名著読後記:村田喜代子作『龍秘御天歌』


 江戸時代初期、九州は肥前有田の皿山を舞台として当時の史実をもとに描かれた歴史小説。作者・村田喜代子氏にとっては芥川賞受賞作となった『鍋の中』と並ぶ代表作である。発表翌年の1999年には芸術選奨文部大臣賞を受賞。2005年には劇団わらび座が舞台ミュージカル『百婆』として公演している。

豊臣秀吉の朝鮮出兵時に半島から強制連行されて九州に渡来した窯焼きの陶工たち。心ならずも故郷を後にした彼らは、「たとえ荒野に転んでも生きる」道を選択し、日本名を授かり受け、日本人として生き抜いていく。彼らの陶器作りの技術は高く評価され、龍窯の辛島家として日本人たちにも一目置かれる存在となった。彼らは民族の誇りを心の奥に秘め、日本の地域社会に同化してその地位を築き上げてきたのだった。その首領である辛島十兵衛((チャン)(ソン)(チョル))の死去から物語は始まるが、それこそが大騒動の始まりであった。十兵衛の未亡人・百婆((パク)(ジョン)(オク))が夫の葬儀を「クニのやり方で弔う」と宣言したのだ。しかしそれはあまりにも日本式の葬送と様式が異なるが故に、日本社会では到底受け入れられないものだった。かくして巻き起こされる激しい異文化衝突。仏教と儒教との宗教対立。植民地主義に対抗する民族の誇りの叫び。生死を超えた生命の尊厳を高らかに歌い上げる姿・・・・。さまざまなテーマを読む人の心に刻み残す、名作である。

若くして倭船に乗せられ命からがら日本にやってきた十兵衛と百婆の夫婦だった。日本で育った息子たちには知り得ない労苦と朝鮮人としての誇り。二人はこの地で生き抜くために仮面を被って暮らしてきた。そして夫・十兵衛はとうとう故郷の土を踏むことなく、荒野である日本で帰らぬ人となった。せめて死ぬときだけは仮面を外して本当の姿であの世に送ってやりたい――その心は実に真剣で、これまでのあらゆる忍耐を超越し、妥協を拝して、百婆は徹底的にその意思を貫こうとする。それは亡き夫の人生の尊厳を高らかに謳い上げたいとする強い思いの表現であったが、その姿を一歩離れた位置から見るならば、死者と生者の連続・合一とは言えないだろうか。十兵衛は作品の終盤に至るまで死者としてしか登場しないが、全七章のうちの第六章の半ば、回想シーンで初めてその生前の姿、表情、言葉が描かれる。その時読者は二人が一体だったことに気づく。二人で生きてきた十兵衛と百婆。その生き様が今、百婆一人になっても続いている。死者の魂が生者の五体に生き続け、そしてそこに息づく生命の力。表の主人公は生者・百婆だが、裏の主人公は死者・十兵衛。生死一体だからこそ百婆は強かったのだ。

様式の一つ一つが異文化衝突である。日本の葬儀はなるべく声を挙げずに静かにすすり泣くのをよしとするが、朝鮮の葬儀では「哭踊」と言って、あらん限りの大声で泣きわめき、胸を叩いたり、足を踏みならしたりする。彼らにとってはそれが故人の死を悼む誠実な心の表現なのだ。また日本では葬儀に際して髪を結って白装束を着る。朝鮮では髪の元結をほどいてザンバラ髪となり、ぼろ布のような黄麻の衣装を身にまとう。だが、十兵衛が築き上げてきた地位ゆえに、葬儀には日本人が多く弔問に訪れる。藩の役人も来る。そんな朝鮮様式が受け入れられるはずがない――人生の大半を日本社会で生きてきた息子・十蔵やその弟たちは何とか日本式の葬儀をさせようと百婆を説得するが、その真剣さと智恵でことごとく百婆側に軍配が上がっていく。

百婆の強気と徹底ぶりは頑固さを通り越してむしろユーモラスですらある。深刻なテーマのはずだが、読者を楽しませる不思議なエンターテイメント性がこの作品にはある。百婆が権威ある仏僧・浄源をだまして、葬儀の読経に代えて朝鮮語の恋歌を読ませるシーンがある。私はこれを電車の中で読んだが、あまりの滑稽さに笑いをこらえるのに苦労した。

最後に百婆は十兵衛の亡骸を日本式の火葬にすることに激しく抵抗し、亡骸であっても生きているとして朝鮮式の土葬を強く主張する。いっぽう、息子・十蔵は父を日本式の火葬にして仏教寺院に納骨することを主張し、親子はここでも対立する。騙し合いの末に、とうとう十蔵側が一矢報いて百婆を騙して遺体を荼毘に付してしまう。激怒した百婆が息子に馬乗りになり、何度も打ちながら泣く。十蔵も打たれるままに打たれながら嗚咽する。母の心を熟知しながらも、龍窯を守るため、この地で生き抜いていくための苦渋の選択だったのだ。百婆もそれはわかっていたのではないか。渡来人としてではなく、日本人として生きる道を選んだ息子への、泣きながらの生の継承だったのではないかと思えてならない。

2015.5.31

※『龍秘御天歌』 村田喜代子著/文藝春秋刊/1998520日 発行/定価1524円/ISBN 4-16-316780-2 C0093(文春文庫は2004年発行)


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