モーツァルトを旅する(8)  交響曲第31番ニ長調「パリ」K297 ー人と自然を貫く律動ー


 おびただしい数のモーツァルトの交響曲群の中で私が心底聴きほれる曲は意外に少ない。私の目には、どうにも協奏曲群の方に名曲が集中しているように映 る。そんな中でも一際親しんでいる交響曲と言えるのが「パリ」である。
 「パリ」とのつきあいは古い。中学3年のとき、オンボロのカセットテレコでFM放送から録音したものを、どのくらいかは覚えていないがずいぶん長い間、 毎日のように聴いたものだ。もっとも、聴きほれるというよりは、聴いていると全身がうきうきしてくるのを感じ、むしろ軽い気持ちで病みつきになったという のが実際のところである。

 この曲をめぐって最近ある事件に出くわした。私は大学を卒業するまで常に音楽愛好者と親交を持っていたのだが、自分以上にモーツァルトに親しみ、 聴き続けている人に出会わなかった。この状態は、交友関係の少なくなった大学卒業後も変わらず、最近まで続いた。それが、昨年、現在の職場と姉妹関係にあ る、とある団体の職員に、きわめてモーツァルトを愛好する人がいるのを発見したのである。彼を仮にS氏と呼ぼう。一度、仕事上の関係でS氏の自宅を訪ねた ところ、彼は大変なオーディオ・マニアで、真空管のアンプを使い、スピーカーのコードの素材にまで気を配り、自室で最高の音質の音楽を得ようと、すさまじ い凝りようだった。CDの枚数においても、とても私のかなうところではなく、モーツァルトだけで数百枚はあった。結局、仕事の用件を早々に済ませ、深夜ま でモーツァルト鑑賞会となったのである。
 このような人と出会っただけでも十分事件だったのだが、実際のところ、いざモーツァルティアン同士で会話してみると、細かいところで意見が合わないもの で、S氏は40番はワルターの演奏が最高だと言い、私はホグウッドが最高だと言い張る。また、曲種では、私はピアノ協奏曲の熱烈な愛好者であるのに対し、 S氏はオペラや宗教音楽を最も好むという。S氏はモーツァルティアンにありがちな軟弱なイメージとは程遠く、大変なバイタリティーの持ち主で、仕事柄全国 を駆け回り、大勢の人と対話していたので、人を説得することに長けていた。聞くところによると、その持ち前のバイタリティーで職場の同僚を既に何人もモー ツァルティアンに”折伏”してしまったという。そんなS氏だけに、強力に自分の趣向を主張され、私は劣勢を感じていた。そんな中で、交響曲の中でどの曲が 最も好きかという話になって、にわかに意見が一致した。これこそが事件なのだが、その曲が何とこの「パリ」だったのである。演奏もマリナーがよいとのこと だったが、私も全く賛成し、興奮しながら聴いたものだ。

 パリ交響曲と言えば、私にとってもう一つ思い入れる理由がある。モーツァルトが交響曲でクラリネットを用いた最初の曲なのである。彼はオーケスト レーションにおいて、ほとんど冒険をすることなく、ハイドンのそれをそのまま受け継いでいると言ってよいのだが、数少ない新しい試みの最たるものが、オー ケストラにクラリネットを導入したことであろう。クラリネット奏者である私にとって、この曲はまさに感謝すべき記念碑である。

 モーツァルトは少年期よりしばしば旅に出ているが、この時は1777年9月に始まっている。母と共にザルツブルクを発った彼が、ミュンヘン、アウ スブルク、マンハイムを経て、パリを訪れたのは1778年の3月である。協奏交響曲(K297b)やフルートとハープのための協奏曲(K299)など、パ リで書かれたものはいずれも優美で晴やかな曲である。パリでは、様々な人との出会いもあった。派手好みの大編成オーケストラとの出会いもあった。彼はそこ からクラリネットの美しさを発見する。これらの様々な経験が、経験を肉化することの天才だったモーツァルトをして大きな音楽的な飛躍を遂げさせたのであ る。
 パリ時代の頂点は、間違いなく「パリ」交響曲であろう。「パリ」は公開演奏会の支配人ル・グロからの依頼に応じて作曲された。初演されたのは、その年の 6月だったが、この時モーツァルトは最大の経験に遭遇している。同行していた母が病床に伏していたのだ。そして翌月に母はこの異国の地で病死している。 「パリ」は母に捧げた最後の曲である。人の生死、それも最も身近な人の生死に直面した彼が、パリで得たすべてのものを凝縮して、渾身の力を込めて書いたの が「パリ」なのである。確かに、「パリ」には悲しみや苦しみは一切表現されていない。しかし、霊感を受けて書いたとすら思える、この宇宙的な律動はどうだ ろう。やはり彼は経験を肉化する偉大な感性によって、自らの感性の鋭敏さをいよいよ増していたのではなかろうか。

 最大の特徴は第1楽章である。この曲の躍動感は体の中を流れる心臓と血液のリズムではないだろうか。しかもとどまるところを知らず躍動を続ける。 ここでのメロディーの基本は音階だが、むしろメロディーは存在せず、リズムが必然的に生み出す音階の上昇と下降のように思える。さらに、聴衆をびっくりさ せるであろう極端なダイナミックスもまた、このリズムから生み出されたものと言ってよい。ボールが地面にはねているときの律動は、自然界の物理法則に逆ら うことができないし、柔道の技をかける呼吸とタイミングも、自然のリズムに合致したときに鮮やかに決まる。そして、この楽章のリズムもまた、人間と自然を 貫くリズムにひたすら従順になったときの鼓動である。

 第2楽章は、依頼者ル・グロが「冗長である」と難癖をつけて、別のバージョンをモーツァルトに作曲させたが、誰が聴いても、元の8分の6の方がよ いだろう。彼がたまに見せる緩徐楽章での8分の6は、ピアノ協奏曲第19番(K459)などでも見られるように、まことにゆったりとして心地よい。全く力 むことのない豊かな音楽は、あたかも晴天の空を映す湖の風景画を見ているようでもある。

 第3楽章は弱音で開始するが、この時の第1バイオリンのシンコペーションのリズムが、トゥッティでの強音の安定したリズムを誘い出す。その後、オ クターブの跳躍がしばしば現れ、音とリズムとダイナミックスが一体となった躍動感を、ここでも振りまいている。全曲を通じて、これほど楽しみながら聴ける 曲は、モーツァルトの全作品にもなかなかないのではないだろうか。

 この曲を聴くとき、私は体が自ずと踊り出すのを抑えることができない。かくして、S氏宅での深夜の鑑賞会でも、私は所をわきまえず踊り出してし まったのである。
 私はあの晩、行動家のS氏もまた、その五体に「パリ」を流れるのと同じリズムが流れているのであろうことを感じ取り、多忙な日常から昇華された安堵感を 得た。モーツァルトの楽しみを人と共有するという、まれな喜びを与えてくれた「パリ」とS氏に、それぞれ握手したい気持ちである。

(『Oracion』Vo.20 <1991.8> モス・クラブ刊より)


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