速記叢書講談演説集 近時図書出版の多き実に昔日に数倍す。然れども大家の講談演説を筆記したるの書冊を世に公けにせる者極めて少なし。偶々之あるも概ね潤飾を加へて漢文の直訳に類せる一種の文体と為せるもののみ。未だ善く大家の講談演説を其の侭に写し取り一読以て居ながらに大家の謦咳に接する思ひ有らしむるものあるを聞見せざるなり。聞く泰西諸国に於ては速記術の世に行はれてより以来雄弁大家の講談演説は聴者をして感動せしむると同時に各地に電伝し以て各地の人をして感動せしむるに至ると。今や本邦に於ても速記術を利用し大家の講談演説をして世に伝播せしむるを得るの好機に際会せり。然るに世尚ほ此の事に従事する者少きは実に遺憾に堪えざるなり。余輩之を傍観するに忍びざるに因り速記術を利用して講談演説を其の侭に写し取りたるものの中に就き世に裨益ありと認むるものを採拾し講演者の許諾を得、逐次印刷に付し以て江湖同好の士に頒たむと欲す。是れ大家の講談演説の一分をして世間に伝播せしむると共に世人をして速記術の妙用を普知せしめむとの微志に出るものなり。読者若し此の書を利用するときは以て直接に講談演説を学ぶの軌範と為すを得べく、以て間接に言語を改良し言文を一致せしむるの媒助と為すを得べきなり。 明治十九年七月          林 茂淳しるす [warichu]速記叢書[/warichu]講談演説集第一冊 明治十九年七月発行  ○漢字やぶり 明治十七年十一月四日仮名の会員の臨時懇親会[warichu]東京芝公園地紅葉会館[/warichu]に於て 外山正一君演説 今日この席に於て演説をすることは思ひもよらざることで御坐りました。然るに演説をするに立ち至りたるは先日この会の役人の片山淳吉君がお[rrubi]いで[/rrubi]出になツて[rrubi]かな[/rrubi]仮名の[rrubi]くわい[/rrubi]会も[rrubi]だいぶん[/rrubi]大分盛大になツたに付き懇親会を催して参議方の御臨席を願ふに付ては其の[rrubi]はう[/rrubi]方にも席上の演説をせよとのこと。私は一向仮名のことに付ては不案内で私よりも既に委しく説の有る[rrubi]かた[/rrubi]方がゐらツしゃることなれば私は演説をしたいことは無い。併し仮名の会の懇親会に付て参議方も御臨席になるとのことなれば此の機会失ふべからず。一体、仮名の会員になツて居るのは考へが有るからのこと、考へが無いなら会員になツては居りませぬ。其の考へはもとより参議方どころでは無く  天子様にまでも申し上げたい位のことゆえ此の機会失ふべからずと考へまして、つまらないことなれども少し申します。 この四五日前に私の所へ今日この席に居らるる愛媛県高松の郡長兼県庁の御用掛[rrubi]いづみかはたける[/rrubi]泉川健といふお方がお[rrubi]いで[/rrubi]出になりました。一面識もないお方では有りますが、お目通りを致した所、別のことでも無い、お[rrubi]まへ[/rrubi]前は仮名の会の会員ださうだが[rrubi]みこみ[/rrubi]見込を聞きたいとの仰せ。私は別に見込は無いと申したら、一体お前は元の「かなのとも」で有るか又は[rrubi]なん[/rrubi]何で有るかとのお尋ねで有りました。私は「かなのとも」か、いろは会か、そんなことは知らないが私のはいツたのは仮名の会の[rrubi]つき[/rrubi]月の[rrubi]ぶ[/rrubi]部といふので其れが「かなのとも」であツたか、いろは会であツたか知らない。そんならナゼ月の部へはいツたといふに私は別にこれぞといふ考へも無く、昔の通りに仮名遣ひをして見ようといふ仮名組だからといツて左袒したといふ訳でも無い。ただ月の部は人数が多い、雪の部や花の部は人数が少ない、そこで月の部にはいツたまでのこと、仮名遣ひなどはドウでも構はない。ナゼそんなら仮名の組の[rrubi]うち[/rrubi]中で人の多い所へはいツたかといふに[rrubi]なん[/rrubi]何でもよい片仮名でも平仮名でも構はない、仮名遣ひを改めようがドウせうが漢字を廃さうといふものなら左袒するといふ主義で仮名のみならず羅馬字でも宜しい漢字を廃さうといふものなら何でも左袒する{左祖unicode16→袓=衣扁}。そこでナゼそんなに漢字を嫌ふかといふ問題になる。 仮名にはよい所が有り漢字には[rrubi]わる[/rrubi]悪い所が有るか、其の様に漢字を嫌ふといふはまた如何なる[rrubi]わけ[/rrubi]訳ぞといふに、いづれも[rrubi]がた[/rrubi]方にも定めし御存じで御坐りませうが抑々智識には真の智識と智識の様に見ゆるも実は真の智識の方便に過ぎざる智識が有りまする。例へば家を[rrubi]たて[/rrubi]建るとか織物を織るとか大砲を[rrubi]こしら[/rrubi]拵へるとか薬を[rrubi]ね[/rrubi]煉るとか其の外物理上化学上の智識をこちらへ得れば風雨を[rrubi]しの[/rrubi]凌ぐことも出来れば暑さ寒さを防ぐことも出来、船を造ることも出来れば敵の首を取ることも[rrubi]でき[/rrubi]出来るけれども方便の方はただ之を知ツて居ても仕方が無い。言葉だの文字などは智識の方便即ちテダテで其れを知ツただけでは役に立たぬ。されば其の方便と真の智識との関係を考へて見なければならない。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]一体、人には時の際限が有ツて一日に二十四時間あるが、まるきり二十四時間働らけるものでは無い。寝る時間も有り遊ぶ時間も無ければならぬ。そこで内八時間寝て八時間遊んで八時間勉強する。其の八時間を百般のことに使ふ訳にはいかない。されば此の八時間の使ひ様で此の国の進歩や学力の進歩が出来て[rrubi]く[/rrubi]来る。八時間の使ひ方を智識の方便の方に使ひ[rrubi]すぐ[/rrubi]過ればイヤでもオーでも真の智識を得る為めの時は[rrubi]すく[/rrubi]少なくなる。三時間方便に使へばあとは五時間になるのは知れきツたこと。それで今我が国の有様を見るにドコへ時が一番かかツて居るかといふと肝腎の智識に時をかけるが少なくツて智識の方便に莫大の時を費すことになツて居る。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]今蝶々といふにも及ばない、考ふれば[rrubi]すぐ[/rrubi]直に分ること、考へなければ分らない。それで今我が国の有様で居ますと[rrubi]もじ[/rrubi]文字を習ふヒマの為めに稲を植るヒマも水車改正の時もへづられて電信機の改正もせずに[rrubi]つくゑ[/rrubi]机の前に[rrubi]すわ[/rrubi]坐ツて字を習ひ、コレラ病の原因を見出すこともお[rrubi]るす[/rrubi]留守にして字を習はなければならない様になツて居て字を知ることが何より[rrubi]か[/rrubi]彼より大切なことになツてあるが其れも此の国独りで居れば今日の様でも宜しいが今日は我が国ばかりで成り立つことが出来ない。天下万国と交際し天下万国と競争しなければならない。ドコの国のハテとでも交際し競争しなければならない、トルピドで敵の軍艦を沈めるばかりが競争では無い。こちらで出来ないものを、あちらで善く拵へたり、こちらより[rrubi]じやうず[/rrubi]上手に拵へたり。[rrubi]やす[/rrubi]廉い物を拵へたりする者が多くあれば、こちらの物を買ふ人が減り、こちらの物を買ふ者が減れば、こちらは次第に衰微する。交易上の競争は一日一刻も止む時の無きもので病の為めに人口が[rrubi]へ[/rrubi]減らさるる間にも各国と共に競争をやツて居なくてはならない。それに平気になツて多くの字を[rrubi]あたま[/rrubi]頭に繰り込んで[rrubi]たうし[/rrubi]唐紙に字ぐらゐ書いて居てはクルベーと支那人との競争と同じことで競争にも[rrubi]なん[/rrubi]何にもならない、其れこそアカンベーとやられてしまふ。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]フランスはいまだイクサを始めたといはぬを分らぬことと思ふ者もあれど実はまだイクサにならない。小さな蟻を大きな足で踏みつける様なものだが[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]其の蟻も目のさめたのでは無い眠ツて居る蟻である。だが其の蟻は字を知ツて居ることは日本人の上手な者よりは余計に知ツて居るに違ひは無い。其れでもそんな目にあふ訳なれば其れにも及ばない日本人が西洋人と競争せんなどとは、これこそチヤンチヤンをかしい。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu] さて日本人は昔から支那を貴んで其の[rrubi]じ[/rrubi]字を用ひて居るから支那をお師匠さんにして居るうちは、これまでの様に字ばかり習ツて居るのが支那におハムキは宜しいが今日は[rrubi]ざんぎり[/rrubi]散切り[rrubi]ばうず[/rrubi]坊主で、つつツぽ[rrubi]そで[/rrubi]袖を着てなかなかユウチュウカンと長い毛の筆で[rrubi]へんかむ[/rrubi]偏冠りを[rrubi]ただ[/rrubi]正し二時間も三時間も手習ひなどをして居るものでは無い。ドシドシと土足で踏み込んで[rrubi]く[/rrubi]来る[rrubi]やつ[/rrubi]奴だから[warichu]〔人々笑ヲ含ム〕[/warichu]イクラすまして居ても支那人を相手にすると西洋人を相手にするとは違ふ。支那人を相手にする気ではいかない、西洋人を相手にする気で無ければならない。若し支那人を相手にするといふ様なら支那の通りにやられてしまはなければならない。其れだから支那人に今まではお世話になツたがこれからはお前も漢字を廃するがよい、廃さなければクルベーだぞと忠告してチャンチャン坊主の毛をきり支那から留学生の一万人も二万人も西洋へ[rrubi]ゆ[/rrubi]行く様にしたい。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]この間の戦争に[rrubi]だれ[/rrubi]誰か少しばかり戦争らしいことをやツたのはアメリカへ留学したものでトルピドへ破裂丸を投げつけたは誰なるぞ。[rrubi]じ[/rrubi]字は書ける[rrubi]ヤツ[/rrubi]奴だか書けぬ奴だか知らぬが破裂丸を善く投げたり電気を善く使ふ奴が多くなればクルベー如きが、いくらクルベーでも構はない。支那の今日の通りになツたのは当り前。我が国にも二十年ほど前にさういうことが有りました。ドウしても今日の有様では西洋人と競争したければ漢字をやツて居てはいけない。漢字をやツて居て競争が出来るなら[rrubi]かツちう[/rrubi]甲丑を[rrubi]き[/rrubi]着て[rrubi]やりなぎなな[/rrubi]槍長刀を持ツて西洋人とイクサをするがよからう。漢字と西洋字と競争が出来る訳なら槍や具足にしておくがよい。かたツぱうが替ればかたツぱうも替らなければならない。併し、そこに人の気は付かない。具足を着たり[rrubi]かぶと[/rrubi]甲を[rrubi]かぶ[/rrubi]冠ツたりしてはイクサは出来ぬことは誰でも知ツて居れど漢字では競争が出来ないといふことは知らない。兎角人は一方のことより外は分らぬもので政治家は政治のことより[rrubi]ほか[/rrubi]外には取り合はず、仮名の会の[rrubi]こ[/rrubi]凝り[rrubi]かた[/rrubi]固まりは外のことには構はず夢中になツて居るから羅馬字のことを言ツても取り合はない。[warichu]〔人々笑ヲ含ム〕[/warichu]兎角、人は一方より外には見ることを知らぬもの。併し考へて見れば外の[rrubi]ほう[/rrubi]方も分る、考へても分らないでは無かろう、考へさえすれば分るだらう。 また今日漢字を用ふるが為めに教育上実に奇々怪々なる結果が有る。漢字が有る為めに物理学の講義でも化学の講義でも動物学の講義でも植物学の講義でも実物の方はお[rrubi]るす[/rrubi]留守で字の講釈に[rrubi]どどま[/rrubi]止るのが有る。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]諸県へお役で[rrubi]で[/rrubi]出た人の[rrubi]はなし[/rrubi]話にも[rrubi]へん[/rrubi]偏がドウだとか[rrubi]つくり[/rrubi]傍がドウだとか言ツて虫の講釈をするにも虫の[rrubi]わけ[/rrubi]訳は[rrubi]と[/rrubi]説かないで字の講釈をするのが多い。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]動物学の講義でも植物学の講義でも文字の講釈に止ツて居る。これはドウしても免れぬことで[rrubi]げん[/rrubi]現に漢学先生に講釈をして[rrubi]もら[/rrubi]貰ふと[rrubi]ほん[/rrubi]本についてやるので本につかないでは出来ない。孟子の主義はドウか曽子の主義はドウかと聞くとなかなか出来ない、いつでも本を持ツて一枚一枚に一字づつ講釈をする、本を見なくては講釈をすることが出来ない。今日は物理学でも化学でも動物学でも植物学でも其の講釈の過半は漢学先生の様なものが有る。さてさて[rrubi]こま[/rrubi]困ツたことでは御坐りませぬか。 さういふ[rrubi]わけ[/rrubi]訳で有るから私は一刻も早く漢字を無くなしたいと申した所が、さう、うまくは参りませぬ。泉川君のお尋ねにドウで有うか仮名の会は[rrubi]にはか[/rrubi]俄に[rrubi]さかん[/rrubi]盛にならうか来年[rrubi]ぐらい[/rrubi]位には世の人多く漢字の不便を らうかと。私は[rrubi]あきれ[/rrubi]惘てしまツた。なかなか世間の人にそんな見込みは無い。今日の有様は反対した方にばかり流れ益々字を書く方が、はやツて[rrubi]き[/rrubi]来て字を書くことだの支那流の道徳だの礼式だの品行だのといふものが今日盛になツて来るばかり。其れだから役人などが地方へ巡回に[rrubi]で[/rrubi]出ると[rrubi]ぢき[/rrubi]直に[rrubi]まうせん[/rrubi]毛氈と[rrubi]たうし[/rrubi]唐紙を持ツて[rrubi]き[/rrubi]来て名筆を揮はれむことを請ふを競ふ世の中。なかなか漢字の[rrubi]たつと[/rrubi]貴いことを知ツては居やうが不便なことを知ツて居る者は無く[rrubi]なん[/rrubi]何でも漢字が盛な有様である。ナゼかといふに漢字の教育を受けて居る人が多い。漢字の教育を受けた者が十人に八九は有りませう。だが実際[rrubi]はだか[/rrubi]裸にしてふるツて見たら字を書くことの外は知らざる者が多いで有りませう。字が書けると地方でも賞められ[warichu]〔人々笑ヲ含ム〕[/warichu]書けぬと百姓町人までが馬鹿にする。[warichu]〔人々笑フ〕[/warichu]其れだから役所から帰ると字を習ふ。[warichu]〔人々笑フ〕[/warichu]習ふと益々上手になる。其れだから漢字を廃するのが益々イヤになる。[warichu]〔人々笑フ〕[/warichu]其れでよいことで有るかは知りませぬが[rrubi]なげか[/rrubi]歎はしいことは大臣や参議に名筆のお方があるので[warichu]〔人々笑ヲ含ム〕[/warichu]少輔も大輔も字を習ふ様になる。すると書記官も[rrubi]しかた[/rrubi]仕方が無いから習ふと属官までが[rrubi]こしやく[/rrubi]小癪に手習ひして[rrubi]たうし[/rrubi]唐紙位は[rrubi]ほご[/rrubi]反古にしようといふ意気ぐみになる。[warichu]〔人々大ニ笑フ〕[/warichu]其れですから親王様や大臣参議方は滅多にお書きなさらぬ様に願ひたい。大臣参議が碁を好むと属官までが碁をうち、大臣参議が茶道を好むとまた茶道がはやる。これはいづくのハテでも人情だから仕方が無いが若し其れがよいことと思ふなら参議から人力車夫までやるがよい。若し茶道や名筆では外国と競争が出来ないといふ訳ならば[rrubi]たうし[/rrubi]唐紙などはやぶるがよい。墨を付けてよごしたものは、なほやぶるがよい。さればドウも今日の有様を感心して居らるる場合では無いが随分感心して居る人が多い。何が証拠かといふに安んじて漢字を用ひて居る人が多い。一刻も早く無くなすことに気を付けなければならないのに。 されどウチワばかり見て居ては[rrubi]あんしんたかまくら[/rrubi]安心高枕で得意になツて居るのも無理はない。この間の競馬会社の開業式は一日ならず二日も三日も大騒ぎ、人は[rrubi]くろやま[/rrubi]黒山の如く提燈は星の如く褒美は五六百円のものもあり、花火を打ち揚げてヒュウヒュウポンポン。また夜になツて鹿鳴館に[rrubi]いツ[/rrubi]往て見ると[rrubi]にぎやか[/rrubi]賑で押し返されぬ程の騒ぎ。其れは豆粒の中の盛なので[rrubi]そと[/rrubi]外を見れば盛でも何でも無い。他国の有様を見れば気違ひにでもならなければならない位の違ひ。余輩の如きも気違ひにならぬのは此の違ひが本当に分らぬからのこと、若し其れが分ツたならばなかなか箇様に温かい[rrubi]しとね[/rrubi]褥の上に坐ツて居ることは出来ませぬが、そんな人が少ないから漢字はなかなか廃されませぬ。 さて漢字を廃するなら方法は[rrubi]いかん[/rrubi]如何といふに今俄に廃さうといふことは出来ないが若し幾年から仮名か羅馬字になるだらう。其の用意には今から子供に教ふるに一つには字もむづかしいのは成るたけ教へず、また一つには仮名か羅馬字を用ふると国会設立の様にしたいといふなら明治百年か千年になツたら仮名か羅馬字で綴ツた文章を読ませるがよい。これは少しづつ時をかくれば覚えられる。漢字もやらせるがよいが、むづかしい漢字はよして貰ひたい。そして[rrubi]かたは[/rrubi]傍ら仮名か羅馬字で綴ツたものを短い言葉より始め、次第に長い言葉に移り、言葉より短い文章に移り、短い文章より次第に長い文章に移る様にして教へこんだなら遂には誰も漢字廃すべからずの論を唱へる人も無からう。この子供等がオトナになツて千年の後には仮名が便利になりはせまいかと思はれる。漢字を廃さうとならば先づかういふ方法。併し廃さうでは無い。廃さない方が天下の輿論で有ります。さればこの演説も時勢に適せぬムダな空論とは知れど社会には随分ムダのことも有る故ムダのことを一言演るまでで有りまする。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]。  ○地球の位置 明治十八年三月二十一日理医学講談社[warichu]東京神田区錦町東京大学講義室[/warichu]に於て 寺島壽君講談 諸君。[rrubi]。。。。。。。。。[/rrubi]我々はどこに居るかかういふ問題をかけましたら「[rrubi]ざうさ[/rrubi]造作もない問題だ、誰でも答へが出来る」と言はるるで御坐いませう。成るほど一応は御尤で有ります。併し神保町の車屋でも呼んで来て「貴様どこだ」と聞いたら「神保町だ」と言ふで御坐いませう。「神保町はどこの中だ」と聞いたら「神田だ」と答へ「神田はどこの中だ」と聞いたら「東京」「東京はどこの中だ」と聞いたら「日本」「日本はどこの中だ」と言つたら車屋[rrubi]ぐらい[/rrubi]位では答へは出来ないかも知れない。[warichu]〔聴衆拍手喝采〕[/warichu]小学校へでも参つたことの有るものなら「日本は亜細亜の中だ」「亜細亜は」と言ツたら「亜細亜は地球の表面の一部だ」と言ふで有りませう。そこで其れから先「地球は何の一部だ」と問ひ詰められると分かるものが半分、知らないものが半分かも知れませぬ。さりながら人間の物知りたがりには限りの無いもので其れから其れへと知りたいのは慾心で唯今久原[warichu]〔躬弦〕[/warichu]君の講義[warichu]〔塩と砂糖〕[/warichu]にも有りました通り「砂糖と云ふものは何の中だ」と言ツたら「含水炭素の中」「含水炭素は何の中か」と言ツたら「有機物」「有機物は何の中か」と言ツたら「化合物」「化合物は何だ」と言ふに「物質の中」「物質とは何だ」と言ふとここでむづかしくなる。物質とはドンナものと言ふことは本当に知ツて居る人は恐らく有りますまい。実に其れまでも知りたい[rrubi]わけ[/rrubi]訳ですが中々今の有様では知れないから先づ其れまでいツたら、我々の物知りたがりも暫く満足せねばならないです。「地球は何の中か」といふ問題も其れと同じ様に段々とおしつめてモウこれから先きは今日の学問の有様では分からない所まではいきたいものです。このことについて私が知ツて居るだけを今日諸君に御話しをしようと思ひます。私が「地球の位置」と題をつけて致します演説は先づ今申しました位を目的と致しますことで御座います。追々お話しします中に問題の趣意もよく分りませう。 話しをあとに戻しまして日本は亜細亜の中、亜細亜は地球の中と云ふことが有りましたが、さういふことを調べるは何と言ふ学問かと云ふに、地理学と言ツて大層大事な学問で有ります。併し其れは私の目的で有りませぬから、地理学の初歩は御存じと見做して別に今日は地理学のことは御話し申しませぬ。「亜細亜から欧羅巴へはドウ往く」「日本から亜米利加へ往くにはドンナ海がある」などいふことは諸君が既に御存じのことと看做しませう。私は唯其れから先のことをお話しします積もりで有りますが其れに付てはちょとお話しをしておかねばならないことが有ります。其れは地球の大きさのことで御坐います。 地球は我々の[rrubi]からだ[/rrubi]身体に[rrubi]くら[/rrubi]比べると非常に大きなものです。我々の住ツて居る都府、我々の住つて居る国などに比べても随分大きい。さりながら考へた程大きいものでは無い、至ツて小さいものと私は申します。[rrubi]さしわたし[/rrubi]直径は一番大きい処で僅か日本の三千二百四十八里と四分の一で一番小さい所は三千二百三十七里と八分の一です。其れで地球は立派な球では無い、ひツこんだ所とふくれた所が有ります。そこで直径を知ツて居りますと幾何学を少しやツた人は直に[rrubi]まはり[/rrubi]周囲を知ることが出来ませう。地球の[rrubi]まはり[/rrubi]周囲を測ツて見ますと長い所が僅か一万二百五里ほかない。私は僅かだと申しました。なぜだといふに比の位の距離は僅かの間に通ることの出来るものです。昔はさうでは有りませぬが今日ではまごついて二三千里位のむだ足はしても僅か八十日間か百日で地球を一周することが出来ます。して見れば地球は実に小さいものと言はなければならないで御坐います。[warichu]〔聴衆拍手喝采〕[/warichu] これが我々の住ツて居る場所で有ります。この住ツて居る場所は円いものでタカの知れたハバの見えたもので我々の住ツて居る所で無いものは何と言ふものかと云ふに天と言ひます。さて天と言ふものは広大無辺なもので地球をグルリと取りまはして居て其の中に地球はボンヤリして居るもので実に心細いもので有りまする。[warichu]〔聴衆拍手喝采〕[/warichu]で有りまするからして学者が天のことを調べます[rrubi]ついで[/rrubi]序に我々には天の中で別にツレは有るまいか[rrubi]どし[/rrubi]同士は有るまいかと云ふことに自然と眼が着きます。併し若しも我々が非常に近眼で五里か十里先きのものが見えなかつたら地球の外にドンナものが有るか一向分からないで有りませうが幸に我々は眼が随分遠くききます。殊に物理学の進歩してから眼が益々遠ぎきする様になりまして我々の世界の外にも別に之に似たものが有るといふことが知れる様になりましたから先づ其れからお話し致しませう。天の中にありて一番我々の眼に着くものは太陽、月、星、アマノガハなどであります。その中一番近いのは月で有ります。この月といふものは望遠鏡の開けます余ほど前からして円いもので時としては[rrubi]か[/rrubi]虧けたり時としては[rrubi]み[/rrubi]満ちたりするもので有ると云ふことは知れて居ましたが昔の人の知ツて居ツたのは先づ其の位なものです。其れから望遠鏡で月を見ると中々妙なもので肉眼で見ては唯ボンヤリして何だか分らず俗に兎が餅を搗くのだと言ひます。処が余程はツきり見えまして全く高い山や深い谷などで有ります。山だの川だの谷だの岡だのは地理書に有ることで地理書とは地球の学問だと思ツて居たに月の表面にも山だの谷だのが有るからは月が地球と似たものでは有るまいか、第一番に地球の様に円い、其れに谷だの山だのが有る処がよく似て居る、其れでは大きさはどの位だらうと云ふと、これは其の遠さが知れない間は分かりませぬ。總て物は同じ大きさに見えても大きくて遠いものもあれば小さくて近いのも有るから唯見た計りでは大きい小さいの論は立ちませぬから先づ距離を測るのが第一番のことで有ります。 そこで月までの距離はと言ふと現に既に測量して有ります。測量をしますとはドンナことかと言ひますと地球の中心から月の中心まで何里あると云ふことを調べるので有ります。「ドウして其れが知れるだらう、物さしをあてたり[rrubi]けんなわ[/rrubi]間縄を打ツたりする訳にはいくまいが」と疑ふ人が有ります。併し測量術を少し心得て居るなら分かります。地球上で測量をしますにも十里も二十里も先を一々間縄を打ツたり足ぶみをして調べはしませぬ。唯最初の一箇所だけを[rrubi]ぢか[/rrubi]直に測りまして、あとは器械で角度と云ふものを測り三角と云ふものを作りまして三角から三角に移り次第に先へ進んでドンナに遠い所までも測量致します。そこで地球と月とありますに地球の表面に於て二箇所の点を取りまして先づ精密に其の距離を測りまして其れから先きは地球の上で或る距離を測る時の通りに例の角度で月までの距離を測り出します。随分此の測量はむつかしいが天文学の測量の中ではこれが最も精密に出来るもので有ります。さてこの測量の結果はと云ふと地球の中心から月の中心までの距離が日本の里数で九万七千五百里です。九万七千五百里と云ツては数が余り大き過ぎて[rrubi]けんたう[/rrubi]見当がつけにくいから天文学者が物さしを替へます。物さしを替へると云ふのは例へば糸などの長さを測りまして此の糸は八寸だと言へば、どの位の長さと云ふことがよく[rrubi]わか[/rrubi]分かる、けれどもちツと長いものになりますと、寸で測ツては[rrubi]ま[/rrubi]間に合はない。例へばこれから本郷までは九万七千五百寸あるなどと言ツては、どの位の距離だか少しも分らない。だから寸や尺で[rrubi]ま[/rrubi]間に合はない処は[rrubi]けん[/rrubi]間で測り、[rrubi]けん[/rrubi]間で[rrubi]ま[/rrubi]間に合はなけりゃ[rrubi]ちやう[/rrubi]町、町が小さすぎれば[rrubi]り[/rrubi]里と段々に物さしを大きくして参ります。さて地球から月までの距離を唱へるには里でも[rrubi]ま[/rrubi]間に合ひかねるから物さしをズット大きくして地球の[rrubi]さしわたし[/rrubi]直径を物さしにします。さうするとこの距離は三十と云ふ数になります、即ち地球の直径の三十倍ほどで有ります。 してこの距離が分りました上は其の大きさは容易に勘定が出来ます。月の大きさは地球よりは小さい。地球はさツき申しました通り其の直径三千二百四十八里で有りますが月の直径は八百八十七里ほか有りませぬ。其れ故に地球の直径十一分の三、即ち地球の直径を十一に割ツて其の三つにほか当りませぬ。そこでザット地球と月との位置を[rrubi]くら[/rrubi]比べて見ますと直径一寸の玉を拵へまして其れを地球の雛形にすると其の玉から三尺離して直径二分七厘の玉をおきましたのが月の雛形になります。 距離も随分遠く大きさも[rrubi]だいぶ[/rrubi]大分違ひますが兎も角も月は地球の党類には違ひないです。党類であるのみならず地球のグルリを回ツて居ります。地球が[rrubi]まんなか[/rrubi]真中にチャンとして居ツて月が其グルリを[rrubi]めぐ[/rrubi]旋ツて居ります。して見ると月は[rrubi]ふんみやう[/rrubi]分明に地球の眷属、地球の家来に違ひ無いです。月の上には山も有り谷も有りますから水も有り空気も有り海も有り川も有りますかと云ふに不幸にして其れは有りませぬ。若し有りましても分量が甚だ[rrubi]すくな[/rrubi]少くて迚も我々の測量に届かないです。其れでは月の世界には。人間みた様なものは有るであらうかドウであらう。其れは出さなくてもよい問題で有ります。毎度この席で化学の講談が有りますから諸君は定めて記憶して居らるるで有りませうが空気と水が無くては人間の生活は出来ませぬ。月には空気もなく水もない以上は人間は居る気づかは無い。尤も全く無い訳ではなく少し位は有るかも知れませぬから事によツたら下等の動物[rrubi]ぐらい[/rrubi]位は居るかも知れませぬ。けれども我々みた様なものは居ない。して見ると我々の家来の月は形から大きさもよく地球に似たもので有りますが其の表面に我々の党類は住ツて居ない、申さば[rrubi]あ[/rrubi]明き[rrubi]や[/rrubi]家みた様なもので有ります。 先づ此の位で月のお話しはおきまして此の外に何ぞ地球の近所に居るものが有るか知らんと言ひますと我々の目につくものは太陽で有ります。太陽は距離を精密に測量することの出来るものの中にはいツて居ます。併し月の距離の様にやさしくは有りませぬが測量の出来ないことは有りませぬ。今日の所でも三千七百八十五万里余といふことは知れて居ます。箇様に夥しい距離に居ながら月と同じ位に見えます。して見ると非常に大きいものに違ひない。現に勘定して見ますと直径は三十五万二千六百二十三里で地球の直径の百八倍半ほど有ります。さツきの一寸の玉を地球の雛形としまして太陽の雛形はドンナものであらうといふと一丈一尺ばかりの玉を三丁半の距離に置いたのが太陽になります。一寸の玉は手の指ででもまはりますが一丈一尺の玉は両手でも抱きまはすことは出来ませぬ。同じ大きさに見えても月と太陽は非常な違ひで月は地球より小さいけれど太陽の方は地球よりも[rrubi]はるか[/rrubi]遥に大きい。其れのみならず月が地球のグルリを回ツて居ると同様に太陽のグルリを地球が始終グルグルと回ツて居る。さうすると我々はモウ威張れない。[warichu]〔聴衆笑ヲ含ム〕[/warichu]今までは月を付属にして居ツたが今度は我々が太陽の家来と言はざるを得んです。[warichu]〔聴衆拍手喝采〕[/warichu] 太陽と云ふものは非常に明るい非常に熱いもので、よく調べて見ますと凡そ地球の上にあらゆる光りと熱は直接に太陽から来ないまでで皆間接に太陽から来て居るので有ります。ここに[rrubi]とぼ[/rrubi]燭しますラムプも、そこでたいてありますストーヴも皆太陽がたいてくれるので有ります。又我々が手を動かすも足を動かすも皆太陽が動かしてくれるので有ります。此のことはこの理医学講談会に[rrubi]つづ[/rrubi]続いてお出でになるお方は忘れてお出でにはありますまい、即ちStephensonが「蒸気車の走るのは太陽が動かすのだ」と言ツたと云ふことを桜井[warichu]〔錠二〕[/warichu]先生が講談になりました。其れが私の今申しましたことと同じ趣意で御坐います。して見ると太陽は我々の為めの生活の根元で有りまして随分主人親分と貴んでも我々は恥じる所は有りませぬ。 そこで太陽のグルリを、地球が回ツて居る、其の一遍回ツて元の所へ来ます間が即ち一年と言ふもので有ります。そこで太陽が地球を引きつれて居るばかりで外に地球のツレは無いか、地球は月といふ僕とタッタ[rrubi]ふたり[/rrubi]二人づれで毎年太陽のグルリを旅行する[rrubi]わけ[/rrubi]訳のものか、これは調べなければならない。然るに近頃地球の同士が沢山あるといふことが発見になりました、其の地球の同士は学者は其れを惑星と名づけまする。いくらも有りますが最も名高くて諸君の御存じのは西郷星で有ります。[warichu]〔聴衆笑フ〕[/warichu]西郷星とは一時の名で実は蛍惑星とも火星とも言ひます。肉眼で見ますと赤い星で時としては同し所にジッとして時としては非常に早く動く星です。支那人は之をひどく恐れまして蛍惑がどこそこに来ると、どこそこに災か起るなどと言ツて恐れたもので有ります。其れから[rrubi]よひ[/rrubi]宵の明星或は[rrubi]あけ[/rrubi]明の明星とも云ふ星で有ります。これは太白星とも長庚星とも言ひ或は金星とも言ひます。昔し或る唐人が母の胎内に居るとき此の母が長庚星が懐に這入ると云ふ夢を見たので生れた子の名を[rrubi]はく[/rrubi]白とつけ[rrubi]あざな[/rrubi]字は[rrubi]たいはく[/rrubi]太白と言ツて酒飲みの詩人で世に知られた人で有ります。併しコンナむづかしいことを言はなくツても諸君が御承知の山陽の詩に「太白当舟明似月」と云ふのが此の星のことで御坐います。[warichu]〔聴衆拍手喝采〕[/warichu]其れからまだ辰星と申しまして太陽のソバに居て滅多に離れない太陽の秘蔵子、太陽のおそばさらずが有ります。此の星を水星とも申します。次に木星と言ふ星が有りますが、これは歳星とも唱へます。支那では昔貴まれたもので、正月元日の或る時刻に此の星の居る方をあき方とか何とか唱へて賞翫したものです。これが木星で其の次ぎは填星一名土星と言ひます。これは運動が随分のろい、支那は物の優美を貴む国で有りますから大層此の星を珍重しました。[warichu]〔聴衆拍手喝采〕[/warichu]肉眼で見ましては木星に少し小さい位ですが望遠鏡で見ますと其のグルリに[rrubi]つば[/rrubi]鍔が有ります、丁度鉛の玉のグルリに剣術の竹刀の鍔でもつけた様に見えるもので有ります。これだけが昔し五星と言ツたもので有ります。其の後ち天王星、海王星と言ふものが発見になりましたが其れの中に一つはヤット肉眼で見えるといふまでで今一つは望遠鏡で無ければ見えませぬ。此の外にもまだ有りますが此の位でおいて外のことに移りませう。 今までお話ししました星の中で一番我々のよく観測の出来ます星は火星即ち螢惑星で有ります。矢張り太陽のグルリを回ツて居る星で地球と同様に自分には明りを持たないで太陽の明りを借りて照ツて居ります。所で此の星は地球の軌道の外を通ツて大陽を[rrubi]めぐ[/rrubi]繞ツて居ますから若し太陽の向ふの方に此の星が居る時には大陽のソバに見ゆるもので有りますから距離が遠い時である上にまぼしくて見にくいですが之と替ツて地球が此の星と太陽との間にはいりますと此の星の距離が非常に近くなる上に丁度大陽の光をマトモに受けて満月の様に見ゆるので余程よく其の表面を観測することが出来る。天文学者が知ツて居るものの中で月が一番よく知れ其の次ぎは火星で有ります。さて火星の表面にも山が有り谷が有るかと云ふに月の様に精密には知れない。併し海も有り陸も有ることは確に知れて居るです。月の観測の時には海は無いと云ふことを申しましたが火星を見ますと陸も有れば海も有る、海が有れば蒸発気が有るから雲も有る訳です、又現に有るです。雲が有る位だから空気も有る。又地球に似て南極北極と云ふものが有り此の南極北極には時候の如何に抱はらずいつも氷がはりつめて居ます。これなぞは全く地球と同じ事です。其れから火星と云ふ惑星の大きさはどの位かと言ひますと地球よりは少し小さい。小さいと云ツても月と地球との割り合ひ程では無い、月よりは大きい、直径が地球の半分よりは大きいです。前にも言ひました通り此の星も同しく太陽のまはりを回ツて居りまして地球が内の方を回ツて居ますと火星が外を回ツて居ますこれが我々の第二の道づれで有ります。 道づれどこでは無い今言ツた通り火星は全く地球に似た星で有りますから地球には人間などが居ると反対して若し火星の表面に動物が無かツたら其れの方か却ツて不思議で有ります。全く動物植物の生活の出来るのは空気が有ツたり水が有ツたり其の外の色々のものが有ツたりするからです。然るにそんなものはソックリ火星の表面に有るからしては必ず動物植物などもソックリ有るに違ひない。其れに若しも無ければ其れの方が却ツて解しにくい。そこで地球の表面に我々の住ツて居ると同様に火星の表面の上にも人間か人間の様なものが住ツて居るに違ひ無い。天文学の開けない時分には人間は高慢で日も月も地球のグルリを回ツて居る、動物は地球の表面にしか居ない、智慧と言ものは人間よりほかは持たない、人間の上は[rrubi]すぐ[/rrubi]直に神だと思ツて居りましたが今では外の世界にも人民のある事が知れた。して見れば外の世界にはどれだけ人間世界より進んだものが有るかも知れない。段々と想像を回らして見るとハテシが無い位で有ります。今日理学や其の外の学問をする人が満足する有様に至らないので追々開化が進んだら黄金世界になると云ツて楽んで居る人が有りますが其の黄金世界に既になツて居る所が有るかも知れない。[warichu]〔聴衆拍手喝采〕[/warichu]条約書に一筆加へたとか加へなんだとか消したとか消さないとか子供の水懸論の様なことをして[rrubi]はて[/rrubi]果は大戦争に及ぶと云ふ様なことなぞは火星の表面の上には無いかも知れない。[warichu]〔聴衆拍手喝采〕[/warichu]併し事によツたら火星の住民はズット野蛮で有るかも知れませぬが、さうしたら金星か其の外にズット進んだのが有るに違ひ有りませぬ。 そこで其の通りにイクラも地球の仲間が有ると云ふことを申し上げましたが其の中太陽から測りますと地球より遠いものも有れば近いものも有り、内の方を通ツて居るものも有り外の方を通ツて居るものも有る。一番遠方に居るのが海王星で十一億三千七百万里で有ります。そんな大きな数を持ち出しても例の通り見当が分り兼ねますから雛形を以て解き明しませう。先づさツき申しました直径一寸の玉を地球の雛形とし一丈一尺の玉を太陽の雛形とします。さうすると一番近い星即ち水星は距離が一丁と十五間で[rrubi]さしわたし[/rrubi]直径が三分七厘少し余で有ります。即ち三分七厘余の玉を一丁十五間の所に、置いたのが水星の雛形になります。其の次ぎは宵の明星即ち金星で有ります。これは距離は二丁と二十間で地球より少し小さいですけれども、大凡は地球と同じと言ツても宜しい。其の次ぎは地球で有ります。これは三丁半、半は少し大げさで其の実は三丁と十四間程で大きさは即ち一寸の玉。其の次ぎが蛍惑星即ち火星で太陽の雛形から四丁と五十五間先づザット六丁の処に五分三厘に足りない玉が有るのが火星の雛形で有ります。これまでは皆地球よりは小さいか大凡同し位の球で同し親類と看做せば看做すことの出来るもので有ります。火星から木星に移る間に距離が離れて来ます。其の間に非常に小さな惑星が有ります。其の数は夥しいことで今日まで発見になりましたのだけが二百いくつと云ふ程ありますが其れでおしまひでは無い、化学の元素よりは甚だしく毎年いくつも発見されますから今日申した数が明日はウソになりますかも知れませぬ。其れから木星は十七丁の距離に在りまして太陽を一丈一尺とすると木星は一尺一寸あります、直径が太陽の十分の一ありまして地球からの距離は太陽よりは余程遠い。其の次ぎに土星は三十一丁の所で木星より小さい、[rrubi]ほとん[/rrubi]幾ど九寸三分程で有ります。其の次ぎが天王星、これは三寸八九分の玉で距離は一里二十六丁の処にあり、海王星は三寸八分の球で大陽を距ること二里二十五丁幾ど三里で有ります。 地球の雛形の一寸の玉を太陽の雛形一尺一寸ばかりの玉より三丁と十四間ほど離すと見れば海王星は本郷よりも王子よりもズット遠くの処に置かなければならない、其れだから其の雛形をここへ持ツて来ることが出来なかツたので有ります[warichu]〔聴衆大ニ笑フ〕[/warichu]実に此の世界は広いもの(此の世界とは皆なを概した世界で)其れに[rrubi]くら[/rrubi]比べると地球は誠に小さいものだ。周囲が僅か一万里ばかりと申しましたのはここです。私は大きなことが言ひたいから一万里を小さいと言ツたのでは無い、海王星の距離などに比べると実に言ふに足らぬ位だから小さいと言ツたので有ります。[warichu]〔聴衆拍手喝采〕[/warichu] 其れでは太陽からして海王星までの距離は夥しいかと云ふに、さう言へない場合が出て来ます。其れは跡でお話ししませう。 今まで申したことをつづめて申しますと太陽は大きい熱い明るい玉で其のグルリを惑星と言ふ世界が回ツて居る。或は遠く或は遅く或は早く運動しますがいづれも自分で熱や光りを持たない、皆太陽から[rrubi]しおく[/rrubi]仕送りをして貰ツて居るのです。例ヘば太陽は一軒の[rrubi]あるじ[/rrubi]主であツて、あとのものは其の子供だとすれば月は地球の眷属で太陽の孫で有ります。地球の外にも眷属を持ツた惑星が有るかと云ふに随分有る。先づ第一に火星には二つほど眷属が有る、二つほど月をみた様なものが有る、其れは衛星と言ひます。これは近頃亜米利加のワシントンの天象台の教師[rrubi]アザフホール[/rrubi]Asaph Hallと言ふ人が発見いたしました。次ぎに木星には月の様なものが四つついて居る。望遠鏡で木星を見ますとドンナけちな望遠鏡でも星の[rrubi]まんなか[/rrubi]真中の所に筋の様なものが見えます、丸に一文字の紋所とでもいふべき形に見えます。此の筋と同じ向に彼の四つの衛生が時としては玉を並べた様に四つとも一直線に見えます。其の次ぎには土星これは余程贅沢な星で[warichu]〔聴衆笑ヲ含ム〕[/warichu]八つほど眷属を引きつれて居ります。次ぎに天王星海王星これにも眷属が沢山ありませうが天王星に四つ海王星に一つしか見えませぬ。大陽は[rrubi]おやぢ[/rrubi]親父で惑星は[rrubi]こ[/rrubi]子、衛星は[rrubi]まご[/rrubi]孫であります。其の中で地球は第何番の子だと云ふことも知れました。此の家内のことを總称して大陽系と言ひます。系は系図の系の字で有りまして私が親子眷属に譬へましたのは決して無理では無い[rrubi]ひと[/rrubi]他人が太陽系と付けましたのも私の言ツた通りの訳柄だからで有ります。」さてこれでズット前に言ひました「地球は何の中であるか」といふ問に対して「太陽系の中である、地球は太陽の眷属の一人である」といふ答へが出来ました。 これから先きがむつかしくなる。「太陽系は何の中か」と言ひますに先づ第一に我々の地球などに比べると夥しい大いもので有りますが矢張り近所に同士が有るであらうか、まるで世界の中に孤立して居て外に党類は有るまいかと云ふに天の中には日と月と惑星と其外に星と言ふものが有る。先づ星と言ふものは大事のもので天文学のことを星学と言ふ位で有りますから星のことを言はなければなりませぬ。さて星が我々の太陽の様なものでは無からうかと云ふ疑ひが起る。これは誰でもかう疑ふことです。(尤もこの誰でもとは、どの学者でもと云ふことで有ります)学者の眼から見ると惑星が地球の党類で有ると同様に星が太陽の党類では有るまいかと考へます。併し[rrubi]しろうと[/rrubi]素人は其れにしては星は余り小さいと言ひます。小さいとは眼で見て小さいので眼で見て小さいのが果して小さいので有るかドウか分からない。家根の上から下をあるく人を見れば小さい、山の上から人のあるくのを見れば、まるで蟻のはふ様に見える、其れだから人は小さいと言ツたらドウでせう。[warichu]〔聴衆拍手喝采〕[/warichu]遠い所に居るのだから小さく見えても実は非常に大きいかも知れない、大きい小さいの争ひは例の距離の知れた上でなければ論にならない。[warichu]〔聴衆拍手喝采〕[/warichu]星の距離は月の距離を測りますのから見ますと余ほどむつかしくなります。第一今度は物さしが地球の直径ではいけなくなります。三千二百里も有る物さしが最早[rrubi]ま[/rrubi]間に合はなくなツて来ますからモウ少し大きい物さしでなければなりませぬ。今度の物さしは地球の太陽のグルリを回る軌道の半径即ち地球と太陽の距離を取りませう。此の物さしの両端から測量して見ても大かたの星の距離は大き過ぎて測量することが出来ませぬ。先づ今日までに知れて居ります距離の中で一番近いのが今の物さしの二十二万千八百倍で有ります。地球から太陽までの距離が三千七百八十五万里で随分大きなものですが、こんな大きな物さしを工夫して見ましても二十二万などといふ大きな数が出ます。さツきの雛形を用ひますと海王星を太陽から三里ばかりの所へ置きまして此の星をば一万九千九百里ばかりの所に置かなければなりませぬ。こんな長い距離は地球をグルッと回ツても有りませぬ。して見ると云ふと此の一番近い星まで往くには非常な距離を通らねばなりませぬ。箇様に遠くに居るから、あの通りによく見ゆるからしては余程明るいもので、あんなに小さく見えても実は非常に大きく無ければならないと云ふことが分ツて参ります。現に此の割り合ひによツて見ますと我々に見ゆる星は中には太陽よりは小さいのも有りませうが太陽より大きいのも有りますか知れませぬ。 此の一番太陽に近い星は何で有るかといふに不幸にして東京からは見えませぬ。其れは[rrubi]アルフア セントーリー[/rrubi]α Centauriといふ星で有りますが其れは鹿児島辺か高知辺からは見ゆる星で八月の頃、宵の中にチョイと出て、やがてひツこむ星で有ります。これが一番近い星で有りますが近いと云ツても随分遠い。モウ一つは白鳥宮といふ所の六十一号の星で今申した星から見ますと三倍ばかりも距離が遠い。此の様に遠い距離になりますと雛形でもおツつかなくなりズット気張ツた物さしにしましても余り大きい数になりますから星学者は広大無辺の物さしを作ります。其れは何で有るかと云ふと[rrubi]あか[/rrubi]明りの一秒時間に行く距離です、明りの行くのはいくらか時を費します、若し時間を費さないで行ツたら不思議です。そこで明かりが或る所から出て或る所に達するには時間を費すに違ひ無いが併し余ほど早いもので太陽から我々まで来ますに十[rrubi]ぷん[/rrubi]分はかからない[rrubi]ほとん[/rrubi]幾ど八[rrubi]ふん[/rrubi]分と少しで来ます、丁度九段の坂下からここ[warichu]〔一ツ橋外〕[/warichu]まで人力車で来る位な間に来ます、僅か一秒時間に七万六千里ほど走りますから地球のかたツ[rrubi]ぱう[/rrubi]方の端から、かたツ[rrubi]ぱう[/rrubi]方の端までゆくに[rrubi]めばた[/rrubi]瞬きをする程の時間はかかりませぬ。月まで行きますにも二セコンドはかかりませぬ。其れが[rrubi]アルフアーセントリー[/rrubi]α Centauriから[rrubi]く[/rrubi]来るには三年と六ヶ月かかり白鳥宮からは其れの幾と三倍で九年と三ヶ月かかります。でありますから其の星に何か一朝変動が生ずるか或は全く比の星が無くなツても其れから九年と三ヶ月たツて初めて[rrubi]わか[/rrubi]分る、其れまては分りませぬ明りが途中でまごついて居るから。[warichu]〔聴衆笑フ〕[/warichu] これからして外の星と云ふものはこれより遠い。遠いと云ふことは知れて居るがどれだけ遠いかと云ふことは知れませぬ。今まで申しました星は肉眼で見ゆる位な星です。此の外に望遠鏡で無ければ見えない星が沢山ありますが其れは小さいから見えないのか遠いから見えないのかといふと其の問題は本当には解けない。いくらかの大きさに見ゆる星は小さいものが近所に居るのか、大きなものが遠くに居るのか知れるものでは無い。さりながら、ならして言ツたら数多の星の中で大きく見ゆるのは近いので、小さく見ゆるのは遠いのだと思へば平均の上では大違ひは有りますまい。そこで色々な星の明りの分量を比較して段々と距離の比例を取ると非常の遠くに居ます星が有ります。今の[rrubi]アルフアーセントリー[/rrubi]α Centauriより一万倍乃至三万倍位の距離に居る星が[rrubi]たしか[/rrubi]確に有る様です。こんな星から出立した明りは一万年から三万年ばかりもかからなければ地球まで来ない。三万年の昔こんな星が無くなツて居ても我々は今に有ると思ツて居るです。箇様な遠方に若し我々の親類が居ても便りといふは唯明り使ひばかり、ことによると余程遅い新聞を受け取る様な事が有ります。[warichu]〔聴衆笑フ〕[/warichu] そこで此等の星を観測して見ると中には面白い星が有る、一つ二つ三つ四つなどとかたまツて居る星が有る多くは散らばツて居ますが中にはコンナにかたまツて居ます。先づ二つかたまツて居る星は肉眼で見ますと唯一つの星の様に見えますが望遠鏡で見ますと二つに分れて見え、多くは一つは大きく今一つは小さく、かたツ[rrubi]ぱう[/rrubi]方がかたツ[rrubi]ぱう[/rrubi]方を回ツて居ます。丁度地球が太陽を回り、月が地球を回る様に見えます。して見ると一つが親分で、あとが子で有りませう。併し太陽系では明りを持ツたものは太陽一つでしたが其の世界では確に明りを持ツたものが二つは有りますが外に惑星の様に明りを持たない眷属が多分有るだらうと思はれます。して見れば全く太陽系と同じ様な世界で有ります。三つ以上組み合ツて居る星も矢張り同じ様な運動をして居ますのが有ります。して見ますと果して我々の太陽系は外にツレがあるのです。色々な星の中に二つ以上組み合ツてある星で無ければ本当に回ツて居るか居らぬか分らない様ですが肉眼では見えないがよく調べると何かのグルリを回ツて居る様に見ゆるといふ場合が有りますから比の色々の星は皆太陽で其のグルリに多分回ツて居る惑星があると云ふことが察せられます。そこで我々の太陽の同士が即ち此の星と云ふもので有るといふことが分ります。其の同士は非常に沢山あるのですから太陽系みた様なものは天の中に沢山あります。 段々先きへ行くに従ツてチットづつ分りかねて参ります。併しモウ少し分るものが有る。其れは何で有りますかと云ふと一体、星と云ふものはどの辺には沢山あツてどの辺には少ないといふことからして我々の眼に見ゆる星は何かの部分を為して居るといふことが[rrubi]ほぼ[/rrubi]粗分る様で有ります。諸君御存じで有りませうが秋の頃に天を見てお出でなさると真ツ白なものが有りませう、雲かと思へば雲で無い睛天のときにも見ゆる、併しながら少し月が出たり何かすると見えなくなります。これはアマノカハと言ひます。西洋では「乳道」と言ひます、其れは乳をこぼした様で有るからさう言ツたので有ります。支那では「銀河」と言ひます、銀に其れを見立てたのは奇麗だからで有ります、併し銀よりは立派です、銀河其れに譬へられて仕合せです、迚も銀などの及ぶことでは無い。其れも昔は銀河はどんなものだかよく知れなかツたですが望遠鏡で見ますとアマノガハは全く星のかたまりです。濃い所になりますと夥しく星があります。一体、肉眼で見えない星が沢山ありますが其の中で此のアマノガハの上にある星が一番多い。又アマノガハの外にある星の中でも精しく調べて見るとアマノガハの近所が一番多くて其れから次第に少なくなる。大きな[rrubi]つぶ[/rrubi]粒々とした星はさうでもないが小さな星がアマノガハの方に行く程多いです。其れからして比のアマノガハと云ふものは地球から見ますと帯の様にして天をグルッと取りまいて居ます。して見ますと其の中に我々がはいツて居るに違ひない。[rrubi]おほかた[/rrubi]大方アマノガハと云ふものは円い者をおしつぶした様な[rrubi]かたち[/rrubi]形したもので有るさうです。其れだけは幾ど確に見ゆる様で有ります。其れには譬へを取らないといけませぬ、ここによい物が有ります[warichu]〔比ノ時講談者テーブルノ上ニアリシ盆ヲ聴衆ニ示ス〕[/warichu]アマノガハといふものは此の盆の[rrubi]かたち[/rrubi]形をして居るとしまして、そこの中に我々の太陽系がはいツて居るとしますと或る向には星が少しほか見えず或る別の所には星が沢山見えませう。而して星の沢山見ゆる部分は帯の形して天を取りまいて居る様に見ゆる筈で有ります。そこから見ますとアマノガハは星のかたまりで太陽も地球の仲間もそこの中に居るに違ひない。其れですからさツきの問題をのばして「地球は何の中であるか」と言ツたら「太陽系」「太陽系は何の中か」と言ツたら「アマノガハの中だ」と言ふことが出来ます。 あらゆる星は皆悉くアマノガハの中であらうか或はアマノガハの外に有る星もあらうか、あらかた先づアマノガハの中で無ければならない。然るに中にはアマノガハの[rrubi]かたち[/rrubi]形した星が有る、ではない星のかたまりが有ります。望遠鏡で見ますと星のいくつとはなく簇ツて居る者が沢山ある。併し肉眼では見えませぬ。其れからして又其れと類似したもので矢張り肉眼で見ては見えず望遠鏡で見ると云ツても雲の様に見えて[rrubi]つぶ[/rrubi]粒々とした星のかたまりの様に見えないのが有ります。其れは星雲と言ひまして近世になツて大層名高くなツたもので有ります。此の星雲の中にはチョットした望遠鏡で見ては唯雲の様に見えても少し強い眼鏡で見ると星のかたまりの様に見ゆるのも有り、又今日世の中にある極上の望遠鏡で見ても矢張り雲の様に見ゆるのも有ります。其れとても矢張りアマノガハみた様な星のかたまりで望遠鏡のモットよいのを用ひたら粒々と見ゆるもので有るまいかと云ふ疑ひが起りますが此の頃、分光器と言ふものか発明になりまして総ての物体が瓦斯か固体かと云ふことを見分けることが出来る様になりまして此の純粋の星雲は常の星と違ツて瓦斯だと云ふことが知れました、全く瓦斯で無いにしても瓦斯の部分が多いと云ふことです。又其の位置はと言ふと或はアマノガハの近所に在るものが有り或はアマノガハと方角の違ツた様に見ゆるのも有ります。そこで又アマノガハの中にも大分瓦斯体であツて望遠鏡で見ても矢張り雲の様に見える部分も有ります。ここに至ツて説が二た通りつけられます。或はアマノガハと云ふものは我々の見る所の限りで總てあるとあらゆるものは星でも星雲でも皆この中にはいツて居るものであるかも知れず、或はアマノガハの外にアマノガハみた様なものが沢山[rrubi]ち[/rrubi]散らけて居て其れが彼の所謂る星雲でアマノガハから其れへ移るのは丁度我々の太陽系から脇の太陽系に移る様なものであるかも知れませぬ。此の二番目の説にすれば最初の問題に続けて「太陽系はアマノガハの中」「アマノガハは数多ある星雲の中の一つだ」と言へます。併し此の説は全く確な説では有りませぬからハッキリとは言へませぬ。ことによれば第一の説の如く我々の見ることを得るだけ随ツて知ることを得る限りのものは総て皆アマノガハの中にあるものでは無からうかとも思はれます。若しも其の通りで有ると始めにお話しを申しました通りに段々推しつめて行ツて丁度今日の学問の有様では、これまでといふ所までこぎつけたかも知れませぬ。いづれにしても私の最初に持ち出しました問題即ち「我々はどこに居るか」といふ問題は立派に解けませぬが我々が今日の学力で解けるだけはドウかカウか解いた積りで有ります。 今日お話ししましたのは地理書の先きを言ツたので地理書は地球の中の事を調べる学問で私は地球の外へ出て言ツたので有ります。これだけでは実は余り面白くない。これよりも此の世界は始めドンナであツて今にドンナことになるかと云ふ話し即ち世界の歴史だと大層面白くなる。併しどの国の歴史を書くにも先づ其の国の地図から始めるのが順序ですから私は今日「地球の位置」と言ふ題で全世界の地理をザットお話し申しました。[warichu]〔聴衆拍手喝采〕[/warichu] 林 茂淳 筆記 ○節酒曾を賛成するの趣意 明治十八年三月二十二日大日本節酒曾の第一総集曾[warichu]東京神田区北神保町神保園[/warichu]に於て 杉亨二君演説 私は杉亭二と申す者で節酒曾賛成者の一人で御坐りますが節酒のことに付いては諸君の高論卓説もさぞかし多く御坐りませうが発起人諸君から亨二にも是非演説をしてくれとのお頼みゆゑ亨二は亨二だけの賛成いたした趣意を申し上げて見ようと思ひます。 酒のことに付ては古人も辛苦されたことと見えて或は「後世酒を以て国を亡ぼす者あらむ」と言はれ又「酒は百薬の長」とも言はれまして説が両端になツて居ります。さて酒は世間に数千年来行はれてありますが酒を以て国を亡ぼすといふ方には世間で賛成者が[rrubi]すくな[/rrubi]少くして酒は百薬の長だといふ方には賛成者が多い。[warichu]〔聴衆拍手喝采〕[/warichu]我が邦では子が生れるにも酒、縁組をするにも酒、祭礼にも酒、祝賀でも酒、喪礼でも酒といふ様に総て酒を飲むことが慣習になツて居ます。其の外、近来国を開化させるとか文明にしようとか国を富すとか強くするとか云ツて何社とか何曾とかを立てて人間社曾の大事業を企つる時などには、いつでも酒が[rrubi]なかだち[/rrubi]媒になりまして新聞紙などにも、いつ何曾が盛曾であツたとか大変な愉快であツたとか、いふことが見えて居ります。 また日本ばかりでなく西洋でも総て酒は人間の食物の様になツて居るのは西洋の人も歎息して居ることで有ります。一体御承知の通り酒と申すものはナルコチカと言ツて麻酔の効の有るもので之が為めに害を受けぬ者は有りませぬ。然るに今日、日本で「文明」と訳字を付けましたシビリザションといふものの意味を尋ねますれば月の中には兎が餅を搗いて居るとか[rrubi]かみなり[/rrubi]雷は太鼓をしょツて居るとか言ひましたが段々に開けて来て月といふものは、かういふもので決して兎が餅を搗いて居るでは無く、又雷は太鼓をしょツて居るものでは無いといふことが[rrubi]わか[/rrubi]分ツて来ます。また今日智慧を研き[rrubi]からだ[/rrubi]身体を丈夫にしようといふ様な[rrubi]すべ[/rrubi]総てのことといふものは皆このシビリザションの道理によツて分るもので有ります。然るにかのナルコチカを飲んで食物と同様に思ふのは実に條理が分からぬことでは有りませぬか[warichu]〔聴衆拍手喝采〕[/warichu]誠に不思議な[rrubi]わけ[/rrubi]訳では有りませぬか。[warichu]〔聴衆拍手喝采〕[/warichu] かういふ所から私共も説を立てて見て世間で酒を飲む人はどんな人が多いかと歴史などから考へて見ますと酒を飲む人は無慾の人であツて多慾の人は酒を飲まぬものだらうと思ひます。諸君はドウ思し召すか知れませぬが私は酒を飲んでは身体を弱らし智慧を鈍くし財を費すことになツて種々様々に人に弊害を及ぼして参りませうと思ひます。併し大慾の人はさうで無い、大慾の人は余り酒を用ひませぬ。歴史などを見ましても酒を飲まない人は古へより功を成し国家の為めになツた人が有りますが酒を飲んで大事業を仕遂げたといふ人は無い。大事業を仕遂げた人は何れも酒を慎んで慾の深い人で今日の行ひをよく省みて智慧を研き身体を丈夫にし財を惜む慾の深い人だと思はれます。小慾の人は酒を飲むことを好んで前に述べたようなことは致しませぬ。西洋の諺にも「酒が腹中に入れば、智慧は徳利の中に入る」といふことが有りますが[rrubi]なん[/rrubi]何と面白いことでは御座りませぬか。諸君はドウお考へなさるか知れませぬが私は面白いことと思ひます。私どもの実験にも世間にさういふ連中があツて往来に酔ひ倒れて警察官の厄介になツて、あとでは更に知りませんだツたなどといふ様なものは[rrubi]いはゆ[/rrubi]所謂る智慧が徳利の中にはいるのと、よく事実に合ふことで有りませう。それで酒を飲む者は無慾だといふことがよく分かりませう。己れの大切なる智慧までも徳利の中へ質物にするとは[rrubi]なん[/rrubi]何と無慾なものでは御坐りますまいか。[warichu][聴衆拍手喝采][/warichu] さて其のことに付て近頃ヒロソヒーが亨二に教えましたよく当る詞が有ります。あなた方は何とお思ひなさるか知れませぬが私どもは善いと思ひます。其れは[rrubi]ほか[/rrubi]外のことでも無い、「大いなる社会は大いなる慾、大いなる慾は大いなる社会」といふことで即ち「グレート ソサイチー は グレート エゴイスム で あり、グレート エゴイスムは グレート ソサイチー で ある」といふことで有ります。今日世界の大変動と思はれまする殖民政略などのことも大慾で有りますが独逸や仏蘭西や英吉利などの人が皆酒を慎んで[rrubi]からだ[/rrubi]体を丈夫にして智慧を研いたからで御坐りませう、報国をしようとか大事業を[rrubi]しと[/rrubi]仕遂げようとかいふに酒を飲んではそんなことは出来ますまい。そこでヒロソヒーで「大いなる社会は大いなる慾、大いなる慾は大いなる社会」と言ひますが若し「大いなる社会は大いなる酒[rrubi]ず[/rrubi]好き、大いなる酒好きは大いなる社会」と言ツては通り[rrubi]かね[/rrubi]兼る様です。其れを信仰する人が有れば其れまでのことですが「大いなる社会は大いなる酒好き、大いなる酒好きは大いなる社会」では実に[rrubi]をかし[/rrubi]可笑くなりませう。[warichu][聴衆拍手喝采][/warichu]一方のヒロソヒーの方は調子が合ふから人が聞いても感じましてよく[rrubi]きこ[/rrubi]聞えますが「大いなる社会は大いなる酒好き」と言ツつたら調子に[rrubi]はづ[/rrubi]外れたものと思いませう。諸君は「大いなる社会は大いなる慾」といふ方に御賛成の様に見ゆる、誠に面白いことです。どうか此の会も大いなる慾の仲間にはいツて段々諸君のお力を以て益々盛大にし知恵を磨き[rrubi]からだ[/rrubi]身体を丈夫にし財を貯へる様に致したいものと思います。財を貯へると言ツても決して吝嗇になるといふのでは無い、エコノミーの大主義でよくためてよくつかふが[rrubi]よ[/rrubi]宣う御坐ります。これは誰もトガメテの無いことでせう。どうか皆様のお骨折りを以て大慾の社会になることを希ひます。[warichu][聴衆拍手喝采][/warichu]賛成いたした趣意をちょツとお話し申しますまで。 林茂淳筆記 ○社会外に道徳なし 明治十九年四月二十日哲学会[warichu]東京本郷帝国大学[/warichu]に於て 加藤弘之君演説 「社会外に道徳なし」とは甚だ分かりにくき題なるべしと考ふることゆえ先づ初めに社会と云ふことから講釈をしませう。社会と云ふことは一つのきまりたる解は至りてむづかしい。世界の全人類は一つの社会であると云ふ説も有るがこゝに云ふのは若干の人民が共に合して一つの統御の権を受けて居るものを云ふので他の言葉で申せばネーション即ち国民と云ふことぢゃ。そこで此のネーション即ち社会を動植物の如き有機物に比したことは昔より有りたことなれども昔の説は有機物に似て居ると云ふ様なことで有りたが近頃に至りて社会は動植物と同じ様に全く真実の有機物ぢゃと云ふことになりた。私の知りて居る所では[rrubi]スペンセル[/rrubi]Spencer [rrubi]リリンフエルド[/rrubi]Lilienfeld [rrubi]セツフレー[/rrubi]Scha"ffle 等の人々が此の如き説を主張して居ることぢゃ。そこで社会は実に動物植物の様に生きて居て生滅することも消長することも盛衰することも総て有機物の規則に随ふものぢゃと云ふことが分りた。動植物の生理心理は矢張り社会の生理心理にもあてはまることぢゃ。 有機物は総て[rrubi]セル[/rrubi]Cell(即ち細胞)と云ふものが集合して出来て居る。[rrubi]セル[/rrubi]Cellと云ふものは矢張り一個独立の活動であることぢゃが、そこで社会にては人間が即ち[rrubi]セル[/rrubi]Cellで動植物の[rrubi]セル[/rrubi]Cellと全く同じことぢゃ。其の様なる訳ゆゑ社会は全く動植物同様に[rrubi]セル[/rrubi]Cellより集合したる所の一個の有機物ぢゃと云ふことを知るべきことぢゃ。そこで日本国民は日本国民と云ふ一つの有機物、英国国民は英国国民と云ふ一つの有機物で有ることぢゃ。 次に「社会外に道徳なし」と云ふことを説くに付ては道徳とは如何なるものかと云ふことを説かねばならぬことぢゃが道徳と云ふものは支那西洋とも古代の説には天然自然に有る所の吾人の守るべき法則ぢゃと云ふことなれども併し近頃の西洋の説では其れは甚だ間違ふたることで道徳は決して天然自然に有るものでは無くして人間社会に漸々に生し来り漸々に進化したるものぢゃと云ふ。其の証拠には道徳の開けた人民と開けぬ人民が有りて其の道徳とする所は全く表裏反対ぢゃ。如何なる訳で其の様に表裏反対して居るかと云へば昔の支那流で言ふと開けぬ者は知恵が有らぬゆゑ天然に定まりた道徳と云ふものも善悪邪正も知らぬが知恵が開けて来ると漸々に其れを知る様になると云ふなれども近頃の説では野蛮の国と文明の国とは善悪も邪正も顛倒して道徳は其の時の社会を維持し且進歩を営むの術ぢゃと云ふことで野蛮の社会では野蛮に相応した術を用ひて其の社会を維持し進歩を謀らねばならず、又開けた国では其の有様によりて其の社会を維持し進歩を謀らねばならぬ。故に野蛮の社会などでは誰も斯く為さむと思ふたのでは無からうが自然其れに相応した術が起り其の社会に相応した維持と進歩とを営むの術を得たものは漸々に栄え其れが出来ぬ社会は亡びたであらう。 今申した野蛮の有様に付て一例を挙れば盗賊を働いたり強盗などをする者を貴ぶ社会さへも有る。其の様な社会では強盗をする者が一番貴ばれる。其れのみならず強盗をする者が善でせぬ善で、せぬ者は悪ということになりて居る。其れはナゼぢゃと申せば強盗をするほどの者で無ければ社会を守ることが出来ぬからぢゃ。又生れ子を殺す風習の有る社会が有るが其の中にも女子を殺すのが多いことで其れが善いことになりて居る。其の様な社会では殺す者が善人で殺さぬ者が却りて悪人ぢゃ。其れは如何なる訳かと云ふと開けぬ社会には人口が増してはクラシが出来ぬ。殊に女子は身体も弱くて戦争も出来ぬから、なほさら殺さねばならぬ訳ぢゃ。又老人などが役に立たぬ様になると殺す社会が有ることぢゃが其れは如何なる訳かと云ふと其の様な社会では若し他の社会から攻撃されたときに足手まとひが有ると其の為めに負ける恐れが有るゆゑ本当の役に立つ者だけで無ければ他の社会と戦争をしたときに其の社会を保ちゆくことが出来ぬ。其れぢゃから働かぬ者を生かしておくと部落一般が害を被る様になるから其れ故、殺さぬのは却りて善くないことの様になりて居るのぢゃ。 昔羅馬の初めに「剛勇」と云ふ字と「徳義」と云ふ字が同じことで別に二つは無かりた。其れは剛勇即ち徳義と云ふことでありて行ひの正しい人を徳義の有る人と云ふ訳では無く強い人を徳義の有る人と云ふのぢゃから何でも強くなくてはならぬと云ふことになりて居たと見える。今いふ徳義にかなふた人でも其の時分には弱くては徳義の人では無かりた。盗賊を賞するのと同じことで何でも強いのが徳義で有りたと見える。そこで事柄が一つぢゃから従ふて字が一つぢゃと云ふことが分かるであらう。 又太古は夫婦の配偶と云ふものは全く無くて、たゞ禽獣同様に(こゝこらに犬や猫が居るのと同し様に)男女同居してゆくだけで有りたが少し開けて夫婦の配偶が出来る様になりても今現に多くの兄弟で一人の女房を共有して居る社会が有る。其の様な社会では男女共同の方が正しいので若し一人の夫が一人の女房をもつと却りて道に背くことになりて居る。 箇様なることが総て野蛮の国と開けた国と全く違ふて居る。善と悪とがまるでウラヘラで有る。其の開けの度に応して道徳善悪が定まることで其れで無ければ其の社会は立たぬことぢゃ。若し其のウラにゆけば其の社会は必ず滅びるに違ひ無い。今の開けた社会でもモトは箇様な社会から変遷して来たのに違ひ無い。其れは今から言へば道徳に背いた様なれども全く其の為めに其の社会を維持して参りたのぢゃ。これは実に余儀ないことで維持と進歩とを謀りてゆくには必要ぢゃ。其れゆゑ今申した様に今日から見れば悪人とも云ふべき者が却りて賞められ貴ばれたので其れに反して今日から見れば善人とも云ふべき者は却りて擯斥される風習になり盗賊を働いたり子供を殺したり夫婦の配偶をせなんだり老人や親などを殺すのさへも其の時には善い事になりたので其れが風習になり道徳の様になりて来たものと見える。 前に申したのは風習を比較する近頃の学者の考へであるが其れで見ると「天然に定まりた道徳と云ふものを野蛮の人は知らぬが開けて来ると漸々にそれを知る様になる」と云ふ理屈は立たなくなる。中華と誇る国でも文明を以て鳴る国でも一度は彼様な風習を通りて来たに違ひ無い。其の時、孔子や耶蘇が言ふ様なことをして居たならば其の社会は立ちはせぬ。其の時の道徳は其の時に適せねばならぬ、開けぬ時は開けぬ道徳の有るのは当たり前のことぢゃ。 昔開けぬ時分には道徳も法律も別に区分が付ては居らぬ。道徳と云ふても法律と申しても別にきまりては居らず、ただ其の社会の風習により為めになることなら賞せられて善いこととなり、為めにならぬものは悪いこととなりた。其れも進化した国では分れて[rrubi]く[/rrubi]来るのが当然ぢゃが進化せぬうちにはただ一つの風習と云ふもので有りたに違ひ無い。英国の開国史を書いた[rrubi]バツクル[/rrubi]Buckleと云ふ人が「道徳は思ひの外、早く開けてしまふて変化は無い、知恵は次第に開けて参るものぢゃが道徳は其れに反して居る」と申したなれどもこれは大いに誤りた説で道徳は右申した如く野蛮の時に在りては今日の道徳と全く違ふて居るし又開けて来た後でも今の欧羅巴と支那とは大いに違ふて居る。諸君も知らるる通り支那の君臣父子夫婦と云ふことなどは西洋のとは甚だしく違ふて居る。支那では上の方に十分、権をもたせて上の者は下の者を圧制するがよい、下の人は上に只管従順にせねばならぬと云ふことになりて居るが西洋では大いに人民の権を許してある。また支那では父子の間で子が親に対しては終身、権は無いなれども西洋では其の様なことは無い、夫婦の間でも男女同権と云ふ説が出て来るが如きは支那などとは大層違ふて居る、して見れば支那よりは西洋の方が進んで居ると思はれることぢゃ。[rrubi]バツクル[/rrubi]Buckleの言ふ様に進歩がないと云ふ様なことは無い、進歩は大いに有ることぢゃ さて法と道とは先刻も申した如くモトは分れなんだが開けるに従ふて分れて来たことぢゃが如何なる違ひに由りて道と法とが分かれたかと申すに道は他を利し法は己を利すると云ふことで分かれたのぢゃ。道と云ふものは何でも人の為めにしなくてはならぬと云ふことが本趣意で、己を利するの心を抱いてはならぬ、己を利する心はすてて只管他人の為めになることをせねばならぬと云ふこと、又法と云ふものは己を利することを許すは固よりなれども唯其の為めに他を害するの事を行ふてはならぬと云ふことが本趣意になりて居る。丁度道と云ふものは親類同士の寄り合ひで、法と云ふものは他人同士の寄り合ひと云ふ様なものぢゃ。併しこれは極度を申したことで本当は今日でもさうなりては居らぬ。希臘、羅馬で道と法とが始めて分かれて[rrubi]き[/rrubi]来た。政治上のことは法律でゆく様になりた。それから後、欧羅巴では政治上のこと至りては道徳の筋は用いひぬ、道徳は交際上におもなことで政府が道徳のことを以て責めると云ふことは無い。ただ自分の利益を謀ることは固より許すが其れが為めに人の害をしてはならぬと云ふばかりぢゃ。然るに支那は道徳を以て天下を治めると云ふ三代の主義で法律は賤しむる様になりて居る。併し支那でも三代時分と其の後の歴朝とは大いに違ひ、次第に後世に至るに及び法律が立ちて来て刑律其の外總て具りて政府のする仕事は法律の方がおもになりて参りた。併し天子は民の父母、民は天子の赤子などと云ふのは今日まで存する主義ぢゃが其れは全く昔の主義ぢゃ。其れ故政府の上でも矢張り道徳のことが、おもになりて居る様ぢゃ。それぢゃからドウも本当に分れたとは申せぬことぢゃ。 道徳は教法者が大層骨を折りて開いた。教法と云ふものも野蛮の教法と開けた教法とは大いに違ふ。野蛮の教法は道徳の意味は無くただ力の大いなるものを恐れ敬ふのみのことぢゃ。禽獣でも地震でも雷でも何でも総て人間の力で制することの出来ぬものが神様となりて居るのぢゃ。然るに進化して開けた教法では必ず道徳と云ふものが附き添ふて居る。そこで十分開けた。耶蘇教では仮令敵でも愛せねばならぬ、向ふから打ちかかりて[rrubi]く[/rrubi]来れば黙りて打たせておけと云ふ所までゆき、又仏教では人間のみならず禽獣にまで慈悲を施し決して残酷なことをしてはならぬと云ふことを教ふることぢゃ。されども其れは、まるで世界の開けた道理とは違ふて居ることぢゃ。野蛮未開の時には禽獣などが蔓延し人間の力は無かりたが人間の智慧が出来て害になる禽獣を除き用に立つものを使ふて其れで開ける様になりて来たのぢゃ。若し初めより仏教の教が行はれたらば人類は亡びたであらう。又今日文明開化になりたのも強い人種が弱い人種を打ち負かして勝を取りたからぢゃ。若し初めより耶蘇の教が行はれたらば文明は起らぬであらう。併しあまり残忍のことも沢山あるし殺伐なることも有るから教法者も其れを矯めようと云ふので右様の教を起こしたのぢゃ。曲がりたものを[rrubi]まツすぐ[/rrubi]真直にしようと云ふには真直にしたばかりては[rrubi]すぐ[/rrubi]直に元の通りになるから全く反対の点まで持て参らねばならぬことぢゃが其れと同じことぢゃ。仏法も耶蘇教も矢張り巳むことを得ぬことをしたのぢゃ。併し極めて必要なる点は越えてしまふて居ることぢゃ。所謂る[rrubi]アプソリユート ネセスチ[/rrubi]ーAbsolute necessity の点は越えて居ることぢゃ。然るに法は大いにヒカヘメなるもので唯人を害しさへせねば其れで許すのぢゃ。且法は政府が権をもちて居るから背けば罰することが出来るが道は開けた国では政府が搆はぬものぢゃから罰することは出来ぬことぢゃ。 併し道徳と雖も矢張り其の説く所の真の主義通りには参らぬものぢゃ。支那は道徳の国なれども決して己の利をすてて他人の為めにすると云ふ主義が本当には行はれぬことぢゃ。前に云ふ君臣父子夫婦でも君と父と夫との権は強く臣と子と妻の権は弱くて君と父と夫は自ら利して其れに対する臣と子と妻を害して居ることぢゃが其れが実は支那の道徳にかなふて居るものと思はれる。其れぢゃから他人を利して巳の利益を顧みる勿れと云ふ主義も本当に行はれるもので無い。其れのみならず法律の主義も矢張り主義通りには行はれぬことぢゃ。即ち己を利することを許すなれども他を害してはならぬと云ふことも矢張り今の文明と云ふ欧羅巴でも実際に十分行はれて居らぬ。啻に道徳が行はれぬのみならず法律の本趣意も行はれて居らぬぢゃ。僕の考へでは今日行はれぬのみで無く、いつまでも極十分には行はれぬであらうと思ふ。例へば英国は自由国ぢゃが貴族と平民が有りて上院は貴族が占め下院は人民の名代人が出るのぢゃが、さうして見れば貴族一般が人民の害を為してあるに違ひ無い、法律の上で一般人民を害する法が有るのぢゃ。其れなら共和政治は公明正大ぢゃから其の様なことは無からうと云ふであらうが、さうで無い。例へば亜米利加の共和政治と云ふて民権家は喜ぶが其れでも男と女とは大分違ひが有る。男には参政の権が有るが女には其れが無い。また議員を撰挙する権も亜米利加のは州によりて普通撰挙の国も有るがまた制度を立てて丁年の男子は誰でも撰挙にかかると云ふことが出来ず租税其の外、種種のことによりて出来ると出来ぬの違ひが有る。して見れば只今でも権を得たものは権を得ぬものに向ふて害を為して居るに違ひ無い。女に参政の権を与へぬのは女から参政の権を奪ふてあるので他を害する法が立ちて有るのぢゃ。則ち一方の人を利して一方の人に不利なる法律が立ちて居るのぢゃ。併しこれは多くは其の社会に必要なことぢゃから決して悪いこととは申されぬぢゃ。 又いつまでも、やまぬであらうと云ふことは政府が刑罰の権を持ちて居ることぢゃ。[rrubi]わる[/rrubi]悪いことをした人を害するに首を斬るとか又は懲役に処するとか禁獄に処するとかするが其れは悪い事をした人の為には実に迷惑の訳ぢゃ。悪い事をしたから刑罰に処するが当然ぢゃと云ふ説も有らうが悪い事をしたとて同じ人間同士で有りながら一方の人間を処罰することの出来る法則は誰が立てたことか。これは社会の為めにすておく訳にゆかぬから悪い事をせぬ人が巳むことを得ず立てた法ぢゃ。当然と云ふ訳では無けれども社会の維持と進歩との為めに必要な事ぢゃ。併し悪い事をした人から云へば政府の為めに害せられるのぢゃ。して見れば他を害することを行ふてはならぬと云ふ主義は立たぬでは無いか。人間の有らむ限りは刑罰の無くなる時は無からう。世の中が開けてくると黄金世界になるとか言ふ者も有るが其の様なことは実に夢の様な話しで国が有れば刑罰が有る訳で刑罰の有る上は悪い事をした人は到底害を受けるのぢゃ。其れぢゃから法律と道徳との本主義を云へば先刻言ふた様な訳なれども併し全く十分には行はれぬに相違ないと申すのぢゃ。 これから肝腎の話しになるのぢゃが今言ふた通りぢゃから「社会外に道徳なし」と云ふことは社会を為して居らぬ者同士の間に道徳は無い。英国とか仏国とか日本とか支那とかは各々別々の社会になりて居る。社会が進化して来た所で其の維持と進歩とに必要だけに道徳と法律とが進化して来て居ることぢゃ。其れ故ドウしても一つの社会を為さぬ者同士の間に道徳の行はれると云ふことは無い道理ぢゃ。西洋人が亜米利加や澳地利や印度などに往いて残忍のことをしたり又亜細亜各国に対して勝手次第のことをしたり忌憚なく不條理のことを為したり其れのみならず同じ開けた西洋の各国同士でも道理の立たぬ様なことをするのは互に社会を為さぬ者同士の間では当然のことであらうと思はれる。社会を為して居らぬからには自分の利益を謀るだけでありて自分の利益と他の利益と合はねば自分の利益だけ謀ればよい、他の利益を顧みる訳には参らぬことぢゃ。其れは固より当り前のこととせねばならぬ。其れは黄金世界にならぬ故ぢゃとて歎く人も有るが成るほど一応は尤もで、さうなりたいことは、なりたいなれど其れよりは各国が今日まで未だ一つの社会にならぬのが歎はしいと言ふ方がよい。各国が一つの社会になりても道徳が行はれねば其の時こそ始めて道徳の行はれぬのを歎くがよい。今各国の間に道徳が行はれぬのを歎くのは順序を失して居る。其れよりは一つに寄りて大きな社会を拵へる様にしたいものぢゃ。其れの出来ぬのを歎息するのが歎息の順序で其の後に猶ほ道徳が行なはれぬならば其の時こそ其の事を歎息すべきことぢゃ。欧羅巴人が亜米利加の土人を逐ひまくりて其の土地を奪ふてしまひ、開けた印度も奪ふてしまひ、近頃は朝鮮の領分の巨文島を勝手に取りてしまひ、安南でも緬甸でも勝手のことをして実に道徳にも何にも搆はぬ。又耶蘇教師までも其れを何とも思ふて居ぬ様ぢゃ。耶蘇教師などは小さき事には善いとか悪いとか喧しく言ふくせに、さういふ大きなことになると少しも何とも言はぬことぢゃが其れが自然今日にありては巳むを得ぬ当然の処置であるからであらうと思はれる。さりながら今日世界の有様を見ると各国の有様が昔と事違ひ商売が開け工業が開け世界の痛痒相感する様な有様になりて互に利害の関係が有る。そこで今日国と国との間には道徳に合はないことをやるが一己人同士ぢゃとて他国の人でも国内の人と甚だしく違ふては居らぬことで随分互に深切を尽すと云ふことが有る。併し国と国との間になると万国公法と言ふものが有るなれど己の利これ見ると云ふ有様でやりて居る。併し国と国との間にありても近来は交際が益々盛んになりて来たから利害を感することが多い。故に電信だの郵便だの互に條約が有り又今日[warichu]〔明治十九年四月二十日〕[/warichu]の官報に出て居た様に日本でも欧羅巴のメートル條約に加入したが又子午線のことにも加入する様になるだらう。さすれば国と国とが段々と相結合して先づ一の社会[rrubi]やう[/rrubi]様のものを為すことになり一つの法律を用ふる様になるであらう。尤もどれほど年数がたツたら、さういふことになるか知れぬことなれども今の勢ひでは段々其の運びになるであらうと思はれる。さうしたら先刻申した法律の主義と云ふものは無論行はれる様になるであらう。さうすれば世界が大きな一個の有機物になる。其の時に至りたら一つの国は有機物の一部分ぢゃから無理なことをしても国威を輝かさなければならぬと云ふことも無く彼我の差別も漸々に薄くなりて来て、そこで道徳も大いに行はれることとなるであらう。尤も其れは実に夢の様な話しなれども間違ひ無いことと思はれる。其れまでの間は各国が何分にも社会を異にして居るから其の間に道徳の十分行はれる道理が無い。今日各国の間に道徳の行はれぬは決して怪むに足らぬことぢゃ。道徳は社会の維持と保存との為めに出来たものぢゃ。其れ故、社会を為さぬ者同士の間に其れが行はれぬのは当然のことぢゃ。 さて此の事に就ては猶ほ委しく説かねば意を尽さぬなれども既に一時半を費して最早五時にもなり猶ほあとの演説も有ることであれば甚だ不完全ながら今日はこれにて了ることで御座らう。 林茂淳筆記 [warichu]速記叢書[/warichu]講談演説集第二冊 明治十九年十月発行 ○仮名世界の準備 明治十八年一月二十五日仮名の会員の[rrubi]おほよりあい[/rrubi]総集会[warichu]東京神田区錦町学習院[/warichu]に於て 近藤真琴君演説 私はとんと演説を致したことは御坐りませぬ。ただ生徒を集めて講釈を致したことは御坐りますが甚だ不調法で御坐ります。先づ仮名文字は便利でありモロコシ文字は不便であるといふことは諸君のお話しもあり殊に外山[warichu]〔正一〕[/warichu]君のご演説は尤もで何も彼もふるツて支那文字の不便なこと仮名の便利なことを述べられましたから今日私はそこは申しませぬ。ただ愈々広く益々盛んに此の会の成りゆくことを御相談いたしたいと思ひます。 然るにこの月は会員が二千何百人になツた、かしこの誰が会員になツた、して会費が如何程になツたなどといふだけでは、これで盛大にになツたとは考へられませぬ。会にお集まりなされた方が使へるだけは仮名の文字を使ひ、成るたけモロコシ文字を省いて書くといふ様に日又一日に仮名文字の用ひが殖る様の実があがりませぬでは名簿ばかりでは盛大と私に於ては思へない。そんなら一旦に仮名のみを用ひてモロコシ文字を廃してしまツたらドウだといふに其れは順序の悪いことで順序が悪いとときには効が無い。例へば仮に蓁の始皇の様な大決断の人があると定め其の人が仮名の会の仕事を尤もと思ひこんで(但しこれは我が国のことでは無い話しとして)数字の外はモロコシの字を用ひぬことと触れ出し一字使ツた者は懲役一年、二字使ツたら懲役二年に処することとしモロコシの字を書いた書物は広い原へ持ツて往ツて焼いてしまふといふ大決断をいたすと思ひなさい。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]今日其れをやられては困る。さて其の焼かれた翌日は新聞を読うと思ツても新聞は無い、究理のことでも歴史でもモロコシの字を用ひたので無ければ横文字の書物より外は無いから英書か仏書の読める人は[rrubi]よ[/rrubi]宜う御坐いませうが今まで翻訳書をあてにした人はこの時に差しつかへてしまふ。其の外秦の始皇に出かけられたと思ふと大層な不都合が出て来て当分は手紙を「一筆啓上」と書く樣にはいかないで仮名の運用に順序が付かないから兎角「いつぴつけいじやう」とやる様になり手紙を書くにも甚だ困る。其の外一旦に大決断をやるのは宜い樣で御坐りますが、いろいろまた困難のことも起ツて来る。其の[rrubi]わけ[/rrubi]訳は全体この[rrubi]みくに[/rrubi]御国はもと古事記日本書紀よりこのかた漢文を用ひて公文は漢文で書くことになりましたが漢文はむつかしいから已むことを得ず漢文に似たものを書く樣になり庭訓往来の樣な文体となり其れで記録を書いたのが[rrubi]あづまかがみ[/rrubi]東鑑其れが段々流れて来て一筆啓上といふ樣な文体になツたので漢文で公文を書いたのが流れて来たので御坐ります。其の間に平仮名を使ツたのは草紙物語より出でまた漢文に訓読を下して、すて仮名を付け其れが段々一種の真片仮名文になツたものと思はれます。もと漢学の開け始まりは漢語を用ひた方が上品の様なおつな習はしがあツて漢語が日本の言葉になりました。さういふ訳で見ると言葉は漢字を知らなければ分らない。「しゅッぱん」と言ツても[rrubi]ほん[/rrubi]本を版にすることだか船のでるのだか分らない、其れと同じ理屈で「しぶんくゎい」と言ふとカラウタの会だと思ツて其の字を見ると、「[rrubi]このぶん[/rrubi]斯文」と言ツた様な理屈で仮名にすると口で言ツた様になる。さういふ所からして、いろいろ今秦の始皇にやられては不都合が有ると思はれます。私は漸進家で気の短い様な気の長い様な性質で気を長くしなければならぬ所は気を長くすることも有り気を短くしなければならぬ所は気を短くする所も有ります。ただ気を長くばかりしては、いつまでも事は出来ませぬ。また、せいてもいけませぬ。と言ツて油断してはすみませぬ。 私の工夫は小学校の初等科の生徒に先づ仮名ばかりでおしへたい[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]先づ「いろは」でも「あいうえお」でも「ほへと」でも宜しいがモロコシの字を知らないうちに仮名を教へ仮名の字面を知りましたら先づ「は」の字と「な」の字を知れば「はな」とはこんなものだと教へ「み」と「る」で「みる」、其の間に「を」を加へて「はな を みる」をいふ様に教へ其れで年始暑寒用の手紙といふ様なものを書くことを教へて、どれほどかの年月教へたら上等科のことを学ばないで文通が出来やう。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]田舎の様子を見ますに漁村僻邑と言ふと漢語ですが田舎の百姓などが学校へ往ツても天文ちりだとか何だとかむつかしいことを知ツても用事を弁することを知らない。初学で[rrubi]さが[/rrubi]下り而して舟を漕ぎ、畑へ弁当を持ツて行く様になる。其れを用の弁ずるまで学ばさうとすると不毛の地が出来て肝腎のものを失ふ。この用を弁するには仮名を用ふることを開くに如かずと思ひます。また後のことを考へると前に申した秦の始皇の話しの様に書物を皆な焼いてしまツても英仏の本を知らないでも何でも知れる様に知れるものを作ることが肝腎だと思ひます。先づ小学校の本、また学問のある人の研究の為めの本、それから第三種は慰みと為めの本、それを類を分けて見ますと御国より始めてモロコシ西洋の歴史、理学、化学、最も入り用なのは算術、算術も仮名ばかりで書いた本が入り用で御坐ります。内田[warichu]〔嘉一〕[/warichu]先生の奥方がお拵へになるさうですが真に喜ばしいことでドウか幾何から三角術までも仮名で書いた本がほしい。其の外、天文、地理、本草、地質もツと慾深く鉱物の学問、機械の学問、蒸気の学問、電信の学問、法律の学問、測量の学問などの本が出来なくツては困ります。手紙の書き方の本は物集[warichu]〔高見〕[/warichu]先生の御著述を持ツて居ります。さて又今まで修身の道は我が国では孝経をたのみにして居るのですが漢字が無くなると孝経がなくなる。其の時、修身はといふと仏道と耶蘇、其の仏道を採用するとしても矢張り経文は漢字であり、さうなると耶蘇を用ひなければならない。我が国は支那の本で修身を学んだが修身は支那よりは日本がよい。其れ故矢張り仮名で書いた修身の本を願ひたいと思ひます。 さて書物はヤミクモに作るさへ骨が折れるもので御坐ります。今私の申した目録だけの書物を拵へるのは口で言へば易い様だが大困難の至りで御坐ります。何にもあれ新しいことを起すは大困難のことで御坐りますが幸ひ諸君が会員となツて下されたからはここを一部分づつ御担当下されたい。兎角仮名がよいと言ツて自分で用ひても人が仮名を用ひないから漢字で無ければならないといふ様なことがあり拠ろ無く漢字を使はなければならない様な訳で私どもも孫の頃は[rrubi]らく[/rrubi]楽にもなりませうが今の所では漢字を読ませるのは惜い月日だと思ツても已むことを得ず教へます。其れはナゼだと申せば漢字の本をやめて仮名の本を読ませたくも本が無いから涙を流して漢字をやらして居ります。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]ドウゾ皆様のお骨折りを以て全く仮名の世界にしてしまひ、秦の始皇の大決断を望む準備が出来る様で無ければなりませぬと思ひます。この自分の持論を述べて諸君に伺ひますので御坐ります。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu] 林茂淳筆記 ○半開化は衛生の害 明治十九年六月十三日大日本私立衛生会埼玉支会の第三総会[warichu]埼玉県入間郡川越町喜多院[/warichu]に於て 渡辺鼎君演術 諸君よ。私は今日此の大日本私立衛生会埼玉支会の第三総会に罷り出まして聊かお話しを致さうと思ひますが其の前に諸君に向ツて祝し且会頭及び幹事諸君に厚くお礼を陳べなければならぬことが御坐います。総て我々の健康と云ふものは実に必要なもので曾てウヰルダーと云ふ人が申した言葉に「健康は万福の基」之を英語で云へば[rrubi]ヘールス イズ ゼ フアウンデシヨン オブ オール ハツピネス[/rrubi]Health is the foudation of all happinessと云ふ語がありますが如何にも身体が健康でなければ幸福は得られぬもので其の健康を得やうとするには衛生が必要です。然るに今当路者が斯く衛生に注意せらるるのは実に有り難いことで此の近県の様子を見まするに此の埼玉県下は最も衛生が盛んにして浦和川越熊谷深谷行田到る所衛生会の声を聞くのみならず今日の如きも来会せらるる者一千余名もある様ですが斯く衛生の盛んなる有様を見るのは必竟当路者の尽力多きに居るものと思ひます。是れ私が当路者に謝し又諸君が斯る幸福なる県下に居らるることを賀する訳で御坐ります。 次で本題を陳べやうと思ひますが其の演説の前にモウ一つ諸君に向ツてお断り申すことがあります。其れは外でもありませぬが凡て話しと云ふものは何でもオモシロミが無いと脳髄に這入りませぬ。彼の欧羅巴の学者スペンサーが曾て申しましたに「何でも総ての事を能く覚え忘れずに保存するにはオモシロミが大切だ」と云ふことですが、これは実に千古の名言で支那の孔子ですら「之を好む者は之を楽しむ者に如かず」と申しました位で仮令むつかしいことを陳べても脳髄に這入らぬときは何にもなりませぬから私は極めて俗語で陳べます。併しあまり俗語すぎて高貴の諸君に向ツては不敬に存じますから此の段は何卒御海容を願ひます。 さて、これから半開化衛生上の害を述べやうと思ひますが凡て世の開化と云ふことは頗る良いことで必ず開化しなければならぬが併し物は一利一害で開化も亦開化の度に依ツて種々のよしあしが御坐います。試みに御覧なされ、私が今日数時間に東京より来て諸君に面会しお話しを致すことも出来、また諸君が東京より奏楽者を聘して奏楽をお聞きなさることも出来ると云ふのは何でありませう。必竟我が邦が開化して鉄道が出来た為めでありませう。又先刻坪井医学士が言ふた通り英吉利は衛生が進んで人民の死亡も少なくなツたと云ふのも即ち開化の為で、又独逸の或る都府に於てはこれまで大層チフスと云ふ病気があツた所が其の都府で下水を改良し水の[rrubi]はけ[/rrubi]通利を良くしてから其のチフス先生(先生ではない居候だ)悉皆なくなツてしまツて遂には同府の医学大学校で先生方が書生にチフスと云ふ病はかういふものだと云ふことを実地に就て説明する種が無くなツて先生方が大こまりだと云ふ(居候が無くなツて先生のこまるも無理はない)位なことで今では其の居候ではないチフス病を[rrubi]かね[/rrubi]鐘太鼓で探す程であると云ふが、これ則ち衛生の有り難い証拠で又開化の徳でありませう。此の県下で六伝染病中チフスの居候が最も沢山あると云ひますから下水流しなどの[rrubi]きたな[/rrubi]穢い所を掃除してプンとする鰯の頭や香の物のキレッパジ等を常に堆積せざる様に奇麗にして御覧なされ屹度チフスの居候が無くならうと思ひます。若しウソと思ふなら試みに二三年間もやツて御覧なされ必ず無くなること請け合ひます。又近くは我が陸軍や海軍で兵士の食物を改良し空気の[rrubi]さほり[/rrubi]通暢を善くし衛生に注意せらるるので兵士の病気が減じたと云ふも、これ皆開化の効能でありますが、これは開化のづツと進んだ所の話しで未だ斯の如き傷合に至らざる所謂半開化のときはドウかと云ツて見ると色々な害が有るものです。 さて其の半開化の害といふは先づ我が邦が開化に赴きし以来如何なるものが舶来したかと云ふに文武工商農等の必要なる学芸の輸入せしは勿論なれども之と共にコレラ痘瘡等の悪病より煙草、酒其の他の贅沢品も亦輸入いたしたでありませう。所で人間の性と云ふものは兎角便利な物を悦び奇麗な物を愛し、うまき物を[rrubi]す[/rrubi]好き[rrubi]らく[/rrubi]楽を慾するものでありますから(無くては大変だ)今欧米より種々の物の輸入するけども其の中で最も多く人の[rrubi]す[/rrubi]好くものは何かと云ふに先づ奇麗なものや便利なもの等であります。何となれば知識が無くても学問が無くても奇麗なものや便利なものを慾するのは自然の性です。御覧なされ今如何様な田舎に行ツても山奥を尋ねても熊の居らないではないザンギリアタマの無い所や蝙蝠傘を用ひない所は少ないと云ふは必竟これ等は便利であるからです。又田舎では以前は[rrubi]きぬさもの[/rrubi]絹衣などは絶て着るものが無かツたが比の節は開化して猫も[rrubi]しやくし[/rrubi]杓子も(と云ツて杓子の絹衣はまだ見ぬけれども)着て居ります。しかのみならず人力車が出来ればムヤミに乗り散らし、日曜日と云ツては休み、盆だと云ツては休み、実にはヤ勝手至極な結構な世の中になりましたが併し私も絹衣を着し休日に休むといふことを[rrubi]あながち[/rrubi]強ち悪く言ふのではありませぬが斯の如く贅沢を行ふ人がドウいふ芸術が出来てドウいふ働きをするかと云ふに芸術の点に至ツては誠にはヤお恥かしき次第にて仮名つき新聞も満足には読み下すことも出来ぬくせに忽ち学者ぶりて働くことを嫌ひ、田畑があツても耕すことを厭ひ、余地があツても桑を植え蠶を養ふの利益をも考へず、ただ権利とか自由とか聞きかぢりの不理屈を唱ひ父兄の言ふことをも用ひずして酒を呑み煙草を喫し無益の美服を飾り放蕩を極め身を過まり家を亡ぼし遂には獄内に籠城するか又はモルヒネ往生等に極を結ぶ者多くあります。是れ則ち半開化の害でありませう。 されば私は尚ほ一層進んで其の害を詳論しやうと思ひますが例へば今茲に種々の色を着けたる張り子の虎とダイヤモンドを出して三歳の童子に示さば童子は必ずダイヤモンドを捨て張り子の虎を取りませう。又諸君が田舎に於て[rrubi]まツか[/rrubi]真赤に塗りたる寺院を見るか又東京に於ても支那の行使館の門を見られたならば必ず古代未開時の風たるを覚らるるでありませう。又緋縅の鎧や天保銭や丸髷島田を御覧のときは又未開化人の用ゆるものたるを知られませう。故に概して言ふときは半開化人の好むものは恰も三歳の童子が物品を選ぶと同じことで、ただチョット見つきの良きものを悦ぶのみで衛生上のことなどは夢にも考へませぬ。我が邦に行はるる人力車の如きも其れと同じことでチョット便利なものですからヤタラに乗る故に年々歳々増加して現今では津々浦々実に米の飯は食わない所があツても人力車の無き所は無い位で其の数は実に夥しきものです。則ち明治十一年には人力車の数十四万二千五百七十二でありましたが十三年には十五万七千十八個となり現今では二十万余となツて居りませう。所で、この人力車がドウいふ利益があるかと云ふに如何にも商業上其の他のことで至急を要する場合に於ては随分大いなる利益のあることもありませうが現今に至ツては非常に濫用の弊を生じて斯の如き必要の場合にのみ使用せずして事の緩急に拘らず道の遠近を論せず乗り回る様になり甚しきに至ツては終日安居する人にして日々幾分かの運動を要する人の散歩するに方ツて尚ほ人力車を用るあり、或は又運動を必要とする男女学校生徒にして僅か近傍の学校に通学するに必ず乗車せしむるあり。斯の如く人力車濫用の弊たる我が邦人をして暗々裏に健康を害すること頗る大いなるものと思ひます。所で斯く人力車濫用の弊を生したる所以を考るに其の原因となるべきもの種々ありますが第一市中を往来するに人力車に乗らざるときは貧乏視せらるるとか或は軽蔑せらるるとか思ふ所の卑屈心を生ぜしめたるは原因の一です。なぜなれば紳士貴女などが運動の為めと思ツて徒歩にて市中に出るときは人之を見て某はこの暑いのに人力にも乗らないで、あるいて居るケチなヤツだなどと評するもの往々あります。故にこれ等の人はイヤでもオーでも門外に出るには必ず車に乗る様になり斯の如き人々が乗車するときは上の好む所下之に習ふは古今の通例なれば中以下のものは無理にも乗車して上等社会をまねる様になツたのです。第二は身体運動は衛生上に必要なものと云ふことを知らざる野蛮人の多きと我が邦人民の身体の[rrubi]あたひ[/rrubi]価直の廉なるとは原因の二です。第三は衣服の歩行に適せざることです。諸君試みに御覧なされ和服を着て歩行するときは[rrubi]すそ[/rrubi]裾は常に[rrubi]すね[/rrubi]脛脚にからまり木履はポクリポクリして忽ち足を疲らし殊に婦人の如きは裾の方には綿を入るること恰も飾り餅を付けたるが如く左右には長き贅沢ぶくろを下げ背には大いなる文庫を背負ひ足には俎板然たる木履を穿ち、おまけに頭にはパクパクして[rrubi]ひきかへる[/rrubi]蝦蟇の様な島田や[rrubi]なべぶた[/rrubi]鍋蓋の如き丸髷を頂き居りて運動の自由ならざるは則ち原因の三です。比の如き種々の原因よりして人力車濫用の弊を生じ来り三助でもオサンドンでもダルマでもムヤミヤタラに乗りあるき、殊に甚だしき濫用と申すは例へば茲に一の[rrubi]ひまじん[/rrubi]閑人あり今日の午后六時に番町より神田に行くべき用事あるに当ツて午后四時頃より家を出るときは充分先方に達し得べきに左なくしてナニ人力にて行くときは三十分にて行けると云ひながら安閑として囲碁や将棋を弄び何の益もなきのみならず衛生に害ある囲碁等にワザと時間を空費し無理に人力に乗るとは実にハヤ濫用の極と云はなければなりますまい。所で私が斯く濫用と申す証拠には日本の人力車は大約二十万にして之を全国の人員に比例して見ると人民百八十五人に付き人力車一つな割合にして一千人に付き五個四の比例です。而して欧米の馬車の数は何程あると云ふに英国に於ては一千八百三十年に於ては車数八千五百六十にして人民千人に付き五個の割合、一千八百八十年に於ては四十六万三千個にして一千人に付き十五個の割合です。之を以て見れば欧米に在て車の比例は日本より素より多いなれども欧米に在ては非常に時間を貴び鉄道のステーションに於ても五分も待ツて居るときは人皆な之を笑ふ位の忙しき所にて日本にては五分はオロカ一時間も前からステーションに詰めかけ待ツて居る位の緩慢なる人物が多きにも拘らず一千人に付き五個の人力車あるときは非常の多数にしてツマリ濫用の多きシルシでありませう。されば人力車濫用の弊たるや国民衛生上頗る有害なることで又人力車夫自身の健康上に至ツては更に一層の危害あるものです。諸君御覧なされ、人力車夫の業たるや農工商等の如く時を定めて営業すること少なくして炎暑厳寒を厭わず疾駆し風雨を論ぜず奔走し昼は炎天にさらし夜は湿気に触れ漸く提燈を股に狭んでウタタネし時ならざるに食ひ時ならざるに飲み昼夜寤寐を分たず実に人間たるものの得て為すべき業に非ず犬馬の業と云はなければなりますまい。さて営業既に斯の如くなるが故に胃病を起し心臓病を起し肺病に罹り其の他種々の病を発してワカジニするもの頗る多くありますが曽て英国ロンドンのドクトルフュート氏は汽車の連乗に由ツて心臓の衰弱を起し婦人に在てはヒステリ症(俗に血の道)を発することを論じましたが乗車する人ですら斯の如く心臓病を発するでありませう。況んや之を引き疾駆するものに於ては一層の劇症を発す可きは当然のことでありませう。現に人力車夫に頓死者の多きは諸君も既に御承知のことでせうが是れ必竟努力疾行するに由ツて心臓病を発するが為めです。然るに如何なる者が之を営業するかと云ふに先づ二十歳以上四十歳以下のものにして随分他に立派な業を営み得べき屈撓な壮年男子です。然るに斯の如く犬馬同様の業を営み[rrubi]しんぞ[/rrubi]新造病否心臓病等に罹りワカジニするとは真にハヤ憫然の至りでありませう。併し斯の如く有害なるにも拘はらず日に月に多きを加ふるに至りし所以のものは必竟前に申した通り人力車濫用の弊を生ぜしに因るものにしてツマリ人民が人力車のただチョット便利と云ふことを知ツて緊要なる衛生上の害を知らぬ所から出来たものにして則ち半開化の害でありませう。所でこの人力車を廃して馬車なり何なり拵へて御覧なされ人力車を業として居る二十余万の人は犬馬の如き業を廃し国益となるべき立派な他の業を営むことも出来ませう。又従ツて二十余万の人の健康を害することも大いに減じませう。されば人力車を廃して馬車に代るは頗る緊要なことで日本もモウ少し文明が進歩し人智が開けて来たならば斯の如き犬馬同様の業を営むものは自から減少して来ませう。故に私は人力車や丸髷島田の増減は日本男女の文明如何を卜するに足るものと思ひます。諸君如何です。 さて斯の如き類を挙げますれば沢山ありて一朝一夕に論じ尽すことは容易でありませぬから大概にして止めやうと思ひますがツマリ我が邦今日の有様は未だ半開化の人物が多く文明の何たるを知らずして所謂五里霧中にさまよひ居るときですから之をして進ましめやうとするも将た退かしめやうとするも偏に先覚者の方寸にあることです。先覚者たる者は能く事物の是非を淘汰し健康に害あるものは速に之を除き、益あるものは[rrubi]つと[/rrubi]力めて之を奨励し以て我が国民の健康を満足せしめむとするは則ち先覚者の義務です。実に我が邦は内地雑居の大役が前途に横たはツて居るし、食物や家屋や人力車の濫用や丸髷島田の窮屈髷や長袖広帯のナマケ服など共に皆改むべきの最も急務なるものです。今にして之を改めなければ後年必ず測るべからざるの惨状を醸すに至りませう。古語に日く「木静ならむと慾して風未だ止まず」とやら改良の必要蓋し今日に在ることでありませう。 伊藤新太郎筆記 [warichu]速記叢書[/warichu]講談演説集第三冊 ○ノルマントン号船長の罪を鳴らさんとせば宜しく先づ証拠蒐集に尽力すべし 明治十九年十一月十八日[warichu]ノルマントン号沈没事件[/warichu]学術調査討論演説会[warichu]東京浅草井生村楼[/warichu]に於て 薩{土垂}正邦君演説 諸君、私は「ノルマントン号船長の罪を鳴らさんとせば宜しく先づ証拠蒐集に尽力すべし」といふ題に付て簡短に意見を述べやうと思ひます。一たび英船ノルマントン号が紀州沖に於て沈没し我が日本人二十五名といふものが助からずして船長並に他の乗組人等が其の生命を全うしたといふことが世上に現はれてより囂々或ひは之を筆に訴へ或ひは之を口に唱ふることになりました。併し各新聞紙がこれまで喋々して居る所を聞けば或ひは謀殺に当ると言ひ或ひは故殺に当ると言ひますが、これはただ感覚に過ぎぬことで法律学上果して責罰があるやといふことを研究したものを見ませぬ。故に已むを得ず私が一言、諸君に陳べむと慾することになりました。 今日我が国には治外法権といふものが行はれて居ります。併し純理上から言へば今回の事件の如きは我が国に於て之を裁判するのが順序でありませう。なぜなれば安寧に関する法律は其の土地に住するものは内外人を問はず支配するものにて殊に裁判は其の犯罪の地の裁判所にて管轄すべきものでありまするから、尤も土地と言ツても地理学上で言ふ土地では無く領海も土地にはいツて居るもので此の度の船の沈没したのはドコかと言ふに紀州沖であります。紀州沖であれば日本の領海なれば裁判法理に照せば日本の裁判権理に付するのが至当で御坐りませう。併し今日は治外法権が存して居るから英国領事に於て支配することになツて居ります。既に英国の領事に於て支配することであれば法律学上に於て研究するを要するは英吉利法で御坐りませう。併し私は英吉利法は職違ひで御坐りますゆゑ知りませぬが英吉利法のことは大谷木君が後程、陳べられませうから私は英吉利法によらずして法理に付て考へを述べやうと思ひます。 諸君、我輩は日本人で御坐ります(これは言はずとも御承知で御坐りませうが)我が同胞二十五人が水中に葬むられ魚の腹を肥したのは我輩に於て悲歎に堪へぬことで御坐ります。他の乗組員は大抵助かツて居りながら我が人民は助からぬといふは実に憤怒に堪へぬことであります。これは我輩のみならず諸君も定めて御同感で御坐りませう。啻に諸君のみならず全国の人も同感で御坐りませう。実に同感ならざるを得ぬことです。併し此の悲歎と此の憤怒の感情よりして証拠も無い者を以て有罪であるといふのは法理の許さない所で御坐ります。 今道徳上の原理より言ひますれば身を殺しても仁を為すというふことがありまして尋常一般の人でも他人の危きに臨んでは之を救ふのが道徳上の義務で御坐りませう。況んや其の身船長であれば斯の如き場合に在ツては必ず乗組員を救はなければなりませぬ。然るをノルマントン号の船長は我が同胞を助けなかツたのは実に道徳上に於て罪すべき人で御坐りまする。併し道徳と法律とは自から混同すべからざるもので道徳上で責罰することも法律上では責罰せぬことが御坐ります。故に道徳上に於て罪すべき人であツても法律上で罪すべき証拠が無いときにはノルマントン号船長と雖も罪人とすることは出来ませぬ。 英国領事裁判所に於て被告人のみを審問して無罪を言ひ渡したるは審理の道を尽さぬものである。尚ほ尽すべき道があるべきのに、ただ陳述のみを以て其の裁判を畢りたるは俗に言ふ片落ち裁判で御坐りませう。併し結局取り調べた上若し充分なる証拠の無い時はドウするか。証拠が無ければ輿論は何と言ツても已むを得ず無罪にせぬければなりますまい。 而して今新聞紙上、我輩に知らする所は充分にノルマントン号船長のことに付て証拠が明かで御坐りませうか。暗礁に乗りかかツてから船長初め逃げたまでは長い間であるから、この間に助けられるだらうといふも実は推測に過ぎないことで御坐りませう。これを以て謀殺に当る故殺に当るといふも其の説は取れませぬ。今法理上より言へば凡そ罪を組成するには内部と外部との元素が無ければなりませぬ。謀殺を以て問ふには豫謀殺意及び殺害の所為が無ければなりませぬ。其の証拠を挙げてかからぬければ謀殺又は故殺に問ふことは出来ますまい。なぜなれば船長ドレーキが日本人を殺さうと豫め考へたとか臨時殺さうと思ふたとかいふことはまだ現はれて来ませぬから。又英国の如く怠務殺人となすにもせよ其の本務を怠りたること及び其の怠務に因りて人を殺したることは之を証せねばなりませぬ。其の暗礁に乗りあげてより沈没に至るまで充分の時間があツたから救ひ得られさうなものであるに之を救ふことの出来なかツたのは恐らくは怠ツたものであらうと言ふも、これは情況上のことで御坐りまして充分の証拠とは看做せませぬ。既に我が治罪法にも情況の裁判は禁じて御坐ります。徳川の頃は情況裁判が行はれて居りましたが今では証拠裁判で無ければなりませぬ。英吉利のことは委しく知りませぬが開明諸国は大抵証拠裁判になツて居ります。然れば証拠が明かでなければいけませぬ。我々がこれだけの罪になるといふに充分なる証拠を探さずして之を謀殺に当る故殺に当るといふは少しく大早計と言ふべきものでは御坐りませぬか。 然れば今日吾人が我が同胞の為めに尽すべき第一の職分は証拠の蒐集に尽力することで御坐ります。其の証拠が充分なるに無罪と決するなら充分駁撃するが宜しい。故に全国の人民は証拠を集め材料を確かめなければなりませぬ。而してこの証拠を如何にして集めませうか。死人に口なしであるから生かして言はせることは出来ませぬ。併し水潜り器械もあれば証拠を尋ねるのは敢て難いことではありますまい。海底を探ねまた他に名案を施したらば罪跡が現はれないことはありますまい。我輩は此の事に付て疑ツて居ツたが此の頃或る新聞社の人の発起で漸く水潜り器械で探すことになツたといふことでありますが先月の二十四日から今日まで、すておくとは随分長い話しではありませぬか。 この証拠蒐集のことは迚も二三の人を以て為し得べきことで無いから私が諸君に願ふ所は諸君充分に力を合して証拠蒐集に力を尽され道徳上の罪人なる船長ドレーキをして亦法律上の罪人たるに充分なる証拠を蒐集することに尽力されむことを願ひます。私の演説は此に止めませう。尚ほ委しきことは大谷木君が英国の法律に照して論ぜられませうから。 林茂淳筆記  ○真正の改良  明治十九年十一月十八日「[warichu]ノルマントン号沈没事件[/warichu]学術討論演説会」[warichu]東京浅草井生村楼[/warichu]に於て 高田早苗君演説 「あな、おそろしきかな、おそろしきかな、おそろしきかな、心は之を思ふに堪へず口は之を言ふに忍びず」という言葉はシェクスピーヤが曾て申した言葉であります。さて世の中には随分おそろしいことが有りまするが彼のノルマントン号の事件の如きは心之を思ふに堪へず口之を言ふに忍びずといふことであらうと考へまする。苟くも人情あるものは人の死を聞いて悲しまぬものはなく殊に其の悲命の死を聞きては流涕長大息いたさぬものは殆んどありますまい。然るに今や我々同胞二十五名の人はウタカタの泡と消え海底の藻屑と化し而して其のウタカタの泡と消え海底の藻屑と化したのは何の為めである即ち外国人が不注意の為めである否な故意に出でたのであるとありては我々の悲しみは変じて憤怒となるも蓋し当然のことであります。全体我が日本人は友愛のこころに富むで居りまするから此の度の事件が世間に公けになるや否や政府は命を下して殺人罪の告訴を為し人民は競ふて義捐金を募り遭難者の遺族に贈るなど寔に懇切なことである。斯くの如く尽力すれば二十五名の魂魄は定めて地下に瞑するに違ひなし。併しながら私の考へまするには今このノルマントン号のことに付て我々が共同して二十五名の人の不幸を悲しみ又外国人の不道徳なるを怒ツて其の罪を鳴らしたからとても其れで我々が満足するといふことは出来まい。我々は[rrubi]なぜ[/rrubi]何故斯くの如き事件が起ツたか何故斯くの如き不幸なることが起ツたか外国人は何故斯くの如く乗客につらきことをしたか二十五名の人は何故斯くの如く不幸な目に逢ふたかといふことを沈思黙慮するが必要のことであらうと考へる。諸君は如何にして斯くの如き不幸なことが起ツたとお考へなさるるか。私は何か此のことには隠然たる原因が無ければならぬ無形の原因が無ければなるまいと考へまする。私のおもへらく、此の度の事件の大原因は「軽蔑」といふ二字に過ぎないことであらう。即ち彼等は我々を軽侮するの心あり彼等は我々を軽蔑する心あるのが此のことの原因となりしに相違なし。諸君試みに思へ。若しノルマントン号の船長が我々日本人民を西洋人と同等の人間と見しならば斯くの如き事件は起り得べきや。私はあまり船乗につきあツて見たことは無いが其の最も義侠の心に富むで居るものなることは世間の既に認めたる事柄である。而して人といふものは災難の場合に当りて殊に義侠の心を生ずるものなること論ずるを挨たず。且船長は幾多船客の生命を保護すべき責任のあるものである即ち当時の主人の地位に立ちて居るもの重大なる責任のあるものにして平常はこの義侠の勇気に富み殊に危難の場合に臨み義侠心の発達するものなることを考へ而して二十五名の我が同胞を棄てた放擲したウッチャッタといふ所から見たときには如何にしても彼等は我々を軽蔑したものなりと考へるより外はない。彼等は実に我々日本人を同等の人間と思はぬに相違なし。若し彼等にして我々を同等の人間と考へたるならば其の平常、義侠に富むの商売柄から考へてみても決して彼の様な事件は起こらぬ筈であらう。否な斯くの如き挙動は人情の上ドウしても出来あたはざる所であらうと考へまする。 つらつら歴史を案ずるに昔し羅馬の盛んなる時代には「朕は王なり」といふよりは「われは羅馬人なり」といふ方が遥かに世間に尊まれたといふことである。諸君今試みに、この王の如く尊まれたる羅馬人がノルマントン号の乗客なりしと考へよ。若し羅馬人にして彼のノルマントン号の乗客でありしならば船長の処置に決してこの様なつらきことは無からうと思はれます。畢竟するに二十有余名の同胞は羅馬人の如く尊敬されざるは勿論、英人の如く尊敬さるること無く米人の如く尊敬さるること無く船長及び乗組員の心中しらずしらず軽悔のこころ有りたるが為め斯くの如き事件が起ツたものといはねばならぬ。蓋しこれが為めに我々同胞二十五名の人が斯くの如き非命の死を遂げたものであらうと考へる。若し果して、さうだとすれば我々今の際に当りて啻に二十五名がウタカタの泡と消え海底の藻屑と化したる不幸を悲しむのみならず啻に訴訟を起こすのみならず啻に義捐金を募集するのみならず、外に多くの考へが無くてはなるまじ。即ち我々が斯く軽蔑されたる原因を深くたづね遠く慮り遂に軽蔑されぬ様な計画をめぐらすが最も必要であらうと考へる。 然らば何故日本人は斯く軽蔑されるかといふに其の原因は二つあらうと思ふ。其の一つは何であるか。兎角日本人は[rrubi]まじめ[/rrubi]真面目でないことが一つの原因である。即ち日本人は怒ることもするが併しながら長く怒ることは出来ない。奮発することもするが長く奮発することが出来ない。我々日本人は索撒人種の如く長く耐へることの出来ないといふのが、これぞ日本人が外国人から軽蔑を受くる原因であります。今一つは何なるか。日本の国情が外国に通じないのである。これが矢張り彼等より軽悔軽蔑を受くる原因でありませう。 まず第一に何を証拠として日本人は真面目でない強情でない頑固でないといふかとの疑ひがあるかも知れぬが、これは直ちに分ることで日本人民は忽ちにして封建制度を覆へし忽ちにして西洋の開化に酔ひ忽ちにして改良を主張し忽ちして改革を計画し而して採長補短の斟酌なく保守して而して進歩するの覚悟なきことは二十余年の変遷でよく分ッて居ります。西洋各国の歴史を見まするに何れの国にても一事の改革をはかるときには必ず二三の反対のあるものであるが我が日本は然らず。苟くも改良といひ仮りにも改革といへば一人も疑ふものもなければ反対を試みるものもなくて直ちに之に雷同し、また直ちに之を打ち捨ててしまふ様です。今之を[rrubi]けだもの[/rrubu]獣に例ふれば日本人民はヤマアラシの様である。英吉利人は獅子の様な勇がある、魯西亞人は虎の様な威があるが日本人はヤマアラシの勇気も無い。即ちチョイとツッツクとプーと怒る。怒ることは怒るが長く耐へられない。日本人はヤマアラシであるから支那人の豚にも劣ることがある。支那人は豚であるから苟くも利があると見たなれば必ずそれを外さない。糞汁も厭はない芋のシッポも嫌はない。日本人は清潔を好んで矢鱈無性に威張りたがるが獅子の様な勇もなければ虎の様な威もないと考へる。これが即ち軽蔑を受ける一つの原因である、賎しみを受くる所以でありまする。 日本の國情が西洋に知れて居ないのがこれ亦軽蔑の一原因であります。私は固より日本人であるから斯くひどく攻撃する様なもののこれは即ち日本人を警戒するが故であツて拠ろのない話し。日本だからと申しても制度文物の外国に優らずとも劣ることなきものがイクラもある。日本は野蛮の國デハ無い。二千年來特別の開化をして居るから國情さへ西洋へ通ずれば感心させるものは尠なくない。然るに外国に遊んだ人の話しを聞くに西洋で日本の実際の有様を知ツてる人は萬人に一人も無いは勿論、日本はドウいふ國やら日本は支那の属國やら更に分らぬさうであります。國の実況が分らず國の名さへも知らぬ様では軽蔑も無理はない。ノルマントン号の船長が不取扱いなしたのは固より無理のないことであります。 斯くの如く一方に於ては日本人がうつりやすく真面目でないといふことも、また一方に於ては我が日本の國情が知られぬといふことがノルマントン号事件の起るべき大原因となツたのであらうと考へる。若し果して然るなれば此の大原因たるところの弊を矯め直さねばならぬ。私が示したる二個の要点に非常の改良を加へねばなりませぬ。然らば如何なる改良をしたならば日本人は真面目になり得べきか。私は宗教の力に依るの外に方便あるまじと思ひまする。日本人が保守の心尠なく物事に耐へられないのは宗教が衰へたからである。古への日本人には非常の豪傑があツて武蔵坊弁慶の如き人もあれば加藤清正の如き人もある。なるほど弁慶は腕力があツたかも知れないが併しながら弁慶があの様な豪傑なのは概して信仰心の然らしめたものである。清正が非常の武勇を現はしたのは矢張り信仰心の然らしめたのである。即ち弁慶が天台の宗旨を信仰し清正が法華宗を信仰したればこそ固く信じて疑はず百折不撓の精神が出るのでありませう。皆な宗教信仰の深き故であります。また弘法大師の如き日蓮上人の如きものを見るも其の通りである。今試みに諸君が森林鬱蒼たる高野山に上ることあらむに心中に於て「かかる深山に分け入りて、この山を開きしは、さぞ困難なことなりしならむ」と弘法大師の非凡なるを感ぜられるるに相違なし。而して日蓮記を読んで見ても昔しの人が物事を深く信じて疑はざるところは明治今日の我々が及ぶところで無きことが明瞭であります。斯くの如く昔時の人は宗教を信ずるが故に気力あり今時の人は之を信ぜざるが故に気力なし。さすれば日本人を真面目ならしむるの手段は宗教を盛んにするにあることは明瞭でありませう。 次ぎに日本の国情を外国に知らしむる方便は何かといへば英語を盛んにするのであります。前段にも申したるが如く日本人は浮簿の本性を備へ居りまするが大改革を行ふには最も適当の人民であります。即ち国語を変ずるといふことは他国にありては最もむつかしきことなれども日本に之を実行するは、さまでむつかしきことではありますまい。設令全国を挙げて英語を談ぜしむるは、むつかしきこととした所で上流社会に英語を談ぜしむるは、さまでむつかしきことではなし。而して西洋人と交際し西洋人をして日本の国情を議らしむるの地位にある者は無論、上流社会なれば、この社会のみ英語を話し英文を草し英語を以て著述し英語を以て演説すれば我々の目的は達するのであります。 之を要するにノルマントンの事件は悲しむ可し憤る可しと雖も其の遠因は軽侮にありて斯くの如き軽侮を受くるは気力足らずして国威揚らざると言語通ぜずして国情の傅はらざるとにあることなれば啻に殺人罪の告訴を以て満足せず啻に義捐金にのみ熱心せず其の根本に注意して真正の改良に従事するが肝要と考へまする。 市東謙吉筆記 ○ノルマントン号沈没事件を論す 明治十九年十一月十八日「[warichu]ノルマントン号沈没事件[/warichu]学術討論演説会」[warichu]東京浅草井生村楼[/warichu]に於て 大谷木備一郎訓演説 当今世上の一大問題となツて居りまする英国荷船ノルマントン号の沈没事件に付ては神戸在留の英国領事が今月の五日に言ひ渡しました判決に付て或る論者は「我々の同胞二十五名を彼の一件に付て失ツた、此の事に付ては船長ドレーキ以下乗組海員に対して我々同胞二十五名の霊魂を慰め遺族の怨みを晴らすべき判決が有りさうなものだのに不当にも神戸在留の英国領事は之を判決して無罪としたのは実以て言語同断の次第である」と言ひ或ひは「兵庫県知事より求刑したに付き神戸の英国領事庁に於て開かれたる法廷を以て船長等の再審を為すものである」と報道するものもあります。 然れどもこれ等は総て誤謬たるを免れませぬ。我輩は固より英国領事の裁判を以て至富なるものとは看做さず実に疎漏にして且偏頗なる裁判であると思ふ。併しながら該言渡を以て一箇の刑事裁判の如く誤認せる論者に對しては一言其の妄を辯ぜねばなりませぬ。若し該言渡にして論者思惟さるる如く果して刑事裁判ならしめたら假令我が兵庫県知事が如何なる求刑をするとも英国領事は決して法廷を開く譯は御坐りますまい。然るに諸君もし知らるる如く英国領事は兵庫県知事の請求を容れ現に法廷を開き船長以下の審問に着手したといふことである。然れば則ち該言渡が刑事裁判で無いといふことが明らかでありませう。 千八百五十四年に英国政府に於て制定されたる商船条例即ちマーチャント、シッピング、アクトと千八百五十五年に其れを改正になツたマーチャント、シッピング、アクト、アメンドメント、アクトの第二十三節に「英国のボールド、ヲフ、トレード即ち商務局若しくは海事裁判所に於て船長又は其の他海員に不応為の所為があると思料する場合に於ては一応其の事の審問を為し若し果して海員たるの任に堪へざるか若しくは怠慢其の他不法の所為あるに於ては其の海員の業務を停止し又は其の免状を没収するの処分を為すべし」といふことがあるが英国領事が言ひ渡したる裁判は此の条例に基いて為したるもので其の有罪なるや無罪なるやを判決するに非ずして免状を取り上ぐべきや否やを調べる為めである。故に刑事上の裁判に非ずして寧ろ行政上の処分のものと考へます。さればノルマントン号の沈没した為め紀海の魚腹に葬られたる我が同胞二十五名の霊魂を慰め其の遺族の怨みを晴すべき公平正当の裁判あらむことを冀望する場所は則ち今回神戸領事庁に於て更に開く所の法廷であります。 想ふに去月二十四日の晩、彼の紀州大島沖に於て沈没しました彼のノルマントン号に乗り組んで居ツた同胞二十五名及び印度人の火夫十二名が船長等の為めにステゴロシにされ空しく海底の藻屑となりたるの一事は実に悲むべく憫むべく怒るべく恨むべきの極にして「情け無い事をした」といふより外は私は言を尽すことができませぬ。ただこの感情を言ひ現はすべき言語の無きを憾むのみであります。諸君は我が同胞中に如何なる種類の人があツたかを記憶せらるるであらう。即ち暫く東京に遊学して居ツて今度久しぶりに故郷の両親に会はうといツて出立した学生もあり或ひは結婚の約が整ツて喜んで[rrubi]たび[/rrubi]旅だちした花嫁もあツたといふことであるが、これ等男女の父母たり兄弟たり将た良人たる人々の心情は果して如何であらうか実に気の毒なことで之を想像するに忍びませぬ。 さて、このことに付き船長ドレーキに対して求刑が有るからには英国の法律を取り調べるのが必要であると考へます。英国の法律には諸君の御承知の通り成文法と不文法とありますが今其の不文法に拠りますと人命を断つことをホミサイドと申し、このホミサイドを分ツて四種としてあります。第一種をジャスチファイァブル、ホミサイドと言ひますが、これは訳して言ふと正当殺即ち正当に人を殺すこと或ひは上官の命令に依ツて人を殺すことなどであります。第二種をエキゼキューサブル、ホミサイドと言ひますが、これは宥恕殺といツて罪ではあるが罰でないもので例へば幼年の者が弁別なしに人を殺すなどの類であります。第三種はメンスローターで、これは世間で「殺人」と言ひますが私は「殺人」といふよりは「致死」即ち「死に致す」と言ふ方が宜しいと思ふ。此の犯罪は或ひは故意に出るもあり或ひは怠慢に出るのもあツて其の区域頗る広く同じメンスローターを犯したものでも或ひは一日の拘留で済むのもあれば或ひは終身徒刑のもあります。第四種はマーダー即ち謀殺でありますが、これは日本の刑法で言う謀殺に比すれば其の範囲が広く例へば予め謀ツて人を殺す場合のみでなくて悪事を為すの結果、人を殺すに至ツたものも亦マーダーと為す如きものであります。 そこで自分は今ノルマントン号の船長ドレーキ等の所為は何に当るといふことを審究するのが必要のことと考へます。然るに其の所為はマーダーに当たるか又メンスローターに当るかといふに当時の実況は我々が想像に止まることで果してマーダーになるか、メンスローターになるか事実を確かめなければならぬが未だ取り調べが出来ずして僅に新聞紙又は世間の報道より外に材料は御坐りませぬ。併しながら未だ知り得ない所の事実を考えるのは敢て難いことでは無い。船長運転手等は我々同胞に再三[rrubi]はぶね[/rrubi]端艇に乗ることを勧めたが我々同胞は固く拒んで乗り移らなかツたといふことである。併しかかることを為したかドウかは我々が粗判定することが出来ませう。船が今沈没するといふときに其の乗客は船長運転手等の指図を如何に思ひませうか危険を避けやうといふにはドウいふことを攻究しなければならないか。船長等の指図に従ふより外は有りますまい。然れば誰も彼も端艇に乗うといふ考えはあツたらうと考へる。また数十人の人が危険にかかツたときドチラに避けやうといふときには、おもなる人の避け方に気を付けて必ず其の人の避ける方向に向かツて避けるに違ひ無い。また船が沈没しきらぬうちに海員の或る部分は端艇に乗ツて居るのを目撃しながら乗客にして大船に残ツて居ることを甘んじませうや。彼等乗客は水夫等は船の事を知ツて居るから其の言ふ通りにしたらば助かるだらうといふことはドンナ愚鈍の者でも分かりませう。」千八百五十五年に英国政府にて頒布されたパッセンジャー、アクト即ち船客条例の第二十七節に拠れば二百噸以上四百噸以下の商船は端艇二艘を備へ、四百噸以上六百噸以下は三艘、六百噸以上八百噸以下は四艘、八百噸以上一千噸以下は五艘、一千噸以上一千五百噸以下のものは六艘の端艇を備へなければならぬことにきまツて居ります。而してこれは何の為めにおくものであるかといふに若し船が衝突することが有るか暗礁に乗りかけることが有るかも知れぬゆえ其の時の為めに備へるものなることは誰れも想像することでありませう。決して端艇は何の為めに附いてあるか知らぬといふことは御坐りますまい。既に三人の同胞は端艇を下すことに尽力して居ツたといふことで御坐ります。して見れば、この人等は端艇の効用を知ツて居ツたに違ひ無い。然るに三人の人も助かツて居らない。三人の人が端艇の効用を知ツて居ツたら他の二十二名は必ず其の人より伝聞して其の効用を知るであらう。これ等の事実であるに同胞が端艇に乗ることを肯じなかツたといふのは甚だ請け取れぬことでは御坐りませぬか。また諸新聞紙等に拠ツて見ますと尚ほ一層怪しむべき事実が有る。只今申した数多の事実によツて考へて見れば日本人はミスミス溺れることを知りながらドウなツても構はぬといツて現に居ツたに違ひ[rrubi]な[/rrubi]無い。然らばメメンスローターは逃るることが出来ますまい。 また一層考へるとマーダーになるかも知れない事実がある。現今取り調べに着手して居りますが同胞二十五人の死骸も印度人十二人の死骸も浮き上らない。然るに船長等が乗ツた端艇は漕いで来たのかといふに、ただ風の為に吹き寄せられて来たのだといふ。然らば船長共の他のひとびとが[rrubi]おほぜい[/rrubi]大勢一つの船に乗ツてはあぶないからと言ツて或ひは船室から我々同胞を出さぬかツたかも知れない。啻に其れのみで無い。今日の新聞で船長は四千弗の保釈金を出し其の他の者も保釈を許されたといふからには現に大金を持ツて居る人もあるに違ひ無い。これ等のことに付て考へて見ても疑はしいことである。また外国の例に保険附きの船を沈めて保険料を取うといふこともある。我々は公平な考へからして実に不思議と思ふより外は無い。若しや我輩の疑ふ所をして事実に違はざらしめば彼等はマーダーの犯罪たることは免るるを得ますまい。 以上述るが如くでありますから我輩は英国領事に向ツて充分なる審理を尽し以て公平至当なる裁判を下されむことを冀望いたします。然れども神戸在留の英国領事は既に一旦船長を怠慢なしと認めたるものであれば幾分か公平の裁判を為さざるかの疑ひ無きを得ませぬ。故に寧ろ共の管轄を横浜に移し以て世人の嫌疑を避くること英国政府の為めに便宜の処置であらうと信じます。 終りに臨み我輩は一言すべきことが御坐ります。若し今回の事変にして単に今回の事変のみに止まらしむるなれば我輩はただ船長の卑怯にして義気に乏しきを悪み我が同胞及び印度人の不幸なる厄難に際会したるを憫むのみであります。然れども今回の事たる決して之に止まりませぬ。元来彼等は一般に日本人其の他東洋人を蔑視し之を蔑視するの極、之を虐待して殆ど彼等と同種類の人類でないと思ツて居るに違ひ無い。即ち今回の事件の如きは彼等が平常我々を虐待する種々様々なる一部分であらうと思はれる。故に我々は此の事に付て輿論を以て充分彼等の所業の不当なることを論じなければならぬと思ふ。而して将来再たび斯の如き事のなからむことを熱望いたします。 林茂淳筆記