山岡政紀 書評集


書評『私は臓器を提供しない』 近藤誠・中野翠他著/洋泉社・新書y/2000322日 発行/定価660円/ISBN 978-4-896914528

 

書名に端的に表れているとおり、日本の医療における脳死・臓器移植に反対する立場の論説を10本集めた小論集である。医師3名、思想者2名、仏教者2名、ジャーナリスト3名と、各分野の筆者がそれぞれの立場から説得的な持論を展開しているが、特筆すべきはT章の医師3名の論説である。というのも、かつて脳死・臓器移植反対論と言えば、梅原猛氏や立花隆氏といった思想家やジャーナリストが目立ったせいか、医者が賛成し、思想家が反対する、というような構図が印象づけられていた。しかし、本書ではむしろ、実際の医療現場で起きている事実の観点から医師が反対論を展開しており、従来の思想家が提起してきた懸念が現実となっていることを伝えてくれている。それは相当に衝撃的でさえある。ここでは、そのうちの最初の2本の論説について、その要点を紹介したい。

「ドナーカードを持っていると救命救急措置が手抜きにされる」 筆者:近藤誠(慶應大学医学部)

ドナー数(臓器提供者となる脳死患者)に比べてレシピエント数(臓器提供を待つ患者)が圧倒的に多いという「需給の不均衡」という現実が、ドナーとレシピエントの双方に不幸をもたらしているという。

レシピエント側について言えば、移植推進者にとっては移植の成功率を上げることが至上命題である。そこでまず量的な面において、ドナーとの適合可能性を高めるためにレシピエント候補を多く保持しておこうとする。その結果、多くの患者が空しい待機を続ける。そして質的な面では、末期患者ではなく、比較的状態のよい患者をレシピエントに選ぶ傾向があり、移植によって生存率が向上したと本当に言えるのか、疑わしい面があるという。

さらに重大な問題はドナー側の不幸である。ドナー数の絶対的不足は、移植推進者とレシピエントに、ドナー(脳死患者)の出現を期待する心理を起こさせる。そして、ドナーカードを所持している患者が事故に遭うと、早く脳死と認められるよう、救命救急措置の手を抜かれるという。事実としてその疑いがある具体事例が紹介されている。

これでは本当に患者を救うための医療なのか、それとも医療技術の進歩を証明してその開発者が名誉や権威を獲得するための医療なのか、疑問を投げかけざるを得ない。臓器を摘出しても医師が告発を受けないための「臓器移植法」立法化よりも、「患者の権利法」を制定することが先決とする近藤氏の主張は、重大な問題提起である。

「文化としての死の解体と人間解体を招く〈脳死・臓器移植〉」 筆者:阿部知子(小児科医)

19992月、高知赤十字病院で、臓器移植法改正後初の脳死判定、臓器移植が行われた。この時の大半のテレビ報道が「脳死判定」のその時を、今か今かと待つ報道を行い、全国の視聴者は「ドナー患者の死を待つ」状況に置かれた。脳死の可能性が認められた瞬間からその人は、「まだ生きる尊厳のある人」から「早く死んで臓器を提供すべき人」に格下げされるのか、まるで物扱いである。

同病院が行った、脳死判定のための「無呼吸テスト」も、脳の浮腫を増大させ、脳死を決定づける因子となるもので、この判定テストが患者を脳死に追い込んだ疑いもあるという。マスメディアの「期待」のみならず、担当医師もまた患者の脳死を「願っていた」ということか。

いっぽう、脳死患者に見られる「生命徴候」は、その人が「まだ生きている」ことを家族に確信させる尊厳がある。例えば、脳死患者の体に内臓摘出のためにメスを入れると血圧が急変動し、それを安定させるために麻酔を使うことがあるという。脳死患者も「痛がっている」のかもしれないと見えた時に、家族はその人を「遺体」であると見ることができるだろうか。

小児科医である筆者は、脳死状態となってから1年以上「生き」続け、しかも背が伸びて成長する子どもの事例を経験している。そこには厳然たる尊厳がある。もしそれが愛するわが子だとしたら、その子を「生かし」続けたいと願うのが自然な感情であり、その親に対して、「早くあきらめて、臓器を提供しなさい」と迫ることが、本当にできるだろうか。何をもってその子の生命は、臓器提供を待つレシピエントの生命より軽いと言えるのだろうか。「生命の尊厳」とは何かを考えさせられる事例である。

本書刊行の9年後に当たる20097月の改正臓器移植法では、脳死患者本人の生前の意思表示がなくても家族の同意だけで臓器提供が可能となり、小児からの臓器提供が可能になった。筆者阿部氏は国会議員としてもこの法案への反対を訴えてきた一人であるが、氏の懸念には大いに賛同する。私たちは脳死患者の尊厳に対する意識をもっと啓発していく必要があるだろう。


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