※山岡研究室から図書を借りたままの方 へ

 1990年4月に創価大学に赴任して以来、まもなく20年目を迎えます。この間、多くの学生が山岡研究室に足を運んでくださいました。わたくしが担当していた共通科目「文学」の内容に関心を持ち、もっと詳しく話が聞きたいと言って、工学部や経済学部やさまざまな学部の学生が来てくれました。わたくしはどの学部の学生でも自分の講義に関心をもってくれた学生はゼミ生同様の親しみをもち、さらなる探究に供すればと、図書を推薦することがしばしばありました。

 その際、そうした学生への気易さや親しみから、ついつい自分の研究室の蔵書を貸してしまうことがありました。もちろん、差し上げると申し上げたわけではなく、読み終えたら必ず返してくださるよう、お願いして、書名と氏名を付箋に書いてもらって、それを書架に貼り付けておくのですが、その後一向に連絡がなく、とうに卒業しているはずの学生の氏名と貸したままの書名が記された付箋が、今だに私の研究室の書架に貼られてあります。

 そうしたケースが数件つづいたあるとき、学生に本を貸すことは贈呈する覚悟でなければできないのだということにようやく気づき、研究室の蔵書は学生には貸さないと決め、それ以降は、図書を推薦することはあっても、基本的に自分で入手することをお勧めするようにしております。

 本来、情報検索や資料入手は、大学生が4年間で身につけるべき能力の一つであり、図書を推薦することはその入り口の情報を提供することに当たります。学生はその情報を手に本学の図書館で探してみたり、見つからなければ他大学の図書館や公立図書館、はたまた国立国会図書館で探すことになります。その図書がさほど高額でなく、小遣いに余裕があるなら書店で購入してみてもよいでしょう。その意味で、蔵書を貸すという安易な行為を行った自分を反省しています。あるいは、私が面倒がりでなければ同じ本をもう一冊買って、それを贈呈するのがよかったのかもしれません。

 わたくしにとって蔵書は財産です。わかりやすく言えば、わたくしにとっては読書という行為だけでなく、本自体が貴重なコレクションなのです。だからといって、そうした卒業生の現住所・連絡先を調べて連絡を取り、返却をお願いすることは、わたくしの日々の激務の中ではとうてい不可能であり、いつかその卒業生がその本を持参して研究室を訪ねてきてくれることを、あるいは短い手紙を添えて送ってきてくれることを心のなかで願いつつ、静かに待っております。財産と言っても、そのほとんどは創価大学の研究図書費で購入したものであり、「創価大学研究図書」の押印がされているはずです。これは厳密には大学の財産であって、わたくしが大学を離職する際には大学に返却しなければならないものです。ただ、人に推薦するだけあって自分自身にとって興味深かった良書ばかりなので、自分の研究室に置いておきたいのです。

 自分自身は大学時代に教授から本を借りたことは一度もありませんが、友人から本を借りたことはあります。当時を思い返すと、早く読み終えて返そうと思う気持ちばかりが強く、自分で買った本よりも早く読み終えてすぐに返しておりました。もし教授から本を借りたら早く返さねばという緊張感でたまらなかっただろうと思います。

自分がそうだからあなたもきっとそうしてくれるとわたくしは信じてしまったのです。あなたがどのような心境で返さないことにしたのか、よほど面白かったから自分のものにしてしまいたくなったのか、いつまでも読まなかったためにそのまま返すことが気まずいと思ったのか、はたまただれから借りたものだか忘れてしまったのか・・・・・・果たしてどういう心境だったのか、たいへん興味があります。もし、その本を持参して訪ねてきてくれたら、咎めたり、恨み言を申したりはしません。むしろ、お茶でも出して懐かしい昔話でも談義したいと思います。その本の読後感想など伺えたら、またそれも楽しいでしょう。いつまでもお待ちしております。

 以下に、学生に貸し出したままの図書のうち、現在もなお、書名と貸した学生の氏名が記録として残っている図書は、以下の通りです。当該学生の氏名については、本人の名誉のため、姓のみを記させていただきます。この他にも記録が失われているものもいくつかあるようです。お心当たりの方は下記連絡先まで連絡をくださるか、図書をご送付ください。

 『漢字民族の決断―漢字の未来に向けて』 橋本万太郎・山田尚勇・鈴木孝夫著 大修館書店  <借りた人 野村さん>
 『科学的って何だろう』 村上陽一郎著 ダイヤモンド社  <借りた人 清水さん>
 『ことばと文化』 鈴木孝夫著 岩波書店  <借りた人 小林さん>
 『ヒトと機械はどう対話するか』 樋渡涓二著 講談社刊(ブルー・バックス)  <借りた人 小野さん>
 『現代思想200312月号特集「ホッブズ」、20041月号特集「マトリックス」 <借りた人 松尾さん>

慣用表現辞典』奥山益朗編 東京堂出版 <借りた人 山下さん>

  山岡政紀 myamaoka@soka.ac.jp
  〒192-8577 東京都八王子市丹木町1-236 文系C棟

 

 この伝言板を最初に出してから3年が経過しましたが、これを見て自分から図書を返却してくれた人は今のところ一人もいませんが、こちらから連絡を取って返却してもらった人は二人います。一人は、自分のゼミ生でしたが、返してほしいと連絡したところ、借りていない、人間違いではないか、との返事があり、再度しつこく調べてもらったら、持ち物の中から出てきたらしく、丁重に包装して送られてきました。添えられた手紙には「先生の伝言板を見て、そんな悪い奴がいるのかと思っていましたが、まさか自分がその張本人だとは気づきませんでした。本当に申し訳ありませんでした」と記されていました。彼が誠実でまじめな人物であることはよく知っておりましたので、やはり私の貸し方が悪かったのだと思うことにしました。

 もう一人は大学院生で、たまたま電話番号を知っていたので、こちらから電話をかけて返してほしいといいました。それは中沢新一の『チベットのモーツァルト』でしたが、私から借りているという自覚はあったらしく、「申し訳ありません。長い間お借りして。本当におもしろい本でした」とのことでした。彼は大学にこれを持ってきてくれました。そこで再会した際に、その彼の将来について本当に有意義な語らいができたので、このことも結果オーライと思うことにしました。

 私は学生部長を拝命してから、学生から「山岡先生」ではなく、「山岡さん」と呼ばれることが増えました。家族のように気易い存在ならばそれもよし、本を借りても緊張感のない存在ならばそれもよしと、改めて自らを承認しようと思います。

 

2008年度は、多忙で研究出張の回数が少なかったせいで、研究費がかなり余りました。そこで、上記の失われた本を研究費で再度買うことにしました。一度は絶版で入手不可能と思われたものも、インターネット古書店のおかげで、状態の良し悪しは別として手に入るようになりました。結局、『現代思想』のバックナンバー2冊以外はすべて買い戻すことができました。そのいみでは返却の要求は一旦完了したいと思いますが、この伝言板は、私から本を借りた人との関係をつないでおくために、当面は掲示し続けたいと思います。

 

 (2006.5.4掲示、2008.4.16更新、2009.2.21更新)


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