山岡政紀 書評集


書評『師弟 棋士たち魂の伝承』 野澤亘伸著/2018630日発行/光文社刊

 

 将棋は運不運の要素が極めて少ない頭脳ゲームで、名人棋士ともなれば人間離れした頭脳を持つとされているが、そんな名人棋士であっても容易に勝てない近年のAI将棋ロボットの出現は人間の頭脳の限界を突き付けているようでもある。

しかし、時代がどう変わっても人間と人間の将棋対局は悲喜こもごもで誠に人間くさい。そして、それは一局一局だけの話ではない。将棋に人生を賭けた男たちの泣き笑いはまさに筋書きのないドラマとも言えるほど感動的でもある。

 

 そんな将棋棋士たちの人間ドラマを、報道カメラマンとして知られる野澤亘伸氏が13人のプロ棋士たちに行った直接取材をもとに構成したのが本書である。彼らの人間ドラマをよりいっそう人間らしく描く本書のキーワードが書名でもある「師弟」である。本書の第一章から第六章までは、6組の棋士の師弟のエピソードが描かれている。登場人物と各章のタイトルは以下の通りである。段位は発刊当時。

       第一章 手紙  谷川浩司九段―都成竜馬五段

第二章 葛藤 森下 卓九段―増田康宏六段

第三章 気合 深浦康市九段―佐々木大地四段

第四章 対極 森 信雄七段―糸谷哲郎八段

第五章 敬慕 石田和雄九段―佐々木勇気六段

第六章 継承 杉本昌隆七段―藤井聡太七段

 各章では必ずしも時系列に沿わず、師弟それぞれの棋士人生を代表するシーン、師弟の出会い、師弟それぞれの互いに対する思いやそれを象徴するエピソードが縦横に織り込まれていて読み応えのある内容となっている。

 

例えば、第一章では師匠谷川浩司から弟子都成竜馬に送られた手紙から物語は始まるが、そこから谷川が21歳で新名人となった時代への回想へと移る。さらに19951月にあの阪神大震災の直撃を受けた神戸在住の谷川浩司が、その直後の同年三月、周囲の心配を振り切って当時保持していたタイトルの王将戦に臨み、タイトル七冠を狙う羽生善治を撃破して防衛を果たした当時の心境が克明に描かれる。さらに翌年、谷川は羽生の王将再挑戦に敗れて失冠し、羽生の七冠達成を許す。それぞれのエピソードも印象的だが、被災、防衛、失冠、母の病気などを経験した谷川に心境の変化が生じ、それまで多忙を理由にすべての入門依頼を断ってきた谷川が十歳の少年・都成竜馬から受け取った手紙を機に初めての弟子を取る決意に至った経過は、本書だけに語られた貴重なドラマであろう。

そして、話は再び都成に戻り、豊かな才能を持った都成が、プロ棋士養成機関の奨励会ではそれを持て余して足踏みし、年齢制限ぎりぎりの26歳にしてようやく四段に昇段するに至るまでの苦悩が描かれていくが、その要所、要所に師匠谷川から送られた、たった一人の弟子への激励の手紙が挟まれ、師弟一体の棋士人生が描かれていく。それぞれの場面でカメラマンを本職とする著者らしく、場の空気を見事に捉えた写真が掲載されているのも嬉しい。

 

 師弟の関係性が六組六様であるところがまたおもしろい。手紙で厳しくも温かい激励を繰り返す谷川と、谷川の弟子である誇りを支えに頑張った都成。弟子の才能に惚れ込む森下と、時に師匠に反抗しながらもその愛情を受け止めている増田。病気を抱えた弟子を大きな決断をもって受け入れた深浦と、対局に臨む師匠の気迫を自分のものとした佐々木大地。誤解されやすい弟子を誰よりも理解する森と、寛容な師匠のもとで個性を伸ばした糸谷。弟子を可愛がる愛情の深い石田と、その師匠を親のように慕う佐々木勇気。棋界の財産である弟子を、体を張って守ろうとする杉本と、大師匠の思いを支えとする師匠の謙虚さを受け継いだ藤井聡太。

師弟という関係性の多種多様に触れながら、将棋という一つの道を究めるうえで、将棋の技術という次元を超えた人間としての師弟に流れる伝承、そしてその奥深さを垣間見させてくれる。それは同時に師匠という存在を持つ人生の豊かさを教えてくれるものでもある。

 

 終章は羽生善治永世七冠への特別インタビューで、本書に登場する12名の棋士たちそれぞれとのエピソードや若手棋士の印象などを率直に語っている。弟子をまだ一人も採っていない羽生だが、自身の師匠である二上達也九段への敬意や、若手棋士の態度や振る舞いを師匠からの継承として褒めるところからは、師弟の重要性をよく認識していることが伝わってくる。弟子を採らない理由について多くを語らない羽生だが、今は自分自身の勝負に徹しているけれども、いずれ時が来れば、谷川がそうであったように弟子を育てようとするのではないかと感じられる。

将棋専門の記者ではないから棋譜や対局の中味には踏み込まず、あくまでも棋士の人間ドラマに着目している本書は、将棋そのものにあまり詳しくない“観る将”の方にもお奨めできる一書である。

 

2019.12.1

 


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