子どもの成長は嬉しくもあり、ちょっと寂しくもある。上目づかいに両手を挙げて、抱っこをせがんできた、あのおちびちゃんだったわが息子も、今や高校1年生。それもクラスの一、二を争う180cm近い長身で、抱っこしようものならこちらがつぶされてしまいそうな偉丈夫となってしまった。友人も趣味も親が知らない世界をいっぱい持っているようだ。
2010年に『子育て歌集 たんぽぽの日々』を出した俵万智さんは、たんぽぽの綿毛がふんわりと飛ぶ光景を、いつか親離れしていくわが子の姿に重ねて「たんぽぽの綿毛を吹いて見せてやる いつかおまえも飛んでいくから」と詠んだ。その愛息の成長を思い浮かべながら、『たんぽぽ』の続編として7年ぶりに出版された今度の歌集を手に取った。
まず、タイトルがいい。『ありがとうのかんづめ』。帯には「日本語の響き最も美しき二語なり「おかあさん」「ありがとう」」との一首が。母の愛に対する坊っちゃんの「ありがとう」がいっぱい詰まった歌集――そう思うだけでも、この冬空に心が温かくなる。ページを開いてみると、短歌2首ずつとエッセイ1編がセットになって記されている。
万智さんの坊っちゃんは幼稚園での「缶詰づくり」というレクリエーションで、未来の母に贈る手紙を書いて缶詰に入れた。「おかあさんが死んだとき、一緒におはかに入れてあげる」というその手紙をこっそり見ると「ゆうれいのおかあさんえ。たくみんはおかあさんがだいすきでした。あかちゃんのときおせわになりました。ありがとう。これからもげんきでね」と書いてあったという。これを夜泣きの苦労を話したことへの気遣いと受け止めた万智さんはこのときのエッセイに「そんなことでありがとうと言わせてしまって、申し訳ない」と綴っている。
そして息子さんが中学生となり、身長も母を越して声も低くなった今、このエッセイを読み返して涙したことを万智さんはあとがきに記している。単に気遣いというより、無償の愛に応える無垢な「ありがとう」の、掛け替えのない清らかさ、美しさへの感涙ではないだろうか。「今なら本気でお墓に入れてほしい、息子の『ありがとう』と一緒に永遠の眠りにつけたらこんな幸せなことはない」とまで万智さんは言い切っている。子が成長して親離れすればするほど、親の愛は純化されて神々しく輝いていく。そして、子育ての苦労がわが人生を豊かにしてくれたことに思いを致し、「その意味では、本書は、私から息子への『ありがとう』の缶詰でもある」と記している。
同じ出来事でも時と共に感じ方は変わる。息子さんにとっても、自身が親となって子を育てる立場となったときに、この母の言葉がまた新たな重みをもって響いてくることだろう。幼稚園児のときの無垢な「ありがとう」に更なる深い愛情を込めて、母を終生、大切にしてあげてほしい。そして、この歌集を通して温かな気持ちにしてくれた万智さんと坊っちゃんに私からも「ありがとう」の言葉を贈りたい。
拙い読後記の最後に、息子さんの学年ごとの短歌から特に味わい深いものを一首ずつ独断で挙げておきたい。短歌は自立した作品であるからそれ自体が豊かな情景を湛えている。その芸術性とエッセイが伝える情趣とは別次元のもので、それぞれに価値あるものと思う。
一年生 「いちねんせいひみつぶっく」の表紙には 「みるな」とありぬ見てほしそうに
二年生 子は眠るカンムリワシを見たことを 今日一日の勲章として
三年生 前を向けと言われる息子 「今オレが見ているほうが前」とつぶやく
四年生 そのむかし魚であった子どもらは 水、水、水に飽かず飛びこむ
五年生 子のドラム ドンドンタッツードンタッツ 「シャーン」のところで得意そうなり
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