衆議院解散・総選挙をめぐって


 遠く離れた日本の政局も、各新聞のサイトなどを通じてときどき注意してみていたが、7日(日本時間の8日)にとうとう参議院で郵政民営化法案が否決さ れ、それを受けて小泉首相が衆議院を解散し、総選挙に突入した。蚊帳の外にいる自分だからこそ、この期間に思うことなどをまとめて、日記に書いてみよ うと思う。なお、最初に述べておくが、わたくしの支持政党は公明党である。

最大の争点は郵政民営化

 
 今回の衆議院選挙の争点は何と言っても郵政民営化の可否であろう。もちろん、日本には現在、年金等社会保障制度改革、アジア外交など難問が 山積しており、郵政が民営化すれば他の諸問題もすべてがバラ色に好転するというわけではないだろう。しかし、今回の選挙に限って言えば、郵政民営化法案が 否決されたことをもって首相が衆院を解散したのだから、解散理由である郵政民営化が争点となるのは当然ではないか。もし、郵政民営化法案の否決は、衆院を解散するほどの重要法案ではなかったと思っている人は、否決されてもかまわなかったと思っているのだから、それを重要と考えるような総理を退陣させるべく郵政民営化反対の勢力に 一票を投じればよいのである。いかに多くの政治上の難問が山積していよう と、今回の選挙の最大の争点は、つまり候補者選択の最優先の基準は、 郵政民営化の可否である

郵政民営化に賛成

 わたくしは郵政民営化に賛成だ。日本の国家財政の累積赤字などを見ていると、やはり財政支出を抑制するための構造改革はどうしても避けられないと思う。 郵政民営化によって、30万人を超える職員を抱えた巨大な組織を官から民に移行すれば、政府は少しでも身軽になるであろう。世界各国を見ても「小さな政府」への志向は世界的趨勢である。まして、3兆ドルを超える巨額の金融資産を民間が活 用できるようになれば、経済も活性化し、景気回復、税収アップにもつながるかも しれない。たしかに外資が日本のお金をさらっていくような構図もイメージしておくべきであろうが、だからといって外資に対する規制をかける よりも、日本経 済それ自体が自由競争の市場で強く、したたかにならなければならないし、その瞬間に起きる経済の嵐に十分備えておく必要があると思う。ただ、そうした懸念があるから民営化に反対するというのは、根幹と枝葉を取り違えた議論である。民主党の小沢副代表は最近になって、与党の郵政民営化法案では民営化後が見えないと批判しているが、それならどうして国会の審議中に「民営化後の見える」対案を示さなかったのか。小沢氏らしからぬ無責任な批判と言うべきである。

小泉首相の断行と自民党改革

 小泉首相は今回、構造改革と自民党改革を同時に断行しようとしていると見受ける。自民党の郵政民営化反対派は(現在、離党した人を含めて)、過疎地の郵 便局が廃局に追い込まれるとか、職員が削減されるなどの理由で反対している人が多い。それは自らを支援してくれている特定郵便局長会の反対を代弁したもの である場合が多い。とすれば、これは構造改革を妨げる象徴的な「しがらみ」と言える。小泉首相は反対派の選挙区に「刺客」を送り込んだと言われているが、本当の狙いはそうした支援団体のしがらみを切り捨てたかったのではない だろうか。つまり、造反者を憎んだのではなく、造反せざるを得ない状況を切り捨てに かかっているのだと思う。
 支援者の顔色を見て採決の際に反対票を投じた人は絶対に党候補として公認しないが、欠席、棄権した人たちは、解散となるや全員が民営化に「賛成」を表明 して党の公認を受けている。しがらみの度合いが比較的ゆるい人はとりあえず残っておいてくれ、しかし、しがらみの強い人は悪いけど、しがら みごとあちらに行くか、しがらみを断ち切ってこちらに来るか、どっちかにしてくれ、ということなのだろう。
 小泉首相はその意味で、党首としていいリーダーシップを発揮していると評価したい。これまで自民党を支援してきた団体に対して、「もうあなたの支援は要 りません」と断言しているようなものだから、これまでの多くの政治家が選挙に勝ちたい一心で支援団体という「しがらみ」にしがみつくのとは、逆のことを やって のけている。なかなかやるじゃないかと思う。この捨て身の徹底した態度が国民に好印象を与えたらしく、内閣 支持率も上がっているようだ。
 常識的に考えて、自民党内部が対立した保守分 裂の状態のまま選挙に突入するということはどう考えても選挙に不利である。まして、一つの選挙区に保守系の候補が二人立つなどというのは、野党を利すると 考えて、避けるのが普通である。だからこそ、自民党内の多くの幹部が衆議院解散に反対し、思いとどまるよう首相を説得している。解散時には「自爆解散」と いう言 葉も見られ、自民党下野が現実になったとだれもが思った。
 しかし、首相が勝ち負けを度外視して法案成立への強い執着を国民に示したことがインパクトとなったと思う。捨て身の戦法が逆に支持率を高めたということ だろう。もしそれを最初から計算してやっているとすれば、相当なしたたかさだ。ただ言えるのは、仮に選挙に負けて下野したとしても、それが政界再編の引き 金になるだろうとの計算はきっとあっただろうと思う。いずれにせよ、「自民党をぶっ壊す」との言葉を実行できるわけだから、最後の花道として満足だろう。

無能党首に率いられた戦略ミスの民主党

 もっとも解せないのは民主党が衆参両院で全党挙げて郵政民営化法案 に反対したことだ。共産主義を標榜する共産党が「民営化」と名のつくものすべてに反対するのはイデオロギー的に言ってある意味当然だ。しかし、自民党政治 を批判し、改革を訴えてきた民主党が、なぜ構造改革に反対したのか、まったく理解に苦しむ。長年の議論の経過から言えば、民主党にも、自民党と同様、郵政 民営化賛成派と反対派が両方いたはずだ。もともと反対派だったのは郵政関連の組合の支持を受けて当選した「しがらみ」の議員で、自民党からの造反組と同じ 論理だ。理念ではなく利害打算の反対と言うべきで、そこからの脱却のしかたについて、先に小泉首相にお手本を見せられてしまった格好だ。
 ではなぜ、賛成派までもが反対したのか、そこまでの党議拘束をしたのか。それは自民党内の混乱に高みの見物をし、その隙に政局の主導権を握るべく、敢えて自民党の分裂を引き起こすための戦略として、全員反対の党議拘束をかけたのだ。あれだけの時間をかけて審議をしてきたなかで、修正案などまともな対案を一つも出さ ず、自民党の崩壊を期待して、高みの見物を決め込む。そして採決では、ただ「邪魔をする」ためだけに反対票を投じる。つまり、大切な法案を政争の具にしようとしたのだから、こんな無責任な話はない。
 そうした目先の判断しかできない近視眼的リーダーが無能政治家・岡田克也代表だ。その結果、民主党全体が郵政民営化反対派になってしまった。郵政民営化 が争点の選挙となれば、国民の支持は民営化賛成が多数を占めると予想されるだけに、自分で自分に「反対派」のレッテルを貼ってしまったのは大きな戦略ミスと 言えよう。岡田代表は今、躍起になって、年金問題など他の問題を争点にしようとしているが、堂々と胸を張って信念を持って「郵政民営化に反対だ」と言い切れない以上、そうやって逃げるしかなくなるわけだ。もしも民主党の中にも賛成・反対両派がいるままで選挙に入っていたとしたら、民営化への賛否が政党の選 択と一致しなくなるから、争点としては自ずとぼけていたはずだ。そうしとけばよかったのに。本当につくづくお間抜けな民主党だ。
 社会保障制度、外交問題など、他の問題が山積していることは国民はみな知っている。しかし、衆院解散の引き金となった目の前の郵政民営化に決着がつけら れずして、どうして他の難問群が解決できるだろうか。まず一つの問題で改革の旗頭を高く揚げることが先決だと思う。

利害によらず改革が断行できる公明党

 公明党は一貫して郵政民営化に賛成している。全員が本心から賛成派だ。しかも、過疎地も含めた全国の郵便局ネットワークを維持していけることなども公明 党が法案に盛り込んだ。郵政民営化が今回の選挙の争点であるならば、賛成派の国民はまず公明党に投票すべき、ということになるだろう。
 公明党の支持母体は宗教団体である創価学会であり、政治上の利害に関連していないから、公明党も支持団体の顔色を気にしなくても済む。もちろん支持者の 意見は大いに聞いてもらいたいが、団体の利害とは無関係だ。
 よく、宗教は政治と関係ないじゃないか、なぜ政党を支援するのか、との疑問をよく耳にする。しかし、話は逆だ。政治と直接関係していない団体が支援する ところに、良さがあるのである。むしろ、自団体の利害を念頭において政党を支持するような経済団体や労働組合が政党を支援することの方が、政治の公平さを 損なうものだ。なぜなら、組織されていない庶民の声よりも団体の利害の方が比重が高くなってしまうからだ。30万人の郵便局職員の利害のために、1億万人 の国民の利益が損なわれてはならないのだ。団体は票のとりまとめなどでも効力を発揮するから、選挙に勝ちたければそうした団体に頭を下げなければならなく なるという構図だ。
 わたくしも長年の公明党支持者の一人だが、自分個人の利益や創価学会の利益のために、支援活動をするわけではない。ボランティア精神というのが表現として最も近い。創価学会は地域によっては会館周辺の清掃を買って出ているところがある。地域の方々にたいへん喜ばれている。清掃会社は利潤追求のために清掃 を行うが、ボランティアは真心である。純粋に街をきれいにしたいと思って掃除をする。そんなときに、いったいだれが「宗教団体は清掃と関係ないから引っ込んでろ。清掃は清掃会社に任せとけ」などと言うだろうか。社会がよくなるな ら、政治を庶民の手に取り戻せるなら、喜んで手弁当で支援活動を買って出るというのが創価学会である。公明党が改革を断行しやすい秘訣がここにある。誉められこそすれ、批判 される筋合い はない。批判したがるのは公明党の対立勢力の嫉妬によるものだけだ。アルバイト代を出さなくてもこんなに献身的に応援してくれる支持者なんて他にいないか ら、うらやましいのだろう。
 信仰は、そうした組織の利害などといった心の表層部分ではなく、ボランティア精神を支える個人の内面のエネルギーという部分で発揮されている。信仰という実践的な力がなければ、思想や理念だけでは、ここまでのエネルギーは出ないだろう。そんなに一生懸命やるからにはきっと権力がほしいのだろう、天下取り の野心でもあるのだろうと無用な勘繰りをするのは程度の低い週刊誌だけにしてほしい。
 自民党も民主党もそういう意味で公明党のような政党であってほしいと思う。また、これはあくまでも個人的意見だ が、公明党の支持団体が創価学会だけである必要はないと考えている。同じような志を持つ個人や団体がもっと参加してくれれば、開かれた政党としての一般的 評価が増すであろうし、創価学会の利害と結びつけて考える誤解も少しでも減らしていけるのではないだろうか。

 わたくしはアメリカにいて、直接選挙の支援活動に関われない。しかし、大勢の方の目に触れる可能性がある日記に率直な意見を書かせてもらって、少しは参加したような気がしている。

2005.8.24
(当初、バークレー日記として記したものを本コーナーに移動しました)


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