山岡政紀 書評集


読後記『現代のヒューマニズム』 務台理作著/岩波新書/1961624日 発行/定価130円(発刊当時)

 

キーワード:ヒューマニズム、人間主義、人文主義、人類ヒューマニズム、人間疎外、全体的人間


1.現実社会を直視した実践啓蒙の書

19626月生れの私が生を受ける一年前に発刊された古典的名著である。大学にもし「ヒューマニズム(人間主義)入門」という授業科目があれば、この本が教科書に最適ではないだろうか。「現代の〜」と言っても50年前に掲げられたタイトルだが、本書におけるヒューマニズムの整理が今も通用するのは、世界史の潮流を100年単位の巨視的視点で捉えているからである。本書が提唱する「第三ヒューマニズム」を、発刊当時、ある人は理想論と批判し、ある人は共産主義武力革命の正当化と決めつけたが、発刊後50年以上経た今日の時代状況において改めて読んでみてこそ、より著者の真意に肉迫できるのではないかと感じられる。

著者・務台理作は1890年生れ。青年期には京大で西田幾多郎に学び、いくつかの教授職を経て東京文理科大学(現・筑波大学)の哲学教授に就き、長く務めた。終戦の年1945年からは同大学の学長も務め、戦後の教育改革に尽力した教育者として名を残している。

本書は、哲学の書にありがちな机上の理論に留まることをせず、歴史や現代社会の実際を直視したうえで、青年に人類ヒューマニズムの実践を促し、社会変革を訴えかける力強さがある。彼自身は社会運動家、政治家、宗教家たちのように思想を行動に移すことはしなかったが、本書にはそうした行動者を高みから論評する評論家的な臭いは全くなく、むしろそうした行動への敬意が表現されている。ナチスが起こした反人道的戦争に対して命懸けの言論闘争を挑んだ学徒たちの、いわゆる「白薔薇のヒューマニズム」を冒頭に紹介するところから本書を書き起こしているのも、実に象徴的である。彼は、青年を鼓舞する教育者の道に徹し、世界史の行く末を青年たちに託したかったのではないだろうか。

2.第三ヒューマニズム論

著者は歴史上のヒューマニズムを三つに大別する。第一ヒューマニズム。ルネサンス期における文芸復興は人間の価値を高め、心を豊かにするものだった。その意味において「人文主義ヒューマニズム」。しかし、極めて恵まれた環境の中で特別な才能を発揮した一部の人たちによってもたらされたもの、という意味において、それは「貴族的ヒューマニズム」であった。

第二ヒューマニズム。共和制、自由主義、資本主義によって成立した近代市民社会においては、個人が自立し、市民一人一人が自由を享受するようになった。その意味において「個人主義ヒューマニズム」。しかし、自由競争の結果としての勝者と敗者、あるいは支配者と被支配者への分化や、それをもたらす社会構造に安住した、という意味において、それは「ブルジョワ・ヒューマニズム」であった。

前二者のヒューマニズムは人間の価値を高めるムーブメントではあったが、地球上に依然として存在する人間疎外に対しては無力であった。人間が人間自身のために産み出したはずの労働制度や政治制度が却って人間疎外をもたらした実例としての植民地支配や奴隷制度。そしてその極限たる核兵器の開発。

それらを乗り越えて、あらゆる人間疎外に敢然と立ち向かう「人類ヒューマニズム」こそが、務台が理想と掲げる「第三ヒューマニズム」であった。人類社会があらゆる人々の幸福と平等を目的とするのであるならば、それと反する人間疎外と闘うために行動を起こすべきであることを訴えかけている。

「人間の生命、人間の価値、人間の教養、人間の創造力を尊重し、これを守り、いっそう豊かなものに高めようとする精神でしょう。したがってこれを不当に踏みにじるもの、これを抑圧し破滅させるものにたいしてつよい義憤を感じ、これとのたたかいを辞しない精神です。これは人間存在の正義観、平等観、幸福観と結びついているものです。」(pp.4-5

3.「正義のための戦争」をめぐって

本書では集団暴力行為である戦争や核兵器の装備・使用を人間疎外の最たるものとして否定するが、例外的に「ほんとうの独立のための戦争、正義のための戦争は正当化され許されるべきだと思います」(p.63)と主張している。この点において本書は物議を醸し、評価を二分した。私は古書店で手垢の付いた本書を購入したのだが、当該頁を開くと、前の持ち主による鉛筆書きの傍線と共に、欄外にこう記されていた。「私の考えは許されるべきでない。他の方法によるべきだ」と。これは日本人の読者の平均的な感想でもあったろう。

しかし私は、著者がそれほどまでに大国による植民地支配を悪と断じ、わずかな武器を手に抵抗を試みる小国の人々の尊厳と誇りの側に立脚してこの主張を行っていることにむしろ強い共感を覚えた。理想論としての絶対平和主義を言葉として言うのは簡単だ。だが、植民地支配を受けたこともない我々日本人が、現実に世界で起きている人間疎外や、そのもとにある人々の苦悩に目を向けることなく、単に理想論に終始するのであれば、それは自己満足の誹りを免れないだろう。

ここで私はキューバ独立戦争を指揮した英雄ホセ・マルティの戦いを想起した。彼はスペイン帝国による植民地支配や奴隷制度に疑問を抱き、16歳にしてキューバ独立を支持する論説を新聞に投稿して逮捕・投獄され、拷問を受ける。その後、国外追放されながらも、周辺各国に散在するキューバ人労働者たちに決起を呼びかけ、キューバ革命党を結党。そして、1895年、とうとう祖国に上陸して独立戦争を敢行。同年、42歳の若さで戦死するも、彼の戦いに鼓舞された同志たちの戦いにより1902年、キューバは遂に独立を勝ち取る。彼は一方的に暴力と迫害を受け続けるがそれでも武器を持つことなく、非暴力の言論闘争を続けた。そのマルティが最後の最後に武器を取って祖国に乗り込んだのは、無力で抑圧されたキューバ国民を守り抜くための“自衛”の戦いであり、彼はその最前線で体を張って戦い、同胞のために死んだのである。

務台は本書において、植民地が開放を求めて引き起こす民族独立戦争は、他国による不当な侵略から自国を守るための自衛戦争と同一カテゴリーに入れるべきだとも述べている(p.168)。実際のところ、ホセ・マルティたちの戦力はスペイン帝国軍の武力に比べれば弱小だったが、マルティの勇気ある言論に鼓舞されて起ち上がった大勢の大衆の圧倒的な魂の叫びにより、スペイン帝国はキューバの独立を認めざるを得なかった。つまり、彼らは武器よりもむしろ勇気と言論の力で勝利したのだ。務台は本書で民族独立戦争の実例を挙げていないが、このように世界史の実例を補って読むことで、ますます「現実の人間疎外と戦う人類ヒューマニズム」ということの重みに肉迫できるのではないだろうか。

4.人類ヒューマニズムと宗教

評者は、本書に人類ヒューマニズムと宗教の関係が5ページにわたって述べられている点にも注目した(pp.77-81)。神と人間との関係は時代によって変遷してきた。第一ヒューマニズム(ルネサンス・ヒューマニズム)はキリスト教信仰における内発的な人間賛美の精神に動機づけられている。一方、第二ヒューマニズム(近代市民ヒューマニズム)においては神の絶対性が人間と対置されることとなった。人間と自然との分断が進んだときや、人間と社会とが対立したときに、神の絶対性はいつもそうした対立を助長する役割を背負わされ、結果として人間を疎外してきた。それらはブルジョワ宗教であって、相対的な道徳と絶対的な宗教との間に乖離があった。

そして第三ヒューマニズム(人類ヒューマニズム)における宗教の在り方として、そうした人間疎外の絶対性ではなく、人間自身の可能性を認め、有効にしていくための「相対的絶対性」を土台にするものでなくてはならないと務台は述べている。そうした宗教がもし存在するならば、それは人間疎外と真剣に戦い、全体的人間としての人類の実現を目指すうえでの精神的基盤となるはずである。そしてそこでは宗教と道徳が一元的になるのだという。

このように務台は宗教を、人間疎外の元凶ともなり、人類ヒューマニズムの基盤ともなる諸刃の剣と捉えていた。ヒューマニズムを評価する目は常に客観的で相対的である。一方、宗教は絶対的であるが、宗教の価値はヒューマニズムの相対的な眼で評価していくべきだということである。それでいて相対的な次元に留まればそれは道徳や理念でしかないが、それでは本当の意味で人間疎外と闘う力にはならない。歴史上、人間疎外と闘ってきた人々の多くは宗教的な動機づけを闘う原動力にしてきた。白薔薇の兄妹もカトリックだった。植民地主義と闘ったマハトマ・ガンジー(ヒンドゥー教)も、人種差別と闘ったキング牧師(プロテスタント)もその宗教的信念に基づいて人類ヒューマニズムを体現した人たちだった。

人間を疎外する時の宗教は宗派間の相違・対立が顕在化し、絶対と絶対が拮抗するが、ヒューマニズムを支える時の宗教は宗派の相違を超えた協調と融和の共通基盤を示すものではないだろうか。

本書はヒューマニズムを思弁的な机上理論として語るのではなく、一貫して歴史の事実を直視しながら、新しい歴史を創出する力としての人類ヒューマニズムに期待をかけ、青年に思索と決起を呼びかけているかのようである。

2017.6.172017.7.16 第3節「『正義のための戦争』をめぐって」を加筆)


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