創大草創の精神文化を永遠に
学生部長 山岡政紀
ちょうど20年前の1990年4月、創大に赴任した。最初に迎えた第20回入学式は、今は形もなくなった中央体育館で行われた最後の入学式となった。翌91年3月の第17回卒業式が池田記念講堂のこけら落としとなり、新しい時代の創大を象徴していた。教員として初めて創大の門をくぐった自分にとって、当時、草創期の苦闘を経た20年の歴史は非常に重いものに感じられた。
そして、気がつけばそれから更に20年。今創大は開学40年を迎えようとしている。この間も草創の建設の槌音は止むことなく続いた。特に、第二の草創期と呼ばれる2003年以降は、ご健在の創立者自らが陣頭指揮を執り、建学の精神の一層の深化とその具現化を大きく推進して下さった。創大の永き未来から見れば、創立者と共に過ごした40年はすべて草創期であり、自分もその末席に加えさせて頂いたことに、心からの感謝が湧いてくる。
創価学園で学びながら、自分の関心が強い専門分野が創大に無かったために、敢えて国立大学に進学し、学部、大学院、助手と9年間をそこで過ごした。大学では教授陣から学問上の啓発を強く受け、学究の道を決めると共に、専門を超えてよき先輩や仲間に恵まれ、多くの友人と対話する中で自身の人生観を確立することができた。そうして、大学教官の職も得て人生の方向性が定まったと思われた時期に思いがけず創大から声をかけて頂いた。専門分野がなかった創大から教員の話があるとは夢にも思わなかったが、学科新設の構想があると聞き、驚きと共に、迷いなく創大への転任を決めた。
創大に赴任した際、国立大学の完成された教育システムと重厚な組織から創大が学ぶべき点があると感じたことは否定しない。しかし、私はむしろ、他大学にはない、創大にしかない豊かな精神的財産の方に新鮮な感動を覚えた。それは、創立者が示された建学の精神を、学生同士が自発的に共有していたことだ。創大生は、「英知を磨くは何のため」との創立者の問いかけに自らの内発的精神をもって「どこまでも民衆に奉仕しゆくため」との回答を与えていた。それを共有する創大生同士には、他には見られない深く強い連帯感があった。そしてそれは、主に寮やクラブといった学生組織を中心に、先輩から後輩へと対話の力で継承されていたのであった。
このような学生自身の内発性による精神的支柱の確立は、決して容易になし得るものではない。国立大学の学生は確かに勉強していた。社会が必要とする資質と能力を学生に与える資源もそこには豊富に存在した。しかし、「何のため」という目的観を涵養する画竜点睛の作業は全く個人に委ねられていた。学生同士の友情も、互いを啓発し合う対話も、全体的には希薄であった。しかし、ノブレス・オブリージュという言葉を引き合いに出すまでもなく、社会の枢要な部分を担いゆくであろう優秀な学生であればあるほど、こうした目的観の啓発が、本来、必要なのである。
この創大の精神的財産を求めて、他の名門大学に合格しながら、創大を選んで馳せ参じた学生が大勢いる。本年も、東大、名大、九大、早大等にも合格した学生たちが創大の門を叩いてくれた。創大の建学の精神に呼応して集い来た学生たちに心からの敬意と感謝を表したいと思う。
創大は真に優秀な人材を育て、輩出する時代に入った。世界水準を目指すグローバル・シティズンシップ・プログラム(GCP)の一期生も高いレベルで奮闘している。担当教職員も学生の奮闘に応えて寸暇を惜しんで指導に当たられている。私自身も、どの大学にも負けない一流の人材を輩出すべく、教育に真剣に取り組んでいくことを決意している。
こうした重厚な時代に向かうからこそ私は今一度初心に帰り、創大生の間に根付く精神文化の意義を確認したいと思う。こうした文化は、決して当たり前のものでも自然のものでもなく、学生同士の真摯な対話によって築き上げられた尊い伝統なのである。そのために寮やクラブが担っている役割をも、私たち教員は敬意をもって尊重すべきである。今後、求められるのは、彼らの精神文化を社会が求める人材像へと直結させる流れを作ることである。そのためには、学生を尊敬し、学生と同じく未来を見つめ、学生と共に真剣なる研鑽と鍛錬に没頭することを厭わない――創大教員はそういう存在でなければならない。仮に学業が増進しても学生の心の伝統が崩れたならばそれはもはや創大ではない。数多くある既存のいわゆる名門大学と同じ大学を一つ増やすことにどれほどの意味があろうか。私自身、創大に集い来た時の初心を回想しながら、今そのことを強く思うのである。
『学光』第35巻第5号(2010年8月号、創価大学通信教育部)「キャンパス通信 21st 」より 2010.8.1