山岡政紀 書評集


読後記『俵万智の子育て歌集 たんぽぽの日々』 俵万智著、市橋織江写真/小学館/2010323日 発行/定価1600円/ISBN 978-4-09-388114-2


ぼくにとって俵万智さんは、遠い世界のアイドルのようでもあり、20年来の身近な友人のようでもあり、不思議な存在だ。

万智さんはぼくと同じ1962年生まれで、同じ関西出身である。ぼくは6月に京都で、万智さんは12月に大阪で生まれた。同じ学校にいたことは一度もないが、小学校から大学まで入学・卒業の年は全く同じだ。万智さんが高校の国語教師だったのは有名だが、ぼくも高校国語科の教員免許を持っている。茨城県立高校での教育実習、私立高校での非常勤講師として、高校生に国語を教えた経験もある。もちろん、ぼくは小・中・高と国語が得意科目だったが、きっと万智さんもそうだったろう。そして今、万智さんは歌人で、ぼくは言語学者だ。

万智さんが相模原の橋本高校に勤めながら、『サラダ記念日』を世に出した頃、ぼくは筑波の大学院生で、彼女の短歌の一ファンとなった。ぼくが今の職場に赴任して、相模原に近い八王子に移ったときには、あいにく万智さんは教師を辞めてしまったのだが。

90年代前半、パソコン通信で「きゃろっと」という可愛いハンドルネームを使っていた万智さんと、掲示板上のおしゃべりを楽しませてもらった。ぼくの方はとなりのトトロに因んで「ネコバス」というハンドルネームを使っていた。いつぞやある都内の映画館で万智さんがトークショーをやると聞いて出かけ、はじめて万智さんを直に見、生の声を聞いた。それだけでは飽きたらず、終了後に万智さんの控え室に押しかけて、図々しくも少しだけお話をさせていただいた。ぼくはハンドルネームしか名乗らなかったが、「ええっ、あなたがネコバスさんですか」とにっこり笑って握手してくださった。嬉しい思い出だが、万智さんは覚えていないだろうな。

ぼくは万智さんの短歌とその豊かな心の世界を20年来こよなく愛している。ついでに言えば、彼女のクリッとした目や、時折関西弁が混じるおっとりした話し方にも親近感を覚える。もし身近に接していたら、例えば、同じ大学の同級生として出会っていたら、とても気の合う親友(ひょっとしたらそれ以上!?)になっていたかもしれないと勝手に思っている。万智さん、迷惑だったら、ごめんなさい。

それはともかく、その万智さんが7年前にシングルマザーの道を選んだと知ったとき、いろいろなことが頭を駆けめぐった。つまるところ、万智さんは幸せなのだろうかと。しかし、万智さん本人に「幸せですか」と聞くような無粋なことをしてはならない。そもそもそのようなことを詮索する権利もない。でも、作品の愛好家の心には、作品を通じて形成される「語り手像」というものがある。ぼくが最初に「アイドルのような存在」と書いたのはこのことだ。ぼくらは万智さん本人から聞くのではなく、作品に静かに耳に傾けて、「語り手」の声を聴けばよいのだ。

今こうして、万智さんが子育てを題材に書いた歌集を手にしたとき、わが子を育てることの本心からの喜びがさわやかな風のように伝わってくる。ああ、万智さんは幸せなんだ、本当によかったと、ぼくも幸せな気分にさせていただいた。ぼくは万智さんに対して、歌集を購入させていただくぐらいのことしかできないが、万智さんは作品を通じてぼくらに幸せのさわやかな風を送ってくれている。万智さん、ありがとう。

もちろん決していいことばかりではないはずだ。しかし、たった一人の掛け替えのない子どもに、無償の愛情を注ぐことの痛み、忍耐があればこそ、子どもから受け取る生命力、喜びも大きいのだろう。ぼくにもたった一人の息子がいるから痛いほどわかる。万智さんは親子二人っきりだからその思いはなおさらだろう。子どもこそいのちの尊さそのものの存在なのだ。

万智さんは歌人であり、エッセイストでもある。短歌は作品としての自立性の強い表現形態だ。詠み人を離れて三十一文字の言葉そのものに共感があり、わが心に世界が拡がっていく。そして、万智さんの短歌に添えられたエッセイを同時に読むとき、文字の短歌に言葉のリズムや万智さんの女性らしい声が与えられて、「語り手」像が浮かび上がる。不思議なものだ。

「たんぽぽの/綿毛を吹いて/見せてやる/いつかおまえも/飛んでいくから」

本歌集のタイトルにも使われた、冒頭から3首めの短歌だ。たんぽぽの綿毛がふんわりと飛んでいく光景、その癒しの空間。そこから綿毛の行き先の不確かさと、いつか親離れしていくわが子への切ない思いが伝わってくる。

万智さんの歌には花、野菜、果物など、植物がよく登場する。本歌集の一首めから順番に「リンゴ、たんぽぽ、つつじ、みかん、樅の木、枯葉、トマト、芝生、木の実」といった具合だ。言葉そのものの響きもやわらかく、同時に豊かな色彩感や触感を引き連れてくる。さすが「きゃろっと」さんだけのことはある。

そして、そうした自然の光景を、鋭敏な感性で見つめる幼な子の心の世界に投影しながら、作品の世界が展開されていく。後半に桜を歌った2首の歌がある。古来、桜の短命はしばしば歌の題材となったが、万智さんの感性はこうである。

「逆光に/桜花びら/流れつつ/感傷のうちにも/木は育ちゆく」

すべてに自然体で、肩の力を抜いて、たった一人の愛息を育てながら作品を残しゆく万智さん、そして坊っちゃんに、健やかに幸あれと心からの祈りを送りたい。


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