山岡政紀 書評集


読後記『新聞に見る日本語の大疑問』 毎日新聞校閲部編/東京書籍刊/1999525日 発行


「正しい日本語」を担う職業として真っ先に思い浮かぶのは何でしょうか?「国語辞典編集者・執筆者」?「日本語学者」?(どちらにも該当する私ですが、しゃべると京都なまりの怪しい日本語が出ます・・・(苦笑))「正しい日本語」のために毎日最も激しく戦っている職業があることをこの本で知りました。「新聞校閲記者」です。なにしろ人知れず毎日未明の3時まで「正しい日本語」と格闘しているというのですから。

政治部、社会部、文化部といった新聞各部の記者たちは専ら記事の内容に神経を使うわけで、言葉や漢字の正確さを期すまでの余裕はありません。彼らの原稿が上がってきた深夜に、それを正確な日本語に整えるアンカーの役目を果たすのが校閲部です。他人が書いた原稿を「直す」のが仕事で、自分では原稿を書かない校閲記者たち。そんな彼らが筆を執って、日頃の格闘のエピソードを、時にユーモアを交えながら書いたコラムを1ページに1編ずつ218編集めたコラム集。そこには、日本語の興味深い話題が満載です。

巷にあふれる日本語は「正しい日本語」と「新しい日本語(=実際に人々が今使っている日本語)」とが常にせめぎ合っています。言語学ではこれを「規範文法」と「記述文法」と言って立て分けます。「規範文法」を研究対象とする日本語学者が多いなかで、「記述文法」の実態調査を行う研究者もいます。私は後者の方に比重を置く日本語学者の一人です。

その視点でこの本を読んでみると、両者のせめぎ合いに最も日常的に直面しているのが校閲記者だなと感じます。それだけに本書には、日本語の実態について考えさせるエピソードが満載で、実におもしろい!たくさんの話題の中からいくつかを拾いあげてみましょう。コラム番号と共にご紹介します。

肯定も否定も同じ意味?

5 「寸暇を惜しまず」 大相撲の場所前展望記事で「貴乃花、寸暇を惜しまず努力」と掲載したところ、読者から「寸暇を惜しんで」の誤りではないかと指摘があったそうです。たしかに「わずかな休息の時間も惜しんでひたすら稽古する」わけですから、「寸暇を惜しんで」のほうが正しいはずです。それでも、反対の意味の「寸暇を惜しまず」も通用するように感じますね。おそらく、「惜しまず」が持つ「妥協しない」や「遠慮しない」といった意思の強さのニュアンスを活かすために、暗黙のうちに「寸暇を稽古に投入することを惜しまず」と補ってしまったのでしょう。実際に、(1)のような実例があります。

(1) さらに、先生はその数年後、新設の医科大学の学長になられ、新しい大学の運営に寸暇を惜しまず努力されることになりました。 (星野孝著 『がんはやっぱりストレスが原因だった』, 1994)

16 「無礼極まりない」 読者から、「無礼極まる」と「無礼極まりない」はどちらが正しいのかという質問の投書があったそうです。たしかにどちらも「無礼」を強調する意味で用いられます。『明鏡国語辞典』には「極まる」の項に、「複雑極まる/極まりない操作」のように、否定の「ない」はあってもなくとも意味が変わらない」と説明が書いてあります。BCCWJで検索すると、「極まる」が75例、「極まりない」が148例で、ほぼ1:2の比率でした。

(2) 第一空気が臭い、汽車が揺れる、ただでも吐きそうだ、まことに不愉快極まる。(漱石・子規往復書簡集)

(3) 麻薬関係のトラブルで誘拐されたら、その最後は悲惨極まりない。(スーツケース一杯の恐怖)

218「せわしない」 最後のまとめのコラムに、「せわしない」と「せわしい」はどう違うのかという質問が紹介されて、答えは示されていません。『明鏡国語辞典』の「せわしない」の項には、「『ない』は意味を強める接尾語」と説明されています。この場合の「ない」は否定ではないから反対の意味にはならないのです。強調の接尾語「ない」は、「あどけない」、「はしたない」、「えげつない」、「切ない」でも用いられるわけですが、大半の日本人は「ない」をとは捉えていないため、冷静に考えると不思議に思うわけです。

男女同権の時代に「ご主人」に代わる呼び名は?

26 「お夫?」 配偶者を指すとき、「主人」、「だんな」と言いたくない女性が増えているという話。夫婦を主従関係のように言うのは男女差別だというのです。この筆者も女性らしく、この意見に賛同しているようです。ただ、そういう女性と話すときに、その方の夫を、「ご主人」じゃなければ何と呼べばよいのか?本人は「夫」(おっと)と言っても、こちらは「お夫」(おおっと?)じゃおかしいし・・・と述べたまま結論を出していません。私は「ご夫君」という表現を使っています。普通に使っていたので、そんなに悩むことかな(笑)と思いました。『明鏡国語辞典』にも「ふくん【夫君】〔名〕他人の夫の敬称。」と書いてあります。

昨年まで同僚だった日本語文法学者の蓮沼昭子創価大学名誉教授とは古いお付き合いで、夫で法哲学者の蓮沼啓介神戸大学名誉教授も古くからの知己です。お二人は対等で円満な夫婦関係を築いてこられました。蓮沼昭子教授が夫の啓介氏を話題に出すときはいつも「夫は・・・」、「夫が・・・」と呼ばれていて、「主人」とは一度も言われたことがありません。だから私も絶対に「ご主人」と言わないようにしていました。じゃあ何と呼んでいたかというと、お名前で「啓介先生」と呼ぶか、「ご夫君」(ごふくん)と呼ぶか、半々ぐらいだったでしょうか。だから自分にとっては口になじんだ呼称でした。正直なところ、「啓介先生」はちょっと馴れ馴れしく、逆に「ご夫君」はちょっとよそよそしく感じて、ほどよい距離感の呼称が見つからず、意図的に両方を半々の比率で使ってバランスを取っていたように思います。

逆に対等な夫婦の夫のほうとの会話のなかでその方の妻に言及する際は、これも「奥様」とは呼べませんね。「ご夫人」が普通でしょうか。「ご夫君」(ごふくん)と「ご夫人」(ごふじん)。文字は似ていますが、音の響きがかなり違うので混乱することはなさそうです。

蓮沼夫妻に限らず、研究者仲間とのお付き合いのなかでは女性の研究者との交流も増えたし、妻も研究者であるような男性研究者との親交も増えてきました。懇親会などで家族に言及する際は、その人が自分の配偶者を何と呼ぶかに自然と意識が向くようになりました。その人が「夫」や「妻」を使ったときは、必ずこちらは「ご夫君」、「ご夫人」と言うようにしています。どうしてもこちらから先に言及したいときは「ご夫君のこともよく存じ上げています」のように、無難な呼称の方から入ります。ちなみに私の妻は専業主婦ですので、私が妻に言及する際は普通に「家内」(かない)と呼んでいます。決して家のなかでじっとしている妻ではないのですが(笑)

「ていじろ」か「ティーじろ」か

 

29 「チョー字路と覚えよう」 直角に交差する道は「十字路」。では、一方の道が行き止まりになっている場合は何と言うか。「T字路」(ティーじろ)ですよね?ところが、新聞では正式に使われるのは「T字路」ではなく、漢字の「丁字路」(ていじろ)なんだそうです。『明鏡国語辞典』(第二版)を引いてみても、たしかに見出し語として載っているのは漢字の「丁字路」のほうで、アルファベットの「T字路」は見出し語としては載っておらず、「丁字路」の項の末尾に類義語として載っているだけです。

 

ていじろ【丁字路】〔名〕丁の字に交わっている道路。T字路。

 

道路交通法の条文に漢字の「丁字路」があるそうです。しかし、アルファベットの「T字路」は法律には使われません。辞書も法律も日本語正書法としては「丁字路」に軍配をあげたわけです。「T字路」は俗用ということになります。

 

毎日新聞の校閲部では、記事中にアルファベットの「T字路」を見つけると必ず漢字の「丁字路」に直すのだそうです。字体がよく似ているから目が悪いとアウトですね! 「丁字路」の読みは「ていじろ」が正しいですが、「テーじろ」と「ティーじろ」だと音も似すぎてややこしいので、校閲部では「ちょうじろ」と読むようにしているとのこと。例えば、「ここ、“ティーじろ”になってるぞ!“チョーじろ”に直せ!」みたいな会話をするのでしょうね。

 

しかし、現代日本語書き言葉均衡コーパス(BCCWJ)で検索してみると、漢字の「丁字路」はわずか3例なのに対し、アルファベットの「T字路」は41例もありました。現代人の感覚では「T字路」が一般的に浸透してきているようです。(1)(2)は漢字の「丁字路」の例です。

 

(1) この丁字路を左へたどれば7、8分で薬師岳の山頂だ。(日光・那須の山々 ベスト山歩き)

(2) 「あそこにいやす」藤吉が左近を連れて行く。二人は野次馬の中を通り、丁字路になっている所まで行った。そこを西進すれば采女が原への近道である。(将軍の密偵  裏お庭番探索控)

 

(1)は山道の話題。(2)は時代小説。現代的な舗装道路の直角交差点ではなく、もう少し柔らかいイメージの砂利道の分岐。そうすると、「丁字路」のほうが合うのでしょう。一方、(3)(4)はアルファベットの「T字路」の例です。

 

(3) 根津美術館がある方向に進み、〈コムデギャルソン〉のショップの手前を右折。次のT字路を左折し、左側。(POPEYE 2004310日号)

(4) 西新宿七丁目・小滝橋通り・新宿ダンカンプラザ756ビル・T字路にて多重交通事故発生。重軽傷者四〜五名のもよう。(ミッドナイトブルー 警視庁鑑識課)

 

(3)は雑誌記事。(4)はドキュメンタリー小説。いずれも現代的な都会の舗装道路の直角交差点ですから、アルファベットの「T字路」の方が適しているように見えます。

 

いろいろ調べていくとこんな記事を発見しました。

「T字路」、本来は「丁字路」 ヒルナンデス!炎上で発覚した芸能人の語彙力

 

2016年のこと。テレビ番組の企画で芸能人4人がお目当てのパン屋を探して高崎の街を歩いていたときに、たまたま通りがかったお年寄りに道を聞いたところ、「信号を左に曲がって道なりに行くと、丁字路(ていじろ)になるんですよ」と説明したという。出演者たちはこのお年寄りが「ティー」という音がうまく発音できなくて「ていじろ」と言っていると思ったのか、それをそのあとも道すがら話題にしてゲラゲラ笑っていたそうです。すると、視聴者から「ていじろの方が正しいのにお年寄りをばかにして笑うなんて不愉快」などのクレームが殺到してネット上で炎上したとか。まあ、炎上するほどのことでもないように思いますが、笑われたおじいさんの名誉が回復できたのはよかったと思います。

 

「ティ」という音節の定着

 

私たち現代人がアルファベットの「T字路」に違和感がないのは、ティという音節にすっかりなじんだからです。この「ティ」という音節は、もともと日本語にはなかったのです。例えば、人の集団であるチーム。スポーツの団体競技などでよく使いますね。会社や行政でもプロジェクト・チームという表現を用います。このチームは英語の "team" を音写した外来語です。つまり本来の発音は「ティーム」です。20世紀中盤以前に外来語として日本語に同化した英単語では、ティの発音のものはすべてチに置き換えました。蒸気の "steam"(スティーム)はスチームに、鋼鉄の "steel" (スティール)はスチールに。管の "tube" (テューブ)はチューブに。私の幼少期、明治生まれの祖母は学校のPTAを(ピー・チー・エー)と発音していました。

 

しかし、少し後になって外来語として定着したミルクティー(milk tea)やティッシュペーパー(tissue paper)では、ティの音節を普通に使うようになりました。いつ頃がティを使い始める時点なのか、調べていませんが、戦後であることはたしかで、おおざっぱに言えば昭和中期以降ということになるでしょう。

 

古い外来語には両形が併存する「ゆれ」の現象も見られます。例えば、金管楽器の"tuba"。大きな低音楽器です。これにはチューバとテューバの両方の表記が同じぐらい現れてゆれているようです。楽器の演奏や練習の際に音程を合わせるために使う "tuner" という機械があります。以前はみな「チューナー」と呼んでいましたが、今は「テューナー」と言う人も増えています。スポーツのチームも、まだ少数ですがティームと言う人がいくらかいます。ところで動画サイト "YouTube" は原音に近いのは「ユーテューブ」ですが、日本では「ユーチューブ」で定着しています。これは構成要素の "tube" が外来語チューブで定着してしまっていた影響でしょう。

 

文字の形を利用した語彙

 

Uの字に方向転換する「Uターン」は英語の "U-turn" をそのまま用いていますね。危機を脱して急激に回復することを「V字回復」と言いますが、これも英語に "V-shaped recovery" という対応する表現があります。それでは「T字路」に当たるものを英語では何と言うのか。"T-junction" と言うのだそうです。そう考えると、アルファベットの「T字路」は英語に即した現代的表現として、もっと市民権が与えられてもよいのかもしれません。

 

これに対し、漢字の形に由来する「十字路」は英語で "cross road"。ちなみにキリスト教の十字架は英語で "Cross" です。欧州の文化に cross は深く根付いているので、 プラスマイナスのプラス(+)などの文字記号を用いて表現する必要がないのでしょう。

 

「丁字路」と「T字路」。よく似た表現ですが、漢字に由来する「丁字路」よりも世界で広く使われているローマ字アルファベットを使用する「T字路」のほうが国際化の時代にマッチしていて、外国人にも理解されやすいとも言えます。「丁字路」という本来の表現の存在を認めたうえで、徐々に新しい「T字路」の方へ移行していくのが最も望ましい姿ではないかと思います。

 

※『明鏡国語辞典』第二版 北原保雄編 2010年 大修館書店(山岡は形容詞1000語の執筆を担当)

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