山岡政紀 書評集


読後記『カリブ海の太陽 正義の詩 「キューバの使徒ホセ・マルティ」を語る』 シンティオ・ヴィティエール、池田大作著/潮出版社刊/2001824日 発行/定価1800円/ISBN 4-267-01607-0 C0095


 カリブ海の真珠と称えられる美しい島国キューバは、15世紀末にコロンブスによってアメリカ大陸とともに発見されて以降、長くスペイン帝国の植民地だったが、19世紀末の二度の独立戦争以降、激動の歴史を経てきた。アメリカ合衆国との長い政治対立は一時期、第三次世界大戦の危機を生んだが、遂に昨年、両国の国交が正常化するという歴史的な時を迎えた。そうした激動の国情を超えて、永遠にキューバの精神的支柱たり続けるであろう人物が、第二次独立戦争の英雄ホセ・マルティ(1853-1895)である。今日、ホセ・マルティに関する図書は日本でも多く出版されているが、中でも本書を編んだ二人の対談者は、かたや彼の国でホセ・マルティ研究の第一人者とされるシンティオ・ヴィティエール博士(ホセ・マルティ研究所長)、かたや「ホセ・マルティの精神を最も熟知する日本人」(デルガード元駐日キューバ大使)と称された池田大作博士(創価学会インターナショナル会長)。マルティの傑出した行動、その革命精神を産み出した源流について深く探究した啓発書として、永くその価値を保つであろう。発刊から15年を経た本書の意義を再確認すべく、池田博士のキューバ訪問20周年を記念して読後記を記すことにする(以下、敬称略)。

スペイン軍の元軍人を父に持つホセ・マルティは、自身は白人であったが、幼少期から植民地制度や奴隷制度の不条理に強い怒りを覚える、早熟で多感な少年であった。彼が言論闘争を開始したのは弱冠16才の時、独立戦争を支持する論説を新聞に投稿したのだ。翌年にはその言論ゆえにわずか17才で逮捕され、政治犯収容所で拷問を受ける。さらに翌年にはスペインに追放される。スペインは宗主国であり両親の祖国でもあったが、彼はその地でも大学に学びながら、スペイン帝国の人権蹂躙を糾弾する言論闘争をやめず、行く先々でその地を追われ、メキシコ、グアテマラ、ニューヨーク、ベネズエラと転戦に転戦を重ねる。そして、ニューヨークでは第一次独立戦争を戦った年長の将軍たちにも堂々と共闘を呼びかけたほか、各地に散在するキューバ人タバコ労働者など大勢の民衆にも決起を呼びかける言論闘争を果敢に続けた。そしてニューヨーク第U期と言われる1883年には『ラ・アメリカ』(アメリカとは南北アメリカ州全体を指す)の編集長に就任。1891年には代表論文「我らのアメリカ」を自ら執筆し、発表している。そして、1892年にはキューバ革命党を創立して党首となり、1895年には第二次独立戦争を敢行、4月には祖国に上陸して戦うも、5月に戦死する。ホセ・マルティ42才であった。しかし、マルティに士気を鼓舞された兵士たちが戦いを継続し、19025月、ついにキューバ共和国は独立を果たす。

ホセ・マルティは言論の闘士であったがゆえに、今なお多くの詩や散文が遺されている。彼はそれらの詩作や文章を通して、貧しい者、弱い立場の者にも等しく内在する人間の尊厳を高らかに歌い上げるとともに、正義のためには迫害にも恐れぬ勇気と信念をも堂々と言葉に示していた。そこに表現されたものは単なる観念論的なヒューマニズムではない、現実と格闘する勇気と気迫に満ちた、力強いヒューマニズムであった。そして、その言論の力にどれほど多くの人々が魂を揺り動かされ、キューバ独立を目指す大衆運動へと加わっていったか、計り知れない。

本対談ではそうしたホセ・マルティの人物史を丹念に追いながら、そうした勇敢な行動をマルティになさしめた原動力が何であったか、その本質について彼が遺した文章を元に探究している。池田はマルティが、『キューバの政治犯収容所』(1871年刊)100歳の黒人も12歳の少年も足枷でつながれ採石場での労働に鞭打たれ、酷使されている光景を、憤りを込めて綴っていることに言及する。ヴィティエールはさらに特筆すべきマルティの精神の崇高さとして、怒りを抱きつつも「報復と憎悪という考えを退け」ていたことを指摘する。「刑務所で鞭をふるう日雇い労働者が、憎んだり報復しようとすることはありえましょう。(中略)しかしキューバの政治囚の若者の魂には、そのような感情は起こらない。その魂は、はめられた足枷よりも高くそびえており、良心の純粋さや決して屈することのない信条の公正さに支えられているのですから」(p.41)。池田はマルティのこの自己統御、自己超克について、ガンジーの非暴力と響き合うものと評している。要するに本書は、ホセ・マルティの革命が単なる政治闘争でも権力闘争でもなく、人間の尊厳を希求する精神性の闘争であったこと、だからこそ多くの人々の心を捉え、死後120年を経た今も、キューバの人々の精神的支柱であり続けていることの本質を見事に描き出しているのである。

本書の大きなテーマの一つは師弟である。マルティが12歳のときの中学校の校長であったメンディーベとの出会いも、彼の人生を大きく左右したという。メンディーベは正義感が強く、子どもたちの前でもスペイン帝国の植民地支配を批判し続けた。それが少年マルティの心に深く残ったエピソードをヴィティエールは紹介している。「最も忘れ難かったのは、メンディーベ先生が『キューバの処刑台で命を落としていった者たちについて話すとき、激高して椅子から立ち上がり、顎髭をふるわせていた』ことでした」(p.58)。まさに師の情念が弟子の中で生き続け、仕事を継続させたのである。メンディーベのエピソードを紹介するヴィティエールの言葉から池田は、先師牧口常三郎の獄死を語る時の恩師戸田城聖の怒りのすさまじさを想起する。そして戸田から池田へと続く三代の師弟もまた、崇高なる人間主義の精神性を命がけで継承してきたものである。師弟の崇高さの普遍性がここにはあった。

マルティの自らを省みない勇気の行動は、その半世紀後にアメリカ合衆国による実質支配からの革命を成功させたフィデル・カストロの魂をも鼓舞し、そして今日のキューバ人たちに誇りを与え続けている。カストロは1953年のモンカダ兵営襲撃に失敗したあとの裁判で「一体誰がシナリオを書いたのか」と問われたのに対し、「シナリオを書いたのはホセ・マルティだ」と言い放ったと言う。また、ある時はその思想主義を問われた際に、「私はマルキシストではない。マルティストだ」と答えたという(p.23)。それのみならず、市井の貧しい市民たちも、大学に学ぶ青年たちも、老若男女を問わずキューバ国民がホセ・マルティを師と仰ぎ、没後120年の今もなお慕い続けている。精神性の継承を可能にする「師弟」の尊貴さを、キューバの歴史は私たちに教えてくれている。

もう一つのテーマは、ホセ・マルティの精神性を支えた宗教性へのアプローチである。マルティは若い頃から自身を「一途なキリスト教徒である」と公言した(p.306)が、教会の権威たる司祭たちが権力者に迎合して奴隷制を容認し、人間の尊厳を蔑ろにする態度を、「イエスを変貌させる」所業と断じている。そうして彼は既存の教団や教会に所属するのではなく、彼自身の内面の精神闘争を通じてその信仰を普遍的宗教性へと昇華させていた。彼は我が身を革命に捧げるがゆえに常に死と対峙し続けていたが、その文脈の中で彼はたびたび生命の永遠性への達観を表現している。マルティが母に送った手紙には「私の未来は木炭の光のようなものです。周囲を照らしゆくために自らが燃え尽きるのです。私の闘いは尽きることがないでしょう。」と記されている(p.85)。また、「自分自身の内に、永遠のものを秘めている人間は、永遠のものを育む。また永遠のものを育まないと、自分を堕落させ、後退させていく」(p.178179)と。こうした言葉に対して池田は「マルティの生死観は、驚くほど仏法の生死観と通じ合っています」と述べている(p.168)

マルティは「宗教は人間に本然的に具わっているエッセンスである」(p.306)と述べながらも、特定宗派の教義として制度化されない「未来の宗教」()の到来に言及する。それは、「人間愛」、「人間主義」という名の普遍的宗教性にほかならなかった。池田はこれを、「宗教なきヒューマニズムは悪である」と断じたシモーヌ・ヴェイユの言葉と同義であり、デューイが「宗教的なもの」として志向したものとも共鳴することを強調する。古今の哲学探求の徒が図らずも同じ地点に到達していたのである。ともかくもマルティは、普遍的宗教性を既存の宗派の言葉で語ることを嫌う代わりに、人間に正義と美を教える「文学」、とりわけ「詩」という方法でそれを語っていった。マルティの革命は詩作を通じた言論闘争であったがゆえに、その精神性を維持し続けることができたし、そして彼の詩は革命の武器に代わるものであったがゆえに、より研ぎ澄まされた崇高な人間愛が表現されていたのである。

ヴィクトル・ユゴーとホセ・マルティが二度出会っていたとの話題も極めて興味深い(p.380)。二人の最初の出会いは1874年。21歳のマルティが74歳のユゴーと出会ったその時の感動を記した文章は、ヴィティエールが発掘したものだという。「・・・ヴィクトル・ユゴーとは雪を戴いた一つの山であり、その頂からはまさにあの太陽からもらい受けた陽光がふんだんに溢れ出ているのだ」(p.385)と。池田もまた、マルティが記した『キューバの政治犯収容所』とユゴーの『レ・ミゼラブル』との類似性に言及する。師メンディーベを通じて少年期からユゴーに触れたこともマルティの人格形成に多大な影響を及ぼしていると見る洞察は、マルティ研究における非常に本質的で象徴的な一つの成果ではないだろうか。

池田大作博士のキューバ訪問から20年、本書発刊から15年を経た今も、ホセ・マルティの人間主義哲学が持つ価値は色あせるどころか、ますます重要度を増してきている。むしろ、キューバとアメリカの国交が正常化した今だからこそ、アメリカは経済的優位の立場からのみキューバを見るのではなく、ホセ・マルティのヒューマニズムを継承してきたキューバの精神性に謙虚に耳を傾けるべきではないだろうか。そうであってこそ初めて両国は対等な友好を結ぶことができるはずである。それはアメリカにも個々に存在するヒューマニズムの潮流――例えばキング牧師がそうであったように――を、より確かな国家の存立基盤へと昇華することにも寄与するであろう。そしていつか、アメリカとキューバが手を取り合って世界平和のためのメッセージを世界に向けて発しゆく協調と融合の姿を、この目で見たいものだと切に願っている。

2016.6.24


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