人間学の探究(1)〜系譜と方法論〜
山岡政紀(YAMAOKA Masaki)
はじめに
歴史学、経済学、物理学といったよく知られた科学の分野の理論や具体的な方法論は、専門家でなくても、大多数の人々が何かしらのイメージを持っている。だが現状において、「人間学」はそうではない。人間を探究するということが、何に対してどのようにアプローチすることなのか、ほとんどの人にはイメージすらできないのではないだろうか。
しかし、「人間学」こそ、あらゆる科学が本来の目的を取り戻すために、重要な役割を果たすと筆者は考えている。その段階に到達したとき、人々のあいだでも「人間学」はあらゆる科学の基礎学としての明確なイメージが浸透していくであろう。
本稿では、そうした展望に立ち、現状の「人類学」を含めて、日本で紹介されている「人間学」諸分野の対象領域を概観し、それらの理論体系の整理を試みる。
1.人間を排除した近代科学のパラダイム
自然科学の一分野である生物学の下位範疇として、動物学や植物学があり、動物学の下位範疇として、昆虫学とか鳥類学とかサル学といった生物学的な種族の名称を冠した科学の分野があることは認めてよいだろう。
しかし、人間が動物の一種であるからといって、「人間学」を単純に生物学の下位範疇と位置づけることはできない。それは人間だけが精神・文化・知性を持つことによって発生した、個体の生活様態の多様さ、複雑な社会の形成、文明や科学技術の創造など、他の動物とは隔絶した諸特徴を有することに起因している。だからこそ、人文科学、社会科学という分野が生まれるのだから、人間学が自然科学の一分野であるはずがない。
その意味では、人文科学、社会科学はすべて人間学とも言える。まず人文科学。人間の歴史を研究するのが歴史学であり、人間の言語を研究するのが言語学である。同じように民族学も文芸学も人間文化のある側面を探究する科学である。今日のいわゆる哲学もまた、人間の理性、主観性、認識、論理の本質を探究する人間学である。同じように、人間社会の構造を探究する社会学をはじめ、経済学、政治学、法律学もある種の人間学と言える。
人間学が茫漠とした印象を与える理由の一つは、こうした人間存在の多様性にあるわけだが、その本質を産み出すもととなっているのは、人間の精神性にある。近代科学の急速な進歩が主に自然科学の分野において見られたという事実もまた、このことと無関係ではない。
自然科学を中心とする近代科学の成立は17世紀である。そこでは、事実としての現象を「客観的」データとして蓄積し、それら事実に一貫する法則を数学的方法で記述するので、経験科学とも呼ばれる。データと数学的方法によって、理論の正当性を厳格に評価する方法を持ち得たことは、自然科学の急速な進歩をもたらした。さらに、その応用である科学技術文明の恩恵を、人類が享受していることもまた事実である。
その前提にはデカルト的物心二元論がある。デカルト(1596〜1650)は、主体的に自己存在を自覚することのできる人間の思考、即ち「自我」に注目した。自我というものは、空間内における物理的実在としてはその存在を認めることができない反面、他者の存在を認知するおおもととしてのそれは否定し得ない実在であるという二面性を持っている。デカルトの有名な”Cogito, ergo sum”(我思う故に我あり)とのことばはこのことを表現したものである。この二面性は、科学の方法論に対しては、結果的に、人間の知覚においてしか得られないはずの「物理的世界」なるものを、我々の「自我」とは異質で、かつ我々に先行して存在するものとし、それによって、客観世界を措定することに寄与した。世界をデータとして扱うための基礎が整ったわけである。
これによって重大なことは、「感情、情緒、主観、信念」等といった、人間を特徴づけ、他の動物から区別する精神的要素は、デカルト的二元論によって科学から一切排除されてしまったのである。つまり、「人間」と「科学」とが相矛盾するものとなったわけである。池田大作は次のように述べている。
科学は、その限界ゆえに、その対象物にそなわっている独自の特性、たとえば定量化したり普遍化することのできない面を、どうしても捨象しがちです。とくに人間を対象とする場合、精神の独自の働きや、感情、意識といった微妙な性質等が排除されてしまいますね。(トインビー・池田(1975)より)
近代科学のもう一つの基本原理である“主体と客体の分離”は、デカルトの「機械論的世界像」から出てきます。(ログノフ・池田(1984)より)
さて、科学哲学の分野では、データの取り方そのものに、仮設された理論の枠組みが既に反映されており、真に客観的なデータというものは存在しないことを論じ、自然科学全体の基礎に問題提起をする議論がこれまでも多く提出されている。 ハンソン(1924〜1967)の「理論負荷性」や、より発展したクーン(1922〜1996)の「パラダイム論」などがそうである。日本では村上陽一郎(1936〜)らがこの議論を特に精力的に行っている。
このような、決して絶対的ではなく、人類史の中で17〜20世紀という特殊な時代の一つの過渡的な方法論に過ぎないパラダイムに支配されたことによって、人間を人間たらしめている要素である、その精神性は、近代科学の方法論の対象外となって排除されていったのである。
そのような科学史の流れの中で、人間の「心」という難物を研究対象とする「心理学」を、そうした近代科学のパラダイムの中に押し込めたのがワトソン(1878〜1958)であった。彼は、心理学が用いるデータを刺激と反応の相関に限定することを提唱した。つまり、無形の心理的現象を、何らかの有形のふるまいに置き換えることによって、自然科学と同様の「客観的データ」としたわけである。これがいわゆる「行動主義」と呼ばれる立場である。しかし、この方法では、無意識によるふるまいと、意志によるふるまいとを区別して記述することができないし、同様に、人間のふるまいと人間以外の動物のふるまいとを区別することもできない。この立場に立つ人にとっての「心」は、我々が、自らの自我を指して言うときの「心」とは明らかに異質のものである。本当の意味で精神的要素と呼べるものではなかったのである。現在の心理学もインフォーマントからデータを得て統計処理するという方法論が主流であり、大なり小なり「行動主義」に依拠している。
近代科学が「人間」を切り捨てて成り立つパラダイムであるならば、池田が指摘するように、文明もまた人間不在の機械文明となることは必然である。そうした問題提起のうえから言うならば、真の「人間学」とは、「人間」を特徴づける精神的要素を、捨象することなく正面から追究する科学でなければならない。しかし、それは近代科学のパラダイムのなかではなし得ないことであり、重大なパラダイム・シフトを必要とするのである。
2.人類学と人間学
人間は精神性を持ち、文化を持ったがゆえに、その生活形態も一気に多様化した。民族、地域、家族、個人と、どの単位で見ても、人間は他の生物と隔絶して、計り知れない多様性を有するに至っている。しかし、近代科学のパラダイムの中で、人間に対して客観的で普遍的な探究を行おうとする観点から、個人がもつ多様な個性や、精神の内面に対しては全く眼をつぶり、地域や家族に固有の特質に対しては、社会学(sociology)や地域研究(area studies)といった特定分野に任せて、主として民族単位以上に見られる人間の普遍的特質に対して、巨視的に把握していく試みがなされた。この分野はアメリカを中心に’anthropology’として発達した。日本ではこれに対して「人間学」と「人類学」の二つの訳語が用いられたが、個としての人間を捨象してマクロとしての人類を探究しているという理解から、一般に「人類学」の用語が好まれている。特に自然人類学(natural anthropology)、文化人類学(cultural anthropology)のように、定着した分野の訳語では「人間学」を用いることはまずない。いっぽう、全般的・総論的な研究著作に対しては、 Gehlen(1961)、Lepenies(1971)、Centre Royaumont pour science de l’homme(1974)などのように、原著の’anthropology’が「人間学」と訳される例が少なからずある。このように、日本における訳語は一貫していないが、今後の「人間学」が人間個人の精神性を射程に入れていくべきであるとの筆者の主張から言うならば、「人類学」と「人間学」の棲み分けがあってよいし、その意味で’anthropology’とは区別された’humanology’が確立してもよいのではないかと考える。
3.自然人類学
人間の属性のうち、近代科学のパラダイムで最も処理しやすいのは、その身体構造である。身体機能の次元になれば、もはや知的生物であることに起因する様々な特異性を記述しなければならなくなるが、身体構造のみに限定すれば、人間は哺乳類の一種として、他の哺乳動物とさほど大きな質的相違がないからである。このように考察対象を身体構造に限定することによって、人間を自然科学の方法論で探究してきたのが、自然人類学(natural anthropology)、または形質人類学(physical anthropology)と呼ばれる分野である。
特に人骨から推定される人類の形態的特徴の研究は、考古学的なデータから緻密で客観性をもった立論が可能であるために、特に盛んに行われている。その考察対象は、主として通時的な人類の形態的特徴の歴史的変遷に向けられるが、それをもとにした民族分布の共時的な研究も連動して行われている。日本でも、みすず書房編(1964)が刊行されて以降、多くの研究成果が発表されている。
ただし、今日のいわゆる自然人類学は骨格を中心とした、いわば死体を考察対象に限定しているのに対し、生体の構造を対象とする分野は、生物学的人間学(human biology)と呼ばれている。これは、自然科学における生物学の理論を人間に拡張して探究するものである。応用科学としての医学のための基礎理論に相当する分野として、固有の需要を有していることもあって、自然人類学との棲み分けが行われた。多羅尾・鳥山・福田(1975)、Portman(1981)、伴義孝(1989)などはこの種の研究である。
さらに、思考、認知など、人間の知的行為を司る大脳の器質的・機能的側面を考察する分野は、大脳生理学(brain physiology)と呼ばれている。機能と言っても、認知科学や認識哲学は大脳の働きの論理性や主観性を内側から見るのに対し、大脳生理学は神経やシナプスの動きを外側から身体の一部として見る点で異なる。しかしながら、その大脳の複雑な器質・機能の解明が、人間の知性の解明にも連動することから注目が集まり、養老孟氏の著書がニューアカデミズムのなかで一種のブームにもなった。この種の理論の「人間学」的要素への注目から、Restak(1979)の邦訳に「人間学」という言葉が用いられたり、千葉康則(1981)、伊藤薫(1988)なども人間学との呼称が用いられたりしている。
4.文化人類学
近代科学のパラダイムの中で、自然科学における数学的方法論は、前述の心理学のみならず、社会科学においては経済学にも浸透し、理論の論理性・客観性を強固なものとしていった。これとは全く質的に異なるものの、ある種の論理性・客観性を、人文科学において確立したのがアメリカ構造主義と言えるであろう。
構造主義によって大きく発展した分野と言えば、言語学、文化記号学、文化人類学の3分野である。言語学においてはサピア(1884〜1939)やブルームフィールド(1887〜1949)がアメリカ原住民の言語を記述しながら、いわゆる未開民族の文字を持たない言語にも、文明を支えてきた欧州の言語と全く同程度に複雑な構造を有していることを、非常に緻密で論理的な手法によって記述し、解明した。特筆すべきは、この作業の中から必然的に生まれ、発展していった、「意味」構造を把握するための方法論である。それは、語彙や文法形式がどのように区別されているのか、つまり差異を読み取る作業であった。言語話者からの聞き取りを丁寧に積み重ねる中で、社会的コードとして話者たちが共有している意味の差異体系を記述していく。その作業を通して、客観世界にはなく、話者たちの主観のなかにしかない意味構造を、形あるものとして示すことを可能にしていったのである。この手法は、英語をはじめとしてあらゆる言語にも適用され、日本語においても、今日の文法研究の基本的な方法論として定着している。
この手法を応用して、オーストラリア先住民やアジア地域における親族構造、婚姻儀礼などを丁寧に調査・記述したのが、文化人類学(cultural anthropology)の礎を築いたレヴィ=ストロース(1908〜)である。
言語も文化の一種ではあるが、ここで言語学と文化人類学の考察対象を比較する観点から言語と狭義の文化を比較してみると、まず、両者はいずれも恣意的な体系を内包する記号であるという点で共通している。言語伝達の効率性を保証するところの音韻体系や文法体系も、日常の言語使用においてはほとんど無意識化しているが、言語表現は自由意志に基づいて創造され、時には意図的に社会的コードを逸脱する隠喩のような表現さえも存在する。いっぽう、親族構造や生活儀礼は、人間の理性や精神性をもとに成立しているにもかかわらず、言語記号の社会的コードよりも更に深層の無意識層に浸透し、もはや民族的コードとも言うべき領域に及んでいる。当の人間自身にとっては本能的衝動と混然一体となっており、どこまでが本能でどこからが文化であるかは自覚的には判然としない。しかし、本能は生物学の理論によってあくまでも外面的に解明されるのに対し、文化は構造主義的手法によって内面の無意識から意識の表層に引き出し、体系として記述することによって解明されるのであり、人間精神の探究としてのこの種の作業は人類史上も重要な意味を持つと言うことができる。
言語学と文化人類学の中間に文化記号学(cultural semiology)がある。これは、人間が記号活動を行う存在であることによって、他の動物からの隔絶を引き起こした文化的諸特徴を記述するものである。ここでは詳細を略する。
5.カントの哲学的人間学
人間を特異な存在たらしめる精神性の本質を探究するのが、哲学的人間学(philosophical anthropology)である。この呼称自体は20世紀のシェーラーによって範疇化されたものだが、これに類する探究は文明史上、営々と続けられてきた。
人間が自我意識を有する主観的存在であり、そのことに付随する自律的価値の一般的特徴を研究する視点は、その淵源をアリストテレスらによる古代ギリシア哲学にまで遡ることができる。キリスト教神学においても、アウグスティヌスらによる古代キリスト教神学から、いわゆるスコラ哲学の時代を経て、ルターらによる中世キリスト教神学に至るまで、形而上学的な人間学論議がなされた。
その後、デカルトの出現、近代科学の成立、産業革命とつづく西洋近代文明の成立過程で、人間以外の現象に向けられていた理性を、人間自身の理性そのものに改めて向け直したのが、カント(1724-1804)だった。今日における哲学的人間学の原点という意味において、まず我々は、彼が『実践理性批判』(Kritik der praktischen Vermunft, 1788)、『実用的見地から見た人間学』(Anthropologie in pragmatischer Hinsicht, 1798)などの諸著作を通じて主張した人間の本質に注目しておく必要があるだろう。
カントは、人間の本質を、現象人(homo phaenomenon)と本体人(homo noumenon)という二つの属性の二重性とその緊張関係によって表現している。すなわち、人間は自然に属する一存在として他の動物と同様の自然的欲望を持つが、自らの理性を欲望に従わせ、あるいは正当化する存在としての「現象人」は、自らを自然の最終目的として万物を秩序づけることとなり、結果として自らの本性をも破壊する。
これに対して、人間はその理性ゆえに自らを、道徳法則を守る主体としていくことができる。この場合の、欲望を理性に従わせる存在としての「本体人」においては、自然とは隔絶した人間の人格そのものに対する尊厳が認められ、その結果、すべての自然が人間を目的とすることが許される。
現象人と本体人とは相反する特性を表しているようだが、カントがこれらを同時に述べたのは、そのいずれもが人間の本質であるとの主張がそこに表現されているのである。
6.シェーラーの哲学的人間学
本稿では冒頭より人間の特殊性について再三述べてきた。すなわち、地球上の多く生存する生物群の一種であって、今なお身体的には他の生物種と多くの共通性を持ちながら、その精神性のゆえに、生活形態が極めて特殊化された、その特殊性である。20世紀に入り、まさにその意味での人間の特殊性を、内省と思索と論理とによって探究し、言語化して表現する知の営みに対して哲学的人間学(philosophical anthropology)との呼称を与え、自らも多くの著作を通じて、独自の人間観を主張した人物がいた。ドイツの哲学者シェーラー(1874〜1928)である。彼の思想は日本でもシェーラー(1931)によって紹介された。
彼は、20世紀以前において「哲学的人間学」と呼称されるべき知の探究を通時的に整理した。『宇宙における人間の地位』(1928)では、歴史上の人間観(=人間が自分自身を把握するしかた)の五類型が述べられている。
第一に、「有神論的人間」。ユダヤ・キリスト教に認められる人間観である。人間ははじめ楽園に住んでいたが、サタンの誘惑によって原罪を背負っているという。神による救済や終末思想などの宗教的人間観が人々の生活に深く根ざしている。
第二に、「英知人(homo sapiens)としての人間」。人間は理性によって動物的衝動から解放され、能動的に自然に働きかけたり、受動的に自然に適応したりする。この理性のなかで神への信仰が位置づけられ、人間の神的な要素、神の似姿をもって人間の尊厳が認められることになる。これが古代から現代までの西洋における基本的な人間観と言って差し支えない。
第三に、「工作人(homo faber)としての人間」。自然主義的、実証主義的、実用主義的傾向の思想に共通してみられる人間観である。人間と他の動物との隔たりは、単に知的能力の程度の差によるものではなく、理想を現実化するという目的達成のために、自然に対して技術的知能を駆使する点において特殊だとする。これに類する考えを述べた思想家として、ベーコン、ヒューム、ダーウィン、ホッブス、ショーペンハウエル、フロイトらの名前が挙げられる。
第四に、「ディオニュソス的人間」。人間の理性を、生命を破壊する元凶とみる人間観である。理性を超えて自然に合一することが必要であり、生命系全体の価値こそが最高の価値であるとする。バッハオーフェン、ベルグソンなどはこの種の思想の持ち主である。
第五に、「超人としての人間」。ニーチェのいわゆる超人(Übermensch)に代表されるように、人間の人格に最大の尊厳を認め、他の神的価値を否定した人間観である。つまり、「神の死」を前提とする人間観である。
このような五類型それ自体が、人間学の系譜についての貴重な知見を与えるが、シェーラー自身もまた、彼独自の人間観を主張した。それは大まかに二点が挙げられるが、一つは、「全人」(Allmensch)という考え方である。これは、人間を無限定な可塑性をもつ、開かれた存在として捉えるものである。もう一つは、人間の普遍的な宗教性に対する指摘である。つまり、有神論的人間観を普遍化し、多神教やすべての宗教的価値観を人間の本質と捉え直し、人間を宗教人(homo religious)と規定する考え方へと昇華している。シェーラーの宗教的人間学とは一種の価値論である。
ただし、宗教とはいかなるものなのか、その本質は極めて実践的なものであり、分析的にのみ知り得るものではないため、その位置づけ、他の思想家との関連は未だに不分明なところがある。具体的には、宗教的行為はある視点から言えば、すべて言語行為であり、記号的行為であると見ることができる。いわゆる偶像崇拝と心理学的に言うところのフェティシズムとの間に極めて近い類似性が見いだせる。「鰯の頭も信心から」という諺にも見られるように、信仰には恣意的な記号性という側面が否応なしについてまわる。その一方で、「価値」の源泉を宇宙的我に求め、人間よりも遥か以前から存在し、人間を包み込む巨大空間である宇宙に対する畏敬の念、尊厳観のようなものも、やはり「宗教」の名のもとに行われている。したがって、宗教ということをどの次元で捉えるのかによって、宗教人という言葉の意味は変動する。そのいみから、シェーラーの思想を徹底的に深化し、突きつめていくには、どうしても宗教の実践的な探究の領域に入らざるを得ないと考える。
シェーラーの哲学的人間学は、その後、ドイツにおいて論議が活発化し、多くの探究者を産んだが、その流れを汲むBinswanger(1947)、Landmann(1964)、Rothacker(1964)などの訳書は日本でも刊行され、日本の哲学界にも大きな影響を与えた。
日本人による哲学的人間学の探究も1970年代ごろから活発化し、茅野(1969)、高山(1971)、藤田(1979)、同(1988)、坂本(1992)、カスタニエダ・井上英治編(1993)、金子(1995b)、作田啓一他編(1998)、菅野(1999)などが刊行され、今日に至っている。
また、歴史上の哲学者・思想家による哲学的人間学の個別的な紹介を行った文献も多く、ルターを題材とする金子(1975)、アウグスティヌスを題材とする金子(1982)、エリクソンを題材とする西平(1993)など、数多くの著作が発表されている。
7.人間誌論としての人間学
伝記や偉人伝のように実在の人物の生き様や、時には文学作品に描かれる登場人物から理想化された人間像などを通して、人間がよりよく生きるということの倫理的価値の本質に帰納的なアプローチを試みた類の著作に、「人間学」の呼称が用いられていることも少なくない。
ほとんどの場合、分析科学としての方法論や範疇化は全く意図されておらず、それ自体が随筆風のものや、文学作品的な色彩が濃いものも少なくない。これらを範疇化する用語は特にないが、人間誌や人物誌から帰納される倫理や人生観等の総称として、仮に「人間誌論」と呼称しておきたい。
これに類する著作としては、シュバイツァー、コッホ、リンカーンといった偉業を成し遂げた人物や、『三国志』『戦争と平和』などの文学作品から、幅広く人間の生き方を論じた池田(1988)、「論語」を通しての孔子の人間誌である狩野(1998) 、中国の歴史上の人物誌である叢小榕(1998)、日本の戦国武将の人物誌である童門(2000)、シェイクスピアの人間誌である小田島(2007)など、数多くが出版されている。
この種の著作・論考は、当面において科学史上に位置づけられるものではない。しかし、よりよく生きるとか、より豊かに生きるといった人間の価値観にテーマを限定するならば、分析的・論理的に探究するよりも、実際に生きた人物の生き方のなかに実践的に表現された人生観を学ぶことの方が、研究者としてではなく生活者(単に生きる者)の人間としては学ぶべきものが多く、青年読者への教育的価値の方が圧倒的に大きい。
そして、人間学の探究においても、この種の人間誌論が全く無関係なわけではない。人間の精神の多様性は、科学としての人間学にとって最大の難敵であるわけだが、人間誌論はそうした多様性の実態であるところの個別事例に直接アプローチするものである。つまり、人間を探究する方法において、最右翼と最左翼ぐらいの懸隔があるわけだが、どんなに離れているとは言っても、一つの目的に至るアプローチであることには違いないのである。両方の営みを堅持しながら、問題はその橋渡しができるような中間的なアプローチの方法を模索することである。
さいごに
限られた紙数のなかで、人間学の系譜と方法論を駆け足で概観してきた。
我々は科学者として、科学の枠組みのなかで人間学の方法論を模索している。振り返ってみれば、そもそも、そうした科学という営為そのものが人間という知的生物の独占的営為であることからくる必然的な本質も忘れてはならない。人間は科学の研究対象となるよりもずっと早くから、あらゆる科学の研究主体でありつづけたのである。その意味では、科学史や科学哲学といった、いわばメタ科学と呼ぶべき分野も、科学を営む主体たる人間に眼を向けた人間学であったはずである。常に科学の主体者であった人間が、人間自身を対象として探究する、その意味で「人間学」は自己探究の科学である。世界を具に見つめることはできても、自分自身の顔、なかでも自分自身の眼は、最も近いところにありながら、生涯にわたって直に見ることはできない。「人間学」は自分の眼を見るための鏡という特殊な道具なのである。
そのよう知の探究がなされる動機づけも、その目的も、人間の精神性に帰着する。そうであるならば、我々が科学者として取り組むべき課題は既存の’anthropology’の系譜の延長上に、精神性の要素をいかに合理的に内包する論理の枠組みを構築していくか、言い換えれば、精神性の要素に対する科学的アプローチをいかに説得力ある形で構築するか、ということである。そうして誕生していった知の営みこそ’humanology’と呼称するのにふさわしいと考える。
ここで言う精神性の要素とは、幸福、慈愛、友情といった語群とともに、特に重視すべきは、「生命の尊厳」である。人間だけが持つ、この「尊厳」という価値観は何に由来するものか。そして、何故生命は尊厳であるのか。このことに対する説得的な解答を見出していくことこそが、「人間学」の最重要課題ではないだろうか。この問いかけから、この探究の旅を開始したいことを述べて、序論としての本稿を終えたい。
参考文献
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Rothacker,Erich(1964) Philosophische Anthropologie(邦訳:谷口茂訳(1978)『人間学のすすめ』思索社)
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2008.3.16
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