山岡政紀 書評集


読後記『旅の人、島の人』 俵万智著/河出書房新社/2014830日 発行/定価1300円/ISBN 978-4-309-92026-9


研究室のデスクの脇の、手の届くところに万智さんの本は固めておいてある。毎日のおびただしい仕事の量に埋もれてしまうと、研究室の空気が殺伐としてくる。書架の書籍はその大半が言語学や哲学の専門書だから、ちょっと空気が堅くて渇いている。そんな研究室に潤いをもたらしてくれるのが万智さんの本たちだ。

2010年に万智さんは『俵万智の子育て歌集 たんぽぽの日々』を出して、たった一人の愛息を育てる喜びをぼくたち読者に分かち合ってくれた。たんぽぽの綿毛のようにほっこりとして優しい歌集だった。嬉しくなって読後記を書いてみたら、つい調子に乗って、若いときの掲示板でのおしゃべりやトークショーでの出会いのことまで書いてしまったっけ。

その翌年2011年の3月、東日本ではとんでもない大震災が起きた。仙台に住んでいた万智さんは余震と原発から大切な坊ちゃんを守るため、沖縄へと旅した。そこから知人夫婦を頼りに石垣島へと渡り、島の生活がすっかり気に入ってしまった万智さん親子はそのまま住み着いてしまったという。それから3年間の、島で見た事、聞いた事、経験した出来事をまとめたエッセイ集が本書『旅の人、島の人』だ。旅の人というにはやや長く、島の人というにはまだ短い、今だからこその宙ぶらりんな立場を万智さんは心から楽しんでいるということが、この本から伝わってくる。

本当に本ってすごいなあ、ありがたいなあって思う。日常の激務の中でこの本を開くとそこには全く異なる空間がある。まぶしいほどの青空と澄み切った透明の海が見える。美しい写真も載っているが、そうではなくて万智さんの言葉たちが青い空と海を見せてくれるのである。そして全く異なる時間が流れている。すべてがゆったりとしていて、一日がとても長く横たわっている。一瞬にして距離を超え、時間を超える、本の力、言葉の力のすごさが今、目の前にある。

ぼくにも一つの夢がある。定年退職したらキューバに移住して余生を暮らし、彼の島に骨を埋めたいと願っている。キューバを3度訪問し、現地に友人もいて、スペイン語も日常会話ぐらいはできるぼくにとっては強ち空想のような話ではない。条件さえ整えば現実味の出てくる話だ。ただ、さっぱりキューバに興味を示さないわが妻と息子に拒否されて、この夢の実現可能性は低い。

それにしても沖縄とキューバは気候が似ている。椰子の木、スコール、さとうきび畑、そして青い空と海。沖縄だったら家族は許してくれるだろうか・・・。それはさておき、万智さん親子が、沖縄の石垣島に移住してくれたことが何だかとても嬉しかった。北国じゃなくてよかった――と勝手に喜んでいる。

『たんぽぽの日々』にはリンゴ、たんぽぽ、つつじ、みかん、・・・とたくさんの植物が登場した。『旅の人、島の人』には、植物だけじゃなく動物もたくさん登場する。網戸の隙間から入ってくる昆虫客。ヤモリやセミ。側溝で死んでいたイノシシ、野生のクジャクの鳴き声。魚もすごい。ガーラ、ボラ、クチナジ、ハリセンボン、・・・。まさに生き物が躍動する石垣島はまさに生命の島だ。この島に来てからみるみる元気を取り戻した坊ちゃんは、小さな生命の力を自分の生きる力へと昇華できる、本当の強い人なんだと思う。動物だけではない、植物だってマングローブの枝は力強く生きている。石垣島の島野菜もオオタニワタリ、アフリカほうれんそう、紅いもと、名前を聞くだけで何だか力強い。

そんな躍動する生命たちに囲まれて、万智さんと坊ちゃんは石垣島の人となって活き活きと生きている。ぼくもこの本が連れてくる南国の空気を深呼吸して、今日の一日を戦い抜きたいと決意している。


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