人間学の探究(2)〜人間の定義(その1)〜

山岡政紀(YAMAOKA Masaki)


 

0.はじめに〜人間の定義の歴史〜

 

 人間という一つの生物種を研究する科学は本来、一つのものであるはずである。しかし、17世紀以降の近代科学の歴史は、要素還元主義的なパラダイムのもと、細分化し、専門分化して今日に至ったために、人間のどの側面を探究するかによって科学は、社会学、経済学、心理学、言語学などといった諸科学に細分化されている。その母体たる人間そのものの探究に視点を戻すことが人間学という科学であるならば、前稿(山岡(2008))でも論じたように、人間学は常に学際性を要求されることになる。

 18世紀の生物学者リンネが人間を生物の一種として他の生物から区別し、Homo sapiensという学名を与えた。ここで、人間を他の生物種と区別して定義的な名称を与えること自体は、生物学における必然的な作業であったと認められるが、その学名にいかなる命名を与えるかということについては、当時のごく一般的な「知恵ある人」という定義を採用したのみで、本質的論議を行ったわけではなかった。生物学という専門性の中にいたリンネにそれを委ねるのには無理があったと見るべきであろう。

 その後、多くの先人がこの人間の定義に挑戦し、Homo faberHomo ludensいったよく知られる言葉を残すに至った。そこに関わった人々は、いずれも細分化された科学の専門的知見をもった人々であったが、同時代、同分野の研究者たちと比べて遙かに豊かな学際的知見をもった人々でもあった。また、そうでなければ人間の定義を口にすることなど不可能であったと言うべきかもしれない。ただ、いかに学際的視点をもっていても、出発点の違いがそれぞれのパラダイムの差異を産み、異なった人間の定義を産み出したという事実は免れないだろう。真に“人間学”と呼べる科学が存在し得るのであれば、その視点からの人間の定義が最も本質的なものであるはずである。

本稿と次稿の2編にわたり、この「人間の定義」の主要なものについて、出典の原著になるべく沿う形で主旨を要約し、論評を加えることにする。この作業は、人間学諸分野に関わった主要人物の人間観を概観することにもなる。そのうえで、どの定義がより本質を捉えているのかを検証していきたいと考えている。その方法は、どの説明が最も普遍的であるかを見定めることである。つまり、AとBの二つの定義があるときに、Aの定義によってBも説明が可能であり、Bの定義ではAが説明できないとすれば、Aの方がより本質的であるということになる。その意味で他の定義を含んですべて説明可能になるような一つの定義があれば、それが最も普遍的で本質的な定義ということになる。

この作業は既存の人間の定義から一つの本質的な人間の定義を導き出そうとする原点回帰的な作業となるが、人間の本質を探究する真の“人間学”から発された原点的説明とほぼ等質の結論に達するはずであると筆者は予測している。それは人間として生きることの意味を人々に示すものでもあることを期待しつつ、本稿の議論を始めたい。

 さて、リンネが人間にHomo sapiensという学名を付与したとき、人間は何をもって人間たり得るのか、つまり、人間は他の生物からどのように質的に隔絶しているのかを念頭に置いて名称を考案したはずである。本稿ではこれに続く諸論をすべて「人間の定義」として議論の俎上に載せたいと考えている。

 なおここでは、人間と他の生物とは互いに一つの生命系を成す連続体であるという点では生物的特徴の大部分を共有しており、本稿で取り上げる諸論においても、たびたび人間と他の生物との連続性に対する言及が行われる。その場合、「定義」というような示差的なものではなく、「人間の本質規定」などと表現すべきかもしれないが、その多くは、人間中心主義(anthropocentrism)を支える人間の特権意識や優越感に対する逆説として主張されたものである。このような人間に対する価値評価をとりあえず横に置いたうえで、なおかつ我々は人間の特殊性に目を向けなければならないと考える。ともあれ本稿で用いる「定義」という用語は、人間の優越性を決して含意しないことを最初に述べておきたい。

 本稿で取り上げ、論評する「人間の定義」を以下に列挙する[i]

 

人間の定義, 和訳

出典とその著者

Homo sapiens, 英知人

スウェーデンの生物学者リンネ『自然の体系』1735

Homo phaenomenon, 現象人

Homo noumenon, 本体人

ドイツの哲学者カント『人倫の形而上学』1797

Homo faber, 工作人

フランスの哲学者ベルクソン『創造的進化』1907

Homo ludens, 遊戯人

オランダの歴史家ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』1938

Homo patiens, 苦悩人

オーストリアの精神科医フランクル『苦悩する人間』1950

 

1.リンネのホモ・サピエンス

 

日常生活における生物呼称は、個別言語やその背景にある個別の文化によって、直観的に把握された境界線によって同類と異類の認定がなされている。そこでドイツの哲学者ユンク(Joachim Jung, 1587-1657)は、そうした日常的な生物呼称とは別に、生物学的な根拠に基づくことによって個別言語に左右されない生物名称を設定した。ここで用いられたのが、ラテン語の属を表す名詞と、種を表す形容詞の組み合わせによる二名法であった。

スウェーデンの植物学者リンネ(Carl von Linné, 1707-78)は、Linné1735)(『自然の体系』[ii])において、生物の体系的分類法を示した。これは、綱、目、属、種、科と訳される重層的な分類段階を立て分けたものである。また、ユンクの二名法を正式に「学名」として採用し、体系的分類法に基づく普遍的な生物名称として、生物学界で共通して使用することを提唱した。この際に、彼が人間に対して与えた学名が、ホモ・サピエンス(Homo sapiens, 英知人)であったHomo は名詞「人」、sapiens は形容詞「知恵のある」の意であり、日本語では「知恵ある人」「叡知人」とも訳される。

人間は、他の動物と同じ身体的特徴を多く持っているが、理性によって動物的衝動を自律的に制御できるという特徴を有している。この特徴をもって人間は他の動物と一線を画す、神に似たる存在であるとされたのである。このことが、人間がその文明史の中で暗黙の了解として継承してきた「人間の尊厳」の根拠の一つとなっている。

なお、原義において形容詞sapiensは、名詞Homo(人)を限定的に修飾している。つまり、Homo sapiens は大集合Homo の部分集合ということになる。人類の進化過程において、形質上、現代の人類と異なるとされる諸段階に対して、ホモ・ハビリス(Homo habilis, 器用人)、ホモ・エレクトゥス(Homo erectus, 直立人)などの学名が与えられている[iii]。つまり、そうした過去の人類と対立する現在の人類を限定的に示すのがHomo sapiensであり、その場合のsapiensは限定用法である。しかし、現代における共時的な学名として考えれば、人類は1種類しかないので、sapiens は限定用法ではなく叙述用法ということになる。つまり、「人間とはすべて知恵あるものである」、「誰もが知恵をもっている、そういう生き物である人間」というような意味になる。本稿で議論する人間の定義は、すべて現代文明の中に生きる共時的な人類であり、Homo の後に現れる形容詞はすべてこの叙述用法であると前提して、次節以降の議論も進めて参りたい。

話を戻して、形容詞 sapiens の「知恵ある」とはどういうことか。極めて抽象的で直観的な定義のようでもあるので、もう少し精査しておく必要があろう。一つには、言語的知識や数学的計算を含む科学という営みの主体となり得ること。これは近代科学の時代に生きる我々の感覚から言えば、当然のごとく人間の独占的能力であるからわかりやすい。

もう一つは、自分を知り得ること。この解釈では科学という概念と切り離して考えることもできる。自分の顔や姿、名前、さまざまな身体的・人格的属性を自覚的に知り、しかも、自分の名前は某であるとか、自分の身長は何cmだとか、自身に関する知識を記述的に述べることもできる。これも人間の独占的能力と言うべきであろう。

ここで注目したいのは、Linné1735)初版本において、他の生物に対しては詳細な記述が行われているのに対し、Homo sapiensの記述には”Nosce te ipsum”(ラテン語で「自分自身を知れ」の意)としか書かれていないことである[iv]。これは上述の後者の解釈を支持する根拠となるが、前者の解釈も含み込むことで、生物学から人間学を際立たせる論理そのものである。

生物学という理論を考案し、生物に学名を与える営みを行っているのも、当然ながら人間のみである。人間以外の生物は、生物学の対象にはなり得ても主体にはなり得ない。人間のみが、「科学の主体であり対象でもある唯一の生物」なのである。そのことの持つ、質的な特異性そのものが、人間という生物が持つ論理的特異性ということになる。

つまり、人間がいかなる生き物であるのかを記述しようとする時、その結果としてかくかくしかじかの特異な生き物であるという記述を得る以前に、そのような記述行為を自らに向けていること自体が既に論理的特異性を示しているのである。

このような観点から、「知恵ある人」の「知恵」の持つ抽象性を、論理性に変換して人間の定義とするならば、「自らを記述しようとする人」と言い換えるのが妥当であろう。

このことから逆に人間学の特異性を見つめることもできる。人間が生物を記述するのが生物学であるならば、人間が人間を記述するのが人間学である。このように見ると、人間学は、言語が言語を記述するメタ言語のような、メタ的な特異性を有しており、結果として人間学は生物学とは異種の科学となるのである。

 

2.カントのホモ・フェノメノンとホモ・ヌーメノン

 

前稿において、近代的な哲学的人間学の原点とも言うべきカント(Immanuel Kant, 1724- 1804)の「現象人と本体人」について言及した。これは、近代科学の成立過程で形成されていったデカルト的物心二元論の潮流のなかで、敢えて人間自身の理性に目を向けた理論であった。

その元になる考えは、Kant(1781/1787)(『純粋理性批判』)に遡る。ここでは、人間が諸対象を直観するときの様式をフェノメノン(現象)とし、諸対象の性質それ自体をヌーメノン(本体)として、すべての対象一般をこの両者に区別し得ると論じた。これは実在と認識との関係を厳しく問うたものである。すべての対象は人間の直観的認識によって捉えられるものであるから、人間は基本的にフェノメノンの世界に生きている。それと同時に、認識を離れた実在という概念も同時に持ち合わせている。それは言語的、理論的に構築される先験的な実在としてのヌーメノンである。この両者の対立は、のちのドイツの論理学者フレーゲ(Gottlob Frege, 1848-1925)が論じた言語の指示対象におけるジン(Sinn)とベドイトゥング(Bedeutung)との関係を想起させるし、その問題の本質は共通していると言えるだろう[v]

この両者の対立は、人間と諸対象との関係における二通りのあり方を示したものと言えるが、カントは人間を対象とした場合のその性状規定にこのフェノメノンとヌーメノンとの対立を応用したのである。すなわち、Kant(1797)(『人倫の形而上学』)において、人間の本質とはホモ・フェノメノン(Homo phaenomenon, 現象人)とホモ・ヌーメノン (Homo noumenon, 本体人)という二つの属性の二重性とその緊張関係であると述べている。

「現象人」とは、ありのままに実際に現れている人間の姿そのものである。つまり、他の動物と同様に具えている自然的欲望を持ち、自らの理性を欲望に従属させる存在として人間である。いっぽう、「本体人」とは、人間とは本来かくあるべき存在であるとされる姿であり、人間にとっての人間自身の倫理的実体である。それは、自らに行動規範を課し、道徳法則を守る主体として、自らの欲望を理性に従属させる存在としての人間である。

この二つの属性のいずれかのみでは人間の定義とはならない。その両方を具えた存在、すなわち端的に言えば、欲望の衝動に動かされながらも、理想や道徳を追求するのが人間であると信じている、その二重性と緊張関係こそが人間の本質であると、カントは主張しているのである。

人間はその欲望ゆえにしばしば犯罪を行う。犯罪を行うのは現象人である。そして、近代的法治国家のもとでは、人間はその理性によって刑罰を制定して犯罪を規制する。法律や刑罰は本体人の所産である。同じ人間が法律を作ったり破ったりする、その緊張関係もまた、現象人と本体人の緊張関係の一つの現れである。

この両者の関係は、言語学者ソシュール(Ferdinand de Saussure, 1857- 1913)が提唱した、言語におけるパロール(parole)とラング(langue)の関係と酷似している。我々が話す言語は、記述的[vi]に見れば常に言い間違いや言い淀みや様々な不規則要素に満ちている(パロール)が、同時にこれが正しいという規範的な文法規則(ラング)を頭の中に持っている。そうした規範的な文法を形にしたのが文法書であったり辞書であったりするが、実際にその規範通りに話す人は一人もいないのが実態である。これは、言語における規範性と記述性の緊張関係を論じたものだが、カントの現象人と本体人の関係もほぼこれと等価である。ソシュールのラングにおける文法規則は、カントの本体人における道徳規則に相当する。このように、現象人と本体人の関係とは、人間そのものにおける記述性と規範性の緊張関係と見ることができる。

ソシュールは、言語学とはラングにおける規範的な文法規則を研究する学であるべきと主張したが、人間においては、本体人が有する行動規範に注目すると同時に、なぜ人間はその行動規範どおりに生きられないのかという現象人の側面を探究することも重要である。弱い自分を乗り越えて強くなろうとしたり、狭い自分を拡大して寛くなろうとしたりするのは人間だけの特質である。カントの人間観から言えば、その弱い自分も強い自分もどちらも人間の真実であって、その二面性こそが人間の人間たる所以なのである。

 

3.ベルクソンのホモ・ファーベル

 

フランスの哲学者ベルクソンHenri Bergson, 1859-1941)は、Bergson(1907)(『創造的進化』)において、人間の知性の本質を創造性であるとの考えを示し、人間にホモ・ファーベル(Homo faber, 工作人)との定義を与えた。当該箇所を引用する[vii]

 

人類を規定するのに、歴史時代および先史時代を通じて人間と知性の不変の特徴とみなされるものにのみ厳密に限るならば、おそらくわれわれは、ホモ・サピエンス(知性人)と言わないで、ホモ・ファベル(工作人)と言うことであろう。要するに、知性とは、その根原的な歩みと思われる点から考察するならば、人為的なものをつくる能力、とくに道具をつくるための道具をつくる能力であり、またかかる製作を無限に変化させる能力である。

 

人間は目的に従って道具を制作する。寒さを凌ぐことを目的として衣服を創ったり、雨露を凌いで生活を営む目的で住居を創ったり、食材を焼くことや暖を採ることを目的として火を創ったりする。

もちろんベルクソンは、動物の中にも一種の道具を製作する事例があることに言及しているが、彼の創造的進化論において、動物の制作活動と人間の創造活動を質的に隔てる決定的境界線として述べられている内容を簡潔にまとめるとすれば以下のようになる。すなわち、@自己形成の創造活動、A自己の創造活動の反省、B創造活動における他者との協調、などである。

さらには抽象的な概念にまで拡張すれば、個人との間で人間関係を創ったり、一定のコミュニティの中で役割分担をすることで社会を創ったりもする。このように、人間の生きる営みにおける事物の創造性とは「自由意志に基づく自在の変形」にあるようである。

自己形成は、自身のセルフ・イメージを明確に持つところから始まる。先に人間の創造活動の事例として、寒さを凌ぐために衣服を創造することを挙げたが、人間は自身が他者からどう見られるかを常に意識しており、それぞれの民族の文化に随って自身の身体を隠し、自らが理想とする姿のイメージに近づくように衣服の素材や模様や色彩などを選択する。このような行為は、まさに人間のみが行う行為と言える。

また、自己の創造活動を反省することによって、創造方法の効率性や利便性などを追求し、創造の方法を改良することができる。また、創造方法を言語化することによって、創造活動を記録したり、他者に伝達したりできるようになる。この点も動物にはいっさい見られない人間の創造活動の特徴である。

さらに、そのような創造活動の反省が、創造活動における他者との協調を可能にし、そこに人間だけが有する社会性も発生していく。ベルクソンはこのような人間の創造活動の特徴を的確に述べている。

それ以前に、アメリカの哲学者フランクリン(Benjamin Franklin1706-1790)もまた、「人間は“道具を作る動物(a tool-making animal)である」と定義的な表現で述べているが[viii]、この表現だけでは、鳥が材料を収集して巣を作る行為と人間の創造行為との決定的境界線を引くことができない。その意味では、ベルクソンが創造活動における自己反省や他者との協調をもって人間の創造活動を唯一的なものと限定し得たのだと言える。

付け加えて論じるならば、人間は創造を行う前に、想像を行っている。家を建てる前にまず設計図や外観のパースを作成し、そうやって先に描いた計画どおりに家を創造する。どのような家を建てたいかという理想の想起が、創造行為に先行している。まさに理想を現実化するということが人間の創造のプロセスなのである。

そして人間は常に価値あるもの、すなわち美しいもの、利あるもの、善なるものを理想として思い描き、それを創造しようとする志向性を持っている。

結局はこのことも人間だけが持つ尊厳観に行き着く。人間は尊厳観を持つからこそ、その尊厳なるものを創造せんとする規範的志向性を持つのである。そこに人間を人間たらしめる所以を見出すことができる。

 

4.ホイジンガのホモ・ルーデンス

 

オランダの歴史家ホイジンガ(Johan Huizinga, 1872-1945)は、インド古代史や中世史研究で知られる大家である。特にヨーロッパ中世における文芸復興と、その精神的基盤であるキリスト教文化について論じたHuizinga (1919)(『中世の秋』)は、彼の博識と論述の重厚さを証明する研究書として広く知られている。この書の重厚さ、堅実さとは趣を異にする文化史論の大著として、同じホイジンガが後年著した大著がHuizinga (1938)(『ホモ・ルーデンス』)である。その書名ともなっているホモ・ルーデンス(Homo ludens, 遊戯人)は、人類のあらゆる文化に遍在する「遊び」をもって人間の本質を規定した用語である。極めて独特の視点で論述されたこの大著は、真面目な歴史家が不真面目な文化論を発表したという逆説めいた話題性が、当時、賛否両論を巻き起こした[ix]。しかし、現在においてこの著こそホイジンガの主著であると誰もが認め、また、彼自身もこの著をライフワークと位置づけて取り組んだものであることはほぼ疑いのないところである。

「遊び」とは文字どおりの理解より広義な用語で、我々人間の文化に満ちあふれるところの余剰、すなわち、生命維持のための生理学的な動機づけをもたずに自己目的化した行為の総称である。本書には次のように記されている[x]

 

遊びのなかでは、生活維持のための直接的な必要をこえて、生活行為にある意味を添えるものが『作用し』ているのである。

 

仕事は生活維持のために必要なことだが、人々は仕事のない休日に、単なる休息を超えた趣味の時間を持ち、魚釣り、競馬観戦、切手収集といった、ほとんど無価値と思える「遊び」に、異常な情熱を燃やしたりする。このように「遊び」を余剰として捉えることから出発し、その目で人間の文化を見直してみると、そのほとんどの本質に「遊び」の要素があることが見てとれる。ホイジンガは本書において、法律、ある種の戦争、学問、詩、哲学考察、音楽、舞踊、スポーツなどの諸文化から、それぞれ「遊び」の要素を抽出してみせるという、徹底した分析を行っている。

もっとも、彼の目的は、人間の文化の本質を明らかにすることではあっても、人間と他の動物の質的差異を明確にすることではなかったと見られる。というのも、本書において、再三、動物の生活の中にも子犬がじゃれ合う姿に見られるような遊びの要素があることに言及しており、人間の遊びの複雑さや徹底ぶりと、動物の遊びの素朴さとは、程度的差異であって、質的差異ではないと捉えていることが見て取れるからである。

そして、本書第1章は「遊びは文化より古い」との書き出しから始まる。人類が類人猿の一種から進化するはるか以前から「遊び」を行っており、進化の過程で「遊び」に理性や創造性などの人間的要素が累加され、結果として人間独自の「文化」を形成するに至ったとする。その意味では、彼が論じる「遊び」は人間を含む生命系全体が持っているある種の余剰が、人間独自の「文化」という形を取って象徴的に現れた、という主旨の主張となり、人間中心主義(anthropocentrism)よりもむしろ生命中心主義(biocentrism)にむしろ足場があると言えるような主張であると理解される。

 彼が言う「遊び」は、表面的な遊戯ではなく、文化の本質にアプローチするがゆえに、非常に真面目で緊張感を伴うような文化も「遊び」として取り上げられることになる。例えばスポーツは、時に強い情熱を傾けて練習が行われ、そして高い緊張感のなか、試合が展開され、その結果、勝者は栄誉を勝ち誇り、敗者は敗北を嘆き悲しんだりするのである。そのようにスポーツを行うことが、健康増進といった生理学的目的とは全く別に、そこには人間の可能性の追求があったり、ある種の人間の美に対する追求があったり[xi]、名誉の追求があったりする。それもまた「遊び」なのである。

 さらに徹底して言えば、人間が食事を行う時のマナー、例えばナイフとフォークの使い方といったものも、栄養摂取という生理学的動機付けとは無関係の余剰である。結婚の儀式や儀礼もまた生殖行為とは無関係の余剰である。これらの場合、人間自身の尊厳を維持しようとする一種の美的感覚がその動機付けになっている。ホイジンガは、これらも広い意味で「遊び」と捉えていることが、本書から読み取れる。要は、ホイジンガにとって究極のところ「文化はすべて遊び」なのである。文化が向かう尊厳観は聖なる領域、すなわち宗教的領域にあるとしている[xii]

 

遊びは、ものを表現するという理想、共同生活をするという理想を満足させるものである。それは、食物摂取、交合、自己保存という純生物学的過程よりも高い領域のなかにある。(中略)人間の遊びは、すべてそこに何かの意味があったり、何かのお祭になっていたりするやや高級な形式に属している。それは祝祭、祭祀の領域──聖なる領域──に属している。

 

 ホイジンガの「遊戯人」と、後述するバルトの「記号人」との間には論点の類似性が見出せる。文化はそこに属する人間の行動をどのように規制するかというと、その文化に従った振る舞いに「快」や「美」を感じ、そうではない振る舞いに「不快」や「醜」を感じ、その直感的な感覚に従って行動規制がなされるという特徴がある。本能はある種の機械論的な行動規制により余剰に乏しいが、文化による意識的な行動規制は、このように主観的な感情によって規制されているため、個人差も偶発性も多い。この不規則さこそが余剰の本質なのである。本書に「この遊びの迫力は、生物学的分析によっては説明されないものだが、じつはこの迫力、人を夢中にさせる力のなかにこそ遊びの本質があり、遊びに最初から固有なあるものが秘められているのである」[xiii]とある。文化は記号の使用という主観的操作を社会的コードとして、客観世界と各個人の主観世界との間を橋渡ししており、そこに感情的な余剰が介在しているわけであるから、記号の使用と余剰としての遊びとは、表裏一体と言っても過言ではないのである。

 

5.フランクルのホモ・パティエンス

 

オーストリアの精神科医であるフランクル(Viktor Emil Frankl, 1905-1997)は、家族や多くの同胞がナチスによって強制収容所に送られ、その尊厳を剥奪され、死に至らしめられる光景を目の当たりにし、さらに自身も収容所送りを体験するという、およそ人間として最低レベルの苦悩を体験した人物であった。

彼は主著Frankl(1950)(『苦悩する人間』[xiv])において科学的人間学である生理学、心理学、社会学を、いずれも人間存在の意味を無視するニヒリズムであると指摘し、生理学主義、心理学主義、社会学主義との呼称で批判する。彼自身も心理学者と称されることがあるが、彼は人間の心を客観的に記述することを目的とする行動主義心理学を批判し、その一方で人々の主観的世界にリアルに存在する精神的苦悩の克服のために、実践的な治療法としてロゴセラピー[xv]という手法を開発していった。したがって彼は、心理学者ではなく、精神科医または精神医学者と呼ばれるべき人物である。彼の論述は科学批判を含む科学哲学的な色彩を帯びているが、それは彼自身の博識と問題意識の高さにより、結果的にそうなったのであって、彼自身は人間の苦悩と真摯に立ち向かった誠実な医学者なのである。

彼が科学的人間観を批判して用いたニヒリズムという言葉は、要は「意味否定」、つまり、人間の生活に満ちている“意味”を否定することに対して向けられたものである。ここで言う“意味”は、言語学用語としての「意味」と同義と考えても一向に差し支えなく、また、現代の認識論における「質感」(qualia)とも等価と見てよいであろう。そして、フランクルの関心は究極的には、「苦悩」の意味に向けられたのである。「苦悩の意味とは何か」、との問いは、「人間は何のために苦悩するのか」、さらには「人生にはなぜ苦悩というものが存在するのか」との問いにパラフレーズできるであろう。

このフランクルの問いかけが、深刻な苦悩をリアルな質感として体験する主体としての「人間」という生き物の特異性を浮き彫りにすることになる。それがホモ・パティエンス(Homo patiens, 苦悩人)なのである。

そして、苦悩の意味とは、それが何かの犠牲であると捉えることによって明確になり、それによって初めて苦悩を正面から受け止める人間の生き方が生まれる。それがフランクルにとっての苦悩の超克なのである。少し長くなるが、Frankl(1984)から主要部分を引用したい[xvi]

 

一言でいえば、非常に逆説的に聞こえるでしょうが、事物は、犠牲にされる価値があるのです。この犠牲−意味〔犠牲としての意味〕こそ、事物の本来的な固有の価値をなしているのです。そして、最終的に事物の価格を決定するものは、そのつどのより高次のもの、最終的には最高のものへの可能な犠牲、つまり、神の「賛美のための」、「より高い栄光のための」可能な犠牲なのです。そして、メフィストフェレスが『ファウスト』の中で「存在するすべてのものは、滅亡するに値する」と述べるなら、この言葉を次のように少し変えさえすれば、それを認めることができます。つまり、存在するものの価値は、より高次のもの、最高のもののために犠牲にされうること、滅亡する危険を冒して最高のもののために犠牲にされることに存する、と。

 

この記述の中にも既に表現されているが、人間が深い苦悩を伴ってまで犠牲を払うべき価値の究極は「神」であるとフランクルは考えている。ユダヤ教徒であったフランクルには、常にユダヤ教の神が念頭にあったが、彼はそのロゴセラピーが患者の信仰する宗派に問わずに普遍的な実存の追求に至るように、宗派性を限定する文言を一切用いないようにしている。したがって彼が言う「神」は、一神教ではない多神教の神にもパラフレーズできるし、極論すれば仏教が説く宇宙的自我にパラフレーズしてもかまわないように見受けられる。

 

 

参考文献

 

谷口孝男(2002)実践哲学ノート(24)」『北見工業大学研究報告』第34巻第2号、19-26

福留久大(2001)人間・道具を作る動物:フランクリンの人間論」『経済学研究』第68巻第23号、237-252、九州大学経済学会

山岡政紀(2008)「人間学の探究(1)系譜と方法論〜」『創価人間学論集』創刊号、59-73,創価大学人間学会

Bergson, Henri (1907L'évolution créatrice, Paris: Les Presses universitaires de France.(邦訳:ベルクソン著、松浪信三郎・高橋允昭訳(1966)『創造的進化』白水社)

Frankl, Viktor E.  (1950) Homo Patiens: Versuch einer Pathodizee, Wien: Franz Deuticke.

Frankl, Viktor E. (1984) Homo Patiens: Versuch einer Pathodizee, in Der leidende Mensch: Anthropologische Grundlagen der Psychothrapie, Bern: Verlag Hans Huber.(邦訳:フランクル著、山田邦男・松田美佳訳 (2004) 『苦悩する人間』春秋社)

Huizinga, Johan (1919) Herbst des Mittelalters, Stuttgart: Alfred Kroener Verlag,(邦訳[xvii]:ホイジンガ著、堀越孝一訳(1971)『中世の秋』中央公論社)

Huizinga, Johan (1938) Homo Ludens, a study of the play element in culture, Boston: Beacon Press.(邦訳:ホイジンガ著、高橋英夫訳 (1963) 『ホモ・ルーデンス――人類文化と遊戯』中央公論社)

Kant, Immanuel (1781/1787) Auflage der Kritik der reinen Vernunft,(邦訳:カント著、原佑訳(1966)「純粋理性批判 上」『カント全集 第4巻』理想社、カント著、原佑訳(1973)「純粋理性批判 下」『カント全集 第6巻』理想社)

Kant, Immanuel (1788) Kritik der praktischen Vernunft,(邦訳:カント著、波多野精一訳(1979)『実践理性批判』岩波書店)

Kant, Immanuel (1797) Die Metaphysik der Sitten(邦訳:カント著、吉沢伝三郎・尾田幸雄訳(1969)「人倫の形而上学」『カント全集 第11巻』理想社)

Linné, Carl von (1735) Systema naturae, sive regna tria naturae systematice proposita per classes, ordines, genera et species.

 



[i] 本テーマによる論考は紙幅の関係により、二編にわたる。次稿ではホモ・ロクエンス(Homo loquens, 発話人)、ホモ・デメンス(Homo demens, 錯乱人)、ホモ・シグニフィカンス(Homo significans, 記号人)、ホモ・レリギオスス(Homo religiosus, 宗教人)、ホモ・エコノミクス(Homo oeconomicus, 経済人)などを取り上げる予定である。

[ii] リンネの主著Systema naturae1735年に14頁で初版発刊後、たびたび新たな生物分類を追加して増補改訂を繰り返し、最終版となる第12版が1768年に発刊された際には2374頁にまで増えていた。日本でも『自然の体系』として生物学分野で知られ、内容も広く紹介されているが、直接の現代日本語訳は現存しない。

[iii] 自然人類学、形質人類学分野における過去の人類の学名。ホモ・ハビリスは230万年〜160万年前、ホモ・エレクトゥスは190万年〜2万年前の人類。20世紀終盤に発見されたホモ・アンテセソール(Homo antecessor, 78万年前の人類)、ホモ・ケプラネンシス(Homo cepranensis, 70万年前の人類)などにも順次この方法で学名が与えられている

[iv] 京都大学附属図書館にLinné1735)初版本の復刻版が所蔵されており、その写真画像がウェブサイトに公開されていて確認することができる。

[v] フレーゲによると、人間が「明けの明星」、「宵の明星」と認識している概念の指示対象(Sinn)と、先験的実在としての惑星「金星」の指示対象(Bedeutung)は別のものであるという。

[vi] 記述(describe)とは言語学の用語。規範性を度外視して、ありのままの実態を記録すること。例えば、日本語動詞「食べる」の可能形は、日本語教育や行政の公文書や放送用語などにおいて「食べられる」が正しい形とされているが、これは規範文法である。一方、日本人の日常会話を実態調査すると、9割以上において「食べれる」という「ら抜き言葉」が用いられている。このような実態をありのまま記録したものが、記述文法である。

[vii] 松浪他訳(1966) p.163

[viii] マルクスの『資本論』のほか、様々な文献で引用されているが、フランクリン自身の出典は明確ではない。これについて、福留(2001)の興味深い考察がある。

[ix] もっとも、Huizinga(1919)における、キリスト文化の裏面から抽出した隠語の研究などはHuizinga(1938)の「遊び」につながる端緒となっており、通底している。

[x] 高橋訳(1963)p.16

[xi] Ibid. p.18「遊びは深いところで美的なものと繋がりをもっている」

[xii] Ibid. p.33

[xiii] Ibid. p.19

[xiv] 1949年から1950年にかけてウィーン大学で行った講義をもとに出版したのがFrankl (1950)であり、山田他訳(2004)『苦悩する人間』はもう一冊の別の書とともに改訂再版されたFrankl (1984)をもとにしている。しかし、内容的な同一性の観点からこの訳語をここに当てる。

[xv] 神経症と総称される心の病は、人が自分の「生の意味」を見出せないことによって引き起こされると考え、患者が自身の「生の意味」を見出せるように援助することによって症状を緩和しようとする心理療法。実存分析とも呼ばれる。

[xvi] 山田・松田訳(2004)pp.177-178

[xvii] 同書の邦訳としては、真方敬道訳(1954)『創造的進化』岩波書店刊があるが、本稿での引用に際し、松浪他訳(1966)を用いた。

 

2009.3.16


 

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