[warichu]速記叢書[/warichu]講談演説集第二冊 明治十九年十月発行 ○仮名世界の準備 明治十八年一月二十五日仮名の会員の[rrubi]おほよりあい[/rrubi]総集会[warichu]東京神田区錦町学習院[/warichu]に於て 近藤真琴君演説 私はとんと演説を致したことは御坐りませぬ。ただ生徒を集めて講釈を致したことは御坐りますが甚だ不調法で御坐ります。先づ仮名文字は便利でありモロコシ文字は不便であるといふことは諸君のお話しもあり殊に外山[warichu]〔正一〕[/warichu]君のご演説は尤もで何も彼もふるツて支那文字の不便なこと仮名の便利なことを述べられましたから今日私はそこは申しませぬ。ただ愈々広く益々盛んに此の会の成りゆくことを御相談いたしたいと思ひます。 然るにこの月は会員が二千何百人になツた、かしこの誰が会員になツた、して会費が如何程になツたなどといふだけでは、これで盛大にになツたとは考へられませぬ。会にお集まりなされた方が使へるだけは仮名の文字を使ひ、成るたけモロコシ文字を省いて書くといふ様に日又一日に仮名文字の用ひが殖る様の実があがりませぬでは名簿ばかりでは盛大と私に於ては思へない。そんなら一旦に仮名のみを用ひてモロコシ文字を廃してしまツたらドウだといふに其れは順序の悪いことで順序が悪いとときには効が無い。例へば仮に蓁の始皇の様な大決断の人があると定め其の人が仮名の会の仕事を尤もと思ひこんで(但しこれは我が国のことでは無い話しとして)数字の外はモロコシの字を用ひぬことと触れ出し一字使ツた者は懲役一年、二字使ツたら懲役二年に処することとしモロコシの字を書いた書物は広い原へ持ツて往ツて焼いてしまふといふ大決断をいたすと思ひなさい。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]今日其れをやられては困る。さて其の焼かれた翌日は新聞を読うと思ツても新聞は無い、究理のことでも歴史でもモロコシの字を用ひたので無ければ横文字の書物より外は無いから英書か仏書の読める人は[rrubi]よ[/rrubi]宜う御坐いませうが今まで翻訳書をあてにした人はこの時に差しつかへてしまふ。其の外秦の始皇に出かけられたと思ふと大層な不都合が出て来て当分は手紙を「一筆啓上」と書く樣にはいかないで仮名の運用に順序が付かないから兎角「いつぴつけいじやう」とやる様になり手紙を書くにも甚だ困る。其の外一旦に大決断をやるのは宜い樣で御坐りますが、いろいろまた困難のことも起ツて来る。其の[rrubi]わけ[/rrubi]訳は全体この[rrubi]みくに[/rrubi]御国はもと古事記日本書紀よりこのかた漢文を用ひて公文は漢文で書くことになりましたが漢文はむつかしいから已むことを得ず漢文に似たものを書く樣になり庭訓往来の樣な文体となり其れで記録を書いたのが[rrubi]あづまかがみ[/rrubi]東鑑其れが段々流れて来て一筆啓上といふ樣な文体になツたので漢文で公文を書いたのが流れて来たので御坐ります。其の間に平仮名を使ツたのは草紙物語より出でまた漢文に訓読を下して、すて仮名を付け其れが段々一種の真片仮名文になツたものと思はれます。もと漢学の開け始まりは漢語を用ひた方が上品の様なおつな習はしがあツて漢語が日本の言葉になりました。さういふ訳で見ると言葉は漢字を知らなければ分らない。「しゅッぱん」と言ツても[rrubi]ほん[/rrubi]本を版にすることだか船のでるのだか分らない、其れと同じ理屈で「しぶんくゎい」と言ふとカラウタの会だと思ツて其の字を見ると、「[rrubi]このぶん[/rrubi]斯文」と言ツた様な理屈で仮名にすると口で言ツた様になる。さういふ所からして、いろいろ今秦の始皇にやられては不都合が有ると思はれます。私は漸進家で気の短い様な気の長い様な性質で気を長くしなければならぬ所は気を長くすることも有り気を短くしなければならぬ所は気を短くする所も有ります。ただ気を長くばかりしては、いつまでも事は出来ませぬ。また、せいてもいけませぬ。と言ツて油断してはすみませぬ。 私の工夫は小学校の初等科の生徒に先づ仮名ばかりでおしへたい[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]先づ「いろは」でも「あいうえお」でも「ほへと」でも宜しいがモロコシの字を知らないうちに仮名を教へ仮名の字面を知りましたら先づ「は」の字と「な」の字を知れば「はな」とはこんなものだと教へ「み」と「る」で「みる」、其の間に「を」を加へて「はな を みる」をいふ様に教へ其れで年始暑寒用の手紙といふ様なものを書くことを教へて、どれほどかの年月教へたら上等科のことを学ばないで文通が出来やう。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]田舎の様子を見ますに漁村僻邑と言ふと漢語ですが田舎の百姓などが学校へ往ツても天文ちりだとか何だとかむつかしいことを知ツても用事を弁することを知らない。初学で[rrubi]さが[/rrubi]下り而して舟を漕ぎ、畑へ弁当を持ツて行く様になる。其れを用の弁ずるまで学ばさうとすると不毛の地が出来て肝腎のものを失ふ。この用を弁するには仮名を用ふることを開くに如かずと思ひます。また後のことを考へると前に申した秦の始皇の話しの様に書物を皆な焼いてしまツても英仏の本を知らないでも何でも知れる様に知れるものを作ることが肝腎だと思ひます。先づ小学校の本、また学問のある人の研究の為めの本、それから第三種は慰みと為めの本、それを類を分けて見ますと御国より始めてモロコシ西洋の歴史、理学、化学、最も入り用なのは算術、算術も仮名ばかりで書いた本が入り用で御坐ります。内田[warichu]〔嘉一〕[/warichu]先生の奥方がお拵へになるさうですが真に喜ばしいことでドウか幾何から三角術までも仮名で書いた本がほしい。其の外、天文、地理、本草、地質もツと慾深く鉱物の学問、機械の学問、蒸気の学問、電信の学問、法律の学問、測量の学問などの本が出来なくツては困ります。手紙の書き方の本は物集[warichu]〔高見〕[/warichu]先生の御著述を持ツて居ります。さて又今まで修身の道は我が国では孝経をたのみにして居るのですが漢字が無くなると孝経がなくなる。其の時、修身はといふと仏道と耶蘇、其の仏道を採用するとしても矢張り経文は漢字であり、さうなると耶蘇を用ひなければならない。我が国は支那の本で修身を学んだが修身は支那よりは日本がよい。其れ故矢張り仮名で書いた修身の本を願ひたいと思ひます。 さて書物はヤミクモに作るさへ骨が折れるもので御坐ります。今私の申した目録だけの書物を拵へるのは口で言へば易い様だが大困難の至りで御坐ります。何にもあれ新しいことを起すは大困難のことで御坐りますが幸ひ諸君が会員となツて下されたからはここを一部分づつ御担当下されたい。兎角仮名がよいと言ツて自分で用ひても人が仮名を用ひないから漢字で無ければならないといふ様なことがあり拠ろ無く漢字を使はなければならない様な訳で私どもも孫の頃は[rrubi]らく[/rrubi]楽にもなりませうが今の所では漢字を読ませるのは惜い月日だと思ツても已むことを得ず教へます。其れはナゼだと申せば漢字の本をやめて仮名の本を読ませたくも本が無いから涙を流して漢字をやらして居ります。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]ドウゾ皆様のお骨折りを以て全く仮名の世界にしてしまひ、秦の始皇の大決断を望む準備が出来る様で無ければなりませぬと思ひます。この自分の持論を述べて諸君に伺ひますので御坐ります。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu] 林茂淳筆記