モーツァルトを旅する(11)  ピアノ協奏曲第23番イ長調K488

                   ークラリネットの響きとともにー


 モーツァルト没後200周年の12月5日が間近に迫ってきた。私はこのまたとない節目を彼の全作品の中でも最も尊敬するイ長調の曲で飾りたいと思っている。
 イ長調。これほど澄んだ響きを持った調性が他にあるだろうか。モーツァルトにとって、#を三つ持つこの調性には、あらゆる長調の中で最も澄ん だ、そして最も神聖な響きがある。ハ長調の快活さ。ヘ長調のすがすがしさ。変ロ長調の落ち着いた響き。変ホ長調の鮮やかな色彩感。ト長調の優美さ。ニ長調 の壮麗さ。これらのいずれをも超えて最も崇高で透明な響きがイ長調にはある。
 初・中期の曲では、あの優しさに満ちた交響曲第29番(201)。バイオリン協奏曲第5番「トルコ風」(K219)。「トルコ行進曲」で知られるピアノソナタ第11番(K331)。ピアノ協奏曲では、第12番(K414)がそうだ。数は少ないもののいずれも人気のある曲ばかりで、凝縮された旋律をもとにモーツァルトにしては型破りな構造を持った曲に仕上がっている。非凡な彼にしてもさらに非日常とも言える昇華された音楽がそこにはある。
 しかし、これらの曲には見られない、さらに美しいイ長調との出会いが今回のテーマであるピアノ協奏曲第23番にはある。それはA管のクラリ ネットとの出会いである。この曲は1786年の3月に作曲されているが、近年、クラリネットのかわりにオーボエが使われていた楽譜が発見され、それが初稿 ではないかとの説も出された。しかし、その前後の半年の間に作曲された第22番(K482)、第24番(K491)で、いずれもクラリネットが用いられ、 なおかつこれら3曲の中で最も美しいクラリネットの響きが聴かれるのは、間違いなくこの23番であることから、この曲とクラリネットとを切り放して考えることは誤りだと思う。恐らく、発見されたのはクラリネットを持たないオーケストラのために仕方なく編曲した楽譜だったのではないだろうか。 何より大事な ことは、22番、24番で用いられているのはB管のクラリネットであるのに対し、23番ではA管が用いられていることである。
 少々説明すると、フルート、オーボエ、ファゴットといった他の木管楽器が、その楽器の最も基礎的な音階をハ長調とする(C管と呼ぶ)のに対 し、クラリネットでは、変ロ長調を主音階とするB管と、イ長調を主音階をA管とが、最もクラリネットらしい美しい響きを持つものとして主に用いられる。C 管のクラリネットもあるにはあるが、ベルリオーズの幻想交響曲で登場する乾いた音質に代表されるように、効果的な用途以外には用いられない。従って、イ長調の曲の楽譜の中では、A管のクラリネットの段だけ#も♭もない“ハ長調”の楽譜になっている(実際にはイ長調だが)。A管とB管とではわずか半音だけA管の方が音が低く、その分わずかにA管の方が管が長い。 しかし、その音質は大きく異なり、B管が明朗な響きであるのに対し、A管は渋い味わいのある響きを持っている。
 モーツァルトはパリへの旅行でクラリネットの美しさを知り、交響曲第31番「パリ」(K297)で初めて交響曲にクラリネットを取り入れたこ とは以前にも述べた。しかし、さらに一歩進んで、彼の音楽史上の最大の功績の一つと言えるのは、A管クラリネットの美しさを発見し、定着させたことであ る。クラリネットの名手だったシュタードラーとの出会いは同時にA管クラリネットの美しさとの出会いでもあった。パリで用いられていたB管クラリネットの 明るい音色とは異なる、その熟成された深い響きを彼の繊細な感性が捉えて放さなかったのである。そして、彼は至高の名曲であるクラリネット五重奏曲 (K581)、クラリネット協奏曲(K622)をシュタードラーに捧げている。これら2曲のイ長調作品はモーツァアルト晩年を飾る名曲として、すべての音 楽ファンの心を捉え、その後ブラームスやチャイコフスキーをしてA管クラリネットを多用させる契機となっている。
 23番は味わい深いA管クラリネットの響きを背景にピアノが心のこもった旋律を奏でる。特に第1楽章はまさにクラリネット協奏曲を予感させる 前触れとなっている。つまり、後世に甚大な軌跡を残したA管クラリネットとの出会いの最初の極がこの曲なのだ。これこそ、この音楽とクラリネットを切り放 して考えられないと主張する最大の理由である。
 この楽章では、リズムもダイナミックスも終始穏やかで、まさに淀みなく静かに流れる小川の透明さを思わせる。特に第2主題では同じ音を6回続 けて鳴らすという平坦な旋律を徐々に下降させるが、あたかも言葉を語りかけているようである。それも何か慰めの温かい言葉のような。
 第2楽章はイ長調と平行調に当たる嬰ヘ短調で、彼の全作品の後にも先にもこの調性の曲は他にない。イ長調の裏側にはこんなにも深い叙情の響き が潜んでいたのである。単に悲しみと表現してはならない崇高な、清らかな涙を我々のまなこの奥から浸み出させるこの音楽に私は畏敬の念を禁じ得ない。
 第3楽章は流麗の一言に尽きる。それは未来への希望をたたえたさわやかな微笑みである。
 日本人のモーツァルティアンにとって最も人気のあるピアノ協奏曲は第20番(K466)と言われているが、恐らくその次に来るのがこの23番で あろう。本連載に以前登場したS氏もピアノ協奏曲ではこの曲が最も好きだと語っていた。私自身、この曲は全CDコレクションの中で最も枚数が多く、8枚 持っている。私自身の好みに順位をつけるとすれば、以下のようになる。

 ピアノ独奏  指揮者   オーケストラ
@内田光子   テイト     イギリス室内管弦楽団
Aバレンボイム(指揮兼)  イギリス室内管弦楽団
Bブレンデル  マリナー  アカデミア管弦楽団
Cポリーニ    ベーム   ウィーン交響楽団
Dハスキル   ザッヒャー ウィーン交響楽団
Eカーゾン    ケルテス  ロンドン交響楽団
FR・ゼルキン  アバド    ロンドン交響楽団
Gブーニン    外山雄三  NHK交響楽団
 @〜Dは甲乙つけ難いが、やはり内田光子の、一つ一つの音に繊細で深い心情が託された演奏は聴く者の心の奥深くに浸 み込む。素晴らしいピアニストが日本人にいることは驚きであり誇りである。ハスキルも虚飾の無い流麗な演奏をしているが、録音が古いのが残念である。EF も名演奏だとは思うが、私の趣味には合わない。Gはあまりに解釈が独特で正直言って嫌悪感を覚える。
 大学時代に大変お世話になった恩師に寺村秀夫先生という方がいた。残念ながら昨年(1990年)2月に62歳で亡くなられたが、先生は生前 モーツァルトが大変お好きだった。私は先生に、ピアノ協奏曲は何が一番お好きかということをお聞きしたいと思っていたが、ついにその機を逸した。しかし、 先生の秋風のようなさわやかさ、お身体が弱く顔色がいつも悪かったのに、誰に対しても笑顔を絶やさず、学生には親切に指導してくださったその人柄を偲ぶと き、きっと先生は23番がお好きだったと思えてならない。私はその思いを先生の追悼文集「流星」に認(したた)めた(寺村秀夫先生を偲ぶ)

(『Oracion』Vol.23 <1991.11> モス・クラブ刊より)


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