現代ジャーナリズムを多局面において批評した本書の中で最も注目すべきは、表題を代表する最初の論文「知識人の現在と公共性」であろう。
1988年東大教養学部で中沢新一氏の助教授採用をめぐって西部邁教授が辞任する事件があった。結局、人文・社会科学において一定の評価を受けるためには、制度化された学会に順応するために「没意味的専門経営」を強いられる。それに対して『世界』や『中央公論』等の総合雑誌が全く違った形態で論文の品質を維持していることが主張される。中沢氏もこの論壇ジャーナリズムを構成する一人だというわけである。この多様な論客集団にまとまりを持たせる共通項を筆者は「価値判断を媒介させた社会的要請に基づく問題関心」と称している。しかも総合雑誌の読者層の広さは魅力ある議論を要求する。
さらにその中で日本文化論を唱える梅原猛や山崎正和らの政府や官僚へのより大きな影響力など、科学の社会性に新たな視点を投じている。