山岡政紀 書評集


映画鑑賞記『誰もがそれを知っている』 アスガル・ファルハーディー監督・脚本/2018914日公開/Momento Films 製作

 

 もともと映画を観ることは嫌いではなかったが、多忙な日々ではそのための1時間、2時間というのがなかなか取れない。しかし、このたびは3ヶ月のあいだに日本とインドを3往復もすることとなり、78時間はエコノミークラスでじっとしていなければならない。最近、その時間が映画鑑賞のための格好の時間であることに気付いた。せっかくなので、ネタバレにならない程度のレビューを書いてみようと思う。

 

 ペネロペ・クルスという女優の名前は知っていたが、スペイン人であることは知らなかった。その程度の知識しかない私だが、長いフライトのなかでどの映画を観ようかと迷ったときにスペイン語だという理由だけで選んだのが『誰もがそれを知っている』だった。原題は Todos lo saben 。英語タイトルはEverybody knows。もっともスペイン語の響きが好きではあるが映画が聴き取れるほどのスペイン語力があるわけではない。英語の映画だって全部は聴き取れない。でも、英語の字幕があれば内容は理解できる。ということで、語学を楽しむぐらいの軽い気持ちでこれを選んだ。だが実際に観てみると、中途半端にスペイン語の単語やフレーズを知っているせいで、スペイン語に意識が引っ張られて英語の字幕が頭に入ってこない。それで20分ぐらい観た時点でスペイン語を諦め、最初に戻ってイヤホンを外し、字幕だけで鑑賞することにした。

 

 

 舞台はスペインの片田舎。この村で生まれ育った主役のラウラ(ペネロペ・クルス)は嫁ぎ先のアルゼンチンから16才の娘イレーネと10才の息子ディエゴを連れてはるばる里帰りしてきた。妹アナの結婚式に立ち会うためだった。実家では老父母や姉夫婦とその娘たちが温かく出迎えてくれた。

 厳かな教会での式典に引き続き、実家に戻ってのパーティーでは歌手の歌に乗せて皆が歌い、皆が踊り、新郎新婦とともに幸福なひとときを楽しんだ。この結婚式にはラウラの幼なじみで大きな果樹園を経営するパコとその妻も参加していた。

 楽しかったパーティーの夜に突然事件は起きる。二階で眠っていたはずのイレーネがこつ然と姿を消したのだ。血相を変えて探し回るラウラのもとに届いたのは誘拐犯からの脅迫メールだった。その後、物語はサスペンスドラマの様相を呈しつつも、意外な方向に展開していく。その後、アルゼンチンからラウラの夫アレハンドロが駆けつけたり、義兄の知人である元警察官が推理や提案を行ったりと登場人物も増えていくなか、イレーネ自身は知らないイレーネの意外な秘密が明かされ、周辺の人々を巻き込んだ複雑な人間模様が繰り広げられていく。

 最終的には事件は解決し、イレーネは無事に母ラウラと父アレハンドロのもとに戻る。その前に犯人がそれまでの登場人物のなかにいたことは視聴者には明かされるが、登場人物間では知られないまま物語は幕を閉じる。ただ、登場人物の一人が犯人の存在に気づいたことを示唆する場面がラストシーンとなっており、このあと犯人をラウラ一家が知ったときにさらにもうひと波乱のドラマが巻き起こるんだろうなという余韻が残る。

 

 さまざまな見どころのあった映画のなかで、私は月並みだがまず、娘を思う母の演技に感銘を受けた。当たり前のようにいつも娘と息子がそばにいて幸せそうな一家。だが、その娘がいなくなってからのラウラの変貌ぶり。その苦悩、憔悴、葛藤は真に迫るものがあった。美形のペネロペ・クルスが演じるラウラだが、その表情は乱れ、顔色はみるみる悪くなってどす黒くなり、目の下には隈ができ、髪を振り乱し、時に絶叫したり、時には過呼吸を起こして倒れそうになったり。ビクトル・ユゴーの名作「九十三年」には、3人の子どもたちを人質に取られて気が狂ったように子どもたちを探し求める従軍物売女の姿が描かれるが、その苦悩の一端を思い出させるような姿であった。

 しかし、それ以上に凄みをもって表現されたのは、そのように苦悩をあからさまに表現した母ラウラとは別に、イレーネを救うためにこれまで積み上げてきた人生をかなぐり捨てるぐらいの大きな決断をした人物が他にいたことである。それは父アレハンドロでもない、祖父母や伯母たちでもない、赤の他人と思われた人物であった。その人物が取った行動。ラウラほど激情を表に出して表現しないがそこに秘められた深い愛情が胸を打った。これ以上はネタバレ防止のために留めておく。

 この映画は単なる犯人さがしの推理ものサスペンスではなく、親が子を思う愛情がいかに深く、時には世間の常識や理屈を超えてしまうものであることを描きたかったのではないか、というのが私の感想である。

 

2019.12.4

 


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