設定は平成6年、舞台は大阪・十三の一角にある通称「骸骨ビル」。物語はこのビルの住人たちを立ち退かせる任務を関連会社から与えられ、管理人として東京から派遣された中年男性・八木沢省三郎(ヤギショウ)の目を通して描かれる。小説の語りは彼の日記と、途中に挿入される登場人物の談話という、2種類の語りで構成される。
骸骨ビルの住人たちは、今は40代、50代となった戦争孤児たちであった。小柄で愛嬌があるがいじけた心を持つ彫金業のチャッピー、日本粉新聞という怪しげな業界紙を発行する幸一、ダッチワイフの製造販売を生業とする峰ちゃん、背が高く美人だが実は男性だというオカマのナナちゃんなど、社会の底辺を力強く生きる個性豊かな孤児たち。そしてもう一人、茂木泰造という70代の老人が住んでいた。茂木は、もともとこのビルのオーナーだった親友の阿部轍正に誘われて、このビルで暮らすようになった。阿部も茂木も太平洋戦争の帰還兵だった。茂木は、阿部が親代わりとなって育てていた孤児たちを一緒に育ててきたが、五年前にその阿部は、育てた孤児の一人・夏美から性的虐待を受けたと告発され、汚名を着せられたまま、心筋梗塞で亡くなっていた。孤児たちと茂木は、育ての親であり、親友である阿部の汚名を晴らすために、夏美を探し出してこのビルに連れて来て、真実を明かして謝罪させるまではこのビルを立ち退かないと決めていた。どこかユーモラスな大阪弁の孤児たちと生真面目で冗談の通じない標準語のヤギショウとの絡みは、ある種の異文化遭遇であり、悲壮感漂うストーリー設定にコミカルさを与えてくれている。
物語の後半に、阿部自身の語りが、それを聞いた孤児たちの回想を通して語られる場面がある。そこで、阿部轍正が孤児を育てることとなった経緯とその原点となる戦争体験が明かされる。その回想はこうである。
阿部轍正は戦後に南方の国から帰国した一人の青年帰還兵だった。彼は親から譲り受けて持っていた大阪のビルを売って日本での人生を考えようとしていたが、ビルに行ってみると、戦争で親を失った大勢の孤児たちがそのビルに住みついていた。阿部は当初、孤児をどうやって施設に預けるかを考えたり、孤児に左右される自分の境遇に不満を覚えたりしていた。しかし、その彼が孤児たちの親として生きることを決意したのは、彼が南方のジャングルでの生々しい戦争体験を想起したときであった。草むらに身を隠す自分の数メートル先を敵軍が走り抜けていく。その脇には、同僚だった山岡一等兵の死体の腐った手足が転がっている。そうした生死の境を生き抜いた人が、たまたま生き延びた自分の人生の意味や価値というものを深く考え、自らの生の恩返しとして、生命を次の世代へとつなげていく使命感を抱く。やがて彼は、同じく戦争で親を失った孤児たちとの間に肉親以上の血脈を結び、愛情を注いでいく。ここには親子とは何か、教育とは何か、生きるとは何かを訴える力強さがある。
この物語の特殊性の一つは、過去の人・阿部轍正が真の主人公であるところにある。無論、「主人公」と書いてあるわけではないが、死してなお、彼が育てた人たちの心の中で生き続け、その人たちの行動や生き様を通して社会にも影響を与え続けていく、無名だけれども本当の偉人である。描かれる円周の彼方に見えない円心が確実に存在するのに似ている。もっとも、それは決して美化された架空の人物として描かれているのではない。自分のビルに孤児たちの姿を見たときの不満も、とても人間らしい正直な心理描写だ。そして、戦場体験という非日常を追体験するとき、読者である私たちも生命の尊さを実感し、そこから孤児を慈しむ誠の心が芽生えていく。現代の偉人は、このように苦闘を経験し、生死の境を生き抜いた賢明な庶民の中に、事実いるのだ。そして、大恩ある人を裏切る悪魔の心も本当の人間なら、恩に報いるために生き抜く心も本当の人間である。人間の善なる心と悪の心との葛藤にはリアリティがあり、そして葛藤を乗り越えて生きるべき道も真実の道だ。
親の愛情を知らずに育った孤児たちが泥臭くもそれぞれに一生懸命に生き抜く姿もまた、清々しく心地よい。そこには今は亡き育ての親・阿部轍正への報恩という支えがあった。懸命に生き抜いた親から子へと伝えられた生命の絆。それを象徴するのがビルの中庭で行われた野菜の栽培であった。阿部は大学の農学部で学んだ知識を活かして、孤児たちを自給自足させるために野菜作りを教えた。孤児たちは一緒に野菜を作るという作業を通して、実の親子兄弟以上の愛情を育んでいった。そして、阿部が亡くなったあとも野菜づくりは続き、語り手・ヤギショウは彼らから野菜の育て方を教わる。この野菜の生長は生命の永遠性と親子の血脈の連鎖を象徴しているかのようだ。この作品を通して私たちは、人が人を育てるということの価値、それによって一個の人間の人生が生死を超えて永続していくことを学び、結果として人間の可能性と生命の尊厳を実感することができる。
そして、この小説にはもう一つ主題があるように思う。それは、人生の本当の幸福とは何かということである。育てた孤児に裏切られ、社会の罵声を浴びながら非業の死を遂げた阿部轍正の人生は、常識的に言えば不幸の極みである。しかし、彼自身に一点の曇りもなかった帰結として、恩を受けた孤児たちが力強く生き続ける姿がそこにある。それほどに人を育て、人を残した偉人が不幸なはずはないではないか。この物語はそのことを強く訴えかけているように思えてならない。
2013.5.3
※2009年/講談社刊/上・下巻 初出は『群像』(講談社)2006〜09年 講談社文庫(上・下巻、各600円)がお手頃です。