アメリカに来てからも、自宅で聴く音楽は、メキシコやキューバのラテン音楽ばかりだ。その地の音楽を好きになるということはその地が好きになるということだ。だからわたくしは、ジャズ・コンサートなどにも何度か出かけた。奏者のテクニックの華麗さ。時に迫力があり、時にムードが漂い、ジャズも悪くないと思う。ただ、わたくし自身の嗜好性が根本的にジャズに向いていないらしく、CDを買って自宅で聴こうというほどの欲求はおきてこないのだ。
アメリカの音楽にはジャズ以外にも、宗教性のあるゴスペルや、土着性の強いカントリーなど、いろいろある。きっとわたくしがまだ出会っていないだけで、すばらしい音楽はこの国の宝箱にいっぱいつまっているのだろうと思う。
アメリカに来てから知った歌で、一つだけ、わたくしが取りつかれて何度も何度も繰り返し聴いた、そして今も聴いている曲がある。それは、40年近くも前にとうに亡くなっている、ウディー・ガスリーのフォーク・ソングで、“Deportees”(追放者たち)という曲だ。
UCバークレーが海外から来た留学生やわたくしのような客員研究員のために、希望すればボランティアの英語教師を紹介してくれる制度がある。わたくしがこの制度を利用して紹介してもらったのが、85歳と高齢のボブだ。ボブはUCバークレーの公共福祉学部でかつて教鞭を執っていた退職講師だったが、退職後の社会貢献の一環としてボランティアに登録していたのだ。わたくしはほぼ一週間に一回、ボブの自宅を訪れ、単なる英会話の雑談に始まり、必要が生じるたびに「こういう時はどう言えばよいのか」と尋ねてみたり、サール教授に提出する英文論文のネイティブ・チェックをしてもらったりした。そのボブに、あなたの好きなアメリカの音楽を何か一つ紹介してほしいと頼んだところ、彼がわたくしに貸してくれたのが、ウディー・ガスリーの名曲を集めたベスト・アルバムのCDだったのだ。
しかし、そのCDはウディー・ガスリーが残した曲を最近のシンガーたちが歌ったもので、彼自身の歌声ではなかった。そのシンガーたちも、男性が一人で歌
うものもあれば、男女のグループが歌うものなど、いろいろあったが、だれが歌っているのかなどは意に介さず、とにかく流して聴いた。その中で素朴ななかにも美しいメロディーで、自然と心に留まる歌が一つあった。それがこの“Deportees”だった。
はじめは、歌詞がよくわからなかったのだが、何度も聞き返して歌詞を書き取り、それをボブにチェックしてもらい、その意味が次第にクリアにわかるようになった。また、ボブも情感を込めて、その歌の背景となった史実について説明してくれた。
そして悲劇は1948年1月28日に起きた。彼らをメキシコまで国外追放するために州がチャーターした飛行機が、オークランド空港から飛び立ったものの、カリフォルニア中部のロス・ガトス渓谷の上空で原因不明のトラブルが発生し、エンジンから火を噴き、そのまま墜落して乗員・乗客が全員死亡した。その悲劇を伝える共同通信のラジオ放送は、機長、操縦士、パイロット、客室乗務員の4人の乗員の氏名・年齢を報道したが、乗客であったメキシコからの移民たち28人は、一人として名前を呼ぶこともなく、ただ一括して「合衆国に不法入国していた追放者たち(deportees)」とだけ呼ばれた。
この悲劇は、メキシコ系移民をはじめ、人権運動家たちの猛批判を呼び起こした。そして、彼らと同じく怒りを覚えたアメリカ人の一人が、当時既にフォーク・シンガーとして人気を博していた歌手、ウディー・ガスリーだった。この歌は、当のメキシコ人たちの立場に感情移入して、かれらの心情を吐露することばで歌われている。
死ぬほど働いたすえに、賃金をまき上げられて追い返される悔しさ。おれたちは名前を奪われて、ただの「追放者」として飛行機に乗せられる。そして、どうでもいい存在として、枯れ葉のように渓谷に舞い落ちていく。神を信じ、幸福な生活を信じて、こうやってアメリカにやってきたのに、神は助けてくれないのか。いいや、この国のやり方にかかれば、神さまだってきっと名前を奪われて、この飛行機に乗せられるんだ。われわれの尊厳なんか一つもありはしないんだ・・・・・。物を言わなくなった死者たちの、声にならない怒りと悔しさを、かれはこの歌の歌詞に託したのだった。
この悲惨な歌詞に対して、そのメロディーのなんと美しいことか。ゆっくりと流れる三拍子の長調のメロディー。それは澄み切った青空のように、迷いがなく、すべてを見通しているかのようであった。わたくしが借りたCDでは、若い女性シンガーの独唱から始まるが、淡々としたなかに、強い揺るがぬ意思を感じさせるような、不思議な力をもった歌声だった。
いわゆるサビの部分は、最も印象的で、そして何度も繰り返される。このなかにわずかながらスペイン語が交えられている。“Adios mis amigos, Jesus y Maria”(Good-by my
friends, Jesus and Maria)と。それは神イエスと聖母マリアに訴えかける真実の叫びの一行なのだ。そして、複数の男性シンガーがからみ、歌は次第に力強くなり、墜落の悲劇を歌う箇所では、特別に力強い歌声となり、頂点に達したあと、諦観を得たかのように、むしろ静まって終わる。
史実の悲劇を歌った歌には、これまでにもわたくしの心を捉えて放さない歌が二つある。一つは1967年に寺島尚彦さんが作詞・作曲した「さとうきび畑」。寺島さんが沖縄を訪問した際に、ひめゆりの塔につづく一面のさとうきび畑を前にたたずんだとき、その土の下に戦没者の遺骨がまだ埋もれていることを
聞いた、その衝撃がきっかけとなって作った歌なのだそうだ。あの太平洋戦争での沖縄戦で父を失った人の悲しみを、滔々と歌っている。森山良子さんのレコーディングが知られているが、わたくしは一度テレビで、沖縄出身の盲目のテノール歌手・新垣勉さんの豊かな歌声でこの歌を拝聴し、その後しばらく耳から離れなかった。
もう一つは、作詞も作曲も北朝鮮の人による「イムジン河」。ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーが京都の中学生だったころ、近所の朝鮮中級学校の生徒たちが歌っていたのを教えてもらったのがこの歌だったそうだ。その後、そのかれが歌詞の日本語訳を作り、1968年にこのグループによりレコーディングしたが、発売予定日の直前に発売が中止された。南北朝鮮を縦断して流れる臨津江(イムジン河)の上空で、自由に南北を行き来する水鳥を見つめながら、祖国分断の悲しみを歌った歌である。数年前、幻の録音が30年以上の時を経て発売された。これもテレビでたまたま流れているのを聞き、「だれが祖国を二つに分けてしまったの」という歌詞のところで、絶妙にハモっているのが耳から離れなかった。
この二つの歌も、そして“Deportees”も、ゆったりとした長調の、どちらかといえばシンプルなメロディーで、どこまでも清浄な美しさに満ちている点が共通している。また、どれも、雄大な大自然を目の前にし、その美しい情景に心を打たれながら、過去の悲劇に思いを致す点でも共通している。
そして、もう一つ。その悲劇の当事者ではなく、それに共感した芸術家が、徹底的に感情移入して作っている歌だという点でも共通している。「イムジン河」の原曲は北朝鮮の人が作ったものだが、これに共感して日本語詞をつけたのは、日本人のフォーク・シンガーである。このように、後世に残る、真実の叫びの歌というものには、一つの法則があるように思えてならない。
話を戻そう。この“Deportees”は、アメリカという国の負の部分、つまり、拝金主義、思い上がり、心の奥底に根強く残る差別感、などを痛烈に風刺した歌である。数ヶ月前に、20年以上アメリカで暮らしている同年代の日本人・アンドリューさんと食事をしながら、この歌の話をしたら、かれはしばしうなだれていた。ちょっと申し訳ないことをしたと思った。かれはアメリカが好きなのだ。アメリカにはいいところもたくさんある。アメリカをろくに知らないわたくしが、この歌を引き合いに出してアメリカを批判するなんて十年早いことだ。そうわかっていて、この歌の話をしてしまったのは、わたくしのなかに、メキシコに対する共感が強くあったからだ。わたくしはこの歌をメキシコ人の感性で聴いてしまった。どれほど悔しく、腹立たしかったことか。今年初めてアメリカに来たわたくしだが、その前にメキシコには三度行っている。そして、メキシコを代表するトリオ・ロス・パンチョスにはまっている。もう一つの理由は、自分のなかに、弱者の側、貧者の側の視点に立とうとする無意識の習性がどうやらあるようなのだ。わたくしはそのことを恥じるどころか、むしろ生涯の誇りとしていきたいと思っている。
ウディー・ガスリーも、たくさんのフォーク・ソングを残した、アメリカを代表する芸術家の一人だ。かれだってアメリカが好きなはずである。むしろ、好きだからこそ、その負の部分に目をつぶることができなかったのかもしれない。この歌を作る原動力となったのは、ある種の贖罪の思いなのかもしれない。
今は時代も変わり、そうした差別がなくなってきたはずだ。そして、現にまだ残っている差別の残滓をすっかり一掃していくのは、われわれ青年の使命でもある。ともあれ、今はただ冷静に、この歌の美しさに耳を傾け、そしてこの歌が、どこまでも澄んでいて、心の奥の方にじんと染み込んでいく、そのありのままに身を委ねることにしたいと思う。
The crops are all in and the peaches are rott'ning, 収穫は終わり、桃は腐りかけている
The oranges piled in their creosote dumps, オレンジは薬品処理のゴミとなって山積みされている
You're flying 'em back to the Mexican border みんなはメキシコ国境へ向けて飛行機で送り返されている
To pay all their money to wade back again 稼いだ金をまき上げられ、一度渡った川をまた戻らされ
Goodbye
to my Juan, goodbye, Rosalita, さようなら、ヨハネ、さようなら、ロザリータ
Adios mis
amigos, Jesus y Maria;
アディオス、ア
ミーゴ、イエスさま、マリアさま
You won't have your
names when you ride the big airplane, みんな飛行機に乗せられるときに名前はなくなるんだ
All they will call you will be "deportees" やつらがみんなを呼ぶ名は、「追放者」
My father's own father, he waded that river,
おれのじいさんも、あの川を渡った
They took all the money he made in his life;
あいつら、じいさんが命がけで作った金をまき上げやがった
My brothers and sisters come working the fruit
trees,
弟たちも妹たちも果樹園で働くためにやってきた
And they rode the truck till they took down and died.
トラックに乗って
働きつづけて、とうとう倒れて死んだ
Goodbye to my Juan, goodbye, Rosalita, さようなら、ヨハネ、さようなら、ロザリータ
Adios mis
amigos, Jesus y Maria;
アディオス、ア
ミーゴ、イエスさま、マリアさま
You won't have your
names when you ride the big airplane, みんな飛行機に乗せられるときに名前はなくなるんだ
All they will call you will be "deportees" やつらがみんなを呼ぶ名は、「追放者」
Some of us are illegal, and some are not wanted, 不法入国の者がいる、望まれない者がいると言って、
Our work contract's out and we have to move on; おれたちの契約は切られて、もういられなくなった
Six hundred miles to that Mexican border, メキシコ国境まで600マイル
They chase us like outlaws, like rubbers, like thieves. やつらはおれたちを、まるで不法者か強盗か泥棒のように追い払う
Adios mis
amigos, Jesus y Maria;
アディオス、ア
ミーゴ、イエスさま、マリアさま
You won't have your
names when you ride the big airplane, みんな飛行機に乗せられるときに名前はなくなるんだ
All they will call you will be "deportees" やつらがみんなを呼ぶ名は、「追放者」
We died in your hills, we died in your deserts, おれたちはあんたらの丘で死に、あんたらの砂漠で死んだ
We died in
your valleys and died on your plains.
おれたちはあんたらの谷で死に、あんたらの平原で死んだ
We died 'neath your
trees and we died in your bushes,
あんたらの木のそばで死に、あんたらの藪の中で死んだ
Both sides of the river, we died just the same. 川のどちら側でも、ただ同じように死ぬしかなかった
Goodbye to my Juan, goodbye, Rosalita, さようなら、ヨハネ、さようなら、ロザリータ
Adios mis
amigos, Jesus y Maria;
アディオス、ア ミーゴ、イエスさま、マリアさま
You won't have your
names when you ride the big airplane, みんな飛行機に乗せられるときに名前はなくなるんだ
All they will call you will be "deportees" やつらがみんなを呼ぶ名は、「追放者」
The sky
plane caught fire over
A fireball
of lightning, and shook all our hills,
光り輝く火の玉となって丘じゅうを揺さぶった
Who are all these
friends, all scattered like dry leaves?
一人残らず枯葉のように飛び散った仲間たちはだれ?
The radio says, "They are just deportees" ラジオが言う、「ただの追放者」と
Is this the best way we can grow our big orchards? これが大果樹園を大きくする最善の方法なのか
Is this the best way we can grow our good fruit? これが良い果物を育てる最善の方法なのか
To fall like dry leaves to rot on my topsoil 枯葉のように舞い落ち、土の上で朽ち果て
And be called by no name except "deportees"? ただ「追放者」以外の名前で呼ばれなくなることが
Goodbye to my Juan, goodbye, Rosalita, さようなら、ヨハネ、さようなら、ロザリータ
Adios mis
amigos, Jesus y Maria;
アディオス、アミーゴ、イエスさま、マリアさま
You won't have your
names when you ride the big airplane, みんな飛行機に乗せられるときに名前はなくなるんだ
All they will call you will be "deportees" やつらがみんなを呼ぶ名は、「追放者」