山岡政紀 書評集


読後記・映画鑑賞記『異人たちとの夏』 山田太一著/新潮社刊/198712月 発行/(映画)大林宣彦監督/市川森一脚本/松竹製作/1988年公開


異人たちと言っても異国の人ではない。異界の人たちである。映画「異人たちとの夏」をいつどこで観たのかはよく覚えていないが、内容はよく覚えている。30年も前に交通事故で亡くなったはずの両親と主人公が再会するという不思議な物語と、主人公が愛した美しい女が魔女のような姿に変わって宙に浮くシーンの衝撃がまぶたに焼き付いて離れないのだ。

今(2020年)放送しているNHK朝ドラ「エール」で、ヒロイン古山音が幼いときに死別した父が一泊二日であの世から戻ってくるという話があり、私はすぐに「異人たちとの夏」を思い出した。「異人たちとの夏」の主役を演じた風間杜夫さんが「エール」でも主人公の伯父役で出演しているし、「異人たちとの夏」全編を貫くプッチーニのアリア「私のお父さん」が「エール」でもオペラ歌手双浦環の登場シーンで歌われていたことなど、不思議な共通点がいくつも見つかった。それで改めてこの感想文を書くことにした。

主人公・原田英雄(風間杜夫さん)は40代のシナリオライター。ある日、亡くなったはずの両親にそっくりな若い夫婦(片岡鶴太郎さん、秋吉久美子さん)と出会う。彼らは英雄が幼少期を過ごした浅草のアパートに住んでいて、自分を温かく迎えてくれる。今の英雄よりも少し若い30代の若夫婦。交通事故で亡くなったときの両親の年齢のままだ。何度も通い詰めて食事をご馳走になっているうちに、その夫婦が間違いなく自分の両親であることを確かめる。英雄はそれが幽霊なのか、なぜそこにいるのかといったことは敢えて問いかけずに、その若い両親の元に足を運んでいく。二人の前では素直になれる。温かい心になれる。父とキャッチボールしたり、母の手作りのアイスクリームを食べたりしているうちに、英雄は孤児として30年生き抜くなかでどこかに置き忘れてきた、人を思いやる心、愛情というものを思い出していく。

非現実的な設定ではあるが、ホラーでもSFでもない親子の愛情物語である。最初にこの映画を観た当時は健在だった私の父も今から22年前に亡くなっている。今改めてこの作品に接してみると無性に父に会いたくなる。少年に戻ってもう一度、父の優しさ、強さ、温かさ、誠実さに包まれさせてもらえるなら、幽霊でも何でもいいと思える。設定の非現実性を忘れさせるぐらい親子の愛は深く温かい。

この作品にはもう一人の異人が登場する。英雄と同じマンションに住む美しい女・藤野桂(ふじのかつら、通称ケイ、名取裕子さん)だ。最初に英雄の部屋を訪ねてきたとき、孤独を訴えたケイを英雄はつれなく追い返した。その後、両親との不思議な再会で優しい心を取り戻した英雄はケイにも優しく接するようになり、自分の部屋に迎え入れていつしか愛し合うようになる。妻と離婚して一人になったばかりだった英雄はケイとの出会いによってもう一つの愛を取り戻す。だが、両親との親子の愛とケイとの男女の愛は競合し、いつしか葛藤を始める。ケイは英雄に両親に会わないように要求し、英雄も両親との別れを決意する。

物語はその後、驚きの展開を見せるが、そこはまだこの作品を観ていない(読んでいない)方のために敢えて飛ばすことにする。いずれにせよ、最後に訪れる両親との二度目の別れと、ケイが何者であったかを知る最後の別れこそは本作品の白眉であり、いつまでも観た人の心に残るだろう。

新潮文庫から出ている山田太一さんの同名の原作小説もかつて読んだ。そうしてみると、台詞も含めてほぼ原作どおりに忠実に再現した映画だったことがわかるのだが、それでも映画のほうが強く心に残っているのは、主人公と女が強烈に愛し合うラブシーンや、その愛した女が正体を現すラストシーンの視覚の衝撃と、もの悲しく響くプッチーニのアリアの聴覚の残像ゆえであろうか。

 


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