教育はあらゆる学生、生徒、児童に平等に開かれた普遍的なものであらねばならない。これが創立者池田大作先生の信条であった。故に、創価大学はいかなる思想信条を持った学生をも迎え入れるべく、広く門戸が開かれた教育の場であり、開学以来、一切の宗派教義の教育は行ってこなかった。
しかし、その教育理念の根底には、普遍的な宗教的精神、すなわち生命の尊厳への深い洞察、信念が厳然とあった。そして開学まもなく、創立者が標榜された普遍的教育哲学の底流にある日蓮仏法の思想を自ら求める学生たちが集い、研鑽を始めた。この自発能動的営為の結集軸が我が生命哲学研究会(生哲)であった。すなわちこれは、課外活動と言っても、決して余暇の趣味のようなお遊び気分の活動ではなかった。だからこそ、創立者は開学以来、生哲を大事にされ、たびたび激励をしてくださった。生哲の40年史はまさに創立者との呼吸で前進してきた師弟の歴史そのものであったと確信する。
その生哲史の中で私自身が深く関わったのは2001年から02年にかけて、クラブを挙げて2年がかりで取り組んだ「佐渡御書」現代語訳の作成であった。
御書の現代語訳作成は、日蓮仏法の哲学を普遍的哲学として現代に開き、伝えていくために必要な作業であった。当時の生哲部員がその作業に参画したいと申し出られたのである。佐渡御書は、不惜身命の折伏精神を説かれた重書である。若い学生達にとって、その精神を学ぶということは容易ではなかっただろう。しかし、彼らは真剣に取り組んだ。佐渡御書を何度も拝読して心肝に染め、一字一句の解釈に執念をもって当たった。様々な苦闘を乗り越え、佐渡御書現代語訳は見事結実し、2002年、月刊誌『大白蓮華』への連載を果たした。このとき、創立者がこの壮挙をどれほど喜んでくださったことか。それを拝したときに、この作業の重要性と、それに真摯に取り組んだ生哲諸君の師弟の呼吸が正しかったことを改めて確信したものである。
今日もその生哲の師弟の呼吸は脈々と受け継がれ、また次代へと流れようとしている。すなわち、単に自身が御書を研鑽する「学びの求道」から更に一歩深い次元に降り立って、師匠と同じく、普遍的哲学を展開する側に立とうとする「将の求道」である。
生哲の今後長く続くであろう歴史もまた、この師匠のリーダー像に合致して、影の労苦を喜んで受け、「将の求道」をもって、未来まで脈々と受け継いでいってほしい。そして創価大学の人間教育の理念を支える精神文化の柱の存在となることを願ってやまない。
2011.3.21 (『生哲40年史』より)