人はなぜ飛び降りたがるのか!?

 阪神タイガースの優勝に、関西だけでなく日本中が沸き返っている。「道頓堀には飛び込むな」と大阪市があれほど警告していたにもかかわらず、5000人を超える若者が高さ約6mの戎橋から飛び込んだという。
 手を叩くとか、歓声をあげるということでは表しきれない歓びを、川に飛び込むことで表すことができると、最初に気づいた人は偉いと思う。良し悪しはともかく、この表現法に21世紀日本の若者が病みつきになった。
 この爆発的なエネルギーと連帯感を平和構築のために活かしていったらどれほどの成果になるかと思う。

 歓びの表現ではないが、江戸時代の日本でも、京都清水寺の有名な「清水の舞台」から飛び降りる人が跡を断たなかったという。戎橋の2倍以上の13mの高さだ。「命を懸けて飛び降りれば、願いごとが叶う」という迷信があったらしいが、15%の人は命を落としたらしい。むしろ、よく85%もの人が助かったなと思う。

 バンジージャンプという遊びがある。足にロープを結わえているので、地面まで落ちはしないのだが、高さという点では比較にならない。日本最大のものは60mを超えるらしい。何が悲しうてお金を払ってわざわざ恐い思いをしたがるのか。この勇気を庶民の幸福を脅かす邪悪と戦う勇気に活かしていったらどれほどの悪を退散させられることか。

 あれこれと思い巡らしながら、人はなぜ飛び降りたがるのか、と改めて問うてみた。その答えは──そこに引力があるからだ!?
 人生山あり谷ありと言うが、山があるから登りたくなる人間もいれば、谷があるから飛び降りたくなる人間もいる。つくづく自分を振り返って思う。山があっても谷があっても、まっすぐに自分の道を進みたいものだと。

2003.9.17


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