バークレー日記

山岡政紀(YAMAOKA Masaki)


Nov/2/2005 英語の世界(4) スペイン語と英語


 わたくしが自分は英語が苦手だという感覚がなかなか抜けない理由の一つに、変な話だが、「スペイン語好き」がある。自分がいかにスペイン語が好きである かという自覚があるから、それとの比較で英語が好きではないということが自分でわかるのだ。

 10年前の1995年9月に、SGI青年キューバ訪問団の一員として参加して以来、わたくしはスペイン語を学習することが趣味となった。じっくりと腰を 据えて体系的に学習する余裕はなかなかないのだが、車を運転しながらとか、夜疲れて床に入ったときなどに、スペイン語の会話テープを聴くと、不思議と心が 癒される。

 わたくしのスペイン語好きはまず歌と結びついている。はじめてメキシコ空港に降り立ったあのとき、大歓迎をしてくださった地元のSGIの方々が歌ってい たのが、“Cielito Lindo”(美 しい空)だった。それは、一度聴いたら忘れられない、底抜けに明るい歌であった。メキシコは、首都メキシコ・シティをはじめ、都市の多くが標高2000m を超える高地 にある、「空に近い国」だ。しかも緯度が赤道に近いため、真上から直射日光が降り注ぐ。乾燥した気候なので、あまり雨も降らず、ほとんどの日は青空が見え ている。メキシコの人々は、山や川よりもさらに、彼らの澄み切った空を、心から愛している。その心が見事に表現された歌だ。

    Cielito Lindo

    Ese lunar que tienes
    Cielito lindo junto a la boca
    No se lo des a nadie cielito lindo
    Que a mi me toca

    Ay, ay, ay,
    Canta y no llores
    Porque cantando se alegran
    Cielito lindo los corazones

 わたくしはメキシコの方々が何度も繰り返し歌ってくれたこの歌を、いっぺんに好きになり、いっぺんに覚えてしまった。そもそも、スペイン語は音がはっき りしていて、英語とちがってよく聞き取れる。歌を聴きながらわたくしは、メロディーの親しみやすさもさることながら、スペイン語のはきはきしたクリアな響 きがいっぺんに気に入ってしまったのである。

 そしてそこで出会う人々の話すスペイン語の何と心地よいことか。意味はさっぱりわからないのだが、とにかくその響きが耳に心地よいのである。文法などは まだ何も勉強していなかったが、訪問団の途上では、持参したスペイン語の旅行ガイドブックを開いては、とにかく単語などを覚えるようにした。数字や1年間 の月の名前、曜日の名前などはこの時に覚えた。

 そして、衝撃的なキューバ訪問。それはわたくしにとって、おおげさなようだが、人生を揺るがすほどの大きな体験であった(このことについてはこの日記に 後ほど追加します)。キューバでは、訪問団が食事をするレストランでは、必ずといっていいほど、ギター、ベース、パーカッションの男性トリオが登場して、 歌を披露してくれる。そのなかでたびたび耳にして忘れられなかったのが、“Besame Mucho”(うんとキスして)だった。何とも悩ましい、甘い歌声で聴かせてくれた。

   Besame Mucho

    Besame, besame mucho
    Como si fuera esta noche la ultima vez
    Besame, besame mucho
    Que tengo miedo perderte, perderte despues.

    Quiero tenerte muy cerca
    Mirarme en tus ojos
    Estar junto a ti.

    Piensa que tal vez manana yo estare
    Muy lejos
    Muy lejos de aqui

    Besame, besame mucho
    Como si fuera esta noche la ultima vez
    Besame, besame mucho
    Que tengo miedo perderte, perderte despues.

 その後、1999年には、グアナファト大学でのスペイン語短期語学研修に参加する創大生十名を引率して、一ヶ月間、メキシコ・シティから北に高速バスで 5時間ほど行ったところにある高山都市グアナファトに滞在した。わたくしも学生とともに語学研修(入門コース)を受講した。わたくしは引率者だったため、 学生が体調を崩せば、ホテルの従業員に医者の場所を聞いて連れて行き、症状の説明もしなければならなかった。学生たちはやれ、部屋の電球が切れただの、ト イレがつまっただの、何かあるとわたくしを呼び、ホテルの従業員との交渉役をさせるのである。そうした生活上の実地訓練のおかげもあって、この1ヶ月間 で、日常生活の最低限必要なスペイン語が話せるようになったのである。

 わたくしにとって、中学以来、何十年と習いながら、全くそれを実際に会話で用いる場面には恵まれず、大学院では文献の読解にエネルギーを費やし、日本人 独特の読み書き偏重の英語を身につけてしまっていたのに対し、わずか一ヶ月であっても実際にそれを使って生活する経験をもったスペイン語の方が、自分の中 では、使える、話せる、という感覚になったものだ。

 その研修のあと、わたくしは日本でも有名なメキシコのトリオ・ロス・パンチョスにはまり、聴きまくり、歌いまくり、既に十曲以上はスペイン語の歌詞を完 全に暗記してしまった。カラオケでのわたくしの十八番ともなってしまった。昔とはメンバーが変わってはいるが、パンチョスの2000年の日本ツアーの際に は有楽町でのコンサートにも参加した。
 さらに、キューバのバンド“Buena Vista Social Club”の映画が日本で公開されたときには真っ先にそれを見て、いっぺんに影響され、これまたそのCDや、すばらしいヴォーカルのイブライム・フェレー ルのCDなどを買いあさって、聴きまくり、歌いまくりして覚えた。これまた来日コンサートの際にはチケットを入手して生で彼らの演奏を聴いた。

 その後あるとき、八王子の街の英会話教室に遊びに行って、英語とスペイン語のクラス分けテストをそれぞれ試しに受けてみたことがあった。そうしてみる と、自分自身の能力を比較すると、英語の方がスペイン語よりも4ランクほど上であった。実際に講師と会話するテストを受けてみてわかったのだが、明らかに スペイン語の方が、知っている単語・文法の文章ならば確実に聞き取れるし、そういうときは瞬時に応答できる。ところが、知らない単語が多すぎて結局お手上 げになってしまった。いっぽう、英語の方は、単語や文法が難しくないレベルだったが、実に聞き取りにくく、聞き取れたとしても、自分は少し考えて頭の中で 文章を作ってから話すので、話すタイミングが遅くなる。それでも、単語と文法の知識量が圧倒的に優っている分だけ、英語の方がよい成績だったのだ。当然の 結果だったはずだったが、自分には意外に感じられた。

 そのときも、そして今も、わたくし自身の自覚においては、いまだに「英語は苦手で、スペイン語は得意」という幻想に支配されている。英会話のテープをい くら聴いてもちっとも癒されない。毎日ああ自分の英語力は乏しいなと思い知らせることばかりである。いっぽう、スペイン語はわからなくても、そこに楽しさ がある。癒しがある。潤いがある。この違いは何なのか。さっぱりわからないのだが、ひょっとしたらわたくしは前世はキューバ人だったのかもしれないと、と きどき思う。

 音声学的に言うと、英語は中国や韓国語と同じく閉音節言語である。つまり、子音で閉じる音節を多く持っている。いっぽう、スペイン語は日本語と同じく開 音節言語である。母音で開いたまま次の音節に移ることが圧倒的に多いのである。このあたりにも日本語話者としてのスペイン語の音に対する親近感の根拠があ るかもしれない。

 あの人工言語であるエスペラント語は、世界の諸言語の学びやすい要素ばかりを組み合わせて作ったような言語である。語構成は接辞を用いる点で日本語のよ うな膠着語に近く、単語を全く屈折させない点は中国語と共通している。いっぽう、発音とつづりが完全に一致する点や、開音節言語である点などは、スペイン 語やイタリア語の特徴を採り入れている。エスペラント語の一見した印象がスペイン語に似ているのはこの点の特徴に由来するものである。もっとも、スペイン 語における名詞の格変化や動詞の人称変化など、複雑な文法は、エスペラント語には全くない。要するに、スペイン語は文法が難しいが、発音とつづりに関して は外国人にとって学びやすい要素をもともと持っているということを意味している。

 おそらく、わたくしの今の英語の学習量と同じだけの学習量をもしスペイン語に向けていたら、今のわたくしの英語力の数倍、スペイン語を使いこなせている のではないかと想像する。日々なかなか多忙なため、語学学習にまとまった時間を費やすことはもうなかなかできないが、創大を定年退職したらキューバに住み ついて余生を暮らしたいと念願している。そのときは多少歳を取っていても必ずスペイン語はものにしたい、それがわたくしの夢なのである。


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