○節酒曾を賛成するの趣意 明治十八年三月二十二日大日本節酒曾の第一総集曾[warichu]東京神田区北神保町神保園[/warichu]に於て 杉亨二君演説 私は杉亭二と申す者で節酒曾賛成者の一人で御坐りますが節酒のことに付いては諸君の高論卓説もさぞかし多く御坐りませうが発起人諸君から亨二にも是非演説をしてくれとのお頼みゆゑ亨二は亨二だけの賛成いたした趣意を申し上げて見ようと思ひます。 酒のことに付ては古人も辛苦されたことと見えて或は「後世酒を以て国を亡ぼす者あらむ」と言はれ又「酒は百薬の長」とも言はれまして説が両端になツて居ります。さて酒は世間に数千年来行はれてありますが酒を以て国を亡ぼすといふ方には世間で賛成者が[rrubi]すくな[/rrubi]少くして酒は百薬の長だといふ方には賛成者が多い。[warichu]〔聴衆拍手喝采〕[/warichu]我が邦では子が生れるにも酒、縁組をするにも酒、祭礼にも酒、祝賀でも酒、喪礼でも酒といふ様に総て酒を飲むことが慣習になツて居ます。其の外、近来国を開化させるとか文明にしようとか国を富すとか強くするとか云ツて何社とか何曾とかを立てて人間社曾の大事業を企つる時などには、いつでも酒が[rrubi]なかだち[/rrubi]媒になりまして新聞紙などにも、いつ何曾が盛曾であツたとか大変な愉快であツたとか、いふことが見えて居ります。 また日本ばかりでなく西洋でも総て酒は人間の食物の様になツて居るのは西洋の人も歎息して居ることで有ります。一体御承知の通り酒と申すものはナルコチカと言ツて麻酔の効の有るもので之が為めに害を受けぬ者は有りませぬ。然るに今日、日本で「文明」と訳字を付けましたシビリザションといふものの意味を尋ねますれば月の中には兎が餅を搗いて居るとか[rrubi]かみなり[/rrubi]雷は太鼓をしょツて居るとか言ひましたが段々に開けて来て月といふものは、かういふもので決して兎が餅を搗いて居るでは無く、又雷は太鼓をしょツて居るものでは無いといふことが[rrubi]わか[/rrubi]分ツて来ます。また今日智慧を研き[rrubi]からだ[/rrubi]身体を丈夫にしようといふ様な[rrubi]すべ[/rrubi]総てのことといふものは皆このシビリザションの道理によツて分るもので有ります。然るにかのナルコチカを飲んで食物と同様に思ふのは実に條理が分からぬことでは有りませぬか[warichu]〔聴衆拍手喝采〕[/warichu]誠に不思議な[rrubi]わけ[/rrubi]訳では有りませぬか。[warichu]〔聴衆拍手喝采〕[/warichu] かういふ所から私共も説を立てて見て世間で酒を飲む人はどんな人が多いかと歴史などから考へて見ますと酒を飲む人は無慾の人であツて多慾の人は酒を飲まぬものだらうと思ひます。諸君はドウ思し召すか知れませぬが私は酒を飲んでは身体を弱らし智慧を鈍くし財を費すことになツて種々様々に人に弊害を及ぼして参りませうと思ひます。併し大慾の人はさうで無い、大慾の人は余り酒を用ひませぬ。歴史などを見ましても酒を飲まない人は古へより功を成し国家の為めになツた人が有りますが酒を飲んで大事業を仕遂げたといふ人は無い。大事業を仕遂げた人は何れも酒を慎んで慾の深い人で今日の行ひをよく省みて智慧を研き身体を丈夫にし財を惜む慾の深い人だと思はれます。小慾の人は酒を飲むことを好んで前に述べたようなことは致しませぬ。西洋の諺にも「酒が腹中に入れば、智慧は徳利の中に入る」といふことが有りますが[rrubi]なん[/rrubi]何と面白いことでは御座りませぬか。諸君はドウお考へなさるか知れませぬが私は面白いことと思ひます。私どもの実験にも世間にさういふ連中があツて往来に酔ひ倒れて警察官の厄介になツて、あとでは更に知りませんだツたなどといふ様なものは[rrubi]いはゆ[/rrubi]所謂る智慧が徳利の中にはいるのと、よく事実に合ふことで有りませう。それで酒を飲む者は無慾だといふことがよく分かりませう。己れの大切なる智慧までも徳利の中へ質物にするとは[rrubi]なん[/rrubi]何と無慾なものでは御坐りますまいか。[warichu][聴衆拍手喝采][/warichu] さて其のことに付て近頃ヒロソヒーが亨二に教えましたよく当る詞が有ります。あなた方は何とお思ひなさるか知れませぬが私どもは善いと思ひます。其れは[rrubi]ほか[/rrubi]外のことでも無い、「大いなる社会は大いなる慾、大いなる慾は大いなる社会」といふことで即ち「グレート ソサイチー は グレート エゴイスム で あり、グレート エゴイスムは グレート ソサイチー で ある」といふことで有ります。今日世界の大変動と思はれまする殖民政略などのことも大慾で有りますが独逸や仏蘭西や英吉利などの人が皆酒を慎んで[rrubi]からだ[/rrubi]体を丈夫にして智慧を研いたからで御坐りませう、報国をしようとか大事業を[rrubi]しと[/rrubi]仕遂げようとかいふに酒を飲んではそんなことは出来ますまい。そこでヒロソヒーで「大いなる社会は大いなる慾、大いなる慾は大いなる社会」と言ひますが若し「大いなる社会は大いなる酒[rrubi]ず[/rrubi]好き、大いなる酒好きは大いなる社会」と言ツては通り[rrubi]かね[/rrubi]兼る様です。其れを信仰する人が有れば其れまでのことですが「大いなる社会は大いなる酒好き、大いなる酒好きは大いなる社会」では実に[rrubi]をかし[/rrubi]可笑くなりませう。[warichu][聴衆拍手喝采][/warichu]一方のヒロソヒーの方は調子が合ふから人が聞いても感じましてよく[rrubi]きこ[/rrubi]聞えますが「大いなる社会は大いなる酒好き」と言ツつたら調子に[rrubi]はづ[/rrubi]外れたものと思いませう。諸君は「大いなる社会は大いなる慾」といふ方に御賛成の様に見ゆる、誠に面白いことです。どうか此の会も大いなる慾の仲間にはいツて段々諸君のお力を以て益々盛大にし知恵を磨き[rrubi]からだ[/rrubi]身体を丈夫にし財を貯へる様に致したいものと思います。財を貯へると言ツても決して吝嗇になるといふのでは無い、エコノミーの大主義でよくためてよくつかふが[rrubi]よ[/rrubi]宣う御坐ります。これは誰もトガメテの無いことでせう。どうか皆様のお骨折りを以て大慾の社会になることを希ひます。[warichu][聴衆拍手喝采][/warichu]賛成いたした趣意をちょツとお話し申しますまで。 林茂淳筆記