山岡政紀 書評集


『日本語誤用例文小辞典』 市川保子著/凡 人社刊/1997年1月20日発行/2718円


 外国人日本語学習者の誤用例文の収集、誤用の分類は、故・寺村秀夫大阪大学教授が生前、精力的に行っていた事業でもある。本書は、寺村と師弟関係にあっ た市川保子氏(九州大学留学生センター教授)が、継承・発展させ、教育現場で役立つような工夫を施して世に問うたものと言ってよい。

 本書において注目したいのは、その新たな工夫についてである。本書では、ただ例文中の当該個所に誤用の分類を表示するだけでなく、例文自体を、その誤用 が最も関連する文法項目ごとに分類している。つまり、検索しやすい辞典の形になっているわけで、実用的である。分類は、8分野(ムード、テンス・アスペク ト、やりもらい、など)、86項目に整理されている。また、例文にはすべて、例文作成学習者の国籍と日本語力レベルが表示されている。

 著者の労が最もしのばれるのは、各項目ごとに「誤用の傾向」「指導のポイント」がまとめられている点である。一例を挙げると、伝聞の「そうだ」に関連す る「誤用の傾向」として、

○直前の用言からの接続における形態的誤用(例:独身をそうです→独身だそうです)、
○テンス・アスペクトの位置の誤用(例:暑いそうでした→暑かったそうです)、
○様態の「そうだ」との形態的混乱(例:あのレストランは安くておいしそうです→……おいしいそうです)

が挙げられており、さらにこの傾向を踏まえた「指導のポイント」が簡潔で見やすい形に整理されている。伝聞の「そうだ」の理解・習得において注意すべき点 を、誤用例をもとに浮き彫りにしようという試みである。
 構文シラバスを用いている日本語教師にとっては、教材研究の際に、当該項目がどのような誤用を引き出しやすいかについて、本書に基づいてあらかじめ予測 を立て、それを未然に防ぐための教室活動を授業計画の中に盛り込むことができる(この例では、特に「な形容詞」からの接続や、過去形の例文をよく練習する こと、様態の「そうだ」との違いを明確にすること、など)。

 ただ、著者自身が認めているように、誤用の傾向をデータのみから一般化するには、収集された例文数(約1,500例)は決して十分とは言えない。そのた め、著者の長年の教育経験に基づいて述べられている面も少なくないが、教育現場での実用性という点では、むしろ的確な指摘をしている場合もある。また、誤 用の判断基準が主観的で、判断者によって揺れることや、特定の文脈・場面中に置かなければ、文法性の判断がしにくいような例など、誤用研究そのものの本質 的な課題が本書でも問題点となっていることはやむを得ない。
 今後、この種の事業は、より多くの日本語教育研究者の共同作業によって、データの量を確保し、誤用の判断をより客観的なものとし、さらに誤用の傾向の記 述には、各項目を専門とする文法理論研究者による分析を取り入れるなどして、発展させていくべきものだが、何はともあれ、その難事業の第一歩を印した本書 が、今日の日本語教師にとって有益なものであることは間違いない。

〔やまおかまさき〕――創価大学文学部助教授

(『月刊日本語』1997年7月号 アルクより)


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