山岡政紀 書評集


書評『どうぞこのまま』 丸山圭子著/小径社刊/201421日 発行/定価1680円/ISBN 978-4-905350-03-3


 ♪この確かな時間だけが〜 今の二人に与えられた〜 唯一の証しなのです〜♪

 今もカラオケで人気ナンバーでありつづける名曲「どうぞこのまま」を1977年に大ヒットさせたシンガーソングライターの丸山圭子が、本日で還暦の誕生日を迎えた。同じく本年、還暦を迎えた松任谷由実や水越けいことは旧友で、さらには大貫妙子や竹内まりやともほぼ同年代。シンガーソングライターの当たり年に生まれた丸山だが、その中にあって情感豊かで女性らしい詩と曲を創り出すアーティストとしての才能、そして女性らしい感性は際立っている。それでいてその才能ほどに個性を主張しない慎ましやかさも魅力の一つだ。クラシック音楽マニアの私も、多感な青春時代に癒してくれた丸山のメロディには別格の位置に置いて愛好してきた。

その丸山が本年2月、自叙伝とも言うべきエッセイ集を出版した。その書名はずばり、『どうぞこのまま』。内容は大きく二部に分かれ、前半部は生い立ちから「どうぞこのまま」の誕生までを綴った12編のエッセイからなる「遙かなる遠い呼び声」。これは、40代に一度記しながら温めていたエッセイを今回の出版を機に加筆・公開したものである。そして後半部は丸山が2006年から日常の出来事を綴っているインターネットブログ「丸山圭子のそぞろ喋歩き」からの抜粋である。

特に前半部は、その包み隠さぬ内容に強く胸を打たれる。冒頭に「エッセイを書くということは自分を裸にするようなもので、辛いことも覚悟しないとできない」との言葉が記されているが、その言葉通りを実行したエッセイ集である。十五歳年上のプロデューサーとの恋について書かれた「残炎」の章などはその赤裸々さに衝撃を受けた。それこそが名曲「Sea-side hotel」の原体験なのに違いなかった。それは豊かな感性を通して描かれた美しい世界であって淫猥さは微塵もない。詩人が書くエッセイはやはり美しい文芸作品である。美しい写真と共に掲載された詩12編もこれまた美しい。

そして本書を貫く最大のテーマは父である。「遙かなる遠い呼び声」。それは、少女・圭子が16歳のときに早逝した父・丸山三郎氏から届く、心の声である。三郎氏は大学で哲学を教える助教授であったが、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という病気のために長い闘病生活を送った。この病気については養老孟司氏の講演でも聴いたことがあるが、大脳の機能は全く健全、即ち思考や感情は健常者と同じまま、筋肉を自らの意思で動かす神経の機能だけが冒され、次第に全身が動かせなくなって寝たきりとなり、最終的には呼吸不全となって死に至る不治の難病である。圭子は単に父の病気を悲しんだのではなく、人間の尊厳を奪われた自らの身体を明晰な頭脳で見つめる父の深い苦悩を敏感に感じ取って共有したのだ。小学生の時は明朗、快活といつも通知票に書かれた圭子が、最も多感な中学生時代に遊ぶこともおしゃべりも忘れて、ずっと心に重りを抱えたままだったという。

そして、最愛の父を失ったあとの放心状態のなかから、彼女の中で抑え込んでいた音楽への思いが爆発したのだ。その時の心情を丸山はこう綴っている。「何かに夢中になることで、父の死を忘れたかった。一度しかない人生を無駄にしないように、何かやらなければという、内面から突き上げてくる衝動を押さえることなく、走り出したくてうずうずしていた。考えることより、行動したかった。ひとつの枠にとどまるより、壁を破ってでも、表に飛び出したかった」と。そうした強い衝動の中から圭子はニッポン放送主催「VIVA唄の市」コンテストにオリジナル曲「しまふくろうの森」で見事全国優勝を果たす。そのあとの活躍は言うまでもないところだ。

父だけでなく母・丸山敦子女史も大学教授として哲学を教えていた丸山家は学問の家系である(ちなみに記号学者・丸山圭三郎氏は名前も専門も似ているが全く無関係だそうである)。姉はお茶の水女子大学に進学したとあるが、圭子本人も幼少から成績優秀だったから両親共に健在だったならどこかの名門大学で哲学を学び、世が世であれば今頃大学で哲学の教授になっていたのかもしれない。しかし、父の死は彼女に強い表現のエネルギーを与えたのだ。幼少の頃からピアノのレッスンを受け、父が好きなクラシック音楽を聴いた。しかし、ビートルズ、ナット・キング・コール、アンディ・ウィリアムズなどの洋楽に触れたことで、彼女の中の自由な表現の才能が開花したのだろう。そんな状況のなかから神が下りてきたかのように、あの「どうぞこのまま」が生まれたという。そして分野は違うが父のエネルギーがその後のアーティスト・丸山圭子の背中を押し続けてきた。父は亡くなる半年前の病床で「一生、愛について考えなさい」と語ったという。父が掲げた哲学命題に娘は表現者として音楽で答えを出し続けてきたのだ。そして今、丸山は洗足学園大学客員教授となって、愛の哲学ではないが愛の表現を若者に教えている。父の遠い呼び声は今なお丸山の背中を押し続けているのにちがいない。(敬称略)

2014.5.10


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