山岡政紀 書評集


読後記『今日の世界 明日の文明――新たな平和のシルクロード』 ヌール・ヤーマン、池田大作著/河出書房新社刊/200791日 発行/定価1429円/ISBN 978-4-309-23079-5 C0036

 

〔短評〕
 ケマル・アタチュルク初代大統領の善政により、イスラム精神を厳格な戒律から解放し、異教徒と共存し得る近代国家に発展させることに成功したトルコ共和国。そのトルコ出身で文化人類学の第一人者として諸国を渡り、グローバルな視点からイスラム文化を研究してきたヌール・ヤーマン博士と、数々の宗教間対話を実践してきた池田大作博士とによる、イスラム精神と仏教精神の対話の書である。どの宗教にも同族意識を高め異教徒を排斥する「独自性」と、生命の尊厳を希求し、他者と共生しようとする「倫理性」とが共存するとヤーマン博士は語る。その後者がヒューマニズムであり、それを共通言語とするとき初めて宗教間対話は可能になる。そして、対話を通して異なる文化の奥にあるヒューマニズムを啓発し合う運動こそが宗教家に課せられた使命であり、世界平和に貢献する道である、と。両者はここで完全に一致する。音楽的な調和を見せた本書は、混迷する現代に平和への希望の灯りを点す一書である。(約400字)

 

〔キーワード〕 ヒューマニズム、宗教間対話、イスラム教、仏教、トルコ、ケマル・アタチュルク

〔読後記〕
  昨年(2015年)10月、文化人類学の大家であるヌール・ヤーマン博士(ハーバード大学名誉教授)が創大祭記念行事の来賓として創価大学を訪れ、「崇高なヒューマニズム啓発への道」(The Higher Humanism: The Path to Enlightenment)と題する記念講演を行った。トルコ出身でイスラム教、イスラム文化に造詣の深いヤーマン博士が投じたキーワードは「宗教間対話」であった。折しもその頃、イスラム過激派によるテロが欧州で頻発していたが、ヤーマン博士は彼らが見せる異教徒への憎しみと非寛容、そして暴力を毅然と否定し、他者を受け入れ共存しようとする普遍的人権の意識こそが「崇高なヒューマニズム」であり、それを内在することが真の世界宗教の条件であることを格調高い言葉で語ってくれた。簡潔ななかにも重要な示唆に満ちたその講演に、私は大きな啓発を受けた。創価大学の創立者である池田大作博士(創価学会インターナショナル会長)は19939月に、当時ハーバード大学の文化人類学部長だったヤーマン博士の招聘により、ハーバード大学にて「二十一世紀文明と大乗仏教」と題する講演を行っている。二人の最初の出会いはその前年の1992年に遡るという。以来、二人の交流は長く続き、月刊誌『潮』での対談を経て2007年に一冊の対談集として結実したのが本書である。私自身もこのたびの啓発が、改めて本書を手に取り、熟読する機会をもたらしてくれた。ヤーマン博士への感謝を込めて、ここに読後記を記すこととする(以下、敬称略)。

 米国ハーバード大学を拠点として、南アジア(スリランカ、インド)から中東地域にわたる幅広い地域でフィールドワークを行い、各地域の人々の生活や宗教の研究で顕著な業績を挙げてきたヤーマンは、その広範の活動領域と8言語(トルコ語、英語、フランス語、ドイツ語、ペルシャ語、シンハラ語、イタリア語、アラビア語)を駆使する語学力から、今日における世界市民を代表する一人と言っても過言ではない。しかし、この対談では敢えてヤーマンの母国であるトルコに焦点を当て、池田の母国・日本との共通性を和やかに語り合うところからスタートしている〔第一章 トルコと日本 響き合う心〕。特に出身地イスタンブールの美しさ、歴史の豊かさを語るヤーマンの言葉には故郷への愛情がほとばしり出ている。そして、国旗の類似、トルコ語と日本語、トルコのボーチャと日本の風呂敷、・・・様々な類似を語り合いながら、互いの文化に対する共感は互いの宗教―イスラム教と仏教―の共感へと発展していく。そして、トルコにおけるイスラム教の寛容性、アショカ大王に象徴される仏教の寛容性、それを受け継ぐ今日の創価学会の寛容性。遠くにあって実は近い互いの祖国を語り合いながら、いつしか宗派の差異を超えた心の共鳴へと深まっていく――対談の滑り出しからもう引き込まれてしまう。

 厳格な戒律を旨とするイスラム教が、トルコにおいて近代国家の精神基盤にふさわしい寛容性、社会性、協調性を獲得したのは、ひとえに近代トルコ建国の父であるケマル・アタチュルク初代大統領の功績である。本書でもアタチュルクの足跡を記すことに一章を割いている〔第三章 内に平和を!外に平和を!〕。ヤーマンはアタチュルクを「二十世紀における最も傑出した人物のひとり」と賛嘆する。アタチュルクが1923年に共和国を樹立し、大統領に就任すると、それまで宗教指導者が政治指導者を兼ねていたカリフ制度を廃止して政教分離を断行。信教の自由を認め、女性参政権を実施するなど、ヒューマニズムに裏付けられた高い人権意識をそのまま政治家として実行に移していった。これによってトルコは「古色蒼然たるイスラムの帝国から、西洋風の、はつらつとした、活気あふれる共和国へと変革した」(ヤーマン)のである。ここで大事なことは、アタチュルクは決してイスラム教を否定したのではなく、表層的な戒律に執着することを捨て、イスラム教の精神の内奥にあるヒューマニズムに立脚して近代国家を構築したのであり、むしろ彼こそ真のイスラム精神の体現者であるとヤーマンは主張する。トルコで起きたことはイスラム教におけるある種の宗教ルネサンスだったのである。そこには、イスラム思想を含めたあらゆる政治思想が共存し、栄えていく方途が示されている。今日の世界情勢の中で彼の功績を再評価することは誠に重要な意味を持つ。池田もまた、哲学に満ちたアタチュルクの言葉を再三引用することで、アタチュルクに対する敬意を表明する。ここでそのうちの二つを紹介しておきたい。

偉大なる運動はすべて人民の生命の奥底から生まれるべきものだ。それこそは、あらゆる力の、あらゆる偉大さの根源なのだ19268月、国民議会)

人々を幸福にする唯一の手段は、お互いを接近させ、互いに愛し合うようにさせ、互いに物的、精神的必要性を満たし合わせることに役立つ行為と情熱とである。世界平和の中における人類の真の幸福は、ただただこの崇高な理想の追求者が増大することによってのみ可能となる(世界の教科書U歴史 トルコ)

そしてヤーマンが、創大祭での講演で強調した「宗教間対話」の意義は、本書では第九章で記されている〔第九章 「対話」こそ文明の大憲章〕。ヤーマンは宗教が常に二面性を有していることを指摘する。一つめの「アイデンティティ」(独自性、同一性)は自らに誇りをもたらし、同族意識や集団的精神を高揚させるが、結局それが非寛容の排他性を引き起こし、宗教間対立の根源となってきた。二つめの「道徳性」「倫理性」は、非常に奥深い精神的側面であり、他者を理解する寛容の精神の基盤となる。この「倫理性」を「アイデンティティ」よりも前面に出すことによって宗教間対話は可能になるのである。かつて池田は2001年の教育提言で「宗派性」と「宗教性」の区別を提唱し、教育には「宗教性」(=普遍的宗教精神)が必要だと述べているが、ヤーマンの言う「アイデンティティ」は池田の「宗派性」であり、ヤーマンの「倫理性」は池田の「宗教性」に当たる。両者はここで見事に一致するのである。池田は前出の講演「二十一世紀文明と大乗仏教」において、宗教判断の基準として「その宗教をもつことが、人間を強くするのか弱くするのか、善くするのか悪くするのか、賢くするのか愚かにするのか」と述べている。要は人間という共通の大地に立脚する視点(=ヒューマニズム)こそが宗教の「倫理性」「普遍的宗教精神」を喚起し、「宗教間対話」を可能にするのである。そして、実際にそれを実践してきた池田に対するヤーマンの賛辞は誠実で強い。それだからこそ二人の親交、友情は長く続いてきた。二人の対話は平和を希求する熱意の発露にほかならないのである。

池田と有識者との対談は数多いが、常に両者の意見が一致を見るとは限らない。意見の相違があるからこそ対話の意義があるのだからそれも当然のことである。しかし、そうした池田の数々の対談集の中で、本書は見解の一致が際立っている。二人が本書で述べているように、本来、人間から生まれた宗教は、戒律や儀礼や教義などにおいて大きな相違があり、その相違そのものである宗派性に立脚したときには、日本語話者とアラビア語話者が通訳なしで対話するようなもので全く理解不能に陥る。しかし、その精神性の源をたどっていけば、どんな宗教にも生命の尊厳を称える心、他者を尊重する共生の心が教義の奥の方に内在している。それがヒューマニズムなのである。そこに立脚して語るとき、それはヒューマニズムという名の普遍言語での対話となる。仏教をヒューマニズムに翻訳し、イスラム教をヒューマニズムに翻訳し、両者が人間という共通の大地で、共通言語で語っていくこと。それが「宗教間対話」なのである。そして、対話を通して異なる文化の奥にあるヒューマニズムを啓発し合う運動こそが宗教家に課せられた使命であり、世界平和に貢献する道である、と。かたや宗教家として、かたや文化人類学者として、それぞれの立場でこれまでも「宗教間対話」を実践してきた二人が、ここで見事に共鳴し合い、音楽的な調和を見せる。まさに、混迷する現代に平和への希望の灯りを点す一書であると本書を評してこの読後記を終えたい。

〔参考〕
池田大作博士とイスラム圏の識者・指導者との「宗教間対話」として、以下の対談集がある。
マジッド・テヘラニアン/池田大作『二十一世紀への選択』 潮出版社、2000年刊
A・ワヒド(インドネシア元大統領)/池田大作『平和の哲学 寛容の智慧 イスラムと仏教の語らい』 潮出版社、2010年刊

2016.3.12


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