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第二十五章 産業地論上
第一節 消費せんとする欲望と地
社会の経済的生活は交易、生産、消費の三方面に向って発展せることは既に述べしが如し。交易も、生産も、人類の財貨を得て之を消費せんとする欲望に基づくものなれば、人類の貨物に対する欲望及び其程度を知るは経済的活動の形式を了解するに於て要用なることなり。
社会の発達に従ひ、人智の進むに従って、無限に種類と分量とを増加すべき人類の欲望を分類することは固より至難のことなり。されば経済学者は種々の観察点より之れを分類すれども、未だ総てを満足せしむるものなきが如し。今最も事宜に合へる分類なりとせらるゝ、ロッシェル氏の説に従ふに、人生の欲望に三種あり。第一自然的欲望、第二応分的欲望、及び第三奢侈的欲望是れなり。固より人類の身、心、両生活の総ての欲望を網羅し能はざるものなれば学者間、頗る異論ありと雖も、吾人は之を人類の財貨に対する欲望と解するに於て略ぼ満足し得べきか。さて之を実際に各個人、各種族の欲望の種類及程度の分類に適用するに当り、第一種と第二種、第二種と第三種との間に如何して限界を立つべきかは到底能はざる所なれども、大躰一般に通ずる所よりすれば其種類及び分量は人類の境遇によりて異る。第一に著しきは文化の程度の相違に基く差異なり。世界の人種も。其中の各個人も文化発達の一系の階級内に在ることは第二十二章に於て観察せる所。此各階級は即ち欲望の種類と程度との相違を表するものにして、其程度上進するに従ひて、欲望を満足せしむる需用品の数と量とは增加す。同一の文化の階級の人類として第二に著しきは気候の相違に基づく[#「基づく」は原本では「基べく」]差異なり。溫熱の過多なる熱帯と、其過少なる寒帯と、其中庸を得ると共に季節によりて寒暑の変化も多き溫帯との人類の間に欲望を満足せしむべき需用品の種類及び分量の差異あることは第十九章の記述によりても容易に首肯し得べき所。
右の両条件を考察外に置くとして、第三には地上の位置に従ひて産物の異るに基づく差異なり。此中には山と平地、海浜と内陸、高地と低地、交通の便利なる所と不便なる所等の相違に基く欲望の差異を含む。之を要するに人類の生活上の欲望は地上の位置異るに従ひ、其種類に於ても、数量に於ても頗る差異あり。而して以上の差異は啻に各個人の生存上に於てのみならず、社会の生活上に於ても之れあるなり。
第二節 生産業の種類
人間の需用に応ずべき貨物の生産に必要なる条件を天然力と人力とに区別するを得べし。経済学者は土地、労力及び資本の三者を区別すと雖も資本なるものは天然力と人力との協合に成れる結果の蓄積なれば吾人の論述せんとする生産の範囲としては二要素に包括せしむるを得べし。其意味に於ける天然力に就ては、既に前篇各章に於て之を論じたれば茲には人力、即ち人類社会の生産的活動を観察するを以て足れりとす。生産的活動とは云ものゝ科学上の意味に於ては人間は毫も有形物躰を創世する力を有せず。通常吾人が有形躰を生産せりと思ふものも少しく熟察するときは、唯々人間に対する要用の度を増加し、創成したるに留まり、反言すれば実利を生産したるのみ。
彼の工人が一片の木材を以て机を造り、或は農夫が数月間の労働によりて穀物の若干を収穫し、樵夫が林間より木材を伐截し出す等の場合の如きは、一見物を生産したるが如けれども、実は唯だ物の形態を造出し、変化し若くは天然に存在する物の配置を変じて従来無用なりしものを有用ならしめ、左程入用ならざりしものを一層有用ならしめたるに過ぎず。要するに物の価値を増加したるのみ。
されば人間が貨物を生産せりと云ふは唯実利を生産したるのみ。之を貨物其物より云へば価値を生じたるのみなるを観るべく、其意味に於て生産なる語が制限せらるゝと共に、単に貨物流通の媒介活動たる商業も人間の実利を生産するの点に於て農、工業と何等の差なきを観るべし。
現時の開明社会の実相を観察すれば、其無数の欲望を満足せんとして起れる人間の生産活動も亦た多樣無数なるが中に一時的のものと永続的のものとの二種あるを観るべし。其活動を連続して生計を営み、個人として生命を維持すると共に、社会に一部の貢献なすものを営業と云ふ。農業、工業、商業等は其一部の細分なり。而して此等直接に貨物の価値の増加に関係する業務を総称して産業と云ふなり。産業界を更に精査するときは社会全躰が幾多社会的活動、即ち分業によりて生活をなす如く、其中に又た多数の分業が行なはれつゝあるなり。蓋し分業は社会の各個人が各々其能力に長短あると、相互間に物品の交換を行ふ力を有するとによりて起り、交換を行ふ力は交通機関の発達に伴ふ者なれば、交通機関の発達せざりし古へに於て、若くは現今に於ても僻遠の田舎にありては、自己の需用する多種の物品を得んとするに当り、人口稠密の地方に於けるが如く、一々職工の助けを藉ること能はずして悉く之を各自に於て作出するの業に従事せざるべからず。其不便と困難とは、今日の吾人が不知不識の間に自己の便利を得つゝあるの考を以てしては、恐くは想像し得べからざる所也。然るに今や交通機関の発達は殆ど絶頂に近づき市場の区域は世界に拡張せられ、世界にある者は殆ど吾人の需用を満たし得べからざる者なきに至りたれば、従って業務は益々細分せられ、以て現今の盛况を呈するに至れり。而して将来益々多からんとす。然れば茲に此無数の職業を分類することは亦た頗る困難のことなりと雖も、吾人が現在に影響を受けつゝある直接生産に関する重要なる業務を区別すれば左の如し。
一、猟業
二、漁業
三、鉱業}[#「}」は「一~三」の下を覆う] 此等は造化の生産せる天然物の配置を変じて人生に接近せしめ、且つ其形態に僅かの変化を与へて実利を創出するものなれば、天然産物採集業と云ふを得。
四、農業
五、林業
六、牧畜業}[#「}」は「四~六」の下を覆う]此等は造化の生産力に参与し、之を幇助し、之を利用して、貨物を生産するものなれば粗品の生産業と云ふを得。
七、製造業
八、工業}[#「}」は「七~八」の下を覆う]天然物の形躰を変化し、若しくは其性質を変じ、以て実利を生ずるものなれば、粗品加工業と云ふを得。
九、商業
十、運輸業}[#「}」は「九~十」の下を覆う]此等は貨物の位置を変じ、不用なるものを有用ならしむるものなれば貨物の転移業と云ふを得。
以上は各々現社会の経済的活動中の一形式として行はるゝ所のものにして、其中には更に多数の分業を包括するや論を俟たず。又た以上各種の業務中には其発生の時期に前後の別あれば、之を原始的産業(六以上)と分支的産業(七以下)とに彙類するを得。
第三節 産業の発達
右の如く現在の社会は複雑多種なる業務に分れ、それ等は互に相協合して経済社会の繁栄を来しつゝあるものなるが、更に此等の業務の起源に遡りて考ふれば実に遼遠なる歳月を費して漸次に発達したるものにして其間には数多の階級あり。然るに産業発達の此諸段階の特徴とすべきは生産の方法及び器具の発達にあれば、此れによりて区別するを便とす。人類初期の産業的活動は其食物を得る主要なる方法に従って分つこと普通なり。
一、狩猟及漁時代 人類最古の時代の生活は現今各地に於て発見せらるゝ石器により之を追跡するを得べし。此等器具発展の形蹟によつて太古矇昧の代に於ける産業的形式は最初は手と石と杖とによつて獲らるべき食物に依従し、後に金属使用の発見したるよりは弓矢を携へて森林に入り禽獣を狩り、或は河海に臨み魚介を漁り、以て其生命を繋げる者なるを知る。此産業の形式時代に於ては僅かに自然の存在物を獲得するに留まるが故に此獲物によりて支持せられ得べき人々は固より僅少ならざるべからず。然らざれば恰かも水族の集来するが如く、一時的の群衆ならざるべからず。然れば一種の団躰が発育して大となる場合に於ては、其成員たる者は勢ひ食物を求めて遠く分散せざるべからず。而かも尚ほ食料の不断の供給は得べからず。斯の如く漂泊的且つ不安心なる社会に於ては社会的活動の高等なる形式は固より発生せらるべきにあらず。
二、遊牧時代 狩猟を以て生活せる人民が智識稍々進むに伴ひ、欲望の範囲拡張するに当り、狩猟の天然供給は絶えず間歇して食物の欠乏は益々加はり、往々数日も飢餓を忍ばざるを得ざるにより、其生活の幸福少きを悟ると共に、牛羊山羊豚若くは鶏等の動物を馴致することを知り、是に於いて食物供給は狩猟によりて獲し者よりは一層豊富に且つ確実なるを解し、茲に至り牧畜の民となる。此民の生命を托すべき根本は其飼養する家畜にあれば彼等の行く所に常に随伴せざるべからず。然るに、飼草の一所にある分量は自ら制限あれば、之を喰ひ尽すに従って、常に遷居せざるべからず、水草を逐うて遷居する遊牧の民を生ずる所以なり。
牧畜時代に於ては曩の狩猟の時代に比すれば広大にして且恒久なる社会的生活に進みたることは前陳の如し、而かも同時に水草を逐うて遷転するを要する所謂遊牧の生活は自ら文化の高等なる発展を障礙して或る程度以上に進步するを得ざらしむ。
猟族が動物を飼畜することを発見して游牧民に転ずるの経路は、漁族に対しては自ら養魚時代に遷らざるべからざるが如きに、彼の牧場に比すべき池、沼、河、湖等の養魚場は至る所に得べからず[#元の本文は「べからざず」]、且つ魚族の養殖法は、决して牧畜の如く簡単なるものにあらざれば、彼の既に多少発達したる産業生活を営むに至りたるに是は永く原始的生活に甘んぜざるべからず。されど後来航海者となり、商業を営むに至るものは此漁族にあるなり。
三、農業時代 遊牧の民若くは河岸の漁民が食糧に適する穀物を発見し土地を耕す術と器具とを得るときは、茲に一転して農業の民と化す。然れども自然物を採獲して安居したる人民が、其事業を転ずることの非常に困難なる生存競争の必迫にあらざれば能はざることは既に記せし所、又た現に吾人が北海道のアイヌ種族にて経験するが如くなれば其間には多年の星霜を経過したるものなることを推知するを得。既に農業生活に転ずるや、同一面積の土地は牧草場に委する時に比すれば遙に夥しき人口を支持するを得るを以て従来の漂泊的不安心なる生活は、茲に安全なる定住生活となり。其根拠たる堅牢なる住家は建築せられ、住家の集合せる村落起り、斯くて将来発達すべき高尚なる社会の基礎成る。人類既に定住生活に移り鞏固なる生活根拠を得たり。是に於てか其生産物を現在の欲望を満足するのみに用ひずして、未来の欠乏に備ふる貯蓄の念起り、財産の制度生ず。然るに諸人は各其天性と力量とを異にし、又た各所に散居せる各部落は自ら其境遇を異にすれば、其生産亦た自ら異ならざる能はず。是に於て人は自己の需用する所のものを総て自ら生産することに満足せずして、自ら生産せし物と、他の生産せし物とを交換して、互に便利を受くるに至る。然れども此時代に於て生産者と消費者即ち他の生産者とが、互に其物品と物品とを交換するのみ。故に此時代を亦た物品交換時代といふ。
四、商業時代 物品交換が次第に頻繁となるに従って其都度一々繁雑なる計算をなすことの繁に堪へざるに至る。此時に当り或る特種の商品ありて他の者よりは屢々交換せられ、各人は其物品を以てすれば、己の欲する何物をも購求し得ることを看破するときは、其物品は即ち選ばれて貨物交換の媒介物となる。牡牛、穀物、塩、鉄、銅、珠、介殻等は此時代に於て諸種の未開人民の交換に媒介物となりしものにして、即ち一種の貨幣なり。然るに媒介物として最も便利なるものは其容積に比して高き価値を有し、何人にも好まるゝものならざるべからざれば、貨幣[#元の字は「貨弊」]自ら進化して現今の如き貴金属に至りたるなり。貨幣一たび現はるゝや茲に初めて生産者と消費者との間に商人なる階級発達す。斯くて従来生産者と消費者との交渉はなくなりて、生産の物品を商人に売却し商人より之を買ひ取るに至る。故に此時期を商業時代と名づく。
五、工業時代 商業既に発達し、一方に之れに伴ふ交通機関亦た次第に発達し、貨物の交換容易となり、其交換の範囲拡張せられ其種類又た多くなるや、茲に至りて人は自ら要する物品を必ず自ら生産するに及ばずして、社会の必要に応ずべき一種の物品のみを生産すれば、之れを以て容易に其生活に要する他の品物を自由に得るに至り、之に至りて粗品に加工をなすを以て営業とする一階級の人民生ず。即ち工業の起源にして工業時代の名ある所以なり、然り而して社会の進步此時代に至っては、貨幣は益々改良せられ、便利となると共に汎く使用せられ、其結果資本は茲に集積せられ、之に於て各地に商工業の中心点生じ、都会は益々隆盛となる。
尚ほ生産活動に要する器具の原料、及び其器具を動かす原動力によりて産業の発達を区別すれば左の如し。
一、石器時代
二、土器時代
三、銅器時代
四、鉄器時代
第四節 職業の心身に及ぼす影響
生存競争と自然淘汰との理法は人類が職業に従事する上に於て最も厳酷に行はるゝが故に特殊の業務は之に適当したる躰質と品性とを有する特殊の人間によりて従事せらるゝものなりと雖も、職業が又た之に従事する人間の躰質と品性とに及ぼす影響は尠少ならず。実に人間の品性は周囲の自然界、人事界の百般の関係によりて鎔鋳淘冶せらるゝものにして就中、職業の及ぼす影響は、直接に、不断に、永続的なるが故に最も顕著なるものなり。吾人は以下此関係を観察するに当りて、前に郷土概観に於て分解したるものを此章に適用して左の各項と職業との関係を観るを便とす。
一、身躰{
[#ここから「身躰」の下に箇条書き]
発育{
[#ここから「発育」の下に箇条書き]
全身
局部[#「発育」の下に箇条書き終わり]
強弱[#「身躰」の下に箇条書き終わり]
[#ここから「身躰」の箇条書き全体の下に3字下げ]
二、精神{
[#ここから「精神」の下に箇条書き]
智の発達
情の発達
意の発達
[#「精神」の下に箇条書き終わり]
身躰発育の全身に於けると、局部に於けるとは、自ら其従事する労働の種類によりて異なるべく、其強弱は労働の程度及び場所によりて差異を生ずべく、心意に於ける智識の発達は従事する場所の範囲即ち観察する限界の広狭によりて相違あるべく、以上の心、身の影響に加ふるに、交際界の範囲と生存競争の行はるゝ緩厳とによりて生ずべし。今や文化の発達と共に敎育制度の完備、交通機関の発達、印刷術の発達等右の事情により自然に生ずべき心身発達の不平均を補ふべき人為の方法備はりたれば職業と人間品性との特殊の関係は次第に減少すべしと雖も、而かも多数の固定したる職業の間には、自ら特殊の発達は免かれざるべければ之を概観するは、敢て無益の事にあらざるのみか、各地方の地人の関係を研究するに当り応用すべき重要の事なりと信ず。
職業と身躰 身躰の発育と其強弱に就きて観れば、商業と其他の農、工、林、鉱等の職業との間には反対の現象あり。後者は常に間断なき労働に従事するが故に、自ら身躰の発育に便あれども、商業にありて常に所謂算盤を手にするの外、時に非常なる煩労に従事することありと雖も、多くは商機を制するに奔走するを以て、身躰を労するよりは寧ろ心意を労するに傾く。是故に躰格の点に於ては概して商人は最も劣等の位置にあり。特に会社組織の大商業に従事するものは最も甚だしとす。略ぼ同様の理由により官吏其他之に類似の勤労に服するものも亦た同じ。
農、工、林、鉱及び之に類似したる躰力的職業中に就きて、更に全身と局部との発育上より見れば、工人と他の農、林、鉱業者との間に著しき差異を観る。[#句点原文になし]工業には古風の手工業にても、猶ほ全身の筋肉を平均に用ふべきもの少きに、近来は分業益々盛なるに従ひ益々局部を偏用すべき労働に服するに至るものなれば、商人其他間接の生産業者に比すれば全躰の発育に便ならんも、其同類なる他の身躰的職業に比すれば、全躰の発育に就ては最下等に位すべきものなるが如し。然るに農、林、鉱業に至りては日々営々全身を動かすの労働に服するものなれば全身の発育に適せり。若し又た健康強弱の度より観んか、工業者は手工業に於ても、多くは室内に於て局部の労働に従事し、近来益々大製作場の設立と供に場内の塵埃濛々の内に時に危険の場所に於て労役をなし、鉱業者は更に暗黒なる坑内に於て、而かも尤も危険多き場所に於て労役するものなれば、此二業者は他の快濶なる山野に於て労役をなす農、林二業の人民に比すれば自ら確然たる区別なくんば非ず。而して更に農、林二業に就きて観るに、常に鬱蒼陰湿なる林間に労作をなす林業者は、広濶、爽快なる平野に於て、而かも尤も確実なる規律的労働に従事する農者に如かず、由是観之、農者は諸業中に於て健康上最も幸福なる業務と云ふべし。而して此等を身躰の発育と健強との度によりて順序を立つれば、農を第一とし漁、林、鉱、工、商を順次に排列し得べきなり。
之を徴兵の上より観んか、農、林の二業者は軍隊の主力たる步兵と、全身の最も強く発育して重量の取扱に堪ふべき砲兵に適し、工業者は最も技術の練習を要する工兵たるべく、水練を要する海軍に至ては是に漁民の独専たるべし。就中、農業及び林業は兵士を養成する一段に至りては、遙かに工商の諸行に優る。蓋し日常野外にありて雨露寒暑を冒し、身躰を健全にするが上、心神を労すること寡きを以て膂力能く発達すればなり。
商業と心意 身躰の発育に於て農民が独特の長所あるが如くに、智識の発達に於て商民は其他の分支的産業者と共に、原始的職業者に優る。商民は常に最も人口及び貨物の集散すべき要衝に居を占め、加ふるに最も天下を跋渉するの機会に富む。従って種々の地方と、階級との人民に交際するを以て、自ら眼界広く、他の定住業者の比肩すべくもあらず。而して常に商業上の掛引に注目すれば、自ら神経敏捷となり。即ち怜悧と活潑とになりて、優等なる位置に至ると雖も、唯だ其常に商機を制するに汲々するが故に、自ら其智力は浅薄に流れ、断片に失し、秩序正しく統一せられず。故に多くは直覚的に物事を判断して推究的に考察すること少なく、多く自分及び他人の失敗と成効との場合を記憶して、直ちに之に倣はんとするも、其何故に然るかの原理を推究するもの少し。要するに商民の智力は広く他方面に渉れど、浅薄となり。具躰的に箇々の経験を有すれども、普遍的抽象の原理を探究せざるなり。斯く商業家の智力の範囲は、甚だ広濶なり、而して其交際する所の範囲亦た広し、此に於て其感情も自ら快濶となり、平和的となり、以て海外人と交際の先鞭者となる。然れども其弊[#「弊」は原本では「獘」]や、汎愛となり、軽薄となるを免れず、自ら世界的主義に傾く。近来各国帝国主義の政策を採用するによりて保護貿易主義となりしを以て貿易商も国家に依賴せざれば殆んど外国市場に商権を振ふ能はざるに至りたるより国家主義の傾向を生じたるも、然も之を他の農工諸業者に比すれば其間に尚ほ著しき溝渠の存するを認むべし。又た商人は其思想広く、其注目する所主として人事社会の活動なれば他の諸業者に比すれば早く卑俗の迷信より解脱するに至ると雖も、此心は軈て拝金主義に流れ、高尚なる信念を欠如するに至る。然らずとも、博来の宗敎を捨て他の新敎に変ずるは其敢て難ずる所にあらず。此事は本邦耶蘇敎の侵入点が長崎、横浜、及び札幌の三点にありと云ふこ事実の大部分を説明するに足る。
農業と心意 農民の智力は幾多の点に於て商民と正反対を表はす。商人は自己一生一代に於て家産に廔々浮沈あるに反して、農民は祖先伝来の田畑を相続すると共に、其耕作方法迄も相続し、唯々其方法に違背せざらんことを惟れ恐るゝが故に、自ら数十百年前の旧法を其儘襲用して毫も改良進步に心を用ひざるが如し。されば此点に於ては彼等は其両親より受けたる其強健なる身躰を全く機械的に一定の模型[#[模型]は原本「摸型」]に適用するのみにして、殆んど智力を用ひずといふも誣言にあらざるべく、而して彼等の日々心力を用ふる所のもの唯々日々の天気予報と、其一年間の農作物の豊凶に関する陽気の占ヒのみ。而して之を判定するに当りても、彼らが祖先以来の伝説と、自己の数十年間の零碎なる経験と、奇怪なる俚言、時として荒誕無稽なる迷信とを適用して皮相の解釈を以て満足するに過ぎず、従ひて具躰的智識に満足するの点に於て敢て商人と異なるなし。農民は僅かに一反一畝([#割り注]我邦耕地の一人口の配当額[#割り注終わり])乃至数町反步の田畑を其生活根拠となし、偶々附近の小市街に出でゝ其収穫物を交易するに過ぎざるもの多ければ、其眼界は自ら狭隘となる。境遇既に然り、之を商民の頻繁急劇の刺戟に忙殺せられんとする程の多忙なる生活に比すれば、恰かも仙境に退隠せるものに等し。是を以て稍もすれば其神経は痴鈍に傾き、容易に外界の刺戟に感ぜざると共に、一度信じたることは容易に脱却せず、斯くて其識見固陋となりて、改善進步に移るに容易ならず。是れ実に農事改良熱心家の廔々歎息する所。農民の眼界既に然り、偏狭なる智力を基礎とす、之に随伴する感情豈に円満多方なる能はんや、然り農民は汎く且つ容易に感動せざる代りに、一度感動するに於ては異常の熱度を以て動く。之に於てか商民の動もすれば薄情軽浮に陥るに比すれば厚情熱心となる。所謂真摯、朴直等の文字を以て表はすべきもの是なり。此等の個人の感情が社会に対って発動するものを愛郷心、愛国心となす。実に鞏固なる独立国に缼くべくからざる深厚なる愛国心は其基礎は農民にあるなり。然れども其思想の狭隘なる、僅かに自己居住する一郷、一郡若くは一州を思ふに過ぎずして他国との関係を大観するの暇なきや、自ら偏狭なる町村主義、藩県主義に傾向し、大利害を大躰より打算する国家主義の如きは頗る進化したる後にあらざれば起らず。封建割居制度は実に之に基くものなり。又農民の識見の固陋、而して一度感じたる所は容易に脱し能はざる所は、即ち迷信の起り易き所。且つや農民は商民が人事の社会現象に関係多きに反して、四時の循環、気候の変化、従って農作物の豊凶等、直接に造化に関係すること多きを以て、自ら人間以上の無形の勢力を感ずる機会に富み、従って農民は宗敎を信ずること厚し。而して一旦信じたる宗敎は飽くまで之を固守して改宗するの念なし。是れ新宗派布敎者の苦心する所。北陸地方其他の農業地方に仏敎が固着して新宗敎たる耶蘇敎其他の宗派の侵入し能はざる所以なり。思想及び感情の狭くして強き所、之に基く意志亦然り。加之生存競争も他の諸業よりは激烈に行はれず、是に於て自ら自負、尊大、小成に安んじ、商、工業者の進取の気象は保守退嬰の気象となり。所謂頑固の民となり、是を以て一朝異常の刺戟が其感情に触れて憤怒を起さしむるときは茲に猛然蹶起して結果の利害得失は彼等の深く慮る所にあらず、斯くて往々竹鑓蓆旗の暴動を演出するなり。然も平時に於ては農民は其牧穫物に豊凶多少は、悉く人力の得て及ぶべからざる造化の力にして従って常に造化の箝制に慣るゝことは商工民の比にあらざれば、其気風は引いて人事の干渉にも非常の圧制に陥らざる限りは、殆んど之れを怪まず。従順以て治者の命に服するを主とす。農民はそれ平和の民乎。農業の生存競争は劇甚ならざるも絕えざる勤労にあらざれば成効する能はず、従って秋の収穫は半歳の間に流汗を以て耕耘したる結果、即ち粒々辛酸を積みたる所。夫の商民が三寸の舌頭にて一攫千金の利を貪りたるの比にあらざれば、自ら勤労の習慣と共に倹約の気風を生ず。故に農民の富豪は多くは一生一代の蓄積にあらざるが故に其身代たるや堅くして容易に崩壊せず。
林業と心意 若し夫れ智識の範囲よりすれば、林業区域は農業地よりは更に狭し、其智力の偏固知るべきのみ。之に基く感情に至りては朴質、真摯は更に其度を加ふ。宗敎との関係亦た推知するに足る。意力に於ては農民に比すれば稍々独特の長所を養ふに適せり。蓋し一種の生存競争時に劇烈に行はるればなり。彼等の業務が造化の数十百年間養育したる巨喬の樹木を惜気もなく伐截するだに既に多少の殺伐の気象を養成するに足るに、彼等は衣食原料の欠乏せる山間にありて、農民の自ら耕し、手づから織りて安穏に衣食するが如き呑気なる生活を遂ぐる能はず。加ふるに狩猟は彼等の副業と[#「と」は原文「を」]視るを得べき者なれば、常に武器を携へて走獣と生存競争をなし、往々猛悪なる熊、狼等と角逐せざる能はず。然らざるも常に之が備へを怠る能はず。此等の事情は遂に慓悍なる気象を養ふに足る。偶々傍らに四面寂寥林間の溪水懸って瀧をなし水石を打って自然の琴を弾ずる等の妙趣に幾分か似て其気象を和らげらるゝことありと雖も、要するに勇敢なる侵略的人民を産出することは古来歴史の証する所なり。されど此人種は到底創業的にして守成的にあらず。
漁業と心意 渺茫たる蒼海に乗り出すと雖も、海鳥と僅少なる同業者との外に友とするものなければ、以て其眼界を拡むに足らず。面して帰りては辺隅僻陬の海浜に其生を保つ。思想界の偏狭は農業者及び林業者に譲らず。従って之に基く感情亦た略ぼ其れに類似す。唯だ漁民は造化の威力に近接すること遙かに農民よりも親密なり。蓋し四季の循環、天候の変動、風浪の起伏、漁獲の豊凶等、陸上のそれよりは遙かに造化の力に依賴すべきに、彼等の生涯や淼漫たる海洋中に一葉の扁舟を住家となし、板一枚を其床となし、波濤を枕となし、常に風波に従って浮沈し、一朝暴風起り、怒濤来るに於ては、何時にても其生命を捨つるを覚悟せざる能はざるを以て、自ら彼等は無形の勢力に依賴し、其危険の擁護を受くるの念起る。故に宗敎心の深厚なることは夫の農民と譲る所あらず。金比羅神社、水天宮等の極めて熱心なる信者が、此等の海国民に在る所以なり。漁民は斯の如き信神によりて、一葉の扁舟を大海に浮べ、運命を自然に一任す。是に於てか、次第に冒険の気象となる、加之、偶然の結果は彼等を駆りて天外無聞の地方に漂着せしむること珍しからざる所。是に於てか古来殖民の先鞭は漁民によりて着けらる。加之、其冒険なるが上、狩猟生活と等しく敏捷にして強健なる競争生活をなすや、自ら勇悍、乱暴、戦争好キとなる。古来漁場の争ひの為め往々大争闘の演ぜらるゝは之に因るものにて又た彼太古より近世に至る迄、中国西海地方に海賊の興起して、中外を苦しめたるものゝ如きも皆な漁民若くは其子孫なり。斯の如く勇敢邁進は漁民の独擅と見るべきものなりと雖も、其意志たるや、一過的にして農民の如く永続的ならず。而して農民の規則的勤労は漁民の短所とする所。加ふるに短き漁期の間に一年間の生活費を収穫する生活に慣れたる漁民は、農民が塵を積んで山となすが如き節倹と忍耐とは殆んど其解せざる所なるが如し。是を以て殖民の第一步は漁民によりて開かるゝも、遂には其富は却って後進の農、商民に占めらる。此事は北海道に於て著しく認むるを得べし。即ち北海道に於ける第一期の殖民は、悉く奥羽北陸地方の漁民にして沿岸を占領し。第二期は北越及び江州等の商民にして海岸都会を占取し、第三期は中国、九州等、人口稠密なる地方の農民にして、内部の原野を占拠せり。而して今や同道の実権は此等最後の殖民に移らんとせり。
工業と心意 工業は原始的生産物に人力を加へ、其意志の向ふ所に天然物を変化するものなれば其性質上、工業者をして天然の威力の圧抑を免れしめ、自己の自由の活動の勢力を自覚せしめ、従って之を奬励すること大なり。されば彼の単に天然物を占領し、採穫する原始的産業者の完く天然力に依賴し、従って天然力に威圧せられ、殆んど自己の自由活動を自覚せずして終る者の比にあらず。故に若し真誠に且つ熱心に、之に従事する者には、幾多の趣味を生じ、而して練習を積むに従ひ愈々其趣味を增大すること、又た彼の原始的産業者の比にあらず。故に中には往々其技術の神に入り、微妙に進み、所謂天工を欺くの逸品を製作する偉人を生ぜしむることあり。要するに工業は之を原始的産業に比すれば大いに人為の勢力を自覚せしめ、従って工業者をして進步的思想を有せしめ、異常の熱心に投入せしむるものなり。然れども其労作範囲の狭隘なるは自ら其眼界の範囲を制限し、従って人をして固陋に陥らしむることは、却て他の原始的産業に過ぐの傾向あり。殊に此傾向は近頃発達の機械工業に於て益々甚だしきを致す。即ち分業の益々行はるゝや、之に従事する工人の労作範囲は、愈々一事業の局部に制限せられ、此小部分の事業に就ては、益々熟練を重ぬるも、自余の智識に於ては愈々疎遠となり、是に於て彼の製造物の一小全部を完了したりし手工者に比すれば、独立の域に進むこと能はざらしめ、且つ一朝新器械の発明せられて、積年の熟練もまったく不用に帰し、其業を失ふに当りては彼等をして新事業に就き、此に適応する能はざらしむるに至る。
各種の産業が之に従事する個人の品性に特殊の影響を及ぼすことは前陳の如し。果して然らば吾人は一の社会若くは国家に於ける重なる産業によりて其生活の特質を卜するを得べし。吾人は各種の職業と之に従事せる人種との関係を述ぶると同時に其社会に対する関係をも随時注意せる所なれば更に之を反覆せざるべし。之を要するに健強なる社会の成立と、完全なる社会の発達とは実に以上各種産業の相調和したる進步によりて始めて得らるべきなり。唯夫れ各種の産業には各特有の長所と短所、利益と弊害との両面あり。而して其弊害[#「弊害」は原本では「獘害」]の大部は実に此に従事する人民の無知と偏識とによって生ず。是に於てか之が救済策は悉く教育に帰するに至れり。普通教育の要之に至って大なりと云ふべし。茲に吾人は勢ひ立国の基礎たる産業は何を最も有利とすべきかの問題に接触せざる能はざれども、こは一方に位置の必然的性質よりも観察するの要あれば次章に於て説く所あらん。