェ・ゲバラもフィデルと共に戦いました。ゲバラは革命直後にボリビアの山中で夭折しましたが、フィデル・カストロは今なお88歳で存命です。

 

彼は革命当時のアメリカに対する敵意を長年一貫して持ち続け、「帝国主義」の語で批判し続けてきました。ただ、私の見るところ、フィデルの心の中には実はアメリカとの国交を正常化することがキューバ国民のためにも必要だという意識はどこかにあったのではないかと思います。しかし、だからといって半世紀前の革命の事実を否定することはできない、あの革命は今でも間違いではなかったという確信と誇りを持ち続けるフィデルにとっては易々と頭を下げることのできない強烈なプライドがあったと思います。だからこそ彼に出来る唯一の道は弟・ラウルに道を譲ること。そしてラウルに米国との交渉を委ねること。それしかなかったのではないかと思います。

 

私はフィデルと直接会ったことはありませんが、95年、96年の二度の訪問時には、側近のハルト文化大臣とお会いしました。キューバに渡るまではフィデル・カストロはごりごりの独裁者のような印象を持っていましたが、ハルト文化大臣の口から出るのは対スペインの第一キューバ革命の闘士であったホセ・マルティへの敬意と彼が残した人道的社会主義の理念でした。カストロに対しては同じ理念をもって戦う同志のリーダーとして敬意を持っているけれども、決して崇拝や賛嘆の対象という感じではありませんでした。つまり、カストロという「人」が統治していたのではなく、人道的社会主義の「理念」をもって統治していたのです。

 

二度のキューバ訪問で彼らの理念に共感を覚えた私はその後、キューバ関連文献を漁り読み、自分の専門分野と何ら関係ないにも関わらず、彼らの心の底流にあるものを探求するところとなりました。それは今もなお続いています。

 

その中でもう一つわかったことは、フィデル・カストロは決してごりごりの社会主義者でもないということでした。彼自身が折々の場面で「私はマルキシストではない、マルティストだ」と語っているのです。ホセ・マルティの理念は社会主義とは何ら関係がありません。端的に言えばそれはある種の「民族主義」です。しかしながら、自国の土地のほとんどをアメリカの大富豪に買い取られ、「一国総小作農」の状態におかれたキューバにとって革命によって接収した土地を国有化せざるを得なかったこと、また、当時、そのキューバの自立を支援したのが冷戦下にあったソビエト連邦であったこと。それらの事情がやむなくキューバを社会主義国へと導いてしまったのです。

 

だから、キューバにとって社会主義は自国民をアメリカの経済支配から守り、国家を自立させる「手段」に過ぎなかったのであって、マルキシズムのイデオロギーを「目的」として革命を起こしたのではなかったのです。

 

もちろんキューバがアメリカとの国交を正常化させたとしても、そんなに短時日に社会主義を放棄するとは思えません。ただ、社会体制の異なりをいたずらに強調して対立を煽る考えは彼らの中にはないはずです。そして、いずれ体制転換の可能性も十分にあるでしょう。しかし、それがあってもなくても必ず両国の融和は前進し、敬意と友情をもって人々が往来する時が来ると信じます。

 

3度目にキューバを訪問した2005年当時は、私はカリフォルニア大学バークレー校の客員研究員として一年間アメリカに滞在していました。直行便がないため、サンフランシスコ国際空港から第三国のメキシコを経由してハバナに渡りました。アメリカの友人からは「自分はキューバを敵国と思っていない。ただ国交がないから行けないだけだ。キューバの友人によろしく伝えてくれ」と伝言を託されました。そして、首都ハバナでは港に腰掛けて、たった150qの先にあるフロリダ半島に思いを馳せ、フェリーに乗って人々が行き来するのを夢見ました。次回のキューバ訪問はアメリカに一旦入国し、サンフランシスコやバークレーにいる友人を伴って一緒に直行便でハバナに向かいたい。今からそんな夢を描いています。

2015.4.18
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