創立者に学ぶ人間教育@−公平さ−
学生部長 山岡政紀
縁あって創価大学の教員となって20年。本学の創立者である池田大作先生は、私にとって人生の師匠であり、教育者としても師匠である。最高の教育者でもある先生の創立された大学で教育者となったからには、師匠と全く同じあり方の教育を実践しよう――そう決めて20年間取り組んできた。わが未熟さゆえにまだまだ到達しているとは言い難いが、少なくとも自分が池田先生の何を学び、どのような姿を理想像と定めて目指しているのかを懇談的にお話ししたい。
教育者は公平たれ
第一に、教育者は学生(以下、生徒・児童を含む)に対して公平でなくてはならない、ということである。
池田先生は創立者として、全創大生に全く公平な態度で期待をかけ、慈愛を注がれている。これが、創立者から日々絶え間なく学生に届けられる激励の伝言や品物に触れさせて頂く中での偽らざる実感である。「創大生は一人ももれなく勝利者に」という主旨の和歌や言葉もたびたび贈られている。これは創価学園においても全く同じであろう。
もちろん、学業や諸活動に猛然と頑張る学生もいれば、中にはいろいろな問題につまずいて悩みを抱えたり無気力に陥ってしまったりする学生もいる。創立者から見れば、今現在の姿がどうであれ、その無限の可能性に対して不動の確信を持たれているがゆえに平等に激励されるのだと拝している。むしろ、重い病気や深刻な状況に直面している学生に対してこそ、最も大きな激励をしてくださっている。
成績不振の学園生を激励された創立者
創立者の小説「新・人間革命」第12巻に、創価学園の創立当時のことを記された「栄光」の章がある。その中に高校一期生の中で「成績が伸び悩んでいる生徒」のことを特に心配され、激励されたことが記されている。1年目の年度末に、成績不振の生徒三十名を集めて懇談会を開いたという。叱られるのではないかと思って暗い顔で懇談会に臨んだ生徒たちに、創立者は「緊張する必要はないよ。叱るために会ったんじゃないからね。ぼくは、君たちを勇気づけたいだけなんだ」と笑顔で語りかけられる。そして、一人一人と懇談しながら、健康状態、家庭の状況、通学時間など、いろいろな問題を丹念に聞いては相談に乗り、激励していった。このとき、集められた三十名の中の一人は、その後創大一期生、創大大学院一期生となり、現在、埼玉県にある私立大学の教授をしている方もおられる。その方は当時を回想して、先生の激励に「こんな成績の悪い自分のことも先生は大事にして下さる。可能性を信じて下さっている。絶対に先生にお応えしよう。」と決意して猛然と勉学に励み、力をつけていったことを回想されていた。
学園生の中から何人か飛び抜けて優秀な生徒が出て活躍してくれれば、あとはどうなってもいいという態度ではない。学園生を一人ももれなく勝利者にしていこうという深い情熱がそこにはあった。これこそ全学生に対する公平さの証である。そして、全学生を公平に大事にしていけるのは、教育の目的を生徒自身に置いている証である。
創価教育に通じる齋藤秀雄の生き方
小澤征爾をはじめ、世界に通用する音楽を数々育てたことで知られる齋藤秀雄(1903〜1974年)は、チェロ奏者でもあったが、演奏家や作曲家が生活の糧のために音楽大学の教壇に立つことが多い中で、教育者としての天命を全うした人であった。
小澤征爾は対談の中で師・齋藤秀雄について、こう語っている。
「先生のレクチュアの方法は、ピラミッドがあるとするでしょう。普通の先生は、ピラミッドの一番上が目立つからそこを教えたがる。普通大体そうなの。あの先生は、底辺の生徒を教えたがった。(中略)教育者として一番おもしろいのは、できないやつが、少しでもできるようになることだって。」(小澤征爾・武満徹『音楽』新潮社刊、1981年)
こうして育てられた弟子達が、恩師への感謝を表し、また、恩師を称えるために、年に一回、世界中から長野県松本市に集まって「サイトウ・キネン・オーケストラ」として演奏している。真に偉大な教育者の生き方は不思議と創価教育に通じるところがある。
牧口先生「教育の目的は児童の幸福」
創価教育の創始者である牧口常三郎先生は、戦前の軍国主義の統制下にあって、天皇の臣民を育成するという目的で教育が行われていた時代に、教育の目的は児童の幸福にあるべきであることを勇気をもって主張された、尊い教育者であった。
いったい、国民教育の目的は何であろうか。(中略)可憐な児童たちを、どうすれば将来もっとも幸福な生涯を送らせることができるかという問題から入っていくほうが、時にかなった適切なことを感じるものである。(牧口常三郎『地理教授の方法及内容の研究』)
これが創価教育の心であり、この心が失われてしまったらそれは創価教育ではない。病気と戦っている学生がいるならば、真っ先に激励の言葉をかけ、そしてその学生の健康を真剣に祈るような教授の姿こそ、真の創大教授像であると信じる。
教育の目的を学生に置く教育観は世界の偉人の共通するところである。インドの独立のために非暴力の闘争を貫いたマハトマ・ガンジーは次のように語っている。
「私の言う教育とは、子供や大人──肉体・心・精神──の最善のものを全面的に引き出すことである」(ガンジー語録『抵抗するな・屈服するな』クリパラーニー編、古賀勝郎訳、朝日新聞社)
受験者全員にまで及ぶ慈愛
創立者の平等感は全学生だけにはとどまらない。入学試験に不合格となった受験生にまで及んでいる。
創価大学の創立当時のことを記された、小説「新・人間革命」第15巻「創価大学」の章に、昭和45年に行われた第一回の入学試験が行われた当時の模様が記されている。出願者が定員の十何倍にも及んだことを職員が大喜びする一方、創立者だけは顔を曇らせ、次のように語る。
「そうか……。伝統も何もない創価大学を、そんなにたくさんの人が、あえて志願してくれたんだね。ありがたいね。しかし、そのなかの多くの人が不合格になってしまうんだな。そう思うと、かわいそうでならない。本当にかわいそうだ。なんとかできないかね」
この言葉に職員たちは驚き、創立者の限りなく広い慈愛の姿に人間教育のあり方を学んだという。
創立者には創価大学で学ぶことを希望して受験してくる生徒たちが全員いとおしいのである。その平等感は果てしなく広い。創価学園の不合格者に対して池田先生は何度か伝言を送られたことがある。「創価学園を受験された皆さんは全員学園生と同じです」と。
大学は大学に行けない人のためにある
またある時、創立者はこうも言われた。
「学問は特権階級の独占物ではない。大学は、大学に行けなかった人のためにある。」(「世界の大学への道1モスクワ大学」聖教新聞、2007年)
「威張る人間をつくるのは大学の敗北である。大学は大学に行けなかった人に尽くす指導者を育てるためにある」(「世界の大学への道5グアダラハラ大学」聖教新聞、2007年)
「学歴至上主義は、人間を狂わせてしまう。『いい大学を出たから、私は偉い』。そうやって庶民を見下すような人間を生み出すだけならば、何のための教育か、わからない。大学は、大学に行けなかった人たちのためにある──私は、この信念でやってきた。庶民に尽くす指導者を育てるのが、真実の大学なのである。」(2008年8月8日 創大・学園合同研修会での創立者のスピーチ)
これほどの逆説的な言葉を発する大学創立者は他にはいまい。創価大学で学んだ卒業生が将来、特権を享受して弱者から搾取するような悪しきインテリとなるのか、本当に弱い立場にいる民衆のために身を粉にして戦っていく人間主義のインテリとなるのか。もちろん、創立者は後者を勧められているのである。
このことは、教育の目的が学生自身の幸福にあるという牧口先生の哲学と何ら矛盾しない。それどころか、民衆のために自らの身を惜しまずに戦う生き方の中に、究極の幸福があり、創大生の真の勝利の姿があるのである。
創価大学への入学が叶わなかったものの、池田先生の弟子として庶民の真っ只中で人間主義の闘争を続けている健気な方々が大勢いる。その方々が「自分の分まで」と、真心の浄財を創価大学に寄付して下さったり、わが子や地域の中高生を創価大学に送り込もうとして懸命な努力をされている姿に接する時、本当に心から頭の下がる思いがする。創大生はこのような方々への尊敬と感謝を忘れない一人一人であってほしい。間違っても自分が優位に立っているような感覚を持ってはならないと思うのである。
不公平な教育者の本質を見抜け
創価大学に、かつて、優秀な学生ばかりを自分のもとに集めて可愛がる教授がいた。その教授は話術も巧みで学生に知的刺激を与えることに長けていた。特に自分の講義を取っている1・2年次の学生がいいレポートや答案を書くと、たちどころに目をつけて、授業外でもそうした優秀な学生に声をかけ、自分の研究室に呼んでお茶を出しながら親切に懇談する。そして、自分のゼミに入るように、ある場合には言葉にして、またある場合にはそれとなく、誘いかけていた。
学生から見たときに、教授の側から自分に関心を持ってくれて、声までかけてくれる教授の存在は、ある種の幸福感をもたらすことさえある。そして、3年次にはその教授のゼミに入り、なおいっそう懇切丁寧な指導をしてくれる教授に対し、まるで徒弟制度と見まがうほどにその教授に付き従っていく姿があった。教授のゼミは、その崇拝者が集まるセクトのようにいつしかなっていた。
徹底的に心酔する学生がいる一方で、別の一群の学生の間では、教授の評判は頗る悪かった。それは、彼の眼から見て優秀ではない、あるいは自分の講義の主旨を理解しないと見た学生に対しては極めて冷淡で、まじめに全講義に皆勤しても、自分が求めた答案を書いていないというだけで、単位を不合格とする成績を平気でつけた。可愛がる学生とそうでない学生との間に、意図的に大きな落差をつけるようにしていた。冷遇された学生からの悲鳴を私は何度となく聞いた。
その教授は、冷遇された学生にとってはもとより、可愛がられた学生にとっても真の意味でいい教師とは言えなかった。それは、彼が可愛がる目的が、学生に置かれていなかったからである。一つの目的は、自分の理論の賛同者を作りたかったのであり、また別の目的としては、優秀な弟子の存在を自分の飾りにしたかったのである。じじつ、彼はよく自分のゼミから国立大学大学院に何人進学したとか、海外で活躍しているとか、教え子の華々しい活躍を、しばしば自分の手柄として自慢していた。結局、厳しく言えば、目的は自分自身にあり、学生は手段に過ぎなかったのである。その証拠に、優秀だった学生が健康状態や様々な状況の変化のために力が発揮できなくなったとき、その教授は途端に冷淡になり、見放していったという。真の教育者ならば、そのときにこそ全魂込めて激励しなければならないのに、である。
このように、極端に崇拝する学生と極端に嫌悪する学生とに分かれるような教授は、創価教育にふさわしい教育者とは言えない。彼は、たまたま他大学から誘いを受けて移籍して行って今はいない。現在の創価大学にはそのような教授は一人もいないと信じたい。しかし、仮にそのような教授が今なお創価大学にいたとしても、賢明な創大生ならば、自分が依怙贔屓(えこひいき)され、可愛がられたからといって、簡単に心酔するような学生であってはならない。むしろ、そうした教授の本質を見抜き、教授の学問だけは盗んで心は許さないことだ。学生のための大学だからこそ、学生が教授に利用されてはならない。むしろ、学生が教授をいい意味で利用するぐらいであってもらいたいと思う。
創大生との偶然の出会いを作ろうとされる創立者
池田先生は、年に数回、車で大学キャンパスをまわってくださる。その時、たまたま歩いている学生の姿を見かけると、それが誰であれ、車を停めて窓を開け、声をかけられる。
「お父さん、お母さんは元気?」「はい、地元の北海道で元気にしています」「お父さん、お母さんにくれぐれもよろしくね。親孝行するんだよ」
「何年生だい?」「4年生です」「就職は決まったのかい?」「はい、○○銀行でお世話になります」「よかったね。体に気をつけて頑張るんだよ」
等々と、本当の家族のような、親しみのある会話をされる。
私が注目したいのは、先生は学生を選んでいらっしゃらない、ということである。学生の間では、「よく頑張っている学生は先生に会える」とか、「先生に会えるのは福運のある学生」といったことがささやかれているのを耳にすることがある。たしかに、そういう捉え方も大事だろう。しかし、先生の側から見れば、「誰でもいいから創大生に会いたい」「創大生ならば、それが誰であれ、激励したい」とのお心でいらっしゃることは間違いない。実際のところ、たまたま通りがかった学生がどういう学生かわからないし、それが創立者に対して全く関心のない学生である可能性もあり得るはずだが、たとえそうであっても先生は、その出会いの縁の中で、その学生を最大限に激励されるであろう。だから、できることならば創大生には、たまたま出会ったその学生に向けられた慈愛の言葉は、自分にも向けられていると知ってほしい。つまり、一人の学生が先生にお会いできたならば、先生とお会いしたいと思っている学生全員が、その喜びを共有すべきだと思う。だから、私は、創立者と学生との偶然の出会いの話は、いろいろな折りに他の学生にも話すようにしている。その話を聞いて、「うらやましい」「お会いできない自分は寂しい」とは思わないでほしい。一人の学生がたまたま受けた激励を、自分が受けた激励のように感じて、「うれしい」「何と慈愛にあふれた先生なのか」「先生のお心にお応えしよう」と、喜びをもって勇気を奮い起こしていく学生こそ、先生の心がわかる学生であり、直接お会いできなくても、お会いした以上の価値を得られる人であると信じる。
苦闘・奮闘・求道の学生への激励
いずれにせよ、特別な学生だけを選んで出会いを作ろうとはされないのが、先生である。
そこのことを大前提にしたうえで、時には一部の学生に手厚い激励をされることもある。例えば、先にも述べたように、学園の成績不良者だけを集めて激励されたエピソードは、ある観点から見れば、その生徒たちだけを手厚く激励されたとも見えるが、それはその生徒たちこそが今、激励を必要としている人たちだったからである。
その意味で、池田先生は、創大生の中の特にある一部の学生に集中的に激励をしてくださることがある。第一に苦闘している学生、例えば「親がいない学生」「経済的に苦しんでいる学生」「大変な苦労をして創大に飛び込んできた学生」など。第二に奮闘している学生、人一倍努力をし、真剣勝負の戦いに挑もうとする学生、例えば、司法試験を受験する学生、野球などのスポーツで重要な対外試合に臨もうとする学生などである。そうした学生こそが今一番自らの心と戦っている学生であり、激励を必要としているとの観点から、重点的に激励されるのである。
これも激励の目的をご自身ではなく、学生の側に置いてくださってのものであるから、これは不公平と言うべきではないのである。
今述べた、苦闘・奮闘には、もう一つの要素が求められる。本学学生課では学生が創立者に手紙を届けたい時に仲介させて頂いている。一枚の簡潔な報告用紙も用意している。先生から学生のお手紙に対して返事のご伝言が届くことも珍しくない。創立者に全く見向きもしない学生であっても創立者ご自身は平等に大事にされるが、その一方で、創立者を求めてどんどん自身の状況をご報告する学生に対しては、それ相応によく反応される。話しかければ答えが返ってくる。それはある意味当然のことであって、別の観点からみればこれも公平なのである。だから私は創立者にどんどんご報告をすることを学生に勧めている。
師弟とは弟子が決めるもの
過日、ある低俗週刊誌が、池田先生の後継者と目される創価学会幹部を適当に論評しながら、これという後継者を育てていないのではないかと揶揄しているのを読んだ。このような言辞に触れて何が最も腹立たしいかというと、池田先生ほど全力で弟子を育成され、その成長を待っていらっしゃる指導者、これほど青年を大事にされる教育者は他にはいないのであって、その先生がこのような論評をされる謂われは全くないということである。これほどまでに大勢の後継の全青年、全創大生に対して、一人一人に平等に期待をされ、激励・薫陶をされている先生のことを、後継を育てていないなどと言わしめてしまうならば、池田門下生の一人としてこれほど悔しく、申し訳ないことはない。池田先生ほど偉大な教育者はどこにもいない。しかし、そのことを証明できるのは先生ではなく、門下生しかいないのだ。
池田先生は常々「師弟というものは弟子が決める」と言われている。師弟関係は、弟子の側が真剣に求めなければ成立しない。全く弟子次第であり、弟子に懸かっているのだ。
池田先生も戸田先生に後継を指名されたから人生を戸田先生に捧げると決意されたのではない。池田先生ご自身の心に自ら望んで戸田先生に人生を捧げ、不二の戦いをされた。そうした不二の弟子が、結果として池田先生しかいなかったのだ。だから、戸田先生が「大作にすべてを託す」とおっしゃったときには、もう誰の目にも戸田先生の後継は池田先生しかいないと見えていた。
私たちがもし自らを池田門下生と名乗るならば、たとえ自分の平凡さを自分が一番よく知っていて、決して傑出した弟子ではなくても、自身の心において「自らが先生の後を継ぐ」と決めて戦うべきである。真の池田門下生が誰か一人どころか、綺羅星の如く陸続と現れる姿を、先生は強く深いお心で待ち望み、そして今、青年に熱いメッセージを送り続けられているのではないだろうか。
この師弟観は教授と学生の関係にも全く当てはまるであろう。自分のことを依怙贔屓(えこひいき)してくれる教授がいたから、その人を学問の師と決めたのでは、あまりにも受身的である。自ら教授の学問に敬意を持ち、取捨選択し、求めていく姿勢が重要である。そうであれば、先に述べた不公平な教授に惑わされることも、振り回されることもないはずではないだろうか。
私自身は創大教員として、もちろん自分の授業やゼミを取りに来る学生に対する責任を果たさなければならないことは当然として、そのうえで全創大生の成長のために見えない土台となってお役に立ちたいと決意している。
(2009.5.11 総合科目「人間教育論」講義より)