更新 2003/04/16
西暦(元号) | 年齢 | 事跡 (*印は関連事項) | |
---|---|---|---|
1847(弘化 4) | 1歳 | 11月15日(冬至)、武蔵国豊島郡江戸木挽町4丁目にて生れる。幼没した長男と次男修次郎(如電)の次の三男、姉が二人、後に妹二人。実名、清復(キヨシゲ=永野賢・古田東朔・「言葉の海へ」・「図録」、キヨマタ=『国語と国文学』・『国語学大辞典』、セイフク=『日本語学研究辞典』)、三男であることから通称、復三郎(フクサブロウ)。 | |
1851(嘉永 4) | 5歳 | 家学として漢学詩文を学ぶ。 | |
1861(文久 1) | 15歳 | 1月7日、林大学頭の門に入る(名目だけで教授はなし)。 | |
1862(文久 2) | 16歳 | 9月、江戸開成所(洋書調所)に入学。英学・数学を学ぶ。 | |
1863(文久 3) | 17歳 | 5月、仙台藩校養賢堂に入る。 | |
1866(慶応 2) | 20歳 | 閏4月15日、仙台藩から洋学稽古人を命じられて、養賢堂にて英学を学ぶ。 10月27日、江戸開成所に再入学。 |
|
1867(慶応 3) | 21歳 | 10月、米国人タムソン(David Thompson)について英学を学ぶ(50日程)。 | |
1870(明治 3) | 24歳 | 5月2日、東京大学南校に入り、英学・数学を学ぶ。 | |
1871(明治 4) | 25歳 | 3月20日、箕作秋坪の英学私塾三叉学舎に入る。 9月、塾長(幹事)となる。 |
|
1872(明治 5) | 26歳 | 6月1日、名前を文彦に改める。 10月13日、文部省八等出仕となり、英和対訳辞書の編纂を命ぜられる。 |
|
1874(明治 7) | 27歳 | 11月8日、宮城師範学校長となる。 | |
1875(明治 8) | 29歳 | 2月2日、文部省報告課勤務となり、日本辞書の編纂を命じられる。 | |
1878(明治11) | 32歳 | 6月13日、父磐渓死去。 10月9日、文法会第1回を開催。 10月、「広日本文典」を起稿。 |
|
1882(明治15) | 36歳 | 4月31日、文法会56回にて中止。 9月、「広日本文典」を脱稿。「言海」の浄書を始める。 |
|
1883(明治16) | 37歳 | 3月、「かなのとも」を組織する7名の内に属する。 4月30日、音楽取調掛兼勤となる。 |
|
1884(明治17) | 38歳 | 2月25日、願いにより、文部属を免じられ、文部省御用掛となり、取扱准奏任となる。 12月1日、内藤いよと結婚。「言海」の草稿が完成する。 |
|
1885(明治18) | 39歳 | *9月、近藤真琴『ことばのその』刊行。 10月13日、音楽取調所兼務を解かれる。 *編集局長西村茂樹が転任し、伊沢修二が後任となる。 |
|
1886(明治19) | 40歳 | 3月23日、「日本辞書言海」の再訂が終わり、提出。物集高見のもとに保管。 | |
1888(明治21) | 41歳 | *7月、物集高見『ことばのはやし』刊行。 10月26日、伊沢修二から言海自費出版の約束の上で稿本が下賜される。中田邦行・大久保初男を助手として、自宅にて校正。 |
|
1889(明治22) | 42歳 | 5月15日、『言海』第1冊(あ~お)刊行、「語法指南」を巻頭に置く。 10月31日、『言海』第2冊(か~さ)刊行。 |
|
1890(明治23) | 43歳 | *2月高橋五郎『漢英対照いろは辞典』刊行。 5月31日、『言海』第3冊(し~ち)刊行。 11月16日、次女「ゑみ」没。21日、妻「いよ」没。 |
|
1891(明治24) | 44歳 | 1月7日、「言海」校正完了。 4月22日、『言海』第4冊(つ~ん)刊行。 6月23日、『言海』出版祝賀会を芝紅葉館にて開催。 |
|
1896(明治29) | 50歳 | 8月、「広日本文典」改訂終了(1月から改訂開始)。 | |
1897(明治30) | 51歳 | 1月9日、『広日本文典』『広日本文典別記』ならびに『中等教育日本文典』刊行。 *4月、東京帝国大学文科大学内に、国語学研究室設置。 |
|
1899(明治32) | 53歳 | 3月27日、文学博士。 | |
1902(明治35) | 56歳 | 4月11日、国語調査委員会委員、主査委員。 | |
1906(明治39) | 60歳 | 「口語法」脱稿。 | |
1911(明治44) | 65歳 | 3月27日、帝国学士院会員。 | |
1912(明治45) | 66歳 | 5月15日、「増補言海」出版契約を富山房坂本嘉治馬氏との間に結ぶ。松平圓次郎・濱野知三郎氏が「増補言海」編集員に。 | |
1913(大正 2) | 67歳 | 「口語法別記」脱稿。 | |
1914(大正 2) | 68歳 | 5月1日、大久保初男氏が「増補言海」編集委員に加わる。 | |
1916(大正 5) | 70歳 | 12月、『口語法』刊行。 | |
1917(大正 6) | 71歳 | 4月、『口語法別記』刊行。 | |
1923(大正12) | 77歳 | 4月、編集委員大久保初男氏のみとなる。 | |
1928(昭和 3) | 82歳 | 2月17日、自宅にて死去。「増補言海」はサ行まで成稿。法名、言海院殿松陰(音=図録)文彦居士。墓所は、品川東禅寺。 |
★作成のための参考資料