このたび、2012年3月末日をもって、2期4年務めた本学学生部長を離任致しました。この間、お世話になりました教職員、学生の皆さまに心より御礼を申し上げます。誠にありがとうございました。
3月度に開催された学生寮、学友会、自治会等の会合では交代予定のご報告と次期学生部長のご紹介をさせていただきましたが、昨年末から本年初頭にかけて、執行交代のご挨拶にお越し下さったクラブ等の学生諸団体の皆さんには、せっかくご挨拶いただいたのにこちらからのご挨拶を申し上げる機会のないまま交代しましたこと、甚だ申し訳なく、どうかご容赦をお願い致します。
4月より就任された奥富雅之学生部長は温かな人間味があり、学生のために骨身を惜しまない、素晴らしい学生部長です。学生の皆さんのことはしっかり引き継ぎましたので、引き続き奥富学生部長にご教示を仰ぎながら、学生生活や学生の諸活動を進めていただきますよう、お願い致します。
創価大学は創立者の池田大作先生が示してくださった通りの「人間教育の最高学府」であります。私は生来、研究者タイプの人間ですが、創立者の門弟として先生のご指導通りに生きることを決めたが故に、創大教員として赴任してからの20年間、常に研究よりも教育を優先し、学生のために生き抜いて参りました。そのことで小さな自分がどれだけ成長させていただけたことか、計り知れないものがあります。まさに先生のご指導が今の自分を作っております。感謝してもしきれません。
2007年の秋に山本学長より翌年度から学生部長を2期4年務めるようにとのお話しをいただき、自分のような者に務まるものかと悩みましたが、先生の大恩にお応えするには、自身が学生のために尽くし抜いていくなかで成長し続けていく以外にないと決意し、お受け致しました。以来4年間、学生部長としての仕事をすべてに最優先として全力で取り組みました。無我夢中で4年間を走り抜き、任を果たし終えることができました。その間、折々に創立者より学生に対するご伝言、激励のご指示を拝し、創立者の創大生に対するお心がどれほど深いかを涙しながら拝しました。それがいつも自身の原動力となりましたし、これからもそのことは生涯忘れることなく、自らの行動規範として参りたいと決意しています。
会合などでお話しさせていただく機会も少なくありませんでしたが、私が力を入れたのは一対一の個人面談でした。対話をした人のお名前はすべて私製のTo Do Listに記してあります。学生時代には逡巡や停滞の時もあります。しかし、暗中模索の中から新たな価値を創造すべく語り合ったことは私にとっても掛け替えのない財産となっています。お一人お一人のことは生涯忘れません。そして、立場が変わっても今後とも一人の学生を大事にするという生き方は変えるつもりはありません。
そして、山本学長より今度は入試部長を務めるようにとのご下命をいただき、本年4月より着任いたしました。このたびもまた自身の挑戦と成長を期してお受けした次第です。全力で取り組みますので、皆さまのご指導、ご鞭撻を何卒よろしくお願い申し上げます。
創立者池田先生は、創大生だけでなく、全受験生を大事にされます。合格、不合格を超えて全員を平等に激励しようとされる創立者のお心は誠に希有であり、その一事をもってしても先生がどれほど偉大な教育者でいらっしゃるかを実感する次第です。私も微力ながら、先生の門弟であるからには同じ思いに立ち、全受験生の人生を開いていくつもりで、力強く全国津々浦々を回って参りたいと決意しております。
もとより、入試業務、広報活動は誰か一人の力で推進するものではなく、同じ思いを共有する人々が協力し合って実行し、前進させていくものであります。特に創大生は、受験生への激励においても、オープン・キャンパスの運営においても、他大学に類を見ない主体的な取り組みをしてくれます。こうした学生たちと、そしてまた、昼夜を分かたず奮闘する職員の方々と力を合わせて、任務を遂行して参る決意です。
研究面では、量を捨てて質にこだわる方針のもと、功を焦ることなく堅実に進めてきた言語学研究のライフワークが、ちょうど学生部長就任前後にひとまずの完成を見ることとなり、在任中の4年間に3冊の著書を出版致しました。また、文部科学省からは科学研究費補助金の採択を受けました。これらはすべて深夜や早朝に自らに鞭打って取り組み、執筆してきたものですが、健康面で諸先輩にご心配をおかけした点は申し訳なく思っております。現在、研究テーマは言語学から人間学に発展し、重みを増してきております。教育を優先しながらも、研究者としての社会的使命も同時に果たしていかねばならない、自身の重い使命、あるいは宿命ということについて、これからも悩みながら逃げずに立ち向かって参りたいと思います。
以上、学生部長離任、入試部長就任のご挨拶とさせていただきます。長文失礼致しました。
2012.5.3 山岡政紀