モーツァルトを旅する(16)  弦楽四重奏曲第14番「春」ト長調K387 ー青春の躍動感ー


  大学時代の4年間は実に室内楽に凝った4年間だった。特に弦楽四重奏に関しては、ドビュッシー、ラベルのそれぞれに傑作があるが、一時中毒症状とも言える ほどこの2曲に心酔したものだ。長年ほとんどモーツァルト一筋に来た私にとって唯一、浮気らしい浮気をした時期である。他にもドボルザークの「アメリカ」 やヤナーチェックの「ないしょの手紙」など、弦楽四重奏の魅力は何もハイドンやベートーベンだけでなく、ロマン派以降にも豊富に見いだせる。

 私はモーツァルティアンと自称しているが、私のモーツァルトに対する態度はきわめて特異的である。私は同じ曲種をまとめて飽きるまで聴くくせがあ る。モーツァルトと最初に出会った中学生の頃には私はもっぱら管楽器の協奏曲(クラリネット、フルート、ホルン等)とバイオリン協奏曲ばかりを聴いてい た。高校時代もその延長上だが、室内楽にやや傾斜し、クラリネット五重奏曲や同三重奏曲、フルート四重奏曲、クラリネットのためのディベルティメントなど をよく聴いた。そして大学時代は弦楽四重奏曲や弦楽五重奏曲などを、大学卒業後はピアノ協奏曲のとりことなり、現在に至っている。どの時期もそれしか聴か ないわけではないけれども、常に中心にその曲種があるのだ。
 今、私にとってのモーツァルトは、中心にピアノ協奏曲がある。昨年の本連載は12回中10回がピアノ協奏曲だった。没後200年の喧騒もおさまった昨 今、私としても多少冷静になって、これまでに触れてきた様々なモーツァルトについて幅広く語っていきたいと思い、本年は意識して曲種を拡散させている。

 大学時代に思いを馳せると、急激な変化を受け入れ、大いに成長できた、きらきらと光る4年間がよみがえる。大学の近くには桜の木のある公園があっ た。桜の花は、新しい学年を迎える頃には、年ごとに新しい光彩を放って、十分に咲き薫った。
 不思議なもので、あの頃よく聴いたモーツァルトの弦楽四重奏曲を聴くと、その頃よく目にした大学や宿舎の風景、仲のよかった友だち、淡い恋をしたこと、 などが景色として見えてくる。

 1992年もいよいよ春を迎えて、あの頃の毎年新鮮だった桜の花を思い起こさせるのが、弦楽四重奏曲第14番ト長調である。ずばり、「春」という ニックネームがついている。
 「春」が作曲されたのは、1782年12月である。前年の12月には、ヨーゼフ・ハイドンが「ロシア・セット」と呼ばれる6曲の弦楽四重奏曲を出版して いる。ハイドン自身が「全く特別な新しい方法」と自負したこの6曲に、モーツァルトは大きな啓発を受けている。

 モーツァルトにとってそれまでもハイドンに啓発されることがしばしばあり、特に交響曲と弦楽四重奏曲では、その影響は絶大であった。そもそもこれ ら二つの曲種はハイドンこそがその創始者といってよい存在だった。かつてウィーン旅行中には、ハイドンのいわゆる作品20に影響を受けた「ウィーン・セッ ト」と呼ばれる6曲(第8番K168〜第13番K173)を作曲している。当時この曲種は6曲まとめて発表するのが通例となっていたそうだ。モーツァルト はハイドンの「ロシア・セット」に啓発され、6曲の弦楽四重奏曲(第14番〜第19番)を作曲した。その1曲目がこの「春」で、第15番ニ短調 (K421)、第17番「狩」(K458)、第19番「不協和音」(K465)と、名曲ぞろいで、彼の弦楽四重奏曲全作品の中で頂点をなしている。この6 曲にはまる2年間をかけているが、筆の速い彼としては、異例の時間のかけようである。そこには尊敬するハイドンに捧げるために、全力を尽くす姿が見えてく る。連載の第2回にも触れたが、ハイドンこそ、モーツァルトの生前に、彼の偉大さを知っていた唯一の人物だったからである。モーツァルトは1785年初頭 に、この6曲をハイドンに聴かせているが、その時、ハイドンがモーツァルトの父レオポルトに語った賛辞は有名である。

 私は誠実な人間として神に誓って申し上げます。あなたの息子さんは、私が知っている作曲家の中で最も偉大な方です。息子さんは様式を持ち合わせ、 さらに優れた作曲の技術を持っておられます。

 神に誓われたこの賛辞は決してお世辞ではないはずだ。これに対して、モーツァルトは同年9月に、6曲を出版するに際して、ハイドンへの長文の献辞 を添えている。ここには、ハイドンがくれた賛辞への感謝の思いがあふれている。6つの曲を6人の息子にたとえ、最も労苦を注いだ息子たちを全面的にハイド ンに贈るとする言葉の中には、深い友情を持ち続けようとする、祈るような思いが、まことにひしひしと感じられる。これをもってこれら6曲は「ハイドン・ セット」と呼ばれるわけである。

 天才モーツァルトにいわゆる「師匠」に当たるものは存在しない。彼の音楽はすべて彼自身の内から生まれたものである。しかし同時に彼は自分が目に し、経験するすべてのものから何かを学び、吸収することのできる、「学び」の天才でもあった。彼の少年期の作品が十分すぐれていて、なおかつ年を経るごと に深まっていくのは、彼の人生において、旅の中で出会った、様々な自然、様々な人、様々な音楽、家族との別れ、妻との結婚、家庭生活、すべてが彼を高める 師匠となっていたのだ。彼はすべてを受け入れることのできる謙虚な人だったのだ。
 そんな彼がハイドンの音楽を尊敬したのは当然すぎることだ。モーツァルトの同時代の作曲家でハイドンほど創造力に富んだ人は他に見あたらない。あの大学 時代にも、私は「ひばり」や「皇帝」といったハイドンの弦楽四重奏曲に親しんだが、まことに楽しく、また充実した音楽だった。

 しかしながら、ハイドン・セットがハイドンのすべての弦楽四重奏曲のすべてを完全に超えた名曲であることは疑いない。
 「春」の第1楽章はまさに愛称通りの快活な印象を与える。はつらつとして清新の息吹にあふれ、生命力ともいうべきものを感じさせるこの密度の濃さは、全 くハイドンの創造し得なかった世界である。
  第2楽章のメヌエット、第3楽章のアンダンテ・カンタービレでも、それまでの様式とは全く異なる新しい試みがなされているが、全曲を通じて最も特筆すべき は第4楽章であろう。交響曲第41番「ジュピター」の第4楽章を彷彿とさせるこの音楽の構築美は驚嘆に値すると言っても過言ではない。複数のフガートが重 なる時の立体感は、もはや弦楽四重奏であることを忘れさせ、もっともっとスケールの大きなものを前にしているかのような迫力に圧倒させられる。この楽章は ただ「春」と呼ぶのでは足らず、「ジュピター」の向こうを張って「宇宙」とでも名付けるべき壮大な音楽である。

 このような素晴らしい音楽はハイドンのどこにもなかった。しかし、モーツァルトは、これをハイドンから学んだのだ。学ぶことは単に真似することで はない。ハイドンの様式に対する敏感さ、創造力から啓発を受けて、モーツァルトの中に眠っていた弦楽四重奏曲への可能性が大きく開花したのだろう。

 啓発を与えてくれ、そして自分への理解を示してくれた唯一の人、ハイドンはモーツァルトにとって確実に師匠だった。真の弟子は師匠を超えて、より 偉大になってこそ、師匠への恩返しとなるのだ。
 春の季節を迎えて、「春」はみずみずしく未来への希望と壮大なロマンを我々に呼び覚ましてくれる。そして啓発を受けた私はあの学生時代のように成長を続 けたい、さらに、もっと大きな開花を期して、すべてを師匠として学んでいきたい、そう心から思うのである。

(『Oracion』Vol.3 No.6 <1992.6> モス・クラブ刊より)


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