山岡政紀 書評集


読後記『仏法と科学からみた感染症』 鈴木潤(麻布大学名誉教授)著/潮出版社刊/202073日 発行


新型コロナウイルス感染症(COVID-19)という人類の脅威に直面した2020年。「正しく恐れる」ことの大切さをよく耳にする。まず医学の知見に基づいて新型コロナウイルスとは何者であるかを正しく理解すること。そして、よりいっそう重要なのは、私たち市民一人ひとりがこの自然現象をどう受け止めて、どう立ち向かっていくかだ。そのためには、医学だけではなく、人間の心理、社会、行政、産業といった諸分野の知見も総動員して人間総合学の視点から私たちのあり方を考えていく必要がある。本書は仏法哲学の知見をそうした人間総合学の基盤に据えて感染症を論じたもので、「感染症人間学入門」とも言える一書である。

著者・鈴木潤氏は細菌感染症を専門とする医学博士である。食中毒を引き起こす細菌の毒素に対して、茶の渋み成分として知られるカテキンを用いて中和する「毒素中和法」を開発した実績がある。そして、本書の「はじめに」で著者は自身が創価学会学術部員であることを明言している。同じく創価学会学術部員である私にとって、分野は異なるが同じ信仰を共有する同志であり、公私にわたり教えていただいている先輩である。アインシュタインの言葉に「宗教なき科学は不具であり、科学なき宗教は盲目である」とある。著者は仏法の信仰者だからこそ獲得した人間総合学の視点をもって、科学と宗教の融合のモデルを示そうとしているのである。

第1章「感染症の歴史と微生物の誕生」では、人類史上、感染症がどのような時に大流行したかに着目する。14世紀のペストの大流行はイギリスとフランスの百年戦争の時に当たっている。2000万人が亡くなったとされる20世紀初頭のスペイン風邪は、第一次世界大戦の最中であった。人と人が殺し合う戦争の時に感染症が流行していることをどう捉えるのか。21世紀のSARS, MERS, そして今般のCOVID-19の背景にも、グローバリゼーション、環境破壊、自国第一主義の台頭といった人心の荒廃があることを著者は見逃さない。人心の荒廃と感染症の流行は偶然の一致なのか、それとも必然かをまず問いかける。

ウイルスの誕生は38億年前と推定され、いわゆる生命体の起源の出現よりずっと早い。いわば地球の先住者だ。そして、森林伐採や地球温暖化の影響で眠っていたウイルスが復活したとする学説も紹介されている。もしそうだとすれば、人心の荒廃が環境破壊や気候変動を介して必然的に感染症を引き起こしているのかもしれない。

だが、どうしてこうなったかよりもっと大事なことは、我々人類がこれからどうしていくべきか、だ。仏法では「依正不二」(えしょうふに)と言って、環境と主体(人心)は密接不可分だと説くが、この法理は過去の因果を見定めるためよりも、未来に向けて私たちの主体的な生き方で環境を変革できると信じ、実行していくことにあるのだ。

人類の歴史にも感染症とのさまざまな戦いがあった。本書では、ワクチンを開発する医学の戦いと全住民の「共助」による戦いの2種類のエピソードが語られる。

ワクチン開発の歴史は興味深い。かつて猛威を振るった天然痘は英国のジェンナーらが開発した「種痘」のワクチンによって完全に撲滅された。日本でもその導入に緒方洪庵らが尽力したことが知られている。本書で興味深いのはジェンナーより70年も早くワクチン接種の効果を検証し、普及に努めたメアリー・ウォートリー・モンタギューという英国人女性の業績を紹介している点だ。中国・インドからトルコに至る東方世界では天然痘に一度かかると二度とかからないこと、つまり「獲得免疫」の存在が経験的に知られていていた。モンタギュー女史はそれを応用して天然痘患者の病変部から意図的に接種を行って「獲得免疫」に誘導する方法を開発したという。驚くのは彼女がその検証のために愛する息子にも接種を行って効果を実証したことだ。彼女は弟も天然痘で亡くす悲しい体験もしている。どうにか人々を救いたい一心で、欧州ではまだ相手にされていなかった東方の知恵に賭けてみたのだ。

人類の知恵には、分析知、経験知、直観知の三種類がある。近代科学の分析知は17世紀以降の300年余の歴史しかない。だが、それ以前の人類も豊かな経験知で文明を築いてきた。エジプトのピラミッドやローマのコロッセウムのような巨大建造物を近代的な力学計算なしに建築し得たのは、滑車やてこによる運搬効率をはじめとする建築技術を経験的に会得していたからである。農耕技術の発達も試行錯誤を経て会得した経験知だ。医学においてはどうか。分析知の厳密な方法に基づく近代西洋医学に対して、鍼灸や漢方薬などの東洋医学の知識は経験知の蓄積によって確立している。その東洋医学が「獲得免疫」の存在をも経験知で捉えていたのだ。モンタギュー女史の独自の治験もまた、経験知の応用的な検証だったと言えるだろう。後年、免疫のメカニズムは近代医学の分析知によって解明されており、本書3章「感染症に打ち勝つ人間の免疫力」にも詳しく解説されている。今もCOVID-19のワクチンの一刻も早い開発に世界の医学者が競って取り組んでいる。分析知は専門家に委ねるほかない領域だが、経験知は歴史も古く、多くの人が関わって共有した裾野の広い知恵であったことに留意しておきたい。

全住民の「共助」の力で感染症予防に立ち向かった歴史も本書には紹介されている。スペイン風邪流行の際に、ある村が独自の検疫体制を敷いてウイルスの侵入を水際で食い止め、罹患者を出さなかったというエピソードだ。そこでは一人の教師が訴えた防止対策を住民たちが協力して実践した「共助」を勝因として挙げている。「共助」を支えるのは「利他」の精神である。「共助」の効力は医学理論からも論証されているが、当時の村人たちは理論に基づいて「共助」を行ったというより、「利他」の精神で住民同士が助け合う「共助」がウイルスに立ち向かう最善の方法であることを直観的に感じ取っていたにちがいない。その意味で、「共助」を実行した村人たちの知恵は直観知だと言えるだろう。

感染症に立ち向かってきた人類の歴史は我々に何を示唆しているか。医学の分析知は有機生命体をも物質の一種として見つめている。いっぽう経験知と直観知は人間の心をありのままに心として認める知恵である。現代医学の分析知は専門家の医学者に委ねるほかないが、我々一般市民にも「利他」の精神に支えられた経験知と直観知をもって感染症と立ち向かう道があるのだ。著者鈴木氏は医学者として前者を深く修めてきた専門家だが、同時に信仰者としての立場から後者の「利他」の精神の重要性を述べている。そして両者は矛盾することなく補完的な位置にある。まさにそれはアインシュタインの言う「科学と宗教の融合」であり、それは物質と心の融合と同義なのだ。

本書では『日蓮大聖人御書全集』から『立正安国論』の要文を引用し、鎌倉時代に流行したとされる天然痘、麻疹、赤痢などの感染症と、それに対して日蓮大聖人が当時の経験知をもとにどのように感染症対策をされていたのかについても言及があって興味深い。そして、「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(同31頁:あなたは自身の安泰を願うならば、まず世の中の平穏を祈る人であれ)の一節は、生命尊厳を第一として「利他」の祈りを実践する生き方を示している。

4章「祈りと励ましが感染症を防ぐ」では、信仰の祈りの力についてさらに踏み込んで述べている。日蓮仏法は「すべてを生かす」教えである。日蓮大聖人は、私たち凡夫の生命に渦巻く悩み、欲望、怒りといった負の要素を、利他の祈りによってそのまま幸福の源泉へと転換していく生き方を指し示している。誰もがそのような尊貴な生命であると捉えることが日蓮仏法が説く「生命の尊厳」なのだ。そして、そうした祈りには自身の免疫力を高める力があるという。この「すべてを生かす」は医学の方法論とも合致している。最新の医学では、病原体を撲滅し、排除するのではなく、病原体から病原因子だけを取り除いて「共生」していく治療法が進んでいるという。がんに対する遺伝子治療も、はたまた筆者鈴木氏の「毒素中和法」もこうした「共生」の治療法である。

私自身は人文科学者であり、人間学の視点から本書を読んだため、やや偏った読後記になったかもしれない。実際のところ本書は医学的知識の説明に多くのページを割いている。例えば、2章「感染症とその予防法」では、細菌とウイルスの違い、コロナウイルスの増殖のメカニズム、免疫系の暴走であるサイトカイン・ストームなどの解説とともに、マスク、手洗い、喚起の効果などの予防法について説明する啓発的な内容が詳しく述べられている。第3章の「獲得免疫」の説明も図解入りで興味深いものであった。この読後記にそうした部分の紹介が乏しいのは、私の能力不足によることをご理解、またご寛恕願いたい。実際にこの本を手に取って読むことでその不足を解消していただければ幸いである。

 


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