○ノルマントン号沈没事件を論す 明治十九年十一月十八日「[warichu]ノルマントン号沈没事件[/warichu]学術討論演説会」[warichu]東京浅草井生村楼[/warichu]に於て 大谷木備一郎訓演説 当今世上の一大問題となツて居りまする英国荷船ノルマントン号の沈没事件に付ては神戸在留の英国領事が今月の五日に言ひ渡しました判決に付て或る論者は「我々の同胞二十五名を彼の一件に付て失ツた、此の事に付ては船長ドレーキ以下乗組海員に対して我々同胞二十五名の霊魂を慰め遺族の怨みを晴らすべき判決が有りさうなものだのに不当にも神戸在留の英国領事は之を判決して無罪としたのは実以て言語同断の次第である」と言ひ或ひは「兵庫県知事より求刑したに付き神戸の英国領事庁に於て開かれたる法廷を以て船長等の再審を為すものである」と報道するものもあります。 然れどもこれ等は総て誤謬たるを免れませぬ。我輩は固より英国領事の裁判を以て至富なるものとは看做さず実に疎漏にして且偏頗なる裁判であると思ふ。併しながら該言渡を以て一箇の刑事裁判の如く誤認せる論者に對しては一言其の妄を辯ぜねばなりませぬ。若し該言渡にして論者思惟さるる如く果して刑事裁判ならしめたら假令我が兵庫県知事が如何なる求刑をするとも英国領事は決して法廷を開く譯は御坐りますまい。然るに諸君もし知らるる如く英国領事は兵庫県知事の請求を容れ現に法廷を開き船長以下の審問に着手したといふことである。然れば則ち該言渡が刑事裁判で無いといふことが明らかでありませう。 千八百五十四年に英国政府に於て制定されたる商船条例即ちマーチャント、シッピング、アクトと千八百五十五年に其れを改正になツたマーチャント、シッピング、アクト、アメンドメント、アクトの第二十三節に「英国のボールド、ヲフ、トレード即ち商務局若しくは海事裁判所に於て船長又は其の他海員に不応為の所為があると思料する場合に於ては一応其の事の審問を為し若し果して海員たるの任に堪へざるか若しくは怠慢其の他不法の所為あるに於ては其の海員の業務を停止し又は其の免状を没収するの処分を為すべし」といふことがあるが英国領事が言ひ渡したる裁判は此の条例に基いて為したるもので其の有罪なるや無罪なるやを判決するに非ずして免状を取り上ぐべきや否やを調べる為めである。故に刑事上の裁判に非ずして寧ろ行政上の処分のものと考へます。さればノルマントン号の沈没した為め紀海の魚腹に葬られたる我が同胞二十五名の霊魂を慰め其の遺族の怨みを晴すべき公平正当の裁判あらむことを冀望する場所は則ち今回神戸領事庁に於て更に開く所の法廷であります。 想ふに去月二十四日の晩、彼の紀州大島沖に於て沈没しました彼のノルマントン号に乗り組んで居ツた同胞二十五名及び印度人の火夫十二名が船長等の為めにステゴロシにされ空しく海底の藻屑となりたるの一事は実に悲むべく憫むべく怒るべく恨むべきの極にして「情け無い事をした」といふより外は私は言を尽すことができませぬ。ただこの感情を言ひ現はすべき言語の無きを憾むのみであります。諸君は我が同胞中に如何なる種類の人があツたかを記憶せらるるであらう。即ち暫く東京に遊学して居ツて今度久しぶりに故郷の両親に会はうといツて出立した学生もあり或ひは結婚の約が整ツて喜んで[rrubi]たび[/rrubi]旅だちした花嫁もあツたといふことであるが、これ等男女の父母たり兄弟たり将た良人たる人々の心情は果して如何であらうか実に気の毒なことで之を想像するに忍びませぬ。 さて、このことに付き船長ドレーキに対して求刑が有るからには英国の法律を取り調べるのが必要であると考へます。英国の法律には諸君の御承知の通り成文法と不文法とありますが今其の不文法に拠りますと人命を断つことをホミサイドと申し、このホミサイドを分ツて四種としてあります。第一種をジャスチファイァブル、ホミサイドと言ひますが、これは訳して言ふと正当殺即ち正当に人を殺すこと或ひは上官の命令に依ツて人を殺すことなどであります。第二種をエキゼキューサブル、ホミサイドと言ひますが、これは宥恕殺といツて罪ではあるが罰でないもので例へば幼年の者が弁別なしに人を殺すなどの類であります。第三種はメンスローターで、これは世間で「殺人」と言ひますが私は「殺人」といふよりは「致死」即ち「死に致す」と言ふ方が宜しいと思ふ。此の犯罪は或ひは故意に出るもあり或ひは怠慢に出るのもあツて其の区域頗る広く同じメンスローターを犯したものでも或ひは一日の拘留で済むのもあれば或ひは終身徒刑のもあります。第四種はマーダー即ち謀殺でありますが、これは日本の刑法で言う謀殺に比すれば其の範囲が広く例へば予め謀ツて人を殺す場合のみでなくて悪事を為すの結果、人を殺すに至ツたものも亦マーダーと為す如きものであります。 そこで自分は今ノルマントン号の船長ドレーキ等の所為は何に当るといふことを審究するのが必要のことと考へます。然るに其の所為はマーダーに当たるか又メンスローターに当るかといふに当時の実況は我々が想像に止まることで果してマーダーになるか、メンスローターになるか事実を確かめなければならぬが未だ取り調べが出来ずして僅に新聞紙又は世間の報道より外に材料は御坐りませぬ。併しながら未だ知り得ない所の事実を考えるのは敢て難いことでは無い。船長運転手等は我々同胞に再三[rrubi]はぶね[/rrubi]端艇に乗ることを勧めたが我々同胞は固く拒んで乗り移らなかツたといふことである。併しかかることを為したかドウかは我々が粗判定することが出来ませう。船が今沈没するといふときに其の乗客は船長運転手等の指図を如何に思ひませうか危険を避けやうといふにはドウいふことを攻究しなければならないか。船長等の指図に従ふより外は有りますまい。然れば誰も彼も端艇に乗うといふ考えはあツたらうと考へる。また数十人の人が危険にかかツたときドチラに避けやうといふときには、おもなる人の避け方に気を付けて必ず其の人の避ける方向に向かツて避けるに違ひ無い。また船が沈没しきらぬうちに海員の或る部分は端艇に乗ツて居るのを目撃しながら乗客にして大船に残ツて居ることを甘んじませうや。彼等乗客は水夫等は船の事を知ツて居るから其の言ふ通りにしたらば助かるだらうといふことはドンナ愚鈍の者でも分かりませう。」千八百五十五年に英国政府にて頒布されたパッセンジャー、アクト即ち船客条例の第二十七節に拠れば二百噸以上四百噸以下の商船は端艇二艘を備へ、四百噸以上六百噸以下は三艘、六百噸以上八百噸以下は四艘、八百噸以上一千噸以下は五艘、一千噸以上一千五百噸以下のものは六艘の端艇を備へなければならぬことにきまツて居ります。而してこれは何の為めにおくものであるかといふに若し船が衝突することが有るか暗礁に乗りかけることが有るかも知れぬゆえ其の時の為めに備へるものなることは誰れも想像することでありませう。決して端艇は何の為めに附いてあるか知らぬといふことは御坐りますまい。既に三人の同胞は端艇を下すことに尽力して居ツたといふことで御坐ります。して見れば、この人等は端艇の効用を知ツて居ツたに違ひ無い。然るに三人の人も助かツて居らない。三人の人が端艇の効用を知ツて居ツたら他の二十二名は必ず其の人より伝聞して其の効用を知るであらう。これ等の事実であるに同胞が端艇に乗ることを肯じなかツたといふのは甚だ請け取れぬことでは御坐りませぬか。また諸新聞紙等に拠ツて見ますと尚ほ一層怪しむべき事実が有る。只今申した数多の事実によツて考へて見れば日本人はミスミス溺れることを知りながらドウなツても構はぬといツて現に居ツたに違ひ[rrubi]な[/rrubi]無い。然らばメメンスローターは逃るることが出来ますまい。 また一層考へるとマーダーになるかも知れない事実がある。現今取り調べに着手して居りますが同胞二十五人の死骸も印度人十二人の死骸も浮き上らない。然るに船長等が乗ツた端艇は漕いで来たのかといふに、ただ風の為に吹き寄せられて来たのだといふ。然らば船長共の他のひとびとが[rrubi]おほぜい[/rrubi]大勢一つの船に乗ツてはあぶないからと言ツて或ひは船室から我々同胞を出さぬかツたかも知れない。啻に其れのみで無い。今日の新聞で船長は四千弗の保釈金を出し其の他の者も保釈を許されたといふからには現に大金を持ツて居る人もあるに違ひ無い。これ等のことに付て考へて見ても疑はしいことである。また外国の例に保険附きの船を沈めて保険料を取うといふこともある。我々は公平な考へからして実に不思議と思ふより外は無い。若しや我輩の疑ふ所をして事実に違はざらしめば彼等はマーダーの犯罪たることは免るるを得ますまい。 以上述るが如くでありますから我輩は英国領事に向ツて充分なる審理を尽し以て公平至当なる裁判を下されむことを冀望いたします。然れども神戸在留の英国領事は既に一旦船長を怠慢なしと認めたるものであれば幾分か公平の裁判を為さざるかの疑ひ無きを得ませぬ。故に寧ろ共の管轄を横浜に移し以て世人の嫌疑を避くること英国政府の為めに便宜の処置であらうと信じます。 終りに臨み我輩は一言すべきことが御坐ります。若し今回の事変にして単に今回の事変のみに止まらしむるなれば我輩はただ船長の卑怯にして義気に乏しきを悪み我が同胞及び印度人の不幸なる厄難に際会したるを憫むのみであります。然れども今回の事たる決して之に止まりませぬ。元来彼等は一般に日本人其の他東洋人を蔑視し之を蔑視するの極、之を虐待して殆ど彼等と同種類の人類でないと思ツて居るに違ひ無い。即ち今回の事件の如きは彼等が平常我々を虐待する種々様々なる一部分であらうと思はれる。故に我々は此の事に付て輿論を以て充分彼等の所業の不当なることを論じなければならぬと思ふ。而して将来再たび斯の如き事のなからむことを熱望いたします。 林茂淳筆記